記録:蛟
モキュメンタリー:ドキュメンタリー映像を模したフィクションのジャンルの一つ。『モック』は疑似を意味する。
バッテリーの交換を行なう。再び立ち上がったビデオカメラが起動音とともに瞼を開け、濃い霧に覆われた町並みを映し出す。遠景には山の輪郭が見え、その前に煙突の長い影が
霞んだ路肩に停めた軽自動車のハザードランプが点滅し、傍らに立つ女性を映し出す。焦げ茶色のケープコートをダブルボタンで留め、ロングスカートの下には編み上げブーツを履いている。小柄な彼女は鹿撃ち帽の位置を直すと、
「来たわ、霧の都」
「地方の田舎町ね。昔は鉱業で栄えてたらしいよ」
相手にされず、むくれる女性。撮影者は構わず、手元にレンズを向ける。その手に握られた観光案内のガイドブックには、緑豊かな町の全景が写し出されていた。『
再びビデオカメラは町並みに目を向ける。深い霧に覆われた通りには、通行人の姿が見受けられない。
「随分と寂れてるね」
「田舎町だからでしょ。活気がある方がおかしいわ」
まだ不機嫌らしい。撮影者はビデオカメラを腕組みをする彼女に向けた。
「ほら、
「エイミーよ。ええっと、我々が今回訪れたのは、この県守町――鉱山労働者が集まって作られたとされる町。平和な町を突如として覆い隠した、白い霧の正体を暴くためです」
映美と呼ばれた女性は、咳払いとともに襟元のネクタイを締め直した。霧に包まれた町並みを背景に神妙な面持ちを作る。画面外から声が入った。
「それ、私たちより気象庁の仕事じゃない?」
「キョーコ、茶々を入れないで――我々オカルト研究会のメンバーは、これより霧の迷宮へ潜入を試みます。果たして、何人が生きて帰れるのか……」
「二人しかいないけどね」
「だから真面目にやってってば、もう」
両手を振り上げて抗議する映美に、撮影者は笑いながら謝る。誰かの小さな含み笑いが
「どうしたのよ、キョーコ」
真正面に戻すと、軽自動車のボンネットを挟んで向こう側にいた映美の顔面が間近にあった。両手を腰に当て、下から睨め上げている。ただ童顔であるため、どうしても迫力がない。
「近いよ。ただの気のせいだったみたい」
映美から距離を離す。バストショットで被写体を収めると、ケープコート姿の彼女はこちらを指差した。
「今度こそ目に物言わせてやるんだから。それじゃあ調査を始めるわよ」
「はいはい」
ブーツの
「今度はどこからネタを仕入れてきたの」
「ネットからよ。オカルト系の掲示板で噂になっているの。ある日突然霧に覆われたまま、晴れることのない町があるって。奇妙な影の目撃情報もあるそうよ」
「ネット、ね」
「きっと、現代に切り裂きジャックが蘇ったんだわ。あたしたちの出番だと思わない?」
「警察の仕事だと思うよ」
それにしても、とビデオカメラを正面に向ける。二人はしばらく通りを歩いた。やはり通行人に出くわすことはなく、町角にあるガソリンスタンドのキャノピーの下には、給油ノズルが繋がれたままの無人の車が停められていた。サービスルームの中にも店員の姿は見受けられない。
「寂れてるというより、全く人がいないわ。まるで」
神隠しだ。その言葉を呑みこんだ。
「セルフスタンドなのかな。後で給油しようかしら」
状況の不自然さにも関わらず、映美は呑気だった。ビデオカメラのマイクは小さなため息を拾う。
やがて裏山を背負った地元の小学校を通りかかった。大時計が時を刻む校舎の前には校庭があり、朝礼台が設置されていた。白線が引かれたトラックが楕円を描き、サッカーコートが向かい合って、高低差のある鉄棒が並んでいる。ただ肝心の児童の姿がない。フェンス越しにカメラをズームしても、教室の中は霧に遮られて見通せない。
霧の中の小学校を撮影していると、隣で映美が声を上げた。その指先に釣られてレンズを向けると、ちょうど花壇が配された校庭の奥に人影を捉えた。どうやら校舎の外壁を清掃しているらしい。依頼された清掃業者だろうか。
「ようやく第一村人発見ね」
止める間もなく映美が駆け出し、制止の声とともにビデオカメラが慌てて追いかける。入り口である校門は閉じられていたが、彼女はロングスカートのままよじ登った。
「ちょっとエイミー、不法侵入だよ」
「どうせこの霧のせいで休校してるのよ。ちょっと話を聞くだけだから」
開き直りながら小学校の敷地内に侵入する。仕方なく、撮影者も時間をかけて校門を乗り越えた。ビデオカメラで片手が塞がっているため、酷く難儀した。
「通報されても知らないからね」
映美の手を借りて校門の内側に着地する。ビデオカメラを構え直すと、もう小柄な背中が走り出すのを液晶画面が写していた。マイクに舌打ちが入り、校庭を横切ってその後ろ姿を映像が
「すみません」
枯草色の背中に声をかけた。制帽を被った男性は振り向かず、青い
「あの【詳細は伏す】野郎、余計な仕事を増やしやがって」
汚い言葉遣いだった。映美が息を切らす傍らで、その清掃員の背後からビデオカメラを回す。ピントを合わせた。窓枠さえ跨いで、見上げるほどの赤い落書きが描かれていた。塗料が垂れた全体像としては縦に長く、四角形に近い。頂部には反り返った笠木があり、両側には朱色の柱が聳えている。撮影者は見たままの印象を口にした。
「――鳥居?」
その呟きに痩身の男性がようやく振り返る。年齢は四十代と思われた。丸眼鏡の奥は、霧に曇って
「何だ、お前は」
青々とした紫陽花の中に佇みながら、男はカメラに向けて言った。
「なぜ生きている?」
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