第13話


         ※


 店内に入ると、右手にカウンター席、左手に丸テーブルの席が並んでいた。

 外観から見た時よりも、随分広い印象だ。建物自体は新しくはなく、特に洒落ているわけではないが、極めて衛生的だ。それに、ほっと息をつけるような安心感がある。


 天井は、灯台を模しているだけあって非常に高い。ところどころに明り取りの丸い窓があって、夜間にもかかわらず光を取り入れている。これって、夜空を切り取っているのだろうか。


「いらっしゃいませ」


 その声に、僕は顔を正面に戻した。その視線の先のバーカウンターには、グラスをゆっくりと磨く初老の男性が一人。この店のマスターなのだろう。

 他に従業員らしき人影はない。客の姿も見えない。


 僕が入口でぼんやりしていると、優太郎が背中の真ん中を指で突いてきた。

 半ば僕をどかすようにして、悠々と入店していく。


「おや、こんな遅くに珍しいですな、優太郎様」

「ああ、今日はこの店を友人にも紹介しようと思いましてね」

「それはそれは」


 穏やかな笑みを向けるマスター。しかし僕は、その顔に僅かな違和感を覚えた。

 敵意や憎悪などではないが、何というか、心配や気遣いといった感じだ。


「さあ、奥の方に行こうぜ」


 優太郎はポケットに手を突っ込んだまま、ずんずん進んでいく。

 奥の席って、常連さんとかが座るものじゃないのか? 

 ふと心配になったものの、やはり他の客がいないから大丈夫だろう。そう自分に言い聞かせた。


         ※


 僕たちは二~三人前の、海鮮サラダのスパゲティを注文。きちんとした飲食店に入って、静かに外食をするのは久々だ。


「いいお店だね、優太郎。最初はどんな店に連れて行かれるか、不安だったけど」

「ひでぇこと言いやがるな、ダチだろうが」

「はいはい、失礼致しました」


 きっとこの店の内装のお陰だろう、僕は徐々に落ち着きを取り戻しつつあった。


「失礼致します」


 マスターが丁寧に出してくれたのは、濃いめのオレンジジュースとジントニックだ。

 初めは僕も飲酒は避けようと思ったのだが、久々に酔いたくなった。緊張がほぐれたようだ。


 優太郎の真似をして、僕もちびちびと舐めるようにしてジントニックを味わう。

 そうか。優太郎の狙いは僕の悩みを聞くことではない。そうではなくて、単純に僕の気分転換を手伝うことだったのだ。

 素直に感謝すればいいのだろうが、今はまだ話さなくてもいいだろう。優太郎はジュリのことを把握している。僕が話したくなったタイミングで、ジュリの話をすればいい。


 そんな僕の読みは、ものの見事に外れた。

ちょうど半分ほど飲んだあたりで、優太郎がスマホを取り出した。


「凪人、この動画を見てくれるか」

「ん? お前の新しい彼女さんか?」

「真面目な話だ」


 やや語気を荒げた優太郎を前に、僕は自分の頬を叩いた。できるだけ素面にならなければ。そうでなければ、『真面目な話』をするという優太郎に申し訳ない。


「悪い、もう一度スマホ、見せてくれるか?」

「ああ」


 すると、優太郎の表情ががらりと変わった。まるで、苦虫を嚙み潰したような顔だ。僕から顔を逸らしている。

 同時に彼は、マスターを呼んで何某かの手振りをした。ハンドサイン、というべきか。

 マスターはカウンター奥の、スタッフ用のドアの向こうへと去っていく。その様子を見ていた僕は、慌てて視線を優太郎のスマホに戻した。そして、思わず立ち上がった。


「み、皆……!」


 スマホに映っていたのは画像ではなく映像だった。時刻表示からするに、リアルタイムで中継されている。

 映っているのは、大川嶺子室長と谷木耕助、それに花宮絵梨の三人。いや、それだけではない。三人を中心にして囲んでいる連中がいる。


「こ、これ、あの、いや、室長たちは無事か? 三人ともどうして……? そ、それに、三人を囲んでる連中は何なんだ?」

「……落ち着け、凪人。三人は無事だ。身柄を拘束させてもらってはいるが、あらゆる火器の使用は禁止されている。彼ら三人も、そのあたりの事情は汲んでくれたらしい」

「らしい、って……」


 妙に落ち着き払った優太郎の態度に、僕は余計に脳みそを刻まれていくような気がした。

 

「僕は実際に撃たれたんだ! 傷はもう残ってないけど、それはジュリが治療を――。って、まさか……!」

「悪いな、凪人」


 優太郎がそう呟くと、まさにこの機を狙ったようなタイミングで赤色灯が灯り出した。

 窓の外から、赤い光が無数に飛び込んでくる。と同時に、ばん、という衝撃音が響く。

 振り返ると、仰々しい透明の盾を持った機動隊員が突入してくるところだった。


「お、おい、何なんだよ! 今日は何から何までわけが分からないよ!!」


 僕が喚き散らすのを見かねたのか、優太郎が僕の背後から腕を伸ばしてきた。


「放せよ優太郎! こいつら何なんだ? これもお前のシナリオなのか? 僕や皆が何をしたっていうんだよ!」


遅ればせながら、機動隊のいる方面から怒声が響いて来る。


「警察だ! 全員そこを動くな!」


 見れば分かる、目的は何だ。そう叫ぼうとしている間に、僕はよりがっちりと身を拘束されていた。頭から足までが動かせないのだ。


「藤野警部補! 標的をこちらへ!」


 藤野警部補? って、優太郎のことなのか?


「少し待ってくれ」


 優太郎はゆっくりと僕の片手を解放し、何かを押しつけた。

 本物の警察手帳だった。

 事態の深刻さを再認識させられた僕の態度に、優太郎はこくり、と頷いて見せる。

 そして微かな声でこう言った。――目を閉じてろ。


 僕がそれに従うと、優太郎は目にもとまらぬ速さで自分の脇腹に手を遣った。そこに握られていたのは、小振りの球体。まさか、これが手榴弾というやつなのか?


「藤野警部補! どうなさったんですか?」

「下がれ。失明したくなければ、なっ!」


 店の奥から入口にかけて、球体は飛んでいく。僕は慌てて目を閉じる。

 その直後、パン、と乾いた音がして、瞼の裏側が真っ白になった。


「動くんじゃねえぞ、凪人! お前の安全は俺が保証する!」

 

 という優太郎と歩調を合わせ、僕は混乱しつつもゆっくり引き下がる。

 こっちだ、と声をかけられ、後は為されるがまま。優太郎の目的が何であれ、今は彼の方を信じよう。

 転ばないようにだけ気をつけながら、僕は優太郎に引っ張られていった。ギイッ、という軋む音は、扉を開けるところのようだ。


 ようやく目を開くと、いつの間にか僕と優太郎は暗い部屋にいた。マスターが引っ込んでいった扉の向こう側だ。

 僕は目元を拭いながら、暗さに目を慣らそうと瞬きを繰り返す。


「時間がない。行くぞ」


 僕を解放した優太郎は、今度は右腕を差し伸べてきた。


「質問は後だ。今は逃げるぞ」


 その時の、今まで見たことのないような厳しい優太郎の顔を、僕は一生忘れはしないだろう。


         ※


「うわあっ! はあ、はあ、はあ……」


滑り込んだ先で、僕はまた尻餅をついた。そこは厨房のようだったが、それにしては酷く不衛生で廃れている。ここは恐らく、緊急脱出口か何かなのだろう。


「凪人、怪我はないか? 目は見えるんだろうな?」


 僕は呻くように、ああ、と一言。


「よし、着いて来てくれ」

「い、いや、それよりも!」


 慌てて腕を伸ばし、僕は優太郎のシャツの端を引っ掴む。


「さ、さっきの機動隊は何する気だったんだ? 僕が何かしたのか? それともお前が――」


 と言いかけて、僕の言葉は続行不能となった。優太郎が、振り返って僕の顎を片手でがっしりと固定してしまったからだ。


「一度だけ教えてやる。俺は防衛省の非公開組織、諜報部の人間だ。今は警視庁公安局と、ジュリに関する情報の奪い合いをしている。今日の12:59に、ジュリの捕縛命令が出た。だから俺は、ジュリと最も親交のあるお前を利用するために電話をしようとしていたんだ」


 僕は最早、声を出すことさえできなかった。

 優太郎の様子があまりにも淡々としていて、僕は騒ぎ出すことすらできない。


「ひとまず脱出するぞ」


 そう言って、足早に厨房の奥へと進んでいってしまう。

 どこまで逃げればいいのかと、尋ねられたらよかった。しかし、今の優太郎は優太郎ではない。一人の兵士のような存在なのだ。


 僕は結局、優太郎が足を止めるまで黙っていなければならなかった。

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