3.秘宝の葡萄酒と謎の大爆発

「ところでさぁ、アイグルちゃんやハンサム将校さんなら知っているかなぁ。私たちはある物を探しにここまで来たの。“サヴィリアン・ローズ(シベリアの薔薇)”っていうんだけど」

 パンドラは不敵な笑みを浮かべて、アイグルの頬を長く美しい人差し指でつんつんとつつきながら言った。

「ん〜聞いたことないですよぉ♪ なんですかそれは?」

 アイグルも笑顔でパンドラの頬をつつきながら言った。

「ワインなんだけど、あ〜ここらの地域では“クローフィ・スネグラーチキКровь Снегурочки”と呼ばれているかしら。 “雪娘スネグラーチカの血”なんて物騒な名前よねぇ」

 パンドラはアイグルの頬をつついていた指を自身の顎に向け、首を傾げながら口を開いた。

「ふむふむ、秘宝の葡萄酒ですか……他の先住民の方々もそのようなことを噂しておられ、探検家として大変興味深いですが、残念ながら現時点で手掛かりは摑めておりませんね。それより……」

 リュリコフは少し考えて答えると、ぽんと手のひらを打って続けた。

「こんな話はご存知ですか? 五ヵ月ほど前、この近辺のツングースカという村付近の上空で謎の大爆発が起きる異変がありまして……私もその調査のため、極東の港湾都市ヴラディミロフスクの海軍鎮守府からこちらへ赴いた、という次第です」

 そして、やや声を潜めて続けた。

「恐らく、あまりの爆発威力のゆえ、貴方がたの西方帝国ヴェスターライヒでも、不自然に夜空が明るむなどの異変が観測できたのでは? 我が帝国政府は情報統制をいていますが、国民には公然と知れたことです。遙か西に離れた帝都サンクトピチルブールクでも、そのような異変が目視されたとのこと……」

「えぇ、その光なら私も見たわ。隣にいた酔っ払いが“世界の終わりだぁ!”と叫んでいたのは面白かったけど、修道士が“神のお告げだ”とか言うもんだから、世も末よねぇ。我が故郷ながら、不可思議なことが多い怪しい国だわ」

 酔いが醒めたように少し真面目な声色でパンドラが言うと、同じく先ほどまで前歯のない口を大きくあけて笑顔を見せていた男が、急に真面目とも恐れとも見て取れる表情を浮かべた。

「旅人のねぇちゃんたち、あまりこの町で大爆発のことやクローフィ・スネグラーチキの話は大きな声で言わねぇでもらえるかい。大爆発は怖がっちまっている人も多いし、酒の方はデリケートな話なんだ」

「おっと、これは失礼。どうぞ、この話は忘れてください」

 リュリコフは少し苦笑を浮かべつつ男に詫びた。

「う? なんでおさけのはなしも しちゃいけな――」

 独り言のように言いかけたが、リュリコフが即座に謝罪したのを見て、カテナは口をつぐんだ。

「――ま、いっか」

 だれにだっていいにくいこともあるよね、と自分を納得させ、それ以上は考えないことにした。

「あのぉ……ところで、そろそろ日が暮れちゃうわ。せっかくこんな辺鄙なとこまで来てくれたんだし、みんなで温泉に行きません?」

 と、凍り付きそうな場を和ませるようにアイグルが、少し汗ばんだ笑みを見せつつ閑話休題切り出した。

「良いですね。ソリに乗っぱなしで身体が強張ってしまって」

 肩から掛けた鞄を掛け直しながら、アイシャも乗り気である。

「んっ、冷え込まないうちに行かなきゃ! 温泉たのしみ!」

「良いのぉ。わしも故郷カワチェンの山岳地帯では雪の山脈を眺めつつ温泉に浸かったものじゃ」

 クルトとドルジも非常に乗り気の様子だ。

「じーちゃんがいくなら、オイラもいく! いつもはフロそんなにスキじゃないけど、いまはあったまりたい!」

 さすがの野生児カテナも極寒の大地で皮衣一張羅の行軍では全身かじかみきったのか、軽くぶるっと肩を震わせて言った。


 先ほどパンドラたちがいた町の中心地から50メートルほど歩いたところに温泉宿があった。

「うひゃー! 気持ちいいぃー♪」

 一番乗りで温泉に浸かるパンドラ。

 周囲に大きな壁はあるものの、外気が入ってくる温泉の周りには雪が積もっていた。その雪が温泉の熱で溶け、少しずつ湯船に流れていく。

「ん~生き返る~! 天国天国♪」

「ほぁ……♪」

「佳きですね♪」

 加水割合によって温度差が幾つかある浴槽のうち、アイグルはパンドラと同じくやや熱め、クルトとアイシャはぬるめの浴槽に浸かった。

 ひなびた東屋と板塀のみに囲まれた吹き抜けの半露天風呂に、日も暮れかけて凍てつく外気が時折湯気を掻き分け頬を撫でる。

「こんな極寒の世界なのに、ここは永久凍土でないなんて不思議よねぇ」

 身体を沈ませ、少しだけ口を湯からだし、目をとろんとリラックスした表情のパンドラである。

「まさに桃源郷シャングリラへ到った心地じゃのぉ~」

「この辺りは地質的活動が盛んな箇所が幾つかありまして……地下資源や、時にこうした温泉にも巡り逢えるのです」

 ドルジたちも、同じくやや熱めの浴槽に浸かった。女湯との仕切り壁の向こうから聞こえるパンドラの独り言に答えるかのように、リュリコフはこの地と温泉の秘密を話した。

 少し熱くなってきたのかパンドラは雪の積もっていない岩の上に腰を置き、脚だけを湯の中に浸からせた。パンドラの身体は温泉で血行が良くなったのか、うっすらと幾つもの小さな古傷が浮かんできた。過去の戦いの記憶が、身体に染み付いているのである。


 リュリコフからぬるめの湯を勧められたものの、負けん気で熱さを堪えて顔を真っ赤にしてドルジの隣に浸かるカテナを見て、リュリコフはおもむろに浴槽の外の雪原を指差して言った。

「カテナくん、もし熱くなってきたなら、次はあの雪に全身ダイブして体を冷やし、すぐにまた熱い湯船に戻ると、体がとても丈夫になりますよ。私が手始めに……」

 そして、湯船から上がってタオルを腰にしっかり巻くと、踏み切ってジャンプ!

「おひょ~! 冷たい、冷たい、ちべたい……!!」

 火照った白肌を全身雪まみれにして、ひとしきり悶絶すると、駆け足で湯船に戻りとぷんと肩まで浸かった。

「ふぃ~……この50度にも迫る温度差が病みつきになりますねぇ……♪」

「つめたいにきまってるよ! なにしてるのッ!?」

 雪ダイブから戻ってきたリュリコフに対し、カテナからは奇行のようにしか見えなかった行動に、信じられないと言わんばかりに丸くした目を向けていた。

「どぉれ、一丁わしも雪国根性を見せてやるかのう」

「あっ、ドルジさんはお止めにやったほうが……」

「そぉれぃ!」

 リュリコフの制止も聞かず、続いてドルジもダイブし、

「ぬふぉ~! 冷たい、冷たい、ちべたい……!!」

と定型文で悶絶すると、のすっと湯船に戻った。

「ふぅ……若返ったような心地じゃのぉ」

「がうぅ……じーちゃんまで……」

 リュリコフと同じく雪ダイブを終え、何事もなかったように浴槽に浸かるドルジを見て、カテナの開いた口は塞がることを忘れていた。

「ドルジさんはお見掛け以上の“漢”でいらっしゃる。お見それしました、ハラショー!」

 拍手を上げて勇姿を讃えるリュリコフ。


「まったくもー……。じーちゃんは、けっこー、おチャメさんだって、しってるけど、リュィ……リュギ……がうぅ! オイラ、いーづらい!」

 熱い湯に朦朧とする中で、突然カテナは両手で湯面を叩き、空を見上げる。

「えっと…えっとぉ……リュ…リュー! オイラは、リューって、よぶ!」

 ビシィ!と力強く人差し指をリュリコフに向け、自分が考え抜いた結果を満足気に言い放ったと思いきや、ふにゃりと全身から力が抜け、軽く湯に沈む。俯き加減の顔から上目遣いでリュリコフを見ている様は、さながら酒に酔わされてしまった仔狼のようである。

「リューも、いまのが、ほんとの、リューなんじゃ、ないの……? ニンゲンの、なかでの、るーるとか、やくそくとか、キマリとか、そーいうのオイラ、よくわかんない、けど、オイラに、かくすよーな、だますよーな、えんぎみたいな、ことはっ、ゆるさな……ぁ…もぅ…がうぅぅ……」

 半開きの口から舌を出し、言葉を紡ぐ単語と単語の間に“へっへっ”と息を鳴らして体温を逃しつつも、いつまでも保つはずもなく、限界が近付いたカテナは一瞬意識が遠のいてしまった。

 そんななか目に入ったのは、リュリコフやドルジが飛びついた、光り輝く白雪である。

 うず……と、カテナはまるで動物エサを見つけた時に似た感覚を感じていた。

「ゔぅー……オ、オイラは? べつに、あつく、ないけど? リューが、さっき、カラダ、つよくなるって、いってたし? じーちゃんも、やってたし、オイラ、だって、オス(おとこ)だし! だったら、やるしか、ないよね? しょーが、ないよ……ねっ!!」

 言い終わるや否や、カテナは待ち切れないとばかりに得意の俊敏さをバネにして大きく跳躍し、大の字になってボフッと雪の海に埋もれるのであった。

 リュリコフだけでなくドルジ自身が雪ダイブすることによってカテナへの促しにも繫がせていたことや、リュリコフによる体の頑強さや漢らしさをチラつかせた優しい挑発を当の本人は知ってか知らずか。

「がうぅぅぅ!! つめたい! つめたい! ちべたいーーッ!! あははははっ!!」

 少年はゴロゴロ転げ回りながら、心底楽しそうに満面の笑顔を披露していた。

「はっはっは、カテナくんも立派な北国の“漢”ですね!」

 リュリコフはそれを見て心底微笑ましそうに拍手と讃辞を贈ると、ふと顎に手を当て少し考えるようにしてから口を開き、

「そうですね、些か演技がかる癖が付いてしまっているかも知れません……が、それは少年の頃から長年身に染みついたもので、きりっとしたリューも、お茶目なリューも、もはや両方ともが“本当の私”ですよ」

と続けて言い終わるとともに、屈託なく微笑んだ。

 リュリコフの言葉が耳入ったカテナはローリングを止め、伏せの状態でリュリコフの目を真っ直ぐと見た。

「……わかった、そーおもっとく! オイラのなかま、にたよーなところあったりもするし……みんなとはなかよくなれるかもね!」

 そう言うと再び転げ回り始め、追って自らの身体に雪の粉をまぶした。

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