第15話


         ※


「まずお話したいのは、ジュリという存在が何者なのか? その答えです」


 僕を含め、四人の水族館職員がごくり、と唾を飲んだ。

 

「我々防衛省では、自衛隊発足時から生物兵器の開発にあたっていました。しかしそれは、病気の感染を促進するようなバイオテロに用いられるモデルではありません。一言で言えば、常軌を逸した生物――怪獣です」

「か、怪獣……」

「そうです、花宮さん。特殊能力や強靭な肉体を有する動物です」


 この時点で、花宮は既に涙目だった。それはそうだ。先日、刑事二人を追い返した時のジュリの姿を思い返してみれば、皆恐怖に捕らわれてしまうだろう。

 しかし、と言って、優太郎は話を続ける。


「ヒントは進化の方向ではなく、退化の結果、すなわち古代の生物にあったのです。彼らの出生は分かっていません。大古に地球にやって来た知的生命体だと言う者がいれば、超古代文明が生み出した魔獣なのだと言う者もいます。共通しているのは、遥か昔から地球環境に順応してきた、ということだけです」


 すると、どもりながらも谷木が反論を試みる。


「なっ、ななっ、なんの、証拠があっ、あるってんだよ?」

「ありません。だから捜索や研究、それに想像力を駆使する必要があるのです」


 谷木の指摘は、優太郎にバッサリ斬り捨てられた。


「それでも、怪獣の元となる生物がずっと昔から地球に住み着いているのは事実です。ほとんど進化を経ていない生物の特徴を多数有していますから。半ば不老不死なのではないかと言われているベニクラゲなどは、その筆頭と言えるでしょう。だから我々は、特殊な光学技術を用いて捜索し続けたのです。世界中の海にいるベニクラゲや、それに類する生物たちを」


 そんな凄まじい捜索活動を行っていたというのか? 日本という一つの国家の、ほんの一部の組織で? 


「あり得ない……。予算も人員も、足りないなんてもんじゃない! 国家が転覆してもおかしくないレベルだぞ、優太郎!」


 僕がそう言うと、優太郎は軽く手を掲げた。


「もちろん、当初からこれは無謀な計画だと思われていました。誰もがこの計画を、机上の空論と決めつけて理解を拒みました。人工衛星なんてものが発明される以前はね」

「まさか……」

「そうだ、凪人。覚えがあるだろう? 四年前の春、稼働中の気象人工衛星に対する同時ハッキング。あれは、三〇〇秒以内に世界中の海洋を我々の光学技術でスキャンし、どこに『大古のベニクラゲ』がいるかを調査するものだったんだ。そうしたら驚いたことに、お前がバイトをしている水族館にいるじゃないか! いったいどれほどの確率だろうな? 捜索班の全員が、あまりのショックで気を失いかけたよ。いや、実際気絶したスタッフもいたらしい」


 優太郎の瞳は、水晶のように輝いていた。こいつのこんな目を見るのは、いったい何年ぶりだろうか。

 僕たちが絶句しているのにも構わず、優太郎は話の最終段階に入った。


「大川嶺子・警備室長、以上が、我々があなた方に提示できる情報の全てです。現在この水族館は、自分の部下たちが完全に包囲しています。もちろん、武装した上でね」

「あんたらは……!」


 ギリッ、と奥歯を削らせる室長。結局、状況は好転しなかったのだ。


「数名の人員を、あなた方お一人ずつに護衛として就かせます。同時に、ベニクラゲの個体ごとの捕獲も。皆さんは、安心してお帰りいただいて構いません。後のことは我々に――」


 と言いかけて、優太郎は言葉を切った。いや、続けられなくなった。

 当然だ。突然胸から細い刃のようなものが飛び出してきたのだから。


         ※


「あ……?」


 全員の視線が、優太郎の腹部に集中する。その間しばらく、誰もが言葉を発声するための過程を忘れ去っていた。

 最初に我に返ったのは、優太郎だった。既に流血で足元は真っ赤、加えて激痛が全身に走っているはず。


「ゆ、優太郎……?」

「……」

「優太郎!!」


 僕もまた我に返ったものの、目の前の光景に、呼吸するどころではなくなっていた。

 ばちゃり、と両足を床につく優太郎。と同時に、前のめりに倒れ込みながら吐血した。

 谷木は後退り、花宮は悲鳴を上げ、大川室長は二人を自分の背後に隠すように身を乗り出した。


 その間僕はと言えば、半ばパニックで考えていた。串刺し状態の優太郎をどうすべきなのか。

 早くこいつを救出しなければ。かといって、背中から腹部へと優太郎を貫通した鞭だか触手だかをどうすべきか分からない。

 引き抜くか? いや、そうしたら余計に出血がひどくなってしまう。


 しかし、僕が手を下すほどのことではなかった。触手が優太郎の身体から引き抜かれ、するすると引っ込んでいったのだ。警備員室の扉は呆気なく貫通されていた模様。

 その先を見ていると、扉を蹴り破るようにして彼女が――ジュリが入ってきた。


(しゃべりすぎだよ、交渉人さん)

「ジュリ、これ、君が……?」


 この時、僕の顔はひどく引き攣っていたことだろう。だがお構いなしで、ジュリは自然な笑みを浮かべ、こう言った。


(そうだよ、凪人くん。私がやったの。もし話し合いが長引けば、それだけ皆も危険になるからね)

「それって、まさか……」

(武器を持った人たちに襲われてた、ってこと)


 ジュリはゆっくりと警備員室に入ってきた。裸足なのか、ぺたん、ぺたんと音がする。


「で、でも、逆になっちゃうよ! 僕たちに護衛をつけるって……」

(まさか。藤野優太郎の計画では、護衛じゃなくて鎖だよ。四人全員の居場所をすぐに把握して、場合によっては拉致、監禁を行う。身に危険が迫っている、って言いながらね。それに反発する者が出た場合、その場で即射殺っていう命令も出ていた)

「それを、優太郎が全部……?」

(上層部の圧力もあっただろうとは思うけれどね)


 いつになく饒舌なジュリ。どうやら優太郎の頭から、かなり多くの情報を仕入れたらしい。

 

「そ、それで、僕たちはどうすればいいんだ?」

(私が一人二役を担当する)


 そうジュリが言い切ると、彼女の身体が縦にばっさりと切り裂かれた。


「うわあっ! う、うあ、ひっ!」


 僕もまた距離を取って、大川室長の陰に入った。


(大丈夫。私たちは分裂して増殖するから、それを行っただけ)


 行った『だけ』って……。簡単に言い過ぎだろう、それは。


(私が自衛隊を引きつけるから、あなたたち四人は逃げて。その間に、こっちの分裂した後の方の私が――)

(そう、皆から見て左に立っている私が、この施設の電源設備や近所の変電所を破壊する。そうすれば、自衛隊の作戦進行を遅らせることができる)


 僕はすぐさまメリット、デメリットを把握しようとしたが、そんな暇は与えられなかった。


《藤野? 藤野三佐! 応答してください! あと三十秒間応答がなければ、陸戦部隊を突入させます!》


 優太郎の所持していた無線機から、虚しい声がこだまする。当然、死体は喋らない。


(じゃあ、あなたは裏口から先に出て。そのままこの街の変電所を破壊して)

(了解。あなたは四人の警護を)

(もちろん)


 同じ顔の人物が、同じトーンの声で、目を合わせながら会話をする。

 随分と奇妙な光景だが、こればかりは現実として受け止めなければ。


 片方のジュリが廊下に出て、裏口へ走っていく。すると、突然銃声が響き渡った。

 予想よりも小さい音で、連続で弾丸を発している。消音器をつけた短自動小銃だろうか。

 ばらばらと吐き出された薬莢が、床に当たって鋭利な音を立てる。


(ちょっと待ってて)


 警護役のジュリはそう言って、そっと廊下に顔を覗かせた。敵は弾倉の交換でもしているのか、僅かだが弾雨が弱まる。

 すると、今だ、という声と共に、ジュリは廊下に飛び出した。

 僕も一緒に上半身を乗り出す。


 ジュリの有する触手は、頭部ではなく腕部が変形する形になっていた。

 ピシッ、と音を立てて、触手の一本一本が空を斬り、弾丸を弾き、天井に無数の切り込みを入れていく。


 自衛隊が慌てて身を引いた、その直後。

 どごん、とも、がらん、とも表現できない轟音を立てて、天井が崩落してきた。

 それも、欠片の一片などではない。瓦礫の山を創るべく、天井からコンクリート片が降り注いだのだ。


(これで、正面玄関は封鎖できる。私たちも早く裏口へ!)

「了解!」


 こうして、想像し得なかった規模の戦闘が幕を開けた。

 同時に、ここから先は『僕たちを脱出させようとしているジュリ』の脳を経由して、『戦闘中の自衛隊員』の視線から戦況を示したものだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る