第六章 大凧吊り上げ大作戦
犬公方が下田に到着するが、時既に遅く、大トカゲは漁村を破壊し尽くしたあとであった。
「しまった・・・! 先ずは偵察がてら大トカゲを一目見るつもりだったが、まさかこんな事態になろうとは・・・。余の思慮が浅かった・・・」
下田を見下ろす小高い丘の上で、和犬仮面の被り物を脱ぎつつ後悔の念が頭をもたげる。
と同時に徐々に疑問が湧いてくる。
「しかし不可解な・・・。何時の間に大トカゲと擦れ違ったのか・・・」
振り返り山肌を見渡す。
「江戸から南下してきた余に対し、大トカゲは北上したはずだか・・・」
山から海へと目を移す。
見下ろすと浜に所々立ち上る火事の黒煙、破壊された家屋や船、呆然と立ち尽くす人々・・・。
眼下の惨状に、はたと現実に戻る。
「いや。兎に角、今は下田の復興が第一だ!」
今は考え込み、悔いている暇などない。
馬を降り、手紙をしたため、傍らに居た一頭の犬の首輪に結ぶ。
「犬壱号、
「ワン!」
夏日をものともせず、薄茶色の柴犬が江戸城へと風の如く駆ける。
こちらは大トカゲを追って先を急ぐ三田井汁之丞一行。
「エレフアントに気を取られ、めっきり遅れてしまいましたな」
法螺狗斎が反省する。
トワは早足で歩きつつ、噂の心配を口にする。
「下田が大トカゲ襲来の被害で大変だと、さっきの旅人様が話して下さいましたが・・・」
汁之丞が妻の言葉に大きく頷く。
「うん。物見雄山、面白半分の興味だけでは良くない気がしてきた。いや、それどころか人に仇なすとなるならば・・・」
早歩きで進みながら腰の刀に手を置く。
「汁之丞様、まさか大トカゲと戦うおつもりですか?」
急に足を止める汁之丞に合わせてトワと法螺狗斎も立ち止まる。
「まさか! 私の刀の技量などで勝てようはずもない!」
「そうです。絶対に秘剣の技を使うのはおやめ下さいませ・・・」
汗を拭いつつ、再びセカセカと歩き始める三人。
老絵師はトワの言った「秘剣の技」に引っ掛かりを感じるが・・・。
夏の激しい太陽が地面と草花をじりじりと焼く。
ザッザッザッザッ・・・。
陽炎の街道をガッチリ厚手の草鞋が次々に踏み締める。
草鞋の主は道端の黄色い花を散らしつつ速足で歩く虚無僧たち七人衆。
ザッザッザッザッ・・・。
法螺狗斎と三田井汁之丞が自分たちの右隣を追い抜いていく七人の虚無僧衆にただならぬ殺気を感じ取るが、あえて口には出さない。
無言で目を合わせる老絵師と侍。
彼の妻は特に気にする事もなく手拭いで額の汗を押さえながらやや先を歩いている。
汁之丞たち三人を気にも留めず、明らかに尋常ではない足の素早さで七人の虚無僧は早々に立ち去る。
「・・・ふぅ」
汁之丞と法螺狗斎が深く息を吐き緊張を解く。
二人は互いに目配せするとトワに追い付き、再び旅路を急ぐ。
「水越蒲生、ご苦労であるな」
村人と共に崩れた家屋の片付けを行なっている下田城主に声を掛けてくる者がいる。
蒲生が振り返って驚く。
「こ、これは上様!」
慌てて瓦礫をその場に置き、膝間付いて頭を下げる。
周囲にいた奉行所の役人や村人たちも徳川綱吉に頭を深く下げる。
「よいよい。皆の者、頭を上げてくれ」
水越の方に向き直る。
「
被災した辺りを見回し、心を痛める綱吉。
「勿体ないお言葉。はい。上様の仰いますように、まさに突然の不幸な出来事。・・・ですが、被害に遭ったのは村外れの廃屋が五棟と廃船予定の漁船二艘だけ、それに死者や怪我人が一名も出なかった事が幸いで御座います」
「うむ。不幸な出来事であるがそれは良かった。本当に良かった。今、江戸からも復興作業の為に人足衆がこちらに向かっておる故、そち等も無理せぬようにな」
「重ね重ね温かいお心遣い、誠に有り難う御座います」
「ところで蒲生、少々そちに尋ねたい。大トカゲとやら、姿が見当たらぬが一体どこへ行った?」
下田城主が目撃した者からの情報を伝える。
「はい。あの大トカゲめ、
「何と! 地中だと!?」
暗い地底深く、ガゥジーラが地下を掘り進む。
両手を進行方向にかざし、鋭い爪で土を掘る。
硬い岩は火炎で溶かし破壊する。
両足と尾が削った土砂を後ろへ送り、ガゥジーラは土中の穴を掘り進む。
ゴゴゴゴゴゴ・・・。
「暑い日にゃ~ やっぱりこれが一番だなぁ~。いただきま・・・ ありゃ?」
地上の町。
とある店先で冷えた
食卓の心太の器がぶるぶる・がたがたと小刻みに揺れる。
「何だぁ~? 地震かぁ~?」
歩いていると意識できないが、座っている何人かが微震を感知する。
「ん? 地震?」
「気のせいだろ」
そうして各地で順々に小さな地震が確認される。
その微妙な震動は北へ北へと移動しているのだ。
遥か北方の東北地方。
陸奥は八戸城、城主・
「三、四日前、上方辺りから大トカゲが現れたらしいべ。オイの予想じゃと江戸さぁ越え、北に北に上ってぇ、いずれはぁここ陸奥にも間違ぇなく来るべぇな」
「殿、我らもまさにそう思いまする!」
八名の家臣らも正座のまま城主にズズイと近付いて同意する。
「うんむ。ほんで、じゃ。オイと策士・
山道の裏街道。
汁之丞が行商人と話しを終え、こちらに小走りで戻ってくる。
「大トカゲは既に伊豆、相模にはいないそうです」
「また出遅れましたな」
絵描きが残念がる。
「それで汁之丞様、私達は今からどうすれば?」
トワの問いに腕を組んで考える汁之丞。
「・・・う~ん。そうだな・・・大トカゲは行方不明らしいし・・・。さて・・・どうしたものか・・・」
溜め息を一つ吐いて腕組みを解く。
「法螺狗斎殿はどう思われます?」
「難しい質問ですな」
御老体が暫し考える。
「大トカゲは
絵師は己の額を小突きつつ予想している。
「大トカゲは暑がりなのかしら?」
そこにトワが一言。
「あ、なるほど。涼しい所にか・・・。トワさん、そりゃ分かり易い良い指摘じゃ。ならば、姿を隠したとなると海」
「海?」
汁之丞が復唱する。
「・・・しかし海ならば移動中に人間に目撃もされようはず・・・。となると残るは・・・、地下」
「地下!」
法螺狗斎と汁之丞の声が「地下」で重なる。
三田井の妻が驚く。
「地下ですって? つまり土の中なのですか!?」
汁之丞が答える。
「うん。可能性は多いにあるよ。何せトカゲなんだから」
法螺狗斎が推理を続ける。
「大トカゲは地下を北へ北へ進んでおるはず。だとすれば・・・次の硬い岩盤、奴にとっての難所は筑波山辺り・・・そこで地上に姿を現すやも」
「筑波山か!」
ここで法螺狗斎が一捻り策を練る。
「しかしわしらは更にその先に参りましょう・・・!」
トワが口を尖らせる。
「それなら
筑波山の
田畑の土埃の中から出現したのは、やはり大怪獣ガゥジーラだ!
「アンギャオアーッ!」
「はうあっ! 大トカゲが出たっぺえっ!」
「おっ
お百姓たちが逃げ惑う中、村を見守るお地蔵さんが震動で倒れる。
なんて罰当たりな!
「上様から報せのあった大トカゲがよ。ついに我等が領地に来おったっぺよ!」
ここは江戸の遥か北、常陸の水戸城。
城主・
準備は万端。
知恵者・庄左衛門による空前絶後の作戦が、奉行所役人や民の代表者らに伝えられる。
「でっかい大凧を揚げてよ、大トカゲを荒縄で引っ掛けて、持ち上げて、海の果てに捨てっぺぇよ!」
軍師の
「さあ! 筑波山へ急ぐのだ! 行け! 行け!」
その名も、『大凧吊り上げ大作戦』!
水面には逆さまに揺れ映る大トカゲ。
鷺の群れが驚いて飛び立った。
バッサバサバサ。
筑波山の南東の湿地帯を悠々とガゥジーラは横切る。
「皆の者、配置に付け!」
大トカゲの行く先に、風を味方にした凧揚げ職人を筆頭に役人や村人町人たち、百八十人が畳二百五十枚分もの超巨大凧を手順に従い揚げ始める。
「ここが正念場ぞ! 気合いを入れていけ!」
凧揚げ名人、
「た~こ~た~こ~ あ~がれ~!」
遠く見守る民衆からは誰からともなく気合いが込められた歌声が上がる。
運良く大きめの強風が吹き、畳二百五十枚分の巨大凧が豪快に大空に舞い上がる。
引き手たち百八十人が引き綱を引き、足を踏ん張る。
バサバサと風を受ける重たい音が鳴り渡り、凧が舞い上がる。
グングン地上から離れていく巨大な大凧。
描かれた文字は「
やがて巨大凧は大トカゲの背後から、真上で留まる。
そうして、太い荒縄で紡がれた輪縄を静かにスルスルと降ろしていく。
ガゥジーラは何も気付いていない。
「ガルルルル・・・」
妙な静けさに辺りを警戒し、見回す大トカゲ。
遠眼鏡を覗く役人が指示を下す。
「
引き手たちが縄を巧みに操り凧を移動させる。
「位置良し!」
「縄を降ろせ!」
大凧から降下した首吊り結びの輪っかが更にガゥジーラの頭を過ぎ、肩の下にまでスルスルと降りてくる。
ふいに触れる荒縄。
大トカゲは異変に気付くが・・・!
「今だ! 輪縄を絞めろ!」
大トカゲは自分の腰辺りに縄が架けられた事をやっと理解する。
が、遅かった!
ビュウウウーッ!
「風が来た! 凧を揚げろ!」
次の瞬間!
輪縄が大トカゲの胴体をぎゅっと括って縛り、ほぼ同時に大空へと持ち上げた!
「おおーっ!」
「やったっぺ!」
観衆から作戦成功の歓声が沸き立つ。
手足をバタバタさせた大トカゲがぐんぐん空へと持ち上がる!
激しい風が吹き荒れ周辺の樹々を舞い踊らす。
馬上の水戸城主・五条庄左衛門も拳を握る。
「よぉし!」
引き手指導の古谷甚五郎が引き手衆に合図を出す。
「手を放せ!」
巨大凧は人間の束縛から解放される。
ガゥジーラは吊るされたまま、強風に流されて海へと連れ拐われる。
大空を背に大トカゲが全身を捻りジタバタ暴れるが、強靭に組み上げられた大凧はびくともせず気紛れな飛行を続行する。
「アンギャー・・・ アンギャー・・・」
巨大凧にぶら下がったガゥジーラの姿と鳴き声が空の彼方へ、空の果てへと次第に小さくなっていく。
「やったべ!」
「見事成功じゃ!」
凧揚げ要員と観衆から安堵の歓声が起きる。
半時ほどのち、筑波山からの風に流されたガゥジーラは大凧もろとも大海原に着水する。
ドッバァーンッ!
こうして人間の叡智と大自然の
因みに、この大凧作戦での大トカゲの姿は、当時の建築物の低さ故に江戸からも地平線の彼方、遠くに見る事が出来たそうである。
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