5.冒険の決意
冒険者たちは全員湯上がり支度を済ませて温泉から出ると、暖炉のあるロビーに集合した。
所々縫い目の目立つ使い込まれたソファーにクルトとドルジ、テーブルを挟んで向かいの一人掛けソファーにアイシャ、左右の木の椅子にリュリコフとアイグルが座っている。カテナはドルジの横で床にちょこんと座り、ソファーの端に手をかけているドルジの腕に頭を乗せて、リラックスしている様子である。そしてアイグルは、相変わらず豪快に瓶トナカイ乳を喇叭飲みしてぷはーっ!と言っている。
パンドラはアイシャの座るソファーの背後にある暖炉の横の壁に、腕組みをした状態で寄り掛かりながら女湯での出来事を説明した。もちろん、その場にジーニャの姿はない。
ガタンっ!
パンドラの話を聞いていたカテナはリラックス状態から急変し、ドルジの腕を通してソファーを鳴らす程ビクッと大きく身体を震わせて頭を起こした。
ある狼男を巡り、ラスプーキンという男が関与したあまり思い出したくない過去を思い出してしまったカテナは、どっと冷や汗が溢れ出し、せっかく温泉で温まった身体が急激に冷えていくのを感じた。
仲間を信じ、大丈夫と頭では分かっていても、当時の罪悪感は決して忘れてはいない。
「がぅっ……」
カテナは苦虫を噛み潰したような表情を隠せず、せめて見られまいと咄嗟に俯き、自らの両腕を交差させて顔を覆い、周りの視線を遮った。
「それはそれは……ご無事で何よりです。しかし独りとはいえ、こんな辺境に宮廷魔術師とは何事でしょうかね……」
パンドラの話を聞き終えて、リュリコフは神妙な面持ちで顎に手を当てた。
「あの女(ジーニャ)はワインを狙っていると言ってはいるけど、本心は分からないわ。本当の狙いは別にあるのか、それともワインに秘密があるのか。ワインについてはこの町の人も話したがらないしねぇ」
パンドラはアイシャの座るソファーの肘掛けに腰を落とした。
「やはり、リュリコフ殿と同じく、本筋は例の大爆発とやらの調査かのう」
「それとも、秘宝の葡萄酒と大爆発に何らかの関連性が……?」
ドルジとアイシャも、それぞれ顎鬚を撫で、手を組んで、思いを巡らせた。
(……アイツらがちょっとやそっとのりゆーで、こんなにさむくてとおいところにくるなんてこと、ない。ほっといたらぜったいよくないことがおこる。もしオイラのまえにあらわれたら、オイラがどーなろうとも、ぜったいにとめなきゃ……。じゃないと、オイラは……みんなにキバをむいた、オイラは……)
罪滅ぼしの意に駆られ、カテナの顔面を覆う両腕の内側では決意に満ちた眼を見開き、暗闇を睨んでいた。無意識にその拳は力強く握り固められ、僅かに震えをもたらしている。
と、皆がジーニャと名乗る女について考え込む中、クルトは一人カテナの異変に気付き、かの出来事を思い出して心境を察したようにしばらく彼の俯く横顔を見つめたのち、すくっと席を立ってカテナの座るソファー脇の床に歩み寄り、その隣にすっと腰を下ろした。
席を立って以降はことさらカテナの顔に目線を送らず、心配そうな表情を見せることもなく、全身リラックスしたぺたんこ座りで寄り添い、軽く握った手のひらをロングスカートの膝の上に置いて、舟を漕ぐようにゆったりと上半身を左右に揺らす。パフスリーブのブラウスの片袖が、時折カテナの強張る肘を軽く撫でる。焚き火の音にも満たないが、カテナの鋭い耳には、かすかに優しげな鼻歌を口ずさんでいるのが聞こえた。
ジーニャの――宮廷魔術師の話を耳にしてからというもの、カテナが考えれば考えるほど不安・恐怖・怒り等の様々な感情が入り混じり、その幼い心を支配していた。
そんな中、ふわりと柔らかい独特な気配がすぐ隣で鎮座したのを感じ、ビクッと小さな身体を震わせたのと同時に、良い意味で少年の思考は妨げられた。
ふわふわと時折触れる
天使の安らぎのような歌声が。
確実な、絶対なものとして存在を理解させられる。
オイラのかんがえてることなんて、もしかしたらもうバレてるのかも……
そう思いつつも、仔狼は自身の中で暴れ回る心をなんとか抑えようと……そして、クルトにだけ聞こえるほどの小さな音で。
「――ごめん。て、つないでても、いい……?」
一言。
制御しきれず、小刻みに揺れてしまったその言の葉を。
カテナは懸命に、送り出した。
「ん♪」
カテナの嗚咽を堪えるような囁きにクルトは同じくらいの小声で応えて、横目で隣のカテナを一瞥して微笑むと、またすぐ前を向き、自分の膝に置いていた片手をそっとカテナの膝元の床際に降ろして、掌を上向きに緩く開き気味にした。
クルトの許可を得たカテナは、顔を覆う腕を若干ずらし、ようやく光が当たった片目を薄く開いてクルトの掌を見つけると、自分の掌をその上にそっと重ねた。
「がぅ……あったかい……」
感じたことがそのまま言葉になって口から出ていく。
過去、一歩間違えていれば自らの手でこの温もりを永遠に絶っていたかもしれない。そんなクルトの体温を感じたことで、冷や汗や寒気で自分の身体が冷え切っていたことに気付く。
「……なんかオイラ、ずーっとおんせんに はいってたほうがいーのかもね?」
そんな風に
「のぼせて茹で狼さんになっちゃうよ……♪」
カテナの言葉を聞いてクルトも少し戯けたようにくすりと微笑み、重ねられたカテナの爪ばった手を、着ているフランネルのブラウス布地と同じくらい柔らかな自らの掌にきゅっと少しだけ力を入れて握り返した。
普段は無邪気を通り越して傍若無人に戯け回っているがその実、幼少期に母を人間に殺され無人島で孤独に育った暗い生い立ちと、一年前の忌々しい出来事が、脳裏に
「よし! ワインは見つける! 大爆発も調べてみる! もしあの女が邪魔してきたらぶっ倒す!」
深く考えて悩むのが苦手なパンドラは、思いついたことをそのまま口に出して立ち上がった。
「ふふ、剛毅な女性だ」
リュリコフは口元を丸めた拳で抑えながら小さく笑った。
すると壁にかけてあったパンドラの愛剣“フラガラッハ”がパンドラの足元に落ち、気のせいか少し震えたように見えた。
「ほらね。私の剣も
パンドラは剣を拾い上げ、肩にかけるとニコッと笑みを浮かべた。
「さっすがパンドラ姐さん、そうこなくちゃ! 冒険者魂がワクワクしてきたぞぉ~!」
アイグルも、周辺視野でカテナとクルトのやりとりを視認して微笑ましそうに目を細めたのち、沈鬱な空気を打破するようにパンドラの決起宣言に呼応した。
クルトの配慮が功を成し、
「ははっ、なんだかすっごくパンドラらしーね? でもそーゆーほーが、オイラもすき!」
カテナも頭脳派ではなく感情派であるため、パンドラの言動に好感を持てている。舞姫と野生児。一見何の共通点もなさそうに見える2人が気が合うのは、こういう所が根底にあるからであろう。
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