2.辺境の貴公子
と、不意に丸太小屋の戸が開き、寒風と地吹雪の粉塵が小屋の中に吹き込んできた。
「リュリコフ二等
扉を開けてまず入ってきたのは、軍服のコートと耳当て付き毛皮帽を雪まみれにしつつも、気品に満ちた佇まいと端正な顔立ちで腋を締めた海軍式敬礼をする齢30弱ほどの青年将校。
「お、日暮れ前からおいしそうなの囲んで盛り上がってるね~」
続いて、近接森林地帯の狩猟遊牧民クルグズ族の民族衣装を着て、丸くふわふわの白貂毛皮帽子を被った若い女。二人が小屋に入るや彼女がすかさず戸を固く閉め、玄関口で雪にまみれたコートを脱いで雪を振り払うと、濃紺色の長い直髪が顕わになった。
「……ってあれ? もしかしなくても……パンドラさん、ドルジさん、アイシャちゃん、それにクルトちゃんとカテナくんまで~!」
戸口から向き直り、小屋の中央で囲炉裏を囲んでいる冒険者一行の姿が目に入った瞬間、女は喜びと驚きの交じった明るい笑みをぱぁっと見せ、笑顔の横でしきりに両手をぱたぱたと振った。
「おや、これはこれは!」
「アイグルさんっ! ちょうど一年ぶり……!」
振り向いて視認したドルジとクルトが順に声を掛けたその女とは、まさしく一年前のルーシ遠征・キルスクの街にて出会い、冒険を共にしたかつての相棒――そして、辺境地域で自警団・森林警備隊・狩人・鉱脈探索者・交易管理・密偵・情報屋などの非政府活動をする半アウトロー者たちの組織「
「ルーシ辺境の旅じゃから、もしやと微かに思ってはおったが……」
「こ~んなとこで、ま~た偶然にも再開できるなんて! あたし達ってもしかして運命的ソウルメイト? なんちて!」
鬚を撫でて感慨に耽るドルジに対して、アイグルはいつものからっと明るい振る舞いと、戯けたようなテヘペロ笑いで再会の喜びを表した。
「ねぇアイグルさん、そっちの兵隊さんは……?」
アイグルたちのやりとりを尻目に、玄関際でコートを脱いで雪を払いつつ、白手袋を着け軍服の詰襟をぱりっと正し、壁のフックに掛けてあった鍔付き制帽を取って被ろうとしている青年将校のほうに、クルトは目をやって小首をかしげつつ訊ねた。
「ん? あぁ彼ね、探検仲間の相棒相棒! 先住民にも礼儀正しくて全然偉そうにしない、めっちゃいいヤツよ!」
アイグルはクルトに向かって上半身を下げ、ニシッと白歯を覗かせ少し悪戯めいた笑みを浮かべて答えた。
「おや、失敬しました。小官はルーシ帝国海軍所属の情報将校として辺境地帯を巡検調査しております、ヴォロディーミル・リュリコフと申します。何卒お見知りおきを」
それに気付いた青年将校は、ふと冒険者たちの方を振り向き、被りかけた制帽を右手で持って紺色に金ボタンの制服の胸元に当て、片膝を少しかがめて深く頭を下げ、まるで貴公子が貴婦人に表敬するように丁寧な会釈をした。
「相変わらずキマってるね~、リュリコフ公爵殿!」
「あはは、その呼び方はご勘弁願いたいと……まだ当主を嗣いだわけでもありませんし、
リュリコフと呼ばれる青年将校は、アイグルに小突かれて少し照れくさそうに表情を緩めると、冒険者たちに向け微笑みを投げかけた。
「しゃらくせぇこたぁいいんだよ! ほれ、アイグルさんにリュリコフさんよ、あんたらもいっちょこいつ食ってみりゃぁ。このめんこい嬢ちゃんがササーッと味付けしてくれたんだが、食ったことねぇくれぇに旨ぇんだこれが!」
「えへへ……」
小屋の主である中年男性も、クルトが即席で作ったカルパッチョが相当お気に召したのか、照れて微笑むクルトを尻目に、ウォッカの酔いが回って少し呂律が怪しくなりつつも、上機嫌で二人を皆のいる囲炉裏端へと手招いた。
「お、一段と女子力が増したクルトちゃんのお料理か~! 食べる食べる、めっちゃ食べる!」
「ほう、実に良いディルの香りですね。私もご相伴に与らせていただきましょう」
アイグルとリュリコフは、(炉端に敷かれた熊皮の絨毯の上にどてっと座っているカテナを除いて)末席に座っていたクルトに並び、囲炉裏を囲む椅子に腰を下ろした。
「あれまーアイグルちゃんもさらに大人な女性になって素敵になったわねぇ」
パンドラはアイグルを抱き寄せると頬を擦り付けながら笑顔を浮かべた
「あーぬくいぬくい♪」
「あはは♪ そう言うパンドラさんこそね!」
アイグルもパンドラに応えてぎゅっと抱き返し、再会の絆とぬくもりを分かち合った。
「そちらのイケメンの将校さんも宜しくね」
パンドラはウォッカを机に置き、リュリコフに握手を求めた。
「はい、気高きパンドラ女史。こちらこそ何卒宜しくお願い申し上げます」
リュリコフは片膝立ちに屈んで、差し出されたパンドラの手のひらに白手袋を下から添え、軽く丁重に握って上品に挨拶をした。そして、他の冒険者一行にも一人ずつ手を差し延べて握手を求めた。
「そちらの凜々しい少年くん……カテナくんと云ったね? 君も、良ければ私のお友達になってくだされば嬉しいのだけれど?」
初見の成人男性に対して警戒の色を顕わにし、ドルジの背中の蔭から袖を摑んで虎視眈々と凝視しているカテナの気配を機敏に察して、リュリコフはクルトに対するよりもさらに深く屈み目線を低くして、優しく微笑みつつ手を差し伸ばした。
と、不意にくるりと手のひらを一回転ひねって再び開くと、何も持っていなかった白手袋の手先に、青と白の色紙を折ってこしらえたと思しき帆船の形の玩具が一瞬にして現れた。見事な手品である。
「これはオリガミと云ってね、極東の島国に伝わる伝統工芸ですよ。さぁ、この船は君が船長さんです」
リュリコフはその「折り紙」の船をカテナにプレゼントしようと促す。
カテナはドルジの後ろから一歩身を乗り出してゆっくり手を伸ばすと、鋭い爪先で折り紙の船をツンツンしたり、恐る恐るハナを近付けて匂いを嗅ぎ、仲間達に危害を加える物ではないか、罠が仕掛けられてないかを念入りに確認した。
その後、数秒間リュリコフの眼を見てから素早く船を取り、再びドルジの後ろへと隠れた。
「……トモダチになれるかはまだわかんない。でもアイグルがけーかいしてないし……ハナシだけなら、してあげてもいいよ。でも、アイグルやみんなをかなしませるよーなことしたら……ぜったいにゆるさないからッ!!」
がるるるる、と威嚇しながらカテナはリュリコフを睨んだ。
「あれま、すごいね折り紙って。ただの紙が船の形になるなんて」
パンドラは腰を90度に曲げてカテナの手のひらに乗っている折り紙を覗きこんだ。
「受け取ってくれてありがとう。私は魔法使いではありませんが……そうですね、この船はカテナくんの人生という航海を安全に運ぶ“お守り”になってくれるでしょう。君が“船長”として大事にしてくれたなら、きっとね」
リュリコフは、驚いたり威嚇したりと賑やかなカテナの反応に動じず、優しい微笑みを保ってそう言ったのち、再び手を翻すと、今度は二枚の小さな旗を凧糸で繫いだものが指先に現れた。
「これは“航海の安全を祈る”という意味の船の旗です」
その紐の端を左手先でつまみ、親指・人差指・中指の先を立てて合わせ他を握った右手の指先で、旗の前と自分の胸元にそれぞれ祈りを込めて十字の形を描くジェスチャーをすると、その右手先を胸元に当てたまま、微笑みつつも凛々しい表情で言った。
「わたくしリュリコフ二等大尉は、カテナくんのご命令通り、たとえヒグマやシロクマが襲おうとも、命に代えても皆さんのご安全をお護りします。その誓いの証として、この旗をカテナくん、君に献げます」
「ゔ、え、な……なに??」
リュリコフの祈りを込めた動作を知る由もなく、困惑と緊張の面持ちのままカテナはドルジを見上げる。
それに気付いたドルジが優しく微笑み頷いたのを見ても不安は拭えず、強張った顔に冷や汗を伴いながら、先程と同じように恐る恐る旗を受け取った。
もちろん、ツンツンクンクンも忘れない。
「ぜったいにぜったいだよ!? やくそく、したからねッ!!」
「アイ・アイ・サー。帝国軍人として、そして何より同じ辺境を探検する仲間として、神に誓ってお約束しますよ」
リュリコフは少しほっとしたように表情を一瞬緩めると、再び微笑みつつも凛々しい表情で敬礼し、カテナの“命令”を遵守する誓いを重ねて宣言した。
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