第11話
※
僕と谷木が盾に使ったデスク。その反対側を、とん、とんとリズムのいい足音を立てながら、ジュリが歩いていく。
焦りもせず、かといって慎重にもなりすぎずに、自分のペースで闊歩していく。
対照的に、刑事二人のものらしき足音は乱れまくっている。
動くな! だの、今は逃げましょう! だのと騒がしい。安物ホラー映画のモブキャラみたいだなと、どうでもいいことを考えた。
唐突に、ジュリの思いが伝わってきた。毎度お馴染みになりつつあるテレパシーだ。
(武器を捨てて、早くこの場から立ち去りなさい! でなければ、私はあなた方を殺害しなければなりません!)
この言い方はマズい。刑事たちを余計にパニックに陥れてしまう。
「に、日本語……?」
「丸山さん! きっとこいつ、僕たちの脳みそを覗いてるんです! 捜査状況を流出させられる前に、ここで始末を……!」
再び拳銃を取り出すルーキー。それを制すべきなのは当然ロートルだが、そっちはそっちでジュリの蛇に牽制されている。
このままでは、ルーキーが発砲してしまう。
「ジュリっ!!」
僕は叫びながら、上から迫りくる蛇を押し退け、ルーキーの腰にタックルを仕掛けた。
同時に響いた発砲音。狭い廊下で、その音はぐわんぐわんと反響した。同時に火薬臭さも感じられる。
拳銃自体は、すぐそこに放り出されていた。状況と反動にビビったルーキーが発砲したのは間違いない。
僕は自分や相手の負傷のことなど気にも留めずに、警備員室前で立ち尽くすジュリの方へと駆け寄った。
「ジュリ、大丈夫か? 怪我は? どこか痛くないのか!?」
すると、警備員室の入口からこっそり状況を見ていた花宮が割って入った。
「待ってください、凪人先輩! まずはご自分の身を心配してください!」
「ご、ご自分って……? 僕がどうかしたっていうのか?」
僕が喚き散らす前で、花宮は素早く指示を出した。
「凪人先輩の様子は、あたしとジュリちゃんに任せてください! 室長と耕助くんは、担架を持ってきて! ジュリちゃん、先輩をゆっくり寝かせるから、頭の方を持って頂戴!」
(……)
「ジュリちゃん? いったいどうし――きゃあっ!」
何が起こったのか? メデューサ形態を維持したままのジュリが、逃げ腰の警官二人に襲い掛かったのだ。
「ジュリ、止めるんだ……!」
威勢のなくなった声を絞り出す。だが、そんな僕の思いは通じなかった。
ルーキーが腰を抜かし、ロートルがそれを引っ張って退散しようとする。そんな警官二人に対し、ジュリは余裕綽々といった様子で立ち止まった。
ダンッ、と思いっきり足の裏を床面に叩きつけ、自らの身体を回転させる。同時に頭上の蛇たちが頭をもたげる。そこに遠心力が加わり、回転ドリルのようになって、蛇たちは刑事二人に突撃した。
その威力たるや、跳躍の寸前に床が陥没するほどのもの。ジュリも少しばかり本気になってしまったらしい。
メデューサの髪を巧みに使い、狭い廊下を縦横無尽に跳躍する。壁や天井を蹴りつけるのも、今の彼女にとっては簡単なこと。僕にはそう見えた。
そしてその先には、二人の刑事。僕はジュリに、これ以上の暴力は止めてくれと言いたかった。いや、言わなければならなかった。
それができなかったのは、純粋にショックを受けていたからだ。
看護系の大学に通っている花宮が、冷静に毅然とした振る舞いをしている。
警備服の腹部が破られるのを感じて、僕はそっと手を伸ばした。ぬるり、とした奇妙な感覚が指先に纏わりつく。
「傷に触れないで、先輩!」
「あ……」
この日本で、警官や自衛隊員でもないのに被弾してしまうとは。
「くそ……、ついてないな……」
そう呟いた矢先、僕の胸中は真っ暗、いや、真っ黒に染まり切ってしまった。不安とも苛立ちとも焦燥感とも取れる、黒い感情。自分の胃袋が内側から溶けていくような……。そんな気持ちだと言えるかもしれない。
しかし、そんな心境でジュリを見つめていることは不可能だった。
それよりも、刑事二人がジュリを引きつけている間こそがチャンスだ。気づいた時、僕は担架で水族館の裏口に運ばれていた。いつも通ってくる職員用出入口から外へ。
銃で撃たれるなんて、そんな経験したことはない。というより、あるはずがない。
それでも、自分が撃たれたのだと実感するのに根拠は十分だった。五感がどんどん鈍くなっていくのが分かるから。
結局、救急車のキャビンに乗せられて二、三本の注射を打たれた時点で、僕の記憶は一旦途切れることになる。
※
最初に機能復旧したのは、聴覚だった。
当然といえば当然だ。ベッドに寝かされた僕の足元の方で、誰かが怒号を上げている。
鬱陶しいということは否定できない。だがその声音には、一種の反骨精神というか、僕を撃った刑事に対する怒りが込められている。
本来は僕が抱くべきだった暗い感情を持っていてくれるのだから、こちらから非難する筋合いではない。
そんなことを考えながら目を開ける。どうやら僕のベッドは、カーテンで隔離されているらしい。誰かにそばにいてほしかったが……それでも生きていられたのだから、結果オーライというところだろうか。
「ちょっと、喧嘩は止めて! 凪人くんが起きちゃうでしょ?」
そうか、谷木と花宮が口論しているのを、大川室長が止めてくれたのか。
僕は一言、起きてますよ、と声をかけたかった。しかしそれは叶わない。あまりにも喉が渇きすぎている。
「……ッ」
とにかく、ジュリが無事かどうかを確認したい。
ええい、喉が上手く動かないなら、黙ってでも動かなければならない。
僕はゆっくりと、ベッドから足を下ろした。その場に置かれたスリッパに足を入れる。手摺に掴まりながら膝を曲げ、身体がバランスを保っていられるかを確認。――行ける。
「ジュリ! ジュリは無事なのか!?」
「ってうおあ! なっ、凪人先輩!」
「先輩! 目を覚ますなら、ちゃんと言ってからにしてくださいよぅ! 驚くじゃないですかぁ! ぐすんぐすん……」
……どこからツッコめばいいんだ、こいつら……。
「おっと、ようやく目を覚ましたみたいね。あたいらがどれほど心配したか、分かってる?」
おお、ちゃんと常識人がいるじゃないか。
「どうもすみません、大川室長。医師から何か言われてませんか?」
「意識が戻ったら報告してほしいんですって。もう一度軽い検査を受けるのに」
「そう、ですか。いや、僕のことはいいんです! ジュリはどうなりました? まさか、また警察が来てどこかに連れて行かれたんじゃ……!」
僕は前のめりになりながら、一気に言葉を並べ立てた。夢に出てきた『黒』が、瞼の裏に滲んで見える。
そんな僕の頭に手を載せながら、大丈夫よ、と室長が一言。
「彼女は今、水族館のクラゲコーナーで元気に泳いでるわ。ベニクラゲの水槽でよかったのよね?」
「は、はい……」
自分より背の低い異性に頭を撫でられるというのも、なかなか珍しいシチュエーションだな。
それはさておき。
僕ははっとした。まだまだ知りたいことは山積している。
「あの刑事さんたちはどうなったんです? ジュリのやつ、本気で怒ってたみたいですけど」
「ああ、あれね。ジュリちゃんが行ったのは、飽くまでもデモンストレーション。刑事二人を軽く痛めつけて、それからテレパシーを使ったの」
「テレパシー? なんのために?」
「刑事たちの記憶を操作して、今日あったことを忘れさせるためよ。凄い能力だわね……」
僕はようやく息をつくことができた。そのままひざまずく格好で、ぺたりと座り込む。
「凪人くん、あなたはしばらく休みなさい。有給扱いにしておくから」
「え? でも今は夏休みじゃないですか。皆さん絶対、通常より忙しいですよね?」
僕の懸念は、しかし大川室長によって即座にぶった斬られた。
「有給は一週間とします。異議は認めません! 以上!」
そう言うが早いか、室長は肩をいからせるようにして退室した。
僕と谷木、花宮の三人は、自分はどうするべきなのかを見失ってぼんやり相互に顔を見合わせた。
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