幼少期:王国編
第19話 王都へ
エルピス10歳の誕生日が過ぎて早いもので既に一か月。
春も落ち着きを見せ過ごしやすい気温になってきた頃、エルピスは一週間分の荷物が入りそうな大きな鞄を背負って家の外に立っていた。
見送りにフィトゥスやリリィだけでなくイロアスとクリムまで来ており、なにやら普通ではない雰囲気。
それもそのはず。今日はエルピスがいま住んでいる国ヴァンデルグ王家の国王ムスクロルに成人の挨拶をするために王都に向かおうとしているからだ。
この龍の森から王都までは直線距離だけで見ても馬車で数週間はかかる程の距離がある。
当の本人としてはこの世界にきてようやくまともな旅が出来ると興奮しきりだろうが、エルピスが外の世界に対して興味を示せば示すほどにクリムの心配は増していく。
それはもはや息子を抱きしめる力加減を忘れさせるほどだ。
「大丈夫? 荷物はちゃんと持った? 忘れ物は? 外は怖くない?」
「お母さん大丈夫、大丈夫です。なんなら今が一番命の危険……うっ」
「クリム様エルピス様落ちかけてますよ!?」
クリムに全力で抱きしめられエルピスは自らの身体の頑丈さに感謝しながらも意識を手放しかける。
リリィの声かけのおかげでなんとか意識を飛ばさずに済むが、本当にこの家から3週間も離れられるのだろうかという疑問が浮かばすにはいられない。
「母さん。もう母さんだけの身体じゃないんだから、母さんこそ気をつけないと」
「そうですよクリム様。お体に触ります」
クリムの身体には現在新しい命が宿っている。
性別も既に判明しており、来年の夏には可愛い女の子が生まれてくるとの事だ。
弟や妹というのは生意気で反抗するがやっぱり居ると可愛いもので、前世で妹がいた経験があるエルピスとしては今度こそ妹とは仲良くしようと思って居る。
さすがに妹の事を引き合いに出されるとクリムも渋々ながらではあるが引き下がり、エルピスは母から解放されてその足で父の元に向かう。
近寄ってくるエルピスが意外だったのかイロアスはなんだなんだと言いたそうな顔をしていた。
「お前から甘えてくるなんて珍しいなエルピス。寂しくなったか?」
「これは激アツです! 激アツですよ!」
「ペディのせいでちょっと冷めたけどまぁそんな感じ……かな? 命の危険はないと思うけど、当分合わないわけだし」
腕を広げるイロアスに体を任せて力一杯抱きしめられる。
クリムの物と違ってちゃんと加減されているそれはエルピスに安心感を与えた。
この付近で、というより王国全土で見てもエルピスの事を殺せる人間はもはや少ない。
たとえば盗賊だが束になったところで一人で制圧できるだろうし、ないとは思うが王国の兵士と戦うことになったとしてもクリムやイロアス相手に鍛えてきたエルピスの敵ではないだろう。
大陸をふらふらと渡り歩いているような強者や縄張りを持たない強い魔物などが出てくる可能性はなくもないが、 エルピスにとって今回の旅の最も強い敵は孤独だ。
中身はもう日本基準で考えても成人を越えるような年齢だったとしても肉体に引っ張られている精神はどうしても幼くなってしまう。
「大丈夫ですエルピス様。俺が保証しますよ、なんなら呼んでもらったらいつでも行きますから」
「調子に乗らないのフィトゥス。エルピス様もし不安になったとしても己の心に従って前に進んでください」
「うん。分かった、父さんもありがとう。母さん、行ってくるね」
「分かったわ。行ってらっしゃいエルピス」
これだけ背中を押されてしまえばもう覚悟は決まった。
受け止め切れないほどの愛と優しさをくれた家族と離れることは寂しいが、みんながくれた物は自分の中に全てある。
長くても二月くらいすれば帰ってこれるだろう、その時はいまの自分よりも成長した姿を見せたい。
今までの経験と両親の子供であるという自信を胸に、エルピスは軽い足取りで王都へと向かっていくのだった。
そうしてエルピスは家を出発してから少し後の事。
イロアスとクリムは二人肩を並べて自分たちの子供の大きくなった背中を思い返していた。
「ーー行っちゃった。予定通りとはいえ心配ね」
「万が一があってもあの子なら大丈夫だよ。クリムは先に行っておいてくれ」
「ええ、分かっているわ。何人か連れて行こうかしら」
生まれてきたから今この時まで、着々と力をつけてきている我が子、だからこそ二人はエルピスを王都に旅立たせる決断をした。
この世界で彼が本当に生きていけるのか、自分たちがこれからどうするべきなのか、全ての決断は今回の計画がどう転ぶかによって決まる。
イロアスはエルピスの後を追う様にして、クリムは先に出たエルピスよりも圧倒的に速い速度で王都を目指すのだった。
/
アルヘオ家の実家からエルピスが夜通し走れば、2週間から3週間と言ったところだろうか。
しかもエルピスは神人でありもはや睡眠は不要。
たどり着くのにそう苦労はない様に思えるのだが、今回の旅でイロアスからエルピスにはいくつかの条件が課せられている。
一つ目、困っている人が居たらなるべくたすけるようにすること。
二つ目、アルへオ家の人間であることを口にしない事。
三つ目、
四つ目、移動には極力公共交通機関や馬車などを使用すること
以上4つがエルピスが課せられている課題であり、これらは全てこの旅の本質であるこれから先一人でやっていけるだけの社会性や実力があるのかどうかを推し量る物だ。
もちろんエルピスもアルへオ家の人間として外の人に見られても問題ない行動を心掛けるつもりである。
「ーー父さんかな? 後一人誰だろ」
ふと走りながら周囲を警戒していたエルピスの〈気配察知〉に、ほんの一瞬だけ二つの気配が入ってくる。
〈気配察知〉の範囲内に入った瞬間それに気が付いたように離れたことを見てもおそらく付いて来ているのは父だろう。
余裕を持って相当後方からエルピスを追いかけていた二人だったが今回エルピスの気配察知に捉えられてしまったのは、エルピスが技能を上手く扱えておらず効果範囲が不定だからである。
さすがに家を出てすぐは龍の森の中という事もあり危険ではあるので付いてくることは予想の範囲内、気が付かないふりをしておこうと特に注意することもなく数時間程移動してエルピスは馬車の乗合場がある村に到着する。
村の大きさはそれほど大きくないが移動の要所になっているだけあってそれなりに繁盛しており、村の中にはかなりの数の人間がいる。
聞いた話によるとこの道は王国の首都と連合王国の首都を結ぶ街道の一つだそうで、繁盛している要因はそういったところも大きいのだろう。
ウマだけでなく様々な生き物が荷台を引っ張るこの世界、どの乗合馬車を選ぶのがいいだろうかとキョロキョロしながら辺りを探す。
「おい坊主、王都行きの馬車を探してるならここだぞ」
そうしていると、ふとエルピスは背後から呼び止められる。
振り返ってみればくたびれた服に汚れた髪、清潔感からはかけ離れたその風貌はこの世界ではそこまで珍しいものでもないが、目つきだけは街中の人間のそれとはまた違う鬼気迫ったものだ。
子供のお使いで明らかについて行ってはいけない人物だが、そのあからさますぎる風貌にエルピスは好奇心が湧き出す。
誕生日の時は護衛に囲まれていた所為で盗賊と戦える機会というのはなかった。
家にいる人間はエルピスを宝物のように扱うし、時折やってきていた
そんな中でいかにもと言った風貌の男の対応は、エルピスにとって久しぶりの感覚を味わわせてくれた。
「怪しいから嫌です。変な人にはついていくなって言われてるので」
言いながらエルピスは自然体を装って、馬車の影に体を隠し周りから見えないように陰に移動する。
ここなら誰にも見られず、聞かれず、騒がれずにエルピスを攫うことができる。
好奇心は猫をも殺すと言うが、であるならば龍の子供はどうなのだろうか。
王国において人攫いは重罪だが、それは人を攫った場合に適応されるものだし、加えて言えば別に王国で売らなくても他の奴隷制度を認可している国で売ればいい。
もし目の前の男が怪しい家業をしている人間なら、エルピスの事をこのまま売り飛ばそうとするだろう。
ただ人相の悪いだけの村人なら陰に連れ込んでそのままリンチ、という可能性がない訳でもないがそれならそれで隙を見て逃げ出せばいいだけの事である。
いまのエルピスにはただ単純にこの人このままにしたらどんな事をしてくるのだろうという興味だけがあった。
一瞬男性は迷ったような顔を見せ、そして唇を噛み締め何か決断したような顔に変わるとエルピスの服を掴み無理やり馬車の荷台に押し込んだ。
その行動はまさに男が人攫いであることを証明するものであり、怯える少年役としてエルピスは呻き声を上げる。
「んー! んー」
「猿轡だ静かにしてろ! 煩くしたら殺すからな!!」
後ろで手を縛られ猿轡もかまされ何やら仲間を呼んでどたどたとしている男たちは、エルピスを乗せたまま急速で馬車を発進させる。
自分たちが何を乗せているのか、そんな事を知らないままに男たちは逃げるようにその場を後にするのだった。
/
それから三日後。
エルピスは五体満足で何か行動を制限されることもなく、悠々自適に馬車の荷台で過ごしていた。
本もなければもちろんスマホもないこの世界ではただの移動ほど退屈なこともないが、それでも目的地に向かうため馬車を使えと言われている以上こうして過ごすほかない。
昼寝でもしようかとエルピスが体を横にすると馬車がガタンと大きく揺れ、それにエルピスが不機嫌そうな声を出すと馬車の先頭にある御者台から悲鳴にも似た声が上がる。
「す、すいやせん! 殺さないで!!」
「馬車揺れた程度で殺しませんよ、それより逃げたりしようとしないでくださいね。このままちゃんと送り届けてくれるなら捕まるときに多少罪を軽くするように口添えしてあげますから」
「へへ、もちろんですよ。なぁお前!」
「ああ! 寛大な処置に感謝だな兄弟!」
なぜ奴隷商達がここまでエルピスに頭を下げているのか、それにはこの3日間で何があったのかを説明する必要があるだろう。
捕まってから少しして周囲に人影が居なくなったことを確認したエルピスは、その場で縄を引きちぎり馬車に乗っていた男たちを拳一つで撃破。
痛みに悶える彼らに対して現在の自分の状況と鑑定を用いて個人情報を完全に抑えている事を伝え、このまま王都まで連れて行ってくれるのであれば処刑は免れるように兵士と取引をするという契約のもと王都に向かっているのだ。
彼らは王国の人間ではなく隣国の共和国出身であり辺境の村から子供を攫っては共和国で販売にかけていたとのことだが、それにしても運がない男たちである。
あの場所にいた子供たちの中でもエルピスを引いてしまうあたり、ここら辺が彼らにとって年貢の納め時だったのだろう。
「それにしても奴隷販売なんて儲かるの? 捕まったら処刑だし売るのも大変そうだし、農民として暮らさないくらいには儲かるんだろうけど」
「いやいや、実際のところ全く稼げないっすよ。俺達はでっかい街の4人目とか5人目の子供で働くための仕事もないし土地も開墾しないと手に入らなくてこんな仕事に手を染めないと飯もまともに食えないんすよ」
「売られた子供達はどうなるの?」
「体格が良ければ俺らみたいな奴隷商か傭兵に。後は農村に売られることもあるし、女なら貴族とかに売られることもあるっすね」
「なるほどねぇ」
この世界では奴隷の存在自体は違法ではない。
今回問題になっているのは2点。
彼らが奴隷制度そのものが禁止されている王国内で奴隷販売を行っている事、次に子供を攫うという方法を取っているところが問題点である。
普通の奴隷は両親が子供を奴隷商に販売したり、債務が溜まりすぎた結果その借金を返しきるまで奴隷に落ちるなど金銭がらみで落ちることが殆どだ。
ちなみにこれらの常識というのは人間相手に通用する物であり、例えば森妖種などの亜人種に関しては外交などの関係上通常の奴隷とはまた扱いが変わるとのことである。
聞きたいことをあらかた聞いたエルピスは、それ以上の興味がなくなったのか話を終えるとそのまま小さく寝息を立て始める。
先程までよりも更に慎重な運転になった馬車は、ゆっくりと街道を走っていくのであった。
その日の夜。
草原の真ん中に馬車を止め、エルピスお手製の結界の中で静かに寝息を立てる奴隷商達。
なんだかやたらとリラックスしている彼らに自分とは違う図太さを感じるが、少なくとも脱走の気配はなさそうである。
万が一にも逃げられないように結界の出入りを自分以外禁止してから、エルピスは気配察知の
加えて普段から駄々洩れにしている魔力を体の外に出ないように気を付け、自分の気配を消す幾つかの
いまエルピスがしようとしていることはアルへオ家から誰が追いかけてきているか、それを探る事である。
ただの馬車に乗っていたのであればこんなことをする必要も無かったろうが、完全に制圧で来ているとはいえ奴隷商の馬車に乗っている以上家の人間と連絡は取れるようにしておきたい。
ここ2日間は森の中を走っていたのでエルピスとはいえ追いかけている人を探すのは困難だったが、平原であれば隠れる所も少ないしこちら側からも接触しやすい。
(というか捕まってる時点でフィトゥスとかなら助けに来てくれそうだし、多分父さんが面白がって手出しさせてないんだろうなぁ)
そう思いながら事前に怪しいと思って居た場所をエルピスは音も無く走り抜けながら調べ続ける。
かれこれ1時間ほどが経過しただろうか。
当初予定していたよりも更に索敵範囲を広げたエルピスは、少し高台になっている丘の様な場所に怪しい人影を見つける。
最初は同じように休んでいる旅人や冒険者かと思って居たが、火も付けていない状態で何やら話しているのがエルピスの耳に止まったのだ。
「エルピス様大丈夫なんですかねぇ……」
「あいつなら大丈夫だろ。万が一にもただの野盗上がりに傷つけられるようなことはないさ」
「怪我に関しては私も心配していませんが……不安です」
自分の名前が出たことで追いかけてきていた家の人間であることを確認したエルピスは、特に体を隠すこともなく話をしている二人の間に割って入る。
「心配されてなかったらどうしようかと思ったよ」
「――うわぁ!? びっくりしたぁ……驚かすなよ」
先程まではそこに居なかったのに突如として現れたエルピスを見て驚きの声を上げたのは、全身真っ黒な衣装を纏っているイロアスだ。
暗闇から突然自分の子供の顔だけが浮かび上がっているように出てきたら怖がるのも無理はない。
「お父さん達が分かりやすく居てくれたら俺だってこんなことする必要なかったのに」
「一応お前いま一人旅の途中だから俺らがあんまり手を出しちゃいけないんだよ。最初は捕まってたみたいだけどその分だともう大丈夫なんだろ?」
「もちろん。このまま王都まで運転してもらって自首するなら処刑は勘弁してもらうようにお願いするつもり」
そもそも奴隷商人のために何かをお願いすること自体がダメなのかもしれないが、さすがに約束した手前ここでやっぱりそのまま罪を受け入れてくれとも言い難い。
軽率な約束をしてしまったかなと苦い顔をするエルピスだったが、そんなエルピスとは対照的にイロアスはそんなエルピスの判断を聞いてどこか嬉しそうな顔をしている。
そんな嬉しそうなイロアスに加えてもう一人、自分も居るんだと主張するようにエルピスの服の袖を少し引っ張りながら嬉しそうに声を上げる女の子がいた。
「エルピス様が無事でよかったです」
「エラも来てたんだね」
「フィトゥスさんと姉様達がクリム様に付いてるので私が抜擢されました」
「気配察知の範囲からすぐに消えたからてっきりフィトゥスが追いかけてきてるのかと思ってた。エラはやっぱりすごいね」
「ありがとうございます」
褒めながらエルピスがエラの頭を撫でると、エラは嬉しそうに目を細めながらそれを受け入れる。
暴食と戦った時から甘えてくるようになった彼女は、最近何かと頭を撫でて欲しがるのでエルピスはもはや手癖のように行っていた。
幼い時に両親を亡くしているので父の代わりを求めているのだろう。
実年齢で言えばエラの方が年上ではあるのだが、エルピスからしてみればエラはまだまだ小さい子供だ。
甘えてくれる内は素直にこうして甘やかせてあげたい。
「いい雰囲気のところ悪いけど、そういう事ならこの後の事は見守っておくけどいいんだな?」
「大丈夫だよ。なんならこのまま奴隷を捕まえてる奴ら一網打尽にしてから行こうかな」
「……あんまり無茶するなよ。お前は強い、だけどまだ子供なんだから」
「大丈夫だよ父さん。それにもうこれが終わったら俺も子供じゃなくて成人になるんだからさ。俺もアルへオ家の一員として頑張らないと」
決意を胸に意気込むエルピスは、心配そうな父に任せてくれと胸を張る。
家の中で甘やかされて育って早いもので10年、与えられたものは数えられないほどに多く今からでも少しずつこの家に対して何かを返していきたい。
それがこの世界に生まれ落ちた自分の役目であり、エルピスとして産まれてしまった自分の役目だとそう思って居るからだ。
「そうだ父さん! 一つ忘れてたことがあったんだ」
「なんだ?」
「奴隷商に俺が捕まってる事、母さんにちゃんと報告しといてね。忘れると多分後が怖いから、じゃあよろしく!」
「あ、おいちょ、待てッ!!」
呼び止められる声を無視してエルピスは馬車のある方に走り去っていく。
ただでさえ生き道自分が監視できない事を不満たらたらにしていたクリムが、自分が見ていたにも関わらず奴隷商に捕まったうえにいまその奴隷商と行動を共にしていることがバレようものなら何を言われるか分かったものではない。
残されたイロアスは悲痛な顔でエラの方を向くと、既に寝息を立てているエラの姿がそこにはあるのだった。
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