第26話 親と子供と教育係
食器とフォークが擦れる音だけが辺りを支配し、エルピスは緊張を隠しもせずに、ぎこちない動作で口に食べ物を運ぶ。
数十人が座れる長い椅子には王とその他の王族が詰めて座っており、次にアウローラと、その両親であるヴァスィリオ家の夫妻が座っている。
エルピスはあろうことか王の対面に座らされ、その斜め前には両親が座って居た。
この世界においての一般的な作法などについては多少教えてもらっている。
ただそれは他者を不快にさせない程度のマナーであり、王族貴族に見せられるようなものではとうていない。
だが特に誰もそれについて言及しようとはして来ないので、ありがたく思いながらエルピスは見様見真似で悪い所を無くしていく。
前菜が全て出され空気が落ち着くと、国王が口を開いた。
「イロアス、今回の事は無事こうして問題もなく終わった訳だが、言ってた通りこのまま魔法の指導をしてもらうってことでいいか?」
「俺に聞くなよ、エルピスの意見を尊重してくれ。まぁ俺としては別にーー」
「ーーエルピスには世の中がどんな物かは分かってもらったんだし、家庭教師として抜擢しようとしてくれた両家には悪いけど、連れて帰らせて貰うわ」
自然な流れでクリムはイロアスの言葉を遮る。
その口調には何がなんでも絶対にエルピスを持って行かせないという強い意志が感じられた。
皿がひび割れそうな程の重圧を肌に感じ取るものの、エルピスは口を開くことさえできないでいた。
イロアス達が会話している最中に割り込もうとする素振りを見せる者は誰一人おらず、全員が静かに事の成り行きを見守っているので、この状況を変える気がある様には思えない。
エルピスがここで働きたいと口にすればクリムは渋々ながら折れるだろう。
だがいまのエルピスは
そんなエルピスの顔を見てクリムは更に勘違いを加速させ、自分の子供が外の環境に潰されそうになっていると感じる。
睨み合いを続ける両家、その間に割って入ったのは意外にもアウローラの父であった。
「クリムさん、出来ればそれはやめて頂きたい」
「どうして? 騎士団長と魔術師長を身内から排出している貴方なら、娘にしっかりと魔法を覚えさせる環境を作ることなんて造作も無いでしょう?」
ヴァスィリオ家は国内でも有数の武家だ。
この国の騎士も魔法使いもどちらもヴァスィリオの者であり、その武勇は各国に轟いている。
どれだけ才能を秘めていようとも優秀な師にありつくことが出来なければ才能は開花しない。
大事なのは師であり、娘の為にそれを手に入れるのであれば龍の秘宝にだって手を出す覚悟が彼にはあった。
「ーー舐めないでいただきたいクリムさん。私とて貴族の端くれ、人の価値を見抜くのには長けていると自負しております」
「そう、それは良い事じゃない。だけどビルム、エルピスは#私__・__#の子供よ。龍の子に手を出してどうなるか、知らないとは言わせないわよ」
「危険を犯さなければ得られない物もあります。それに決めるのは貴方じゃない、エルピス君だ!」
威圧する母に対して、アウローラの父は怯えた様子も見せずに言葉を返す。
贔屓目に見ようとも強そうに見えない彼が母の威圧に耐えられる理由、それは貴族として日々強い人に会うであろうその環境も起因しては居るだろうが、直接の原因は娘に対する愛情だろう。
母の威圧で怯えているアウローラに対して、ゆっくりと伸ばした手も向ける視線も、エルピスが両親から受ける愛情と同じくらいの愛情が向けられているのが、傍目から見ても分かった。
それを母も分かっているのか威圧をやめて浮かせていた腰を下ろし席に座りなおすと、こちらに視線を向ける。
「確かにその通りね。エルピス、貴方はどうしたい?」
「……急な話だけど、ここで誰かに何かを教えることは大切な経験だと思うんだ。それに俺ももう10歳、あんまり家に甘えてばっかりも格好悪いしね。出来ればここで仕事をしてみたい」
「……そう言う事なら私は邪魔しないわ。悪かったわねビルム、試す様な真似して」
「子供を思う気持ちがあってこそですから、何も言う事はございませんよ」
一段落を終えてようやく場の空気が落ち着き、エルピスは目の前に出されていく料理を食べる。
少なくともこれでエルピスが魔法使いとして目の前の彼ら王族に加えてアウローラに魔法の指導をするのは確定となった。
王族貴族の指導と考えれば驚くほどにあっけなく決まった物だが、実際ここに至るまでにかなりの手順があったことはもう言うまでもない。
「さて、食事もある程度終わったし顔合わせをするか。グロリアス、挨拶を」
国王から呼ばれて席を立ったのは国王の横で食事をしていた線の細い少年だ。
父譲りなのだろう、光り輝くほどに綺麗な金色の髪を携えているが、筋肉隆々の父に比べて顔は少女のようでいまだに幼く美少年というよりは美少女という呼び名の方が正しく見える。
人懐っこい笑みに少し垂れた目でエルピスを見るグロリアスと呼ばれた少年は、いままで見た誰よりも美しい礼儀作法を見せつける。
「初めましてエルピスさん。私はヴァンデルグ王国第一王子、グロリアス・ヴァンデルグと申します。これからご指導のほど、よろしくお願いいたします」
「よ、よろしくおねがいします」
「グロリアスは次期国王として、戦う力が必要になる。他の王族だって同じようなものだ」
国王であれば戦わなくていいなどというのは平和な世界に限っての話。
もちろん国王が最も強くある必要性はないが、少なくともそこら辺の農民程度に国王が負けるのでは話にならない。
戦乱の世界に有ってある程度の力を保有していることはそれだけで多少の抑止力になり、交渉の場に有っても一定の戦力はアウローラと喋った時のエルピスのように有利に運ばせるために重要な役割を持つ。
続いて立ったのは横に座っていた長髪の美少女。
齢はおそらくエルピスよりも少し上といったところだろうが、体感する年齢は実際の年齢よりはるか上に感じる。
アウローラから感じた妖艶さとはまた別の、容姿の良さからくるそれは幼さをかき消していた。
「初めましてエルピス様。私はエリーゼ・ヴァンデルグと申します。神職を希望しておりますので、光魔法についてご教授願えればと」
神職という事は将来的にシスターにでもなるのだろうか。
扱うのは魔法の基礎系統である5代魔法の属性とは違い、その派生である光魔法は習得にそれなりの期間が必要になる。
だからだろうか。
エルピスを見つめる彼女の視線にもやり切って見せるという熱が籠っていた。
「長男長女は終わったし、人数も多いから後は一気にやっちまえ」
「ミリィ・ヴァンデルグです。よろしくおねがいします」
「アデルです! よろしくです!」
ミリィと名乗った少女は先の長男長女に比べて少しだけ奥手な雰囲気がある。
前髪を垂らし、顔を隠しているのは自信の無さの表れだろう。
エルピスからしてみればそれくらいの方がよほど親近感がわく。
仲良くなれそうな相手が出来たと喜んでいると、そんなエルピスの態度に驚いたのかミリィは顔をサッと伏せる。
次に声を上げたアデルは中々元気な男の子であり、魔法の訓練を期待しているよりは外で体を動かすことの方が好きそうである。
「よろしくお願いします。それでそちらの方は……」
「おいルーク、お前の番だぞ。緊張してんのは分かるけどちゃんとしろ」
「る! ルーク・ヴァンデルグです!! イロアスさんとクリムさんのお噂はかねがね伺っておりました! そんなお二人の子供でありたった1日で王国に巣くう悪を壊滅させたエルピスさんに師事できて光栄に思います!」
常日頃は自信満々で元気ハツラツ、といった子供なのだろう。
動くときに鬱陶しくないように金の髪はバッサリと切られており、見る限り体も実戦に耐えられるように鍛え上げられているようだ。
両親に対してこういった態度になる子供をいままで何度か見たことがあるが、何度見ても言葉で両親が褒められているよりよほどうれしく感じられる。
「ルークはイロアス達にも憧れてるが、なによりエルピス君。君に惚れ込んでるんだ、よくしてやってくれ」
「ちょオヤジ! そんな事言うなよ!!」
「良いだろ別に。実際エルピス君がやったのは凄いことだ、イロアスが断らなかったら後日盛大にお祝いするところだったんだぞ」
自分に対してそんな事を言って来る相手が居るとは思えず照れるエルピス。
とはいえ目立つこと自体はエルピスが望んでいない事であり、盛大にお祝いなんぞされた日にはこの王都からにげだしていたことだろう。
それを止めてくれたイロアスには感謝しても仕切れない。
「私は何になるかまだ決めていないけど、よろしくねエルピス君」
そうしてそれから数時間後。
エルピス達子供が睡魔に襲われ眠っている深夜に、小さいテーブルを囲み酒を煽る三人の人影があった。
酒の席で油断しきっているとはいえ街の居酒屋にいれば大衆の目線を釘付けにするだろう三人組。
そんな彼らがする会話の内容は決まって自分の子供の事だ。
「ーーにしてもだ、イロアス。お前んとこの子供は随分と俺たち側に近いな」
「俺たち側というと?」
「生まれつきの異能持ちって意味だよ。ビルムのとこもそうだろ?」
そう言いながら国王ーームスクロルは酒を飲む。
ムスクロルだけでなくこの場にいる三人、イロアスとビルムは先祖返りと呼ばれる異能を持って生まれてきた。
分類的に言えば異世界人と先祖返りは違う物なのだが、その力が強力という点に関しては殆ど同じと考えていいだろう。
この世界で黒髪が迫害されていないのは一重に偶然に過ぎない。
人間世界が街を作るよりももっと前の村社会の時に、偶然黒髪の者達が活躍して人類の生存権を広げその功績がいまこの世界を作り出している。
いまだ一部の小さい村では黒い髪は凶兆の証として扱われることもあるが、王国では報告の義務こそあれど迫害することは法によって禁止されている。
「うちの子はイロアスのとこみたいに子供ながらにして竜を倒したりしねぇよ。いたって普通の可愛い子だ」
「ちょっとトカゲ倒すくらい可愛いもんだろ! あの微妙に小生意気な性格が特に可愛いからな!」
「んだと! やるかコラ!」
「やってやんよ! 骨の一本くらい覚悟しろよ!」
英雄と呼ばれ人類最高峰の力を持つイロアスと文官寄りで長らく実践にも出ていないビルム。
殴り合えば骨の一本が折れるどころか残れば万々歳といったほどなのに軽々しく喧嘩に発展しそうになるのは、両者普段ならば飲むのをやめろと言われるほどに酒に弱いのだ。
「やめろやめろ、お前ら普段は冷静なのになんで子供が絡んだらそんなに熱くなるんだよ」
「「親だからだ!」」
「……聞いた俺がバカだった」
話があらぬ方向に脱線していくが、何時もの事なので笑って話を流す。
何時もなら一度こうなるとかなり長い間話はそれたままなのだが、今日はその自分の子供が話題に上がっているからか、意外にも直ぐに話題は元に戻る。
「ーーだが冗談抜きでエルピス君にはちゃんと善悪の判断をさせないと、不味い事になるぞ。今ならまだしも成長したら止められる気がしない」
「暴走する訳がないーーと言いたいが、あの年頃は細かい事で性格や感情なんて変わるからな。充分その点に関しては気をつけているつもりだ。それに今回のだってそれを図るためのものだろ」
「そうだな。先に言っておくがイロアス、もしエルピス君が暴走したら、お前が例え守ろうと俺は何があっても殺すぞ。それ程に彼は危険だ」
万が一の場合は子供を殺すと言われても、イロアスの表情には変化が出ない。
昔から交友のある二人からの言葉だからという事も有るが、何よりエルピスの事を信用しているからだ。
だが目の前の二人が言いたい事は分かる。
今のエルピスは力の使い方を知らない。
その力がどれ程の域に達しているかも、自身の危険性にも。
奴隷商達のアジトを壊滅させたのもまるで当然のごとく口にしていたが、実際王国が手を出せなかった膿を彼は無理やりに排除したのだ。
その力はもはや歩く国家戦力、抑え込むのもどれだけ大変か。
今回急遽と言っても良い速度でエルピスが家庭教師になるまでの話を組んだのは、再三ではあるが今のエルピスが善と悪どちらに傾いているかを判断する為と言うのが本当の目的だ。
もし万が一にでも奴隷商人に手をかけた場合は、近場に控えていたメイドと執事数名にクリムとイロアスが強制的に家に帰らせる算段もつけていた。
それ程までに今のエルピスは危険と言える。
出来ればこの都市で生活し、人の世界に慣れてほしい。
「それについては何も言わないさ。そう言えば睡眠中のあの子の部屋に入ったらびっくりするぞ? 気配察知の濃度の異常さに、避けようと思えば思うほどに引っかかる魔法。子供の寝顔一つ見るのに戦闘する時より魔力を使うからな」
「そんなにか?」
「あぁ。そんなにだ。なんなら今から行って誰が引っかかるか勝負しようぜ」
「何を賭ける? もちろんハンデはありだよな」
「まぁ向こう着いてから考えようぜ」
雑談を交わしながら立ち上がり、三人組はエルピスの眠る部屋へと足を進める。
ーーその後魔法に引っかかったムスクロルが国外に強制転移させられ、帰ってくるまでにかなりの時間がかかったのは別のお話。
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