第29話 教会
「おはようございますアウローラ」
朝日に照らされた部屋の中に入り、エルピスはぐっすりと眠っているアウローラを起こす。
本来なら貴族の娘であるアウローラを起こすのは執事やメイドがする仕事なのだが、アウローラは寝起きの機嫌がすこぶる悪い。
なので面倒事ならエルピスに任せれば良いやとアルキゴスに押し付けられたのだ。
普通はいくら身体は子供とは言え、この世界の基準で当てはめるなら成人した淑女のーーそれも大貴族の娘の部屋に成人した男が一人で入るなど許されるべき事では無いと思ったが、その親と本人直々に了承を出されれば致し方ない。
陽の光に目を細め今にも二度寝しようとしていたアウローラの肩をゆすり、エルピスは今日の予定を説明する。
「……んっ、おはよ…」
「アウローラ。今日は教会に向かう上に司教と面会する予定なんだから早く起きてくれ」
「うーん……全部キャンセルしておいて…私は二度寝するから。ふぁぁっ…」
「二度寝しやがりましたらこの部屋水に浸けますよ? とっとと起きやがってください」
「……なんでそこで反抗するの? そこは分かりましたって言いながら、音もなく立ち去るところでしょ」
「残念な事に私は執事ではございませんので。その様な命令を受け付けるわけにはいきませんね」
寝ようとしているアウローラを叩き起こし、鏡台の前に座らせ髪をとく。
日頃から手入れでもしているのか止まる事なく進む櫛に少々驚きながらも手際よく作業を進めていく。
老廃物を魔法で浮かせ、風魔法で暖かい風を送りながら水魔法を使い髪を洗う。
余った水や老廃物は空間系魔法を使い次元の狭間にでも捨てておけば誰の迷惑にもならない。
あぁ、魔法のなんたる便利な事か。
「もうこれ髪を梳かしてると言うよりは頭洗ってる様な物よね」
「確かに。ある程度の魔法使いなら真似出来ないことも無い技術だし、美容院なんかを建設して見るのも良いかもしれないね」
「異世界美容院か、良いわねそれ! 日本でよく見かけた髪型風に切れば、こっちの世界では新しいとか言われて評価されるんじゃない!?」
「問題は美容師免許も持ってない人間二人が揃ったところで髪の毛の切り方なんて指導できる?」
「うーん、無理ね。面白い案だと思ったんだけどなぁ」
そんなたわいもない会話をしながら髪を梳かし終えると、次は髪のセットを始める。
もはやこれは専属美容師として、お金を貰い仕事としても良いかもしれないなぁと思いながら、髪型を自由に決めて良いと言われたのでなんとなくポニーテールにする。
正直な話アウローラほど髪の毛が長ければ、そのまま下ろしている方が好みなのだがこれはこれで悪くない。
「こう言う髪型が好きなんだ……と言うか随分と手際が良いわね」
「高校生になる前までは妹の髪も俺が結んでいたので」
「そうなの。そう言えば今回の件ってお父さんにはもう説明してあるの?」
「この話自体父さん達から回ってきたものだよ。昨日ふらっと来た父さんが行ってくるようにってね。出発前に国王のところに行くようにってさ」
「お父さん達何やってんだか、後は自分でやるから先行ってて」
伝えて来いと言われたものは全て伝え終わったので、ベットを魔法で綺麗にしておにぎりを机の上におく。
それにしても寝起きは機嫌が悪いとの事だが、今日は機嫌が良くて良かった。
安堵の息を吐きながら、アウローラの部屋からエルピスは足取り軽く退出した。
/
「ヴァンデルグの娘アウローラよ。今日はそなたの天職の発見と、教会への挨拶の二つの仕事をしっかりとこなしてくるよう。そこで真面目ぶっている娘を見て、腹を抱えて笑おうとしている父の顔に泥を塗るでないぞ」
「はい国王様!もし何事も無く帰ってきたら、父に休暇をお与え頂いてもよろしいですか?」
「ーーそれはどうしてだ?」
「もちろん楽しい家族の時間を過ごす為ですよ」
覚えておけよと言いたげな目線を父に向けるアウローラの言葉に耳を傾けながら、エルピスは立ったまま寝る。
いくら王と既知の仲で王国内、それも王都の中にある教会へ行くだけとは言え大貴族の娘には様々な事柄が付いて回り、まだ多少は時間がかかるはず。
そう思っていたエルピスの考えを肯定するように、一人の男が意見を出した。
「その件ですが国王様。アウローラ様の安全面や、今の我が国の現状を考えると、騎士団長が城から居なくなるのは、何ぶん厳しいものがあるかと」
そう言って王の決定に不服の意を示したのは、この国の財政を管理している大臣だ。
黒を主とした服を着用し、長く伸ばした髭は凛々しさより先に不快感を与えてくる。
あの人と直接喋った事は無いが、余り良い噂は聞かない。
影で王国を操ろうとしているだとか、貴族を裏で取り仕切っているのはこいつだとかその種類は様々だ。
とは言えあの王がそれに対して何も手を打っていないと言う事は、反乱分子を炙り出すためにわざと放置していると言う事なのだろう。
睡眠の邪魔をされた事に苛立ちながらそう考えていると、国王が大臣に対して言葉を返す。
「ーーと言うと? 安全面に関しては、その為にアルを同行させる訳だ。それにアルもヴァスィリオの男だ、同行するとなると文句を言う筋合いは無い。
更に言うなら現状戦火に巻き込まれていない我が国に、急遽騎士団が必要になる事態は起こり得ないと思うが?」
「そうは申されましても…」
「他の者は何か別に異論はあるか? 無いならばこのまま各員作業に戻れ」
国王の鶴の一声で周囲の文官と武官は各自の仕事に戻り、大臣も渋々ながら戻って行く。
それにしてもきな臭い、あの大臣は少々放置しておくと厄介な事になりそうな予感がする。
『我があやつのことを探ってやろうか? 暇だから久しぶりに何かしたかったところだ』
『そうか? なら頼むよ。あとついでに地図も作れたら作っといて』
『人の手ほど起用に動かない龍に無茶を言うな。だがなるべく努力はしよう』
影から影へと飛んでいく龍の姿を目で追いながら、エルピスは筆者師としての#技能__スキル__#が何かあったかと探してみる。
気付けばもう玉座の間には数人しか残っておらず、一応準備もあるエルピスは国王とアウローラ、そしてビルムに会釈してからその場を後にした。
/
(それにしても王都って本当繁盛してるなぁ…)
人間だけではなく様々な種族が商売をしている王都は近隣の同じような大きさの国と比べれば随分と繁盛している。
これも国王とヴァスィリオ家協力のもと商業の自由化とそれに伴う国内の通行を緩くしたからだと城兵がボヤいていたのを聞いた。
その分他国からの間者であったり危険人物がこっそりと侵入していることも相まって治安維持には相当な労力を割いているとの事ではあるが。
「そろそろ教会に着くぞ」
「はーい」
馬車を運転しているアルキゴスの言葉に相槌を打ちながら、エルピスはこの後の事について頭を悩ませていた。
教会を志望している人物であれば神の力についてなんとなく気が付くことができることはエリーゼの一軒で確認済み。
さらに神職に近づけば近づくほどにエルピスの正体についてなんとなく検討をつける相手は出てくるだろう。
さすがに神であることを一目で見抜かれるようなことはないと思いたいが、それでもできることはしておくに限る。
戦闘能力が落ちてしまうことに関してはこの際目をつぶることにして、いつもよりさらに神の力を封印するエルピス。
すぐに終わるものでもなくその作業を慎重に行っていると気が付けばいつの間にか教会に到着していた。
白亜の石で作ら得た美しい外観の教会は想像していたよりも大きく、高さは4階建てほどで平米もかなりの物であった。
行き交う人の数も多くかなり繁盛しているななどと思っていると、馬車を見つけて一直線にこちら側に歩いてくる人影が二人分。
近場に馬車を止めて歩いて近寄れば、どうやら彼女達が今回の案内をしてくれるらしい。
「お待ちしておりましたアウローラ様。私はこの教会でシスターをしております、エルマーナと申します。以後お見知りおきを」
エルピス達を出迎えたのは法衣に身を包んだ青い長髪が特徴的なシスターであった。
協会の内部がどのような権力図になっているのかは知らないが、少なくとも王国内の最も大きな貴族の娘を相手に出てくるくらいなのだから、目の前の女性は相当な地位にいることは間違いない。
そんな彼女は一礼を見せたのちに自分の腰に引っ付いていた幼い子供に視線を移す。
「ほら、早くアウローラ様に挨拶しなさい。失礼でしょ?」
そういいながらエルマーナに背を押されて前に出てきたのは、5歳程度の可愛らしい少女である。
エルマーナと同じく青髪が特徴的な少女はまだ見習いなのか教会の制服を身に纏い、胸に小さい金色の刺繍があしらわれた服を着ている。
エルピスの記憶が確かなら法国の王である法皇の直系のみがつける事を許されたものだった筈だ。
四大国と呼ばれ人間社会でも強い影響力を持っている法国、その法国からこうして子供が派遣されている辺り王国がどれだけ重宝されているのかというのも見て取れる。
「わ、私はフィーユと申します!よ、よろしくお願いします!」
自己紹介が終わると同時に、フィーユと名乗った少女は再び隠れてしまう。
だが先程とは違いチラリとこちらを覗き見しており、目が会う度に後ろに隠れる。
人見知りではあるようだが見ず知らずの人間に対して興味もあるのだろう。
「すいません。まだ人見知りが激しくて」
「いえいえ大丈夫です」
「ありがとうございます。それでは案内させていただきます」
エルマーナに誘われるがままにエルピスたちは教会内部へと入っていく。
外から見ても分かっていたことではあるが、教会の内部はかなり広い。
中心部は4階層分を抜いてある吹き抜けで天井はかなり高く、装飾が施された色ガラスから差し込む光は神秘的な雰囲気を醸し出している。
石畳だからなのだろう。
少しだけひんやりした冷たい風が下から肌を撫で、場の空気も相まって自然と背筋が伸びていくのが感じられた。
出入り口から見て奥側にあるエルピスのイメージ通りなら十字架が設置されている場所には、この教会が祭っている神の象徴なのか巨大な石造の本が置かれている。
表紙には太陽と剣の刻印がされており、人の神をまつっているらしい。
「私共はいまはお隠れになられた人類の神を祭っています。法国の教会とは少し違った解釈から神を祭っているのが特徴的です」
「違う解釈というと?」
「治癒の神パーナこそが次代の人神であると主張しているのが大きな理由ですね。それが影響して我々とは違い彼らは偶像崇拝を行っていません」
信仰している神は同じでも、その実態が地域によって異なっているのはそれこそこの世界に神が実在するからだ。
現在人の生きる地域に定住する神はエルピスを除いて二柱、王国から遥か南方、絶海の孤島に住まう独立国家の神である愛の神と法国の治癒の神である。
大きな流れとしてこの世界の人類はこの二柱を信仰するか、人類を守護する神という存在しない偶像を崇拝するかのどれかを選ぶことが多い。
祀られる側の神々が他の信仰者に対して迫害する事を強く禁じているので表向き争いはないが、それでも宗教の派閥争いは時々発生する程度には生活の間に根付いている。
「とはいえ他の宗教も同じ人を思って祈る者達です。なので考え方の違いこそあれどこうして交流しているのです」
そう言いながら視線を落としたエルマーナ。
彼女の視線の先にいるフィーユは自分が交流の証としてこの場にいることを誇りに思っているのか彼女の言葉に胸を張る。
5歳にして親里を話されて一人。
誰の目に見たって彼女が他宗教に対して法国が渡している人質に過ぎないことは一目瞭然だ。
王国だって同じように法国に人質を差し出しているのだろう。
立派な建物を建て素晴らしい言葉を口にはするが、結局人同士は信頼し合うことが出来ていないのである。
そうして教会内部を案内されること数十分。
大方協会についての説明は終わりひと段落がつく。
「アウローラ様、もしよろしければ三階以降もご覧になりますか? お連れの男子禁制なのでお二人には待っていただくことになりますが……」
「エルピス達どうする?」
一般人が入れるのは教会内部でも2階まで。
それ以降は教会関係者の居住区になっており、特別な許可が降りた場合にのみ入ることが許されている。
折角誘われたのだからどうせならば行ってみたいアウローラだったが、着いてきてもらっている手前行くかどうか迷っているようだ。
「ここら辺で待ってますよ。アルさん外に飯でも食いに行きます?」
「いいな、行きつけ紹介してやるよ」
時刻はそろそろ昼になろうかというところ。
小腹も空いていたし時間としては丁度いい時間帯だ。
アルキゴスの行きつけの店と言うことで少しワクワクしてきたエルピスが足早に教会を出ようとすると、そんなエルピスの服をか弱い力で引き留める者が一人。
「わ、私も行きたいな……?」
声を上げたのは先程から静かに着いてきていたフィーユだ。
「フィーユちゃんも一緒に来る?」
「いいの?」
「俺は別に大丈夫だけど……」
小さな子供が一人増えたところで特にこれと言って問題はない。
礼儀作法ができていない子供だったらいまからアルキゴスが紹介してくれる店によっては不味いかもしれないが、少なくともここまでの道中で彼女は子供ながらにしっかりとしていた。
エルピスとしては彼女が着いてくることを断る要素は特にない。
だがエルピスの方になくとも問題は教会側である。
「なりませんフィーユ。貴方は法国から預かっている大切な巫女です。万が一何かあればどうするのですか!」
「エルピス様も居るから大丈夫だもん!」
「──えぇ!? 俺!?」
何かあれば法国と王国の問題にまで発展しかねないので教会側が許さないだろう。
その考えはあっていたがまさか自分が巻き込まれるとは夢にもみていなかったエルピスは驚きの声を上げる。
アルキゴスならばまだ分かる。
彼はこの国の騎士団長をやっているしその武勇を世界に轟かせる剣豪だ。
だがなぜ最近王族の家庭教師になった程度の功績しかない自分に白羽の矢を立てたと言うのだろうか。
そんな疑問から出るエルピスの言葉に対して、少女は胸を張って答える。
「だってついこの間、エルピス様が悪い奴らを沢山やっつけたってみんな言ってたもん!」
フィーユが引き合いに出したのはつい先日エルピスが行った奴隷商達の摘発だ。
エルピスはいまだ時間が取れずに王都を歩くことができていないが、市民の間でいまエルピスはそれなりの有名人となっていた。
英雄の両親を持つ半人半龍が王国で悪さを働いていた者達を一夜にして摘発した、そんな話題は娯楽が乏しいこの世界において瞬く間に広まったのである。
「……俺とアルさん二人でちゃんと見るので、外出を許してやってくれませんか?」
「ですが……」
「お願いしますエルマーナお姉ちゃん!」
何かが起こらない保証など誰にも出来ない。
たとえどれだけの防備に身を包んでいようが、必ずこの世界で生きる以上何かが起きる可能性は常にある。
エルピスからの言葉を受けてもそれでもなを渋るエルマーナだったが、最後にフィーユからのダメ出しが効いたのか悩ましそうな顔をしていた彼女も限界を迎えたように破顔した。
「分かりました。気をつけて行くんですよフィーユ」
「うん!!」
/
そうしてエルピス達は近隣での食事を終え、街中をゆったりと歩きながら観光をしていた。
あれだけエルマーナが警戒していた街中だが、実際のところエルピス達の監視があって手を出せるような人物はほとんどいない。
加えて今回はエルピスも万が一があった場合に備えて、魔法的な防御手段を幾重にもフィーユに仕掛けてある。
たとえ目の前でいきなり襲われたとしても十二分の時間を稼げるだけの魔法だ、そうそう万が一は起こらない。
「エルピスさんの魔法ってなんだかお婆ちゃんの魔法みたい!」
「お、お婆ちゃん!?」
「──っ!! お前、好き放題言われてるな……ふははっ!」
「アルさんまでなんなんですか!」
確かに本で習った魔法と周囲の教えを元にしてエルピスの現在の魔法は構築されているので、最新式の魔法理論に比べれば古臭いところもあるだろう。
だがお婆ちゃんと言われるほど歳は取っていない。
せいぜい精神年齢を含めたとしてもアルキゴスより少し下か同じ程度といったところのはずだ。
隣で爆笑しているアルキゴスに呪う様な目つきで睨みつけるエルピスだが、当の本人はよほど面白かったのか知らないがいまだに腹を抱えて笑っている。
「ごめんなさい、怒った?」
「……怒りはしないよ。びっくりしたけどね」
「俺が一番ビックリしたよ」
「アルさん? いい加減締めますよ」
「悪かったよ、悪かったからそんなに睨むなって」
街中でも往来がそれほど多くない場所を選んでいるとは言え、騎士団長である自分が子供を馬鹿にして笑っているところを人前であまりみられるわけにもいかない。
そう判断したアルキゴスはなんとか自制心で笑いを抑えるが、いつ決壊してもおかしくなさそうな態度である。
「お婆ちゃん言ってたよ? 魔法は基礎が大事だって」
「いいお婆様だね。お婆様の事は好き?」
「うん! 大好き!! でも最近全然連絡も取れなくって……」
法国と王国の距離はかなりある。
馬車で行ったとして早くて二月、ゆっくり行けば四ヶ月程度はかかると見た方がいい。
そう考えれば連絡が取れないのも無理はない事だが、小さい子からすれば毎日会えていただろう人と急に引き離されるのは辛いものだろう。
「お婆様は法国にいるんでしょ? 忙しかったりするのかな?」
「ううん、ただ長距離連絡用の魔法を扱える人が王国には居なくって、だから連絡ができないらしいの」
ちらりとアルキゴスに目線を向けてみれば少し躊躇った後に彼は頭を縦に振る。
法国から王国までを繋ぐとなると相当高度な魔法の扱いを要求されるのでそう簡単にはいかず、向こう側と連絡を取れる様にするだけでも相当熟練した魔法使いが必要になる。
宮廷魔術師でも困難な所業、王国に属している人間で出来るとすれば宮廷魔術師長かもしくはイロアスくらいのものだろう。
「そっか、それは残念だね。アルさん王国の法律で国の許可なく繋いじゃダメとかありましたっけ?」
「一応国境を跨ぐ連絡の場合は兵士が同席することになってる。俺が見ててやるからやれるならやってやれ」
「──ー! もしかしてお婆様と喋れるの!?」
「今日だけ特別だよ。適当な場所見つけてそこで喋ろっか」
「やったー!!」
アポもなしに連絡をしていいものかと一瞬考えるエルピスだが、先方に連絡の許可を取ろうにも最低で四ヶ月は先の事になるのだ。
可愛い孫娘から連絡がきて怒る人は居ないだろうと少々甘い考えをしつつ提案したエルピスに対し、フィーユは満面の笑みと共に人が少なく喋れそうな場所を見つけるために走り出す。
思い当たる場所でもあるのかと思っていたエルピスだったが、話したいという一心でとりあえず走り出したフィーユは5分ほどあっちゃこっちゃを走り周りようやく止まる。
見つけたのは家屋の間にできた小さな路地。
大通りから外れている上に先日ある程度問題は片付けたと言ってもスラム街が近く、人通りに関してはほとんどないに等しい。
「ここならどうかしら!」
「良いんじゃないかな。後はお婆様ってどこら辺にいるか分かる? あと特徴とかもあれば欲しいな、年齢とか魔力量とか」
長距離通話の問題点二つ目として、電話の様に固定の値が設定されていないので場所の特定や人物の特定を手動でやらなければいけない。
この条件付けがとにかく大変なのだ。
「えっとね、いつも大聖堂の上の方にいるの。それでお婆ちゃんは……何歳なんだろ? 分かんないけどすっごい長く生きてるの。それでね魔法もいっぱい使えるの」
「わかった、探ってみるよ」
情報としては最低限だが、おおよその位置と魔力量が分かっただけで良しとしよう。
大聖堂というものがどこにあるのかいまいち分からなかったエルピスだが、とりあえずは法国の首都である聖都に侵入を試みる。
おそらくは外部からの攻撃や諜報を阻害するために設置されたのだろう魔法障壁を難なく突破し、侵入したという痕跡すら残さずに聖都内部に入ってみせた。
大聖堂というくらいなのだからそれは大きな建物なのだろうと目星をつけて3階立て以上の建物で探りを入れその中で条件に合う人物を探す事1分ほど。
やはりというか検索に引っかかる人間の量がかなり多くエルピスが困り果てていると、ふと急に通話が繋がる感触がある。
「繋がったけど──」
エルピス側が繋げたのではなく繋げる先を探していたエルピスの通話に無理やり繋げてきたのだ。
他人の通話に無理やり乱入する様な暴挙、しかもかなり強引に仕掛けられたのが分かるほどの無理矢理さである。
『──初めましてじゃな』
幼く若く聞こえるが、どこか老獪さが感じられる声。
その声を聞いた瞬間にエルピスは無意識とも言えるほどの速度で通信を切断する。
声を聞いた瞬間に理解した、おそらくは先程通話した相手がフィーユの探していた相手であろう事を。
そしてそれが一体誰でどういった存在なのかをエルピスはその時に理解した。
「フィーユちゃん、君のお婆ちゃんって……」
「お婆ちゃんと繋がったの? 変わって変わって!!」
聞いてみようとしてみるが、フィーユは久々にお婆ちゃんと話すことができると息巻いておりこちらの話を聞いてくれる素振りはない。
相手が自分と同じ様な存在である以上下手にリスクを取ることもできず、かと言って小さな子供の願いを断ることも出来ない。
一瞬ではあったがかなりの葛藤の後、エルピスは再び通話を繋げる。
相手が分かっている上に相手側もこちらを認知しているので先程までに比べれば繋がるのは一瞬だ。
『なんじゃガチャ切りしおって、最近の若いもんは礼儀がないの』
『……俺は頼まれて貴方に電話した。貴方に敵対する意思は無いし、関わるつもりもない。孫娘さんから電話を繋いで欲しいと言われた、すぐに変わる』
『なんと! フィーユちゃんがおるのか!! お主は後でええから早よ変われ!』
「わ! お婆ちゃんの声だ!!」
言われるがままに自分に繋いでいた魔力の糸をそのままフィーユに繋げると、フィーユは久々の懐かしい声にさらにテンションが上がった様だ。
エルピスはといえば先程までに比べて明らかに警戒心が増しており、フィーユに渡してしまったので会話の内容こそ聞こえないが何かが起きても大丈夫な様にしていた。
この場において唯一能天気なのは現状を知らないアルキゴス。
エルピスが作業をしている間暇だったのか近くの出店で買った食べ物をぽりぽりと食べており、周囲を警戒しているエルピスを見て何をそんなに心配しているんだとばかりの目線を飛ばしていた。
「うん、うん、元気でやってるよ。エルマーナお姉ちゃんには良くしてもらってるの、それに教会のみんなも」
重要な会議をするでもなし、法王の娘とは言え5歳児の会話の内容なんてたわいのない物だ。
ちゃんと近況報告をしているあたり親の教育が良かったのだろう。
「いま近くにいる人? えーっとね、アルキゴスさんっていう騎士の人と、あと……」
名前を挙げられそうになりエルピスは口の前で人差し指を立てると、なんとか内緒にしてくれとフィーユに懇願する。
法国内部に電話回線とは言え不法侵入したことがバレただけでも喧嘩を売っているような物なのに、それに加えて名前まで抑えられたとなれば生きた心地がしない。
フィーユはそんなエルピスの顔を見て一瞬何か躊躇うような表情を見せるが、数瞬でそんな表情は瓦解する。
「エルピスさんっていうの」
「ちょっ、フィーユちゃん?」
「大丈夫! お婆様がお礼するようにって言ってただけだから!!」
大人のお礼には二つの意味が存在することをぜひ丁寧に教えてあげたいところだったが、いまさらそれを教えたところでどうにかなることもなく。
法王の娘、法国の中でも最高権力者である彼等がお婆ちゃんと呼び話しかける法国の神に自分の名前が割れたことを知りエルピスは膝から崩れ落ちそうになる。
「うん、うん、うん!! 分かった! エルピスさんお電話変わってくださいってお婆ちゃんが」
変われと言われたならエルピスに拒否権はない。
半ば意識を飛ばして考えを放棄し、エルピスは先程と同じく不思議な声が脳内で響くのを甘んじて受け入れる。
『ワシが誰か、もうわかっておるな?』
『ええ。連絡繋ぐ前までは知りませんでしたけどね』
言外に知っていれば繋ごうとしなかったという意思を示しつつ、エルピスは自分よりはるかに長い時を生きた相手に舌戦をするのは不可能だと判断して一歩踏み込む。
『それで目的はなんなのでしょうか?』
『目的がなんだと言われても、電話をかけてきたのは来たのはそちらじゃろう? とはいえ神であるわしの時間を使ったのじゃ、孫娘であるフィーユは構わんとして、お前さんには対価を出してもらわんとな』
何もなく終わるとは思っていない。
法国への出頭までを視野に入れつつも、なんとかならないかなという思いと共にエルピスは僕たち同じ立場ですよねと言いたくなるのを抑えながら言葉をつづける。
『金一封でも包みましょうか? 届くのは4か月後くらいになるかもしれませんが』
『いらんわ。まぁええ、わしがお前さんにしてほしいのはフィーユの安全の確保じゃよ』
『また難しいことを言いますね』
魔神として法国の為に無限の資源として魔力を供給し続けろとでも言われるのかと思っていたので、想定としてはまだ随分とましな方ではある。
マシな方ではあるのだが、安全を確保しろと言われてもあまりに抽象的過ぎて簡単だと言い切れないのが悲しいところだ。
『365日、彼女を保護するのは無理ですよ。僕にだって生活があります』
『やれるならそこまでやってほしいが、まぁそこまで求めとらん。もし緊急でフィーユに何かがあった場合、助けに行くことを確約してくれればええ』
それだけなら、できないことはない。
確かに他国にいる重鎮でここまで年齢が幼ければいろいろと狙われることもあるだろう。
法国に身柄を置いているので王国側と法国側両国から身代金を請求することもできるだろうし、王国を貶めたい相手や法国に恨みがある物など襲われないと考える方が無理がある。
『それなら別に構いませんよ。ただし相手が神でなければ、という条件は付けていただきますが』
『思ってたより慎重じゃの。まぁええ、他の神が手を出すというならわしもさすがに黙ってられんからな。ひとまずこれで契約は成立じゃ、フィーユに代わってくれ』
随分身勝手な神様だなとは思いつつ、それでも初めて出会ったこの世界の神を相手にして思っていたよりは縛られずにすんでよかったと心から安堵する。
もう少し自分に力を付ければ断ることだって出来ただろうが、いまの自分では神に勝てるという確証もない。
自由が脅かされているのは正直かなり嫌ではあるが、それもあと数年の我慢だと思えば多少は気も楽になるというもの。
『うん、いいの? うん、わかった! 私の方から説明するね』
そうフィーユが言い終わると向こう側から通話が切られた感覚が来る。
「おばあちゃんがね? エルピスさんにお礼として祝福の義をしてあげなさいって」
「祝福の義?」
「おい本当か? 結構すごいことだぞエルピス、法王の直系から祝福の義をしてもらえるなんて」
聞いたことのないおそらくは儀式だろうもの。
その名前を聞いて普段冷静なアルキゴスが驚いているのだからきっとすごいものなのだろうということは分かる。
「えっとね、祝福の儀っていうのは……」
この世界において一定以上の神に対しての献身を行っているものは等しく神官としての才能を保持し、さらにその中でも一握りの神官達は数年に一度に限って祝福の儀というものを行えるらしい。
この祝福の儀というのは対象者に対して祝福を与え、そのものに対していま最も必要とされるものを付与するという効能があるらしい。
もちろん限度もあるとのことだが、少なくとも祝福を受けること自体は断ることすら考えられないほどの名誉だということで、アルキゴスが驚いていたのもそれが理由である、
ましてや法皇の直径ともなればその価値は金に換えられるものではなく、法国が神の力を抜きにしても4大国と呼ばれ人類生存圏内に存在する国々に大きな影響を与えているのもこれが大きな理由を絞めている。
かくして、偶然にも神との邂逅を終えたエルピス達は祝福の義を行うために一先ず教会へと戻るのであった。
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