第五章 犬公方

大トカゲ、すなわち大怪獣ガゥジーラ、突然の出現から三日目の朝が来た。

ここは江戸城本丸、大広間。

「・・・じい、余はとんだ勘違いをしていたようだ」

徳川綱吉のふいの一言に世話役の爺が茶を吹きそうになる。

「ゴッホゴホ。・・・と、申しますのは?」

「うむ。これを見てくれ」

綱吉は瓦版の数々を手渡す。

昨日さくじつ、家臣たちが城下で入手したものだ」

見出しには【大蜥蜴出現】、【海を渡り江戸へ】とある。

「それらの瓦版、及び各藩からの報告によると、どうやら大トカゲがこの江戸に向かっておるらしい。余はその化け物とエレフアントとを混同しておったようじゃ」

爺が瓦版に目を通しながら頷く。

「ふむふむ、なるほど。どおりで噛み合わない面があった訳ですな。大きさや姿かたちが」

将軍様がすっくと立ち上がる。

「爺、仮面と馬を用意せよ。ひとっ走りその大トカゲとやら、余が直々にこの目で確かめて来よう!」

爺が扇子を調子良くバッと開く。

「出陣でござりまするな!」


ギッギギギ~。

大手門が軋む音と同時に左右に開く。

綱吉は愛馬を駆り、一路ガゥジーラの目撃地を目指す。

パカラン! パカラン! パカラン!

「急げ! 我が愛馬・疾風ハヤテ号!」

「ヒッヒーンッ!」

街道をひた走る。

パカラン! パカラン! パカラン! パカラン!

果たせる哉、綱吉はスッポリと仮面を被っている。

ピンと耳を立てた真っ白な和犬の被り物、そう、民が悲しみの涙を流す時、どこからともなく現れるあの秘密の影は!

「正義の牙・犬公方いぬくぼう、参上!」


パカラン! パカラン!

白馬に跨がり颯爽と駆け抜ける犬公方を街道沿いの子供たちが手を振り見送る。

「あ! 犬公方だ!」

「がんばれ犬公方!」

「それ行け! 犬公方!」

子供たちに片手をシュタッ!と挙げて走り去っていく犬公方!

誰も知らぬが、あれは正体を隠した将軍・徳川綱吉、その人である!


   白い影 大地をかける

   風が呼んだか 犬仮面

   正義の牙を とぎ澄まし

   悪鬼に 悪夢を見せつけろ

   夜明けは近いぞ

   犬剣! 疾風!

   「ワオーン!(S.E.)」

   あぁ ビョウビョウ 犬公方

   あぁ ビョウビョウ 犬公方



夏日で気温もかなり上がってきた昼下がり。

潮風もすこぶる熱い。

噂の大トカゲは一晩の内に江戸にかなり近付き、今は下田の沖合いを進んでいた。


下田城の城主・水越蒲生みずこし・がもうがその様子を家臣らと見守る。

「噂にたがわぬ巨大な大トカゲよのう! ハッハッハッ!」

「殿、いかがなさいましょう?」

「いかがも何も、いざとならば民を守る為に我等武士が全力で戦うまでじゃ! ハッハッハッ!」

「確かにそうですが・・・あっ!」

家臣が思わず大声を上げる。それもそのはず。

「殿! あれは何でしょう!?」

水越が目を凝らす。

「うん? ・・・あれは・・・ややっ! 金目鯛キンメダイじゃ!」

侍一同は元より、見物に来ていた民衆も騒然となる。

波を掻き切る魚の背鰭と尾鰭。

大変てえへんだ! 今度はでっけぇ金目鯛が出ただっ!」

「こりゃ新しいネタだべ! また瓦版屋が儲かるだんべ!」

冷静に装っていた水越蒲生であったが、流石に度肝を抜かれる。

「な、何と巨大な大金目鯛じゃッ!」


下半身を海に浸けたガゥジーラの周りを、巨大キンメダイ怪獣・アカギーギが威嚇して回る。

「チョローッ!」

時折奇声を発するアカギーギ。

魚の背鰭がビシュッ!ビシュッ!と海面を鋭く切り裂く。

体長はガゥジーラの半分ほどであろうか。

いかにもキンメダイらしい真っ赤な身体、金色に吊り上がった巨大な冷たい目、長い胸鰭、鋭利な剃刀状の背鰭と尾鰭。

「アンギャワーッ!」

グルグル旋回するアカギーギの中心に位置するガゥジーラは翻弄されるばかり。

左と思えば右!

前と思えば後ろ!

激しい荒波を立てて凄まじい速さで泳ぐ巨大キンメダイは大トカゲに体当たりを喰らわせる。

ドガッ!

勝ち誇った奇声を発するアカギーギ。

「チューチョローッ!」

ザッバーッ!

思った以上の速度と重量の衝撃にガゥジーラはひっくり返される。

再び海に潜る大キンメダイ。

「アンギャボボゴボボッ!」

アカギーギは隙を与えず二度目の体当たりを決行する!

だが、ガゥジーラが少々上手うわてだった。

息が苦しいように見せ掛け、接近する大キンメダイの真正面から火炎を放つ!

グボァーッ!

アカギーギは死角からの熱攻撃に鼻っ柱を焼かれ方向感覚を失なう。

更にガゥジーラは長い流木を拾うと竿の代わりにして右往左往するアカギーギをビシィッ!と一撃。

動きが鈍り、周囲をオロオロとふらつくアカギーギをガゥジーラは両手を上段に構え、真上から素早く取り抑える。

ガッシリと抱きかかえ捕獲。

ピチピチ尾鰭を大きく振って抵抗する大キンメダイだが逃げられない。

ガゥジーラはアカギーギを両腕で抱え込み、水平線の彼方にまで届きそうな勝利の雄叫びを上げる。

「アンギャオオオーッ」


勝敗を見届けた水越蒲生が食物連鎖の何たるかを知る。

「大漁!」

水越は腕を組み考える。

「やはり魚ではトカゲには勝てぬか。自然の摂理とは厳しいものよのう・・・」

隣にいた側近の一人が殿に告げる。

「金目鯛だけに、キンメティ(決め手)に欠けてましたね」

ぷっと笑う水越蒲生。

「そちは上手い事を言うのう・・・」



三田井汁之丞とトワ、法螺狗斎の三人は道行く人の大トカゲ情報を頼りに東海道を一路、江戸に登っていた。

「汁之丞殿! あれは! もしかしてあの一行は!」

老画家が声を弾ませる。

見ると、の~っそり~ の~っそり~ と歩く何やら大きな動物と一緒に役人たち十人ほどが江戸方面に向かっている。

灰色の体色に巨大な図体、太い四本脚、縮れた毛、長い鼻。

毛? 鼻? そう、まごうことなきエレフアントである。

だが、エレフアントなるものを知ろうはずもない汁之丞一行。

それなりにワクワクしてきた模様。

法螺狗斎が小躍りする。

「巨大な生き物を引き連れておりますな! もしやアレが噂の!?」

「ええ。大トカゲではないかしら?!」

トワも内心ワクワクしてきた。

三人は役人たちに追い付き、その大きな動物をまじまじと眺める・・・。

「これが・・・大トカゲ!」

汁之丞は目を輝かせ大興奮。

「一見トカゲには見えませぬが、これは珍妙じゃな!」

法螺狗斎も紙と筆を取り出し絵を描き始めた。

「・・・汁之丞様? 珍しくはありますがトワが想像していたのと違います」

侍と絵描きのワクワクに対し、次第に首を傾げ始めるトワ。

「何を言うトワ。想像していたものと違うからこそ楽しいのではないか!」

「その通りですじゃ!」

汁之丞と法螺狗斎は満足らしい。

近付いてきた三人に役人が笑いながら解説をする。

「ガッハッハ! 驚いたであろう! こちらはの、徳川綱吉様が呼び寄せられた、南蛮渡来のエレフアントなる巨大珍獣じゃ。見事であろう! ガッハッハッハッ!」

法螺狗斎の筆が止まる。

「・・・はい?」

「お、お役人殿、こ、これは大トカゲではござらぬのですか・・・?」

汁之丞がちょっと困惑気味。

「いやいやトカゲなどではない。エレフアントなる歴とした動物。南蛮の獣である!」

「ほら! 違うじゃありませんか!」

トワが納得する。

「・・・いやしかし、これはこれで珍しい!」

それでも汁之丞は嬉しそう。

法螺狗斎も再び筆を進める。

困った笑顔で夫と絵描きに向けるトワ。

その時、エレフアントが鼻を高々と挙げ、ひと鳴き。

「パオーン!」



下田。

山頂の向こうから突然、ガゥジーラが「ぬっ」と顔を出す。

水越蒲生と家臣らが油断し、笑っている間についにガゥジーラが上陸してしまったのだ!

「アンギャオーッ!」

いきなりの来襲に気付き、その場にいた全員が大慌て。

「出たあッ!」

「大トカゲが来たぞッ!」

「下田だけに、しもぅた(下田)!」

「そ、そちは上手い事を言うのう!」

水越蒲生を始め、部下の奉行所役人、見物人、地元民たち、数百人の誰もが蜘蛛の子を散らすが如く必死に退避するしかない。


ガゥジーラがどんどん内陸に入り込んでくる。

漁村の船や家屋を踏み潰し、その度に大地が激しく揺れる。

「アンギャーオーアーッ!」


カン! カン! カン!

カン! カン! カン!

伊豆半島に半鐘が鳴り響き、人間の群れが悲鳴を上げ逃げ惑う。

「キャーッ!」

「うわーっ!」

「逃げろ逃げろ!」

「助けてくれぇっ!」

ドッズーン!

ドッズーン!

足音が大地を揺るがす。

こうなると、もう誰もガゥジーラを止められない。

「アンギャーオーアーッ!」

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