第27話 自己紹介

 朝焼けが部屋の中を照らし出し、陽の光でエルピスは眼を覚ます。

 気分は上々……とは少し言いづらい。

 王城に来てから早いことで一週間、今日は初めてエルピスが王族に対して教鞭を取る日だ。

 いくらエルピス本人が緊張を感じにくい性格をしているとはいっても、転移直後は生徒だったエルピスには教師としての経験などもちろん無いので、緊張してしまうのも仕方のないことだろう。

 二度寝しようとする身体を意志の力で押さえつけ、エルピスはなんとか布団を跳ね除ける。


「ふぁぁっ……よく寝たな。んっしょっと」


 自分の身体には少々大きすぎるベットから転がり落ちるようにして出ると、部屋に備え付けられている鏡の前に立ちエルピスは身嗜みを整える。

 技能を使えばすぐに終わらせることもできるのだが、毎朝決まった行動をとることで落ち着きを取り戻すことが出来るのだ。

 鏡の中に移る自分の姿を見ながら自分で身嗜みを整えるのもいいが、だらだらできたあの日常も良かったと思ってしまうのは、やはり人間だからだろうか。

 どうでもいい事を考えていると細かい事が気になってくるもので、鏡の表面が少しザラザラしているのが気になりエルピスが手で鏡に触れるとふと頭の中に声が響く。


『どうかしたか龍神よ』


「鏡が気になっただけ。まだ休眠中でしょ? 寝てて良いよ」


 久々に声をかけてきたのは影の中で眠る龍だ。

 ここ最近エルピスの調子が良くなるにつれて龍の睡眠時間が増えていき、王国に行こうとする前あたりからはすっかり寝込んでしまっていた。

 本人が言うには成長に体がついて行っていないからとのことなので、体に問題があるというわけではなさそうである。

 珍しい技能スキルを使ったので起こしてしまったのだろう。

 エルピスが鏡に手を触れ〈錬成〉を使用すると鏡は先程までの物とまるっきり入れ替わる。

 ほんの一瞬の事だがそれだけで鏡は日本で見るような綺麗な物へと変化を遂げ、エルピスは開いた片手で器用に着替えを終えた。


 先程これらの事を自分でしなければいけない事に苦言を漏らしたが、訂正しよう。

 実際は家にいた時となんら変わらず、給仕の人が着替えを手伝ってくれるのだ。

 だがここはエルピスに与えられた個人部屋。

 その為給仕の人達も部屋の主人の許可無しには入ってくる訳にもいかないし、さらに言えばまだ時間も早いのでメイドもエルピスが起きているなど思ってもいないだろう。

 他人に服を着替えさせてもらうのは確かに楽だが、自分の好きな服が着れないというのはそれなりにストレスも溜まる。

 こうしてたまには自分の着たい服を着る日を作るのも、ストレス解消の一環だ。


 王族の教育もあるので、なるべく動きやすいようにだるっとした服を選んで着る。

 戦闘などをするならつかまれる可能性があるのでこの様な服はあまり適してはいないが、戦いを挑まれるわけでもないのにわざわざきっちりとした服を着なくてもいいだろうという判断からだ。


『おい、良いのか魔改造が止まってないぞ』


 そんな声が聴こえて沈んでいた意識を浮上させると、いつの間にか部屋の中がかなり変わっていた。

 先程まで眠っていたベットはそもそも材質から変わっているように見えるし、部屋の中に置かれた家具も無駄な装飾が削られ落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 この部屋に置かれているものはエルピスの私物が大半なので改造された事に関してはそれほど問題ではない。

 だがいくら制限をかけているとはいえ錬成という鍛治神の#技能__スキル__#の一端を使用することで頭痛が酷くなってきた。

 これ以上の能力の使用はあまり体にも良くないだろうし、そもそも自分の所有物でも無い物まで勝手に弄るのはマナー違反なのでこの辺でやめておく。


「ありがと。切り忘れると勝手に動き続けるから困ったもんだよ」


 自分の力で手に入れた技能スキルであれば暴走などありえないのだが、エルピスが持っているこの技能は所詮与えられたもの。

 意識して能力を扱っていなければ勝手に動いたり思った通りの動きを見せなかったりするのだ。

 技能スキルを解除し最後に身だしなみを整えたエルピスは、ようやく準備を終えて廊下へと出ていく。

 王城で働く人間は基本的に朝早くから夕方まで働く人と夕方から夜の遅くまで働く人の二パターンに分かれているのだが、王族は後者にあたるのでそれまで少し時間がある。

 太陽の上り具合からまだ約束の時間までかなり時間があるだろうと思いながらエルピスは龍に声をかける。


「えっと……いまの時間ってどれくらいか分かる?」


『人間の時間の尺度で言うと午前七時くらいじゃないか? 多少は誤差があるとは思うがな』


「あと三時間も有るのか……どうしようかな」


『教師として仕事するのであれば事前に準備も必要だろう。先に行っておいて損はないのではないか?』


「それもそうか、龍も他の人に教えたりしたことあるの?」


『我は基本的にそんな事はしないがそうだな……昔一度だけ気まぐれにそんな事をした気もする』


 龍と会話をしつつエルピスは王城の見取り図を見ながら行く場所の目安をつける。

 廊下でエルピスが出てくるのを待っていたのか、立ったまま眠りこけているメイドがいたが、起こすのも忍びないので椅子を出してそこに座らせて毛布をかけてそのままにしておく。

 ここまですれば普通起きても良いものだが、エルピスには常時存在感が消えるという特性が盗神の能力で付いているのでいくら弱まっているとは言えこの程度では起きない。

 さすがに相手が起きていて最初からエルピスに対して注意を向けていればその存在には気づくが。


「これで良しっと」


「おはようエルピス、朝早いな」


 椅子にメイドを座らせたのと同じくらいのタイミングで、朝の稽古を終えたであろうアルキゴスがこちらへとやってくる。

 まだ眠そうな表情のアルキゴスに対してエルピスは収納庫ストレージからコップに入った水を取り出してアルキゴスに渡しつつ言葉を返す。


「いままで森暮らしだったから、自然と朝は早くなったんだよ。王都はちょっと遅いみたいだけど村に住んでいる人たちも普段からこれくらいの時間に起きるんだよ?」


「森の生活は日の出てる間じゃないと出来る事が少なくなるからな。そこのメイドはーー」


 雑談を交わしている最中にアルキゴスの目に留まったのは、当然というかやはりというか寝ている二人のメイドだ。

 寝ないように二人行動をしていたというのに両方寝てしまっては意味がない。

 だがこんな早い時間から仕事を終わらせて待っていたことを考えると二人とも優秀なメイドなのだろう。


「ーー起こさないであげてくださいよ? 僕が勝手に早い時間に外に出て行動してるだけで、彼女達に非は無いんだから」


「分かってる。やることやってんなら俺はなんも言わないよ」


「なら良いですけどね、アルさんはこの後何かご用でも?」


 どうやらメイド達は特にこれと言って責められないらしく、その事に安堵しながらエルピスはアルキゴスに質問する。

 執務用の制服と言うには余りに楽な格好だし、一応武器を腰に挿してはいるものの中庭方面からこちらに来たのでおそらくは先程まで剣の訓練をしていたであろう。

 そんな単純な思考からの質問だったが、アルキゴスは少し考えたそぶりをしてからエルピスの質問に答えた。


「本当ならもう少し素振りをしてから行こうかと思ったがーーまぁ良いか。国王からお前の教育の手伝いをしてやれと指示を出されてるんでな、今日から俺はお前の手伝いをする事になった。この服は単純に楽だから着ている」


「俺と同じ理由ですね! アルさんが手伝ってくれるなら百人力だよ」


「お世辞を言うな。あと俺の師匠も教育に参加するとさ。とは言っても魔法に関係する分野からで、更に早くとも明日かららしいがな」


 そんな会話をしながらも、エルピスとアルキゴスは王城の長い廊下を歩く。

 さすがにこの時間帯でも起きている人はやはり居るもので、時折メイドや執事、料理人などに出会いながらエルピス達は王城の少し外れにある家に向かう。


 敷地内に城と別に家があると言う時点でエルピスからすればさすがこの国の王が居る場所なだけあるなと言う思考が浮かぶのに、それが転生前の自分の家よりふた回りは大きいものともなれば驚くのも無理はないだろう。

 話によると王族が勉強する為だけに作られた場所らしいのだが、木造建築が少ない王国内ではなかなかに豪華な建物だ


「この家って変な場所に立ってますよね。景観を損なうって泣いてた大臣思い出しましたよ」


「外に出るにもどこに行くにもここから行くのが一番近いし、王の部屋からも見えるからな仕方ない」


 確かにそう言われてみればここなら修練場までそのまま直線で行けるし、見てみれば国王の私室からも家自体が映るようになっている。

 緊急時に何かあればすぐに対応できるようにしている辺りあの王らしいと思いながら、エルピスはその家の扉をゆっくりと押し開ける。

 洋風と和風を両方合わせたようなその独自の建物の中は、広い教室ーーいやこの場合作り的に階段教室と言うのが正しいだろうーーの様になっていた。

 机の上に置かれた生徒名簿、とは言っても王族とアウローラだけであるが皮で作られた名簿に軽く目を通してから#収納庫__ストレージ__#の中に入れておく。

 

「懐かしいですね黒板も。これこの世界でなんで言うんですか?」


「普通に板だな。長ったらしい名前もあるが別に板で十分だろ、異世界人が残したものだし」


「それもそうですかーーん?」


 日本にいた時と外見的にほとんど一緒の黒板に、何か書こうとしてチョークをもったエルピスの手がふと止まる。

 この空間内に自分とアルキゴス以外の人間の気配、正確に言うならば四人の人間の気配を感じたからだ。

 いくら戦闘状態ではないとはいえ、〈気配察知〉の範囲内にいながら先ほど見落とした事に驚き、注意深くエルピスが再び机の方を見ると机の影にちらほら見えるのは人間の手と足。

 この部屋に入ることが許されているのは王族と指導役のみなので、つまりあの手足の主は……。


「…………アルさんあれって」


「…………………王族の不祥事は見なかった事にする、分かったな?」


「……はい」


 ーーそれから四時間後

 寝ている王族を起こし、丁度開始五分前にやってきた二人の王族の方を迎え入れ、刻一刻と授業が始まるときが近づいていた。

 先程までは寝ぼけていた王族も今では目をしっかりと開けて話を聞く体制が整っている。

 高校生でも出来ない奴は出来ないしっかりと話を聞くと言うことが全員できる事に、さすが小さい頃から教育されている王族だとエルピスは感心した。

 緊張して詰まりそうになる言葉を意思の力で制御して、落ち着きながらエルピスは自己紹介を始める。


「改めてではありますが、私が今日から皆様に魔法並び戦闘を教えさせて頂きます、エルピス・アルヘオと申します。どうぞお見知り置きを。魔法は一通り、戦闘に関しては魔物相手を得意としていますが、人相手の戦闘もできます」


 この1週間であらかた今後の育成計画を組み終えており、魔法だけではなく戦闘に関すること全般を教えるのがエルピスの役目という事になった。

  これからどの様な事を重点的に教えていこうと思っているのかなどと言った事を説明し、一応は用意しておくかと質問の時間を作るとエリーゼが手を挙げた。


「エルピス様、そういえば貴方の身体から漏れ出ている魔力から若干ですが、神職に携わる者の気配を感じました。神を信仰しておられるのですか?


「か、神ですか」


「えぇ、神です」


 エリーゼからの質問に対してエルピスは一体どうしようかと頭を悩ませる。

 魔力の質はことさら魔法使いにとっては重要な物であり、攻撃的な人間の魔力であれば肌を突き刺すような感覚を与えてきたりといろいろ魔力から感じ取れるものはある。

 だがまさか魔力から神に関わる何かと判断されるとは夢にも思っていなかったエルピスとしては、どうすればよいか判断に困るところだ。

 相手もこちらが神だとは夢にも思っていないだろうが、この世界の神についてろくに知らない自分に神について答えろと言われたところで困ったものである。

 もし適当に答えれば今後の関係に響くかもしれないし、又聞きしたような神の名前を答えてそれが実は王国の神と敵対関係でしたなんてことになったら目も当てられない。

 神が実在するこの世界では神に関連する話題は日本のそれより殊更慎重にならなければいけないもので、誤魔化せばそれはそれで怪しいだろう。

 どうしたもんかと悩むエルピスの視界にふと技能スキルの通知と同じようなものが視界の隅に浮かぶ。

 そこにはこの国の共通言語でロームと書かれていた。

 一体それが何なのかも分からないが、溺れる者は藁をもつかむ。


「僕が信仰……とはいってもそれほど熱心に信仰しているわけではありませんが、しているのはロームという名の神です」


 ロームと言うのがどんな物かをエルピスは知らないが少し考える様な仕草をエリーゼは見せ、それから思い出した様に言葉を紡いだ。


「確か原初の天使を従えた神のうちの一柱でしたか。有名ではありますが随分と古い神を信仰しているのですね」


「はははっ……そうですかね」


 (いやそんな事言われても知らねぇの! この世界の神話も読んだには読んだけど、自分の担当種族を推してる神様多過ぎて面白くなかったから途中で読むの辞めたし!)

 ーーなどとは口が裂けても言えないので、エルピスは適当に返事を返す。

 これで質問は終わりかとあたりを見渡すと、ピンと手を伸ばしきらきらした目でこちらを見つめる王女の姿が目に入る。


「エルピス様次ワタシ! エルピス様にはどれくらいまでの魔法を教えてもらえるのでしょうか?」


「皆様の魔法の素質がどれほどか分かりませんので、まだなんとも。ですが最低でも皆様が上級の魔法を使える様になるまでは、頑張らせて頂くつもりです」


上級魔法、それは魔法使いとそうでないものを隔たる壁の最たるものだ。

そこで止まるかそのさらに先の超級にまで手をかけるかは別として、正式に魔法使いを名乗れるのは上級魔法習得者のみである。

大きな街では探せばそれなりに居る程度だが、一般人の平均的な限界ラインでもある。


「じゃあ僕からも質問! 先生ってどれくらいまでの魔法なら使えるの? まさか上級までだったりしないよね?」


「こらペディ! エルピスさんに対して失礼だろ!すいませんエルピスさん」


「いえいえ、気にしないで下さい。自分達に教育するものの技量が知りたくなるのは、当然の事ですから。先ほども申し上げましたが、五大属性全て得意属性ですしそれ抜きにしても宮廷魔術師程度には負けませんよ」


「凄そう……?」


 この場に魔法に関しての常識を持っている人物がアルキゴスしかいないので驚きの声が上がらないが、五属性も扱えるのは本来であれば異常だ。

 本当は全ての属性を操れるのだが、逆に多過ぎても胡散臭く聞こえるのでこれくらいの数が丁度いいだろうというエルピスの判断だ。

とはいえもしそこいらの人間が言って居れば五属性の時点でよほど胡散臭いのだが。

 感心した様な表情を見せながらへぇ~と呟く王族とは別に、まるでこちらの秘密ごとでも知って居るかの様なを笑みを浮かべながら、声を押し殺して笑うアウローラの姿があった。

 彼女の事だからテンプレを順調に踏み締めているとでも思っているのだろうか、なんだか腑に落ちない。


「ーーとは言え実物を見ない事には信用し難いでしょう。時間も丁度いいので訓練場の方に向かいたいのですが、よろしいでしょうか?」


「はい、構いません」


「やったー! 僕あそこ大好きなんだよね!」


「アウローラは何か質問しなくていいの? 今から魔法の実演らしいけど、貴方魔法好きでしょ?」


「大丈夫よイリア。彼とは昨日個人的に喋ってるし、それよりどんな魔法を使うか気になるわね」


「では訓練場に向かいます。私は施錠してから行きますのでアルさん先に行っておいて貰ってもいいですか?」


「あぁ、任せろ。みなさん怪我をしない様に気をつけてくださいね、怒られるのは自分ですから」


 アルキゴスが先導して外に出て行くと、教室内は直ぐに静かになる。

 これからたくさんこの教室を使うことになるのだろう。

 この教室から卒業する時に彼らはどれくらい強くなっているのかを想像しながら教室の鍵を閉めて、エルピスもその後を追うのだった。

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