極寒の町
サハーティア自治国奥地の町“チョーブルイ”
冬の平均気温はマイナス50度前後と、北の大地屈指の極寒地域である。
町の収入源は主に金などの地下資源であるが、この地域には温泉が湧いており、町の中心には大きな温泉施設がある。これが“チョーブルイ(暖かい)”の由来である。
過酷な環境の辺境地であるが故に、地下資源や温泉などがあるものの、リターンに対してリスクが大きく、人の訪れも少ない。
ちなみに本日の気温はマイナス20度。町民曰く「今日はあったかいね♪」とのこと。
「サハーティアの首都から馬車で丸一日、さらに犬ぞりを乗り継いで二日。そこから徒歩六時間。思ったより早く着きましたね。日没まで二時間あるので、まだ外でゆっくりできそうです」
アイシャが雪の積もったフードをめくると、赤く染まった頬があらわになった。
「まずは町で情報収集しながら宿と食事の確保。時間があれば温泉も楽しみたいわね。吹雪も止んで、太陽の日差しも降り注いで、良い気分だわ♪」
アイシャに続いてパンドラもフードをめくる。フードから溢れた赤い髪が太陽光できらめきながら、腰まで流れ落ちた。
「がぅ……オイラ、ニンゲンとしゃべりたくない……。ここはみんなにまかせよーかな、さむいしッ!」
「前に極東の島国では生魚を食べるというワイルドな文化があると聞いたわ。食べず嫌いは良くないわよねぇ。この町で生肉、生魚、挑戦してみようかしら」
赤い髪をポリポリと搔きながら、パンドラは覚悟を決めた表情を浮かべた。
「それじゃ、みんなで挑戦してみよっ! カテナ、お肉だよ、お肉♪」
笑顔でカテナの手を握り走り出すクルト。
「見た目の可愛らしさとは裏腹に、挑戦的ねクルト」
パンドラはクルトとカテナを小走りで追いかけた。
「う? ジョーホーシューシューってやつしなくていいn……わ゙っ、ク、クルトまっ……! わっ! だぁっ!」
二本足で歩くことはできても走ることはできない少年は、手袋の生地越しでも暖かく小さな手に凍てつく素肌の片手を包まれたまま、急いで四つ足……否、三つ足走行に切り替えるのであった。
「新しい土地、知らない文化、たのしみ」
鼻の先を寒さで赤くしながら呟くアイシャは、先を行くカテナ達に、
「良い匂いのする方向を探るのはどうでしょう?」
と提案した。
「がう! いろんなところからいーにおいはするけど、あっちのほーからつよいにおいがするゾ!」
走りながら首をクイクイッと動かし、クルトやアイシャに匂いの元の方向を示した。
カテナが匂いを辿って着いたのは町の中心部。
人口400人ほどの小さな町ではあるが、中心部というだけあり数十人の町人が往来し、買い物や世間話を楽しんでいた。
カテナが足を止めたのは、トナカイの角が玄関先に飾られた丸太組みの家の前。
「もしもし御免くだされ、旅の者なのじゃが……」
ドルジが扉をノックして開けると、中では先住民らしき中年の男が椅子に座りながら、凍りついた魚をナイフで手際よく縦にスライスしていた。
男は目の前に立つカテナとクルトを下から覗き込むと、手を止めて口元のフードを下に下ろした。
「おや、外人さんかね。珍しいな。ひゃひゃひゃ!」
男が前歯のない口を大きく開けて笑顔を見せる。
「ストロガニナだね。生魚を氷らせて薄く剥いで食べる伝統料理さ」
少し遅れて来たパンドラとアイシャが、興味深そうに男の手元を覗き込んだ。
「よく知ってるな。そこのよだれ垂らしてるボウズ、食ってみるか? トナカイの肉のストロガニナもあるぞ。ほれ」
男は、スライスされた魚と肉をカテナたちの前にある木のボウルに数切れ投げ入れると、そこに大雑把に塩と胡椒をふりかけた。
「ゔっ……」
人間と狼男の間に産まれた少年は、母親が同種である人間によって手にかけられたという過去を持つが故、ヨダレを垂らしながらも、胡散臭そうな男から振る舞われた食物を素直に口に運ぶことができなかった。数歩後退り、ストロガニナを凝視したまま、カテナの中で本能と理性が争っていた。
「そちらの美人さんたちにはウォッカもあるぞ。よくもまぁこんなところまできたもんだ」
アイシャとパンドラには瓶から注がれたウォッカの入ったグラスが男から渡された。
「気が利くじゃないか。ちょうど口が冷えて寂しがっていたところさ」
にこやかな男に向けてパンドラもまた、大きく口を開けて笑顔を見せた。
カワチェンの遊牧民と交わり遊行生活をしてきたドルジは、いささかの躊躇もなく出された食べ物を受け取り、
「ふむふむ、故郷を思い出す懐かしい味わいじゃのう」
とご満悦な様子で賞味する。
クルトは興味ありげに目を丸くしつつも、恐る恐る半冷凍の生魚と生肉に手を伸ばし、一切れずつ口に運んでゆっくり咀嚼する。少し微妙そうな表情で何か考え込むように……。そして、口元に人差し指を添え斜め上に目線をやって考えるそぶりをすると、ふと思いついたように口を開いた。
「この地方では胡椒以外に、ハーブやお酢を使った料理はあんまり食べないですか……? きっとそのほうが匂いも和らいでおいしくなると思うの!」
そして自分の鞄から、ディルの乾燥葉と小瓶に入ったワインビネガー(パンドラが闇市で摑まされたバッタモノの低級白ワインを貰って過発酵させたもの)を取り出し、自分用に取り分けてもらった木のボウル入りのストロガニナに振りかけて、キャンプ用の携帯フォークで軽く掻き混ぜると、小さな両手でボウルを持って差し出した。
「おじさん、みんな、ひとくち食べてみて!」
「酢は使うことはあるが、ハーブ? こんなの入れたら味が台無しだぜぇ?」
男はクルトに渡されたボウルを受け取ると、眉をひそめながらストロガニナを口に運んだ。
「お! これは! むむー、悔しいが旨い……」
「ふふ。潔く負けを認めるなんて、いい男じゃないか」
一口、さらに二口と口に運ぶ男の肩をポンと叩くパンドラ。
「ほら、カテナも食べてみなよ、怪しいおっちゃんに貰うのはなんだから、クルトちゃんに調理してもらったのを食べれば大丈夫さ」
パンドラは男の肩をポンポンとさらに数回叩きながら笑顔を浮かべた。
「んぁ? “怪しいおっちゃん”……?」
腑に落ちない様子の男だが、まんざらでもないようだ。
「…………」
クルトによって味付けが変わったものの、元は胡散臭い男から渡されたストロガニナであることは変わらない。とはいえクルトの好意を無下にはできず、カテナは覚悟を決めて目を瞑り、恐る恐るハーブとビネガーが和えられたトナカイ肉のストロガニナを口に入れる。
「……ん! おいし!!」
野生育ちのカテナには香草と酢の香りや味は強すぎるが、それでも素直に美味しいと感じていた。
一度食べてしまえば魚のストロガニナの方にも手を出すのは簡単であり、無意識に男から受け取っていた塩胡椒のみのストロガニナも口の中に入れていた。
「あ゙ッ」
自分の指をぺろぺろと舐めながら気が付いた時には、全てが胃の中に入った後だった。
と、不意に丸太小屋の戸が開き、寒風と地吹雪の粉塵が小屋の中に吹き込んできた。
「リュリコフ二等大尉、只今巡検任務より帰還いたしました」
扉を開けてまず入ってきたのは、軍服のコートと耳当て付き毛皮帽を雪まみれにしつつも、気品に満ちた佇まいと端正な顔立ちで腋を締めた海軍式敬礼をする齢30歳ほどの青年将校。
「お、昼間っからおいしそうなもの囲んで盛り上がってるね~」
続いて、近接森林地帯の狩猟遊牧民クルグズ族の民族衣装を着て、丸くふわふわの白貂毛皮帽子を被った若い女。二人が小屋に入るや彼女がすかさず戸を固く閉め、玄関口で雪にまみれたコートを脱いで雪を振り払うと、濃紺色の長い直髪が顕わになった。
「……ってあれ? もしかしなくても……パンドラさん、ドルジさん、アイシャちゃん、それにクルトちゃんとカテナくんまで~!」
戸口から向き直り、小屋の中央で囲炉裏を囲んでいる冒険者一行の姿が目に入った瞬間、女は喜びと驚きの交じった明るい笑みをぱぁっと見せ、笑顔の横でしきりに両手をぱたぱたと振った。
「おや、これはこれは!」
「アイグルさんっ! ちょうど一年ぶり……!」
振り向いて視認したドルジとクルトが順に声を掛けたその女とは、まさしく一年前のルーシ遠征・キルスクの街にて出会い、冒険を共にしたかつての相棒――そして、辺境地域で私兵団・森林警備隊・狩人・密偵・情報屋などの活動をする半アウトロー者たちの組織「
「ルーシ辺境の旅じゃから、もしやと微かに思ってはおったが……」
「こ~んなとこで、ま~た偶然にも再開できるなんて! あたし達ってもしかして運命的ソウルメイト? なんちて!」
鬚を撫でて感慨に耽るドルジに対して、アイグルはいつものからっと明るい振る舞いと、戯けたようなテヘペロ笑いで再会の喜びを表した。
「ねぇアイグルさん、そっちの兵隊さんは……?」
アイグルたちのやりとりを尻目に、玄関際でコートを脱いで雪を払いつつ、白手袋を着け軍服の詰襟をぱりっと正し、壁のフックに掛けてあった鍔付き制帽を取って被ろうとしている青年将校のほうに、クルトは目をやって小首をかしげつつ訊ねた。
「ん? あぁ彼ね、探検仲間の相棒相棒! 先住民にも礼儀正しくて全然偉そうにしない、めっちゃいいヤツよ!」
アイグルはクルトに向かって上半身を下げ、ニシッと白歯を覗かせ少し悪戯めいた笑みを浮かべて答えた。
「おや、これは失敬。小官はルーシ帝国海軍所属の情報将校として辺境地帯を巡検調査しております、ヴォロディーミル・リュリコフと申します。何卒お見知りおきを」
それに気付いた青年将校は、ふと冒険者たちの方を振り向き、被りかけた制帽を右手で持って紺色に金ボタンの制服の胸元に当て、片膝を少しかがめて深く頭を下げ、まるで貴公子が貴婦人に表敬するように丁寧な会釈をした。
「相変わらずキマってるね~、リュリコフ公爵殿!」
「あはは、その呼び方はご勘弁願いたいと……まだ当主を嗣いだわけでもありませんし、役務においては一介の調査隊員に過ぎませんよ。皆さんも、リュリコフとでもヴォーヴァとでも、どうぞ気軽にお呼びください」
リュリコフと呼ばれる青年将校は、アイグルに小突かれて少し照れくさそうに表情を緩めると、冒険者たちに向け微笑みを投げかけた。
「しゃらくせぇこたぁいいんだよ! ほれ、アイグルさんにリュリコフさんよ、あんたらもいっちょこいつ食ってみりゃぁ。このめんこい嬢ちゃんがササーッと味付けしてくれたんだが、食ったことねぇくれぇに旨ぇんだこれが!」
「えへへ……」
小屋の主である中年男性も、クルトが即席で作ったカルパッチョが相当お気に召したのか、照れて微笑むクルトを尻目に、ウォッカの酔いが回って少し呂律が怪しくなりつつも、上機嫌で二人を皆のいる囲炉裏端へと手招いた。
「お、一段と女子力が増したクルトちゃんのお料理か~! 食べる食べる、めっちゃ食べる!」
「ほう、実に良いディルの香りですね。私もご相伴に与らせていただきましょう」
アイグルとリュリコフは、(炉端に敷かれた熊皮の絨毯の上にどてっと座っているカテナを除いて)末席に座っていたクルトに並び、囲炉裏を囲む椅子に腰を下ろした。
「あれまーアイグルちゃんもさらに大人な女性になって素敵になったわねぇ」
パンドラはアイグルを抱き寄せると頬を擦り付けながら笑顔を浮かべた
「あーぬくいぬくい♪」
「あはは♪ そう言うパンドラさんこそね!」
アイグルもパンドラに応えてぎゅっと抱き返し、再会の絆とぬくもりを分かち合った。
「そちらのイケメンの将校さんも宜しくね」
パンドラはウォッカを机に置き、リュリコフに握手を求めた。
「はい、気高きパンドラ女史。こちらこそ何卒宜しくお願い申し上げます」
リュリコフは片膝立ちに屈んで、差し出されたパンドラの手のひらに白手袋を下から添え、軽く丁重に握って上品に挨拶をした。そして、他の冒険者一行にも一人ずつ手を差し延べて握手を求めた。
「そちらの凜々しい少年君……カテナ君と云ったね? 君も、良ければ私のお友達になってくだされば嬉しいのだけれど?」
初見の成人男性に対して警戒の色を顕わにし、ドルジの背中の蔭から袖を摑んで虎視眈々と凝視しているカテナの気配を機敏に察して、リュリコフはクルトに対するよりもさらに深く屈み目線を低くして、優しく微笑みつつ手を差し伸ばした。
と、不意にくるりと手のひらを一回転ひねって再び開くと、何も持っていなかった白手袋の手先に、青い色紙を折ってこしらえたと思しき船の形の玩具が一瞬にして現れた。
「これはオリガミと云ってね、極東の島国に伝わる伝統工芸ですよ。さぁ、この船は君が船長さんです」
リュリコフはその「折り紙」の船をカテナにプレゼントしようと促す。
(To Be Continued...)
凍てつく大地の秘宝 鳥位名久礼 @triona
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