第12話【第三章】
【第三章】
翌日。
寝つけなかった僕は、結局一睡もできずに自室で目を覚ました。枕の横でスマホが鳴り始める。電子音の種類から、僕はこれを起床用のアラームだと判断。礼を尽くすべき相手ではない。
「うるせえよ、馬鹿」
僕はアラームを停止させ、再び思索にふけることにした。
とはいうものの、考えるべき項目が多すぎて手の打ちようがない。どうしたものか。
最も重要度が高いのは、昨日の負傷が僕の生命にどれほどの影響を与えたのか、ということ。
僕を傷つけたのは、三十八口径リボルバーの弾丸だという。狙いさえ正確なら、十分人間を殺害できる。
だが今のところ、左脇腹あたりの銃創が痛むようなことはない。念入りに包帯が巻かれているが、薬品臭いことを除けば問題ない。自由に動き回ることができる。
そういえば、昨日病院に搬送された僕には大川室長が同伴してくれていたな。
救急車の中で彼女は、僕にこう言った。ジュリが魔法をかけてくれたから大丈夫だ、と。
一度聞かされただけで信用できる事柄ではない。だがジュリの変身能力から察するに、一概にあり得ない、と捨て置くのはもったいない仮説だ。
ジュリがこの水族館にいつ、どこから、どうやって侵入したのかは分からない。だが、その日から彼女はずっと人間を観察してきたのだ。人間の身体構造など、最早お見通しだろう。
だからこそ、僕の処置にすぐさま応じられたのではないだろうか。
「だから擬態も楽勝、ってわけか……」
だからこそ、撃たれた時の俺に対して、適切な回復魔法? 魔術? みたいなものをかけることができたのだろう。
僕はゆっくりと立ち上がり、被弾箇所に痛みがないのを確認した。エアコンをつけ、部屋中央に置かれた低いテーブルの前に座り込む。その上にあるノートパソコンを起動させ、我らが池ヶ崎水族館の現状を把握する。
大川室長は僕に一週間の有給を与えると言ったけれど、流石に昨日の今日で開館できるはずが――。
「んぐっ!?」
水族館のホームページを見て、僕は飲み物を口に含んだまま悲鳴を上げかけた。
おいおい、大丈夫なのか? 確かに、可能な限りの対策は立てられたのだろう。かといって、なんの気兼ねもなく開館してしまうとは……。
上層部による現場への嫌がらせなのか? そんな馬鹿げた妄想が湧いてきてしまうくらい、安易な行動ではないか。
今の僕には、何かあったみたいだ、としか言えない。というか考えられない。
非科学的ではあるが、もしかして日本にあまた存在する都市伝説の類だったりして。
「でも、その対象がクラゲ少女っていうのは……」
パッとしないな。
ぶつぶつ独り言を述べながら、僕は冷蔵庫を開けた。食べられるものは乏しいな。奮発して購入したちょっぴり高いボトルワインと、これまた渋い味わいの固形チーズが二、三切れ。
冷凍庫にはパスタが何種類か入っていた。今日は何味にしようか。ふむ……。
「ペペロンチーノかな」
ワインやチーズと一緒に食べるなら、カルボナーラとかは甘すぎる気がするし。
僕は耐熱皿の上に冷凍パスタを載せ、電子レンジに突っ込んだ。出力が弱いような気がするので、六〇〇ワットで五分加熱、ということにしておこう。
※
僕がパスタを口に運んでいると、再びスマホが鳴り出した。通話らしい。
「なんだよ、今は晩飯時だろうに……。もしもし?」
《おっと、ご機嫌斜めかな? 蒼樹凪人くん?》
「なんだ、優太郎か」
《なんだ、とは何だよ。ま、いいや。今から出てこられるか?》
振り返って時計を見ると、既に午後五時を回っていた。時間の経過があっという間だな。
それだけ僕は一生懸命考えていた、ということか。
「了解。何か奢ってくれよ」
《任せろ。そういう店を想定している。もうすぐお前のマンションに着くから、そん時はもっかい通話入れるわ》
「分かった。よろしく頼む」
約十分後、優太郎は車でマンションの駐車場に滑り込んできた。
先に出て待っていた僕が見えたのか、連絡もなしにエントランス前方に停車する。
僕は車に詳しくないが、今日は随分と派手な車体だ。四人乗りの乗用車なのだが、黒を基調とした艶のある外観をしている。ところどころ丸みを帯びているのがアクセントになっているようだ。
「おう、待たせたか、凪人?」
「いや、僕もシャワーを浴びて出てきたくらいだ。ちょうどだったよ」
「そうか。んじゃ、少しばかり遠出になるが」
「大丈夫だ。お前がわざわざ車で来るっていうのは、そういうことだろ?」
そう言うと、優太郎は再び口元を歪め、ご明察、と一言。
「シートベルトは個人の判断で頼む」
やれやれ、以前からこんなことを言っていたな。
「嫌でもちゃんと締めるよ、シートベルトは。お前、僕だったら絶対締めると思って『個人の判断』なんて言ってるんだろ?」
「これまたご明察」
「かの藤野優太郎からの賛辞のお言葉、痛み入ります。で、時間的にはどのくらいかかるんだ?」
電子タバコを咥えながら、優太郎は答えた。
「ここからざっと四十分弱、ってところか。沿岸のシーフード店に行く」
どうせ僕は一週間の休みを貰っている。帰りが何時になろうが知ったこっちゃない。
優太郎は……まあ、上手くやるだろう。明日も大学院の講義に出席できるように。
「よし、行くぞ」
そう言って、優太郎は音楽を再生し始めた。一曲目は、ポール・モーリアの『オリーブの首飾り』。奇術師が手品を披露する際の曲として、多くの人々に認知されている。
「やっぱりいい曲だな」
「おや、凪人くんもようやく俺のセンスに追いついたか?」
「まあね」
笑みを深くする優太郎は、静かに、しかし巧みなドライビング技術を披露しながら海沿いのバイパスを目指した。
ここで一つ疑問がある。どうして今、話をしないのか? どうせ優太郎はそばにいるのだから、レストランの店内のみならず、車内で話してもいいじゃないか。
僕はそう告げようと思ったのだが、何故か言葉が出てこない。今日の優太郎は、なんというか……こちらに薄い壁というか、バリアのようなものを展開しているように感じられる。
「なっ、なな、なあ、優太郎?」
「どうした、凪人? どもりまくってるぞ」
「ああ、何でも、ない……」
あっそ、と軽い調子で呟いて、優太郎は電子煙草の二本目に取り掛かった。だいぶストレスにやられているのだろうか。
※
そのまま僕たちは、バイパスの上の車線に乗った。僕のマンションからはだいぶ離れ、海岸沿いにまで到達していた。ちなみに、いつからか車内BGMはクラシック、和楽器、映画のサントラと切り替わっていて、今は映画『ターミネーター』のオープニングテーマが流れている。
僕がぼんやりと窓の外を見つめていると、車は坂を下り始めた。穏やかな乗り心地がするのに気づいたのは、今まさにこの瞬間のこと。やっぱり僕のような凡人に、クラゲ少女の一件はあまりにも荷が勝ちすぎていたとしか言い様がない。
「なあ、凪人」
「……」
あ、今は僕が呼ばれたのか? どうしたんだ、と訊き返そうとしたら優太郎はお構いなしに語り出した。
「確認するけどな、お前は優秀だったろう? 中学でも高校でも」
「……優秀なんかじゃない。運が良かっただけだ」
「やめようぜ、おい。卑屈になるなよ。お前の謙遜はさんざん聞かされてきたんだ。正直、飽きるぜ」
「ああ、悪いな」
僕は肩を上下させながら、ふう、と溜息をついた。
※
車は僅かにドリフトし、小さな灯台を模した建物の前に停車した。駐車場が広くて助かった。でなければ、間違いなく接触事故を起こしていただろう。
「着いたぜ、相棒。今日の宴会場だ」
「相棒って何だよ優太郎……。僕はただのニートもどきだよ」
「今更シケたこと抜かすんじゃねえよ。ほら、さっさと降りろ!」
半ば突き放されるように、僕は助手席から降ろされた。
僅かながら、建物まで距離がある。海風が心地よく、悩みを吹き飛ばしてくれた。
と、言いたいのは山々だった。しかし、海を見ると否応なしにジュリのことが思い出されてしまう。
そっと右手を額に当ててみる。ぬるり、と嫌な汗が、手首から肘のあたりにまで流れていった。畜生、いったい何がどうなってるんだ……?
「凪人、大丈夫か?」
「……」
僕は顎をぐっと引いて、首肯したように見せかける。肩を支えてくれた優太郎がどれだけ僕の気持ちを理解してくれていたか、それは分からないけれど。
いや、優太郎自身にも分かっていなかったかもしれないな。
からんからん、という鈴の音がして、僕はようやく自分が店の前に立っていることに気づいた。
「帰りも俺が運転する。少しは酒でも飲んで、ぱーっとしてみろよ」
「ああ、悪いな……」
優太郎からの有難い申し出だったが、残念ながら手放しで喜べるわけではなかった。僕は下戸なのだ。
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