幸福の最中

施設に入って一月がたった。


色褪せた世界は相変わらずつまらない。死んでしまったら両親に申し訳が立たないからなんていう、辛気臭い理由だけで生きていた。いや、それもただの言い訳なのかもしれない。

死にたいけど、自殺するのが怖い。そんな自分を誤魔化すためにもっともらしい理由をつけて生にしがみつく自分が嫌いだった。

こんなふうに自己嫌悪に陥る毎日。そんな私にかかる声があった。


「相変わらず、つまらなそうな顔してるね。」

「うるさい。私のことなんかほっといてよ。」


私と同じくらいのきれいな黒髪の少女だった。驚くほどきれいに整えられた髪、黒曜石のように真っ黒な瞳の奥には生き生きとした光が宿っていた。

こんな私に声を掛ける物好きである。本当に嫌気が差す。私のことなんかほっとけばいいのに。


「えー、嫌。ねえねえ、僕とお話しようよ。」

「嫌。」

「そんな事言わずにさあ。僕も君も暇だろ。ねっ?」


彼女は自分のことを僕と言っていた。高い声で僕という一人称を使うのは彼女だけだったので、声だけでも十分判別できた。まあ、私に話しかける人なんて彼女くらいだが……

うんざりするほど頻繁に彼女は話しかけてきた。そのたびに雑な返答を返していたが、不思議と今まで亀より遅く感じた時の流れが加速していくのを感じた。


施設に入って4ヶ月が過ぎた。


色褪せた世界に明暗がついてきた気がする。

あの頃からずっと話しかけてきた彼女に折れて、今では少し話をするような仲に私達はなっていた。


「僕はねえ。世界を変えたいんだ。」


ふとした時に彼女はよくその言葉を口にした。


「世界は概ねいい方向に変わったけどさ。きっともっといい世界にできると思うんだ。僕ね、この施設を出たら学校に通って、うんと頭が良くなったら、政治家にでもなってこの世界を変えるんだ!今はもう国がないから、世界を一気に変えるチャンスだしね!」


それは、かつて私が抱いた願いに似ていたが、彼女のそれは、私のよりもずっと具体的で、私にはそれが眩しくて仕方がなかった。


何度か、自分の罪を告白しようと思ったことがある。でも、ここにいるってことは彼女にもきっと世界統合によるつらい過去があっただろう。その原因が私だと知った時、彼女に嫌われたり幻滅されたりすると思うと、私の口は縫い付けられたかのように動かなかった。


こんなときでも保身に走る自分が嫌になった。


施設に入って一年が経ったある日。


この頃になると、私もだんだん明るくなってきた気がする。色褪せた世界に彩りが戻ってきて、幸せを肌で感じられる。それも、彼女のおかげだ。

彼女と私はもう今では親友と言って差し支えないほどの仲だ。最近はここを出たら何をするかだなんて、未来について想像を膨らまし、輝かしい将来を妄想し合う。そんな楽しいひと時を過ごしている。一度失ったはずの幸福の最中に自分はいられるのだ。私の罪は消えなけど、それを背負って生きていこうと思った。人のためになる仕事をして、少しでも罪滅ぼしをしようと、前向きに生きていくことができた。


ああ、私は幸せものだな。と、柄にもなく思っていられた。


最近では施設を出ていく人も増えてきた。大体、15歳くらいになると、この施設から卒業し、自分の世界に羽ばたくのだ。私達もその時を待ち望んでいた。


そんなある日、トイレに行こうと、施設の職員さん達の部屋を通ろうとしたときだった。


「そういえば、あいつはどうなったんだ?」


普段なら聞き流してたであろう小さな声だったが、お昼休憩ということで人の少ない施設の中で、その言葉ははっきりと私の耳に届いた。特別やましいことはなかったのだが、盗み聞きをしているようで、反射的に物陰に隠れてしまった。


これじゃ、完全に盗み聞きじゃ……

罪悪感を覚えるも、出るに出られず息を潜め、こっそりその場を後にしようとしたが、続いて聞こえてくる会話が、私の足をその場に縫い付けた。


男の職員の声が職員室から響く、どうやら二人で会話しているようだ。


「あいつって誰だよ。多すぎてわからねえよ。」

「ほら、あの子だよ。胸がおっきい娘。」

「ああ、サクリーね。」


サクリー、サクリファイスは、私達の一つ上の女の子で、同性の私でも羨ましいくらい胸が大きい。本人は、肩が凝るだけとか言ってたけど……

この前施設を出ていき、教師になるのが夢だと語っていた。私達とお姉さん的存在であり、涙の別れをした友人でもある。

胸の大きさで個人を判断するのはどうかと思うが、それより彼女がどうかしたのだろう。


「あの娘も可愛そうだよね。あんなに眼をキラキラさせちゃってさ。自分がこれから実験動物マウスになるだなんて少しも思って無いだろうね。」

「はは、違いねえ。まあでもいいじゃないか。壊れたら壊れたで、俺達の楽しみが増えるだろう。」

「それはそうだが、あんまり壊しすぎないでほしいよな。こっちは反応を楽しみたいってのに……」


言いようのない恐怖が私の背筋をなぞった。見つかったらひどい事をされるという脅迫勘が私の背中を押す。私は息を殺してその場を後にした。


どくどくどく。と波打つ心臓が張り裂けんばかりに悲鳴を上げている。非常なまでに突きつけられた現実から眼をそむけようとするたびに、痛む心臓がこれは夢ではないと教えてくる。


困惑する思考も置いていきながら、私は彼女のもとへ急いだ。



補足

この世界はパラレルワールドです。イメージとしては、私達の世界の何十年の、もしもの話って感じです。

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