第2話-移ろいやすい思い

 気分を萎えさせようと、最近できた美人の恋人を考えた。その恋人といると、他の恋人でもそうだったが、よく童顔な顔の純を思い出す。友人に紹介されて付き合い始めた二葉の恋人は五つ年上の女性で、取引先の社長で、己の妖艶な姿を武器にして仕事を取ってくるところも気に入っていた。二葉のプライベートに口を出さないところも好感を持っていた。


 彼女と交際して二月たった頃だろうか。彼女は激しい嫉妬を見せた。何かと二葉のスマートフォンを覗いてきて、純とのやり取りを浮気かと疑う。


「親友にしては連絡が多すぎない? 深夜でもとか、なんで」


 とか、


「私に話さないことを、この人にはなんで?」


 と彼女は干渉してくる。


 二葉はそれにたいして真剣に取り合わず笑い飛ばした。しかし、本当に浮気だったら、なんて期待する気持ちがないと言えば嘘になる。高校を出てから、純と顔を合わす機会が減っていた。それで焦っているのだろう、といった答えが出てくることに驚きはなかった。

 純はそこそこお誘いの声が掛かるくらいにモテるくせして、どうしてだか恋愛には疎かった。高校時代、互いに所属していた陸上部で、一番背の低かった純はマスコットとして扱われていた。


『あいつは初心な奴だから』


 と、部員総出で、純に悪い虫が付かないよう過保護に接したのをいまでも覚えている。二葉は本気で純に近寄る輩がいないかと警戒していた。それは二十五歳になっても同じで、純とは月に何度か連絡を取り合い、仕事の愚痴や趣味の話を共有し合う関係を続けていた。続けさせていたの間違いだろうか。繁忙期でもお構いなく、それが精神安定剤というように、純への連絡を欠かさなかった。純のほうも『手が空いたから』と仕事の合間にでも連絡を返してくる。それが二葉とって、もちろん純にも、普通のことであった。


 今年の四月頃から、純からの返信や折り返しの電話が途絶えるようになった。純との心の隙間が埋まらなくなり、二葉は電話の本数を増やし、メッセージをしつように送りつけた。夜に純のマンションに行き、何度もインターホンを鳴らした。純が留守だと分かるや、玄関の前で座り込んで彼の帰りを深夜まで待ったこともある。親友が心配だから。正義感から、隣人に注意を受けても止めなかった。このままでは埒が明かない、と終業間際に純の会社で待ち伏せした。


「部署異動して、忙しかったんだ、あと、マンションの上の階から水漏れがあってね、会社の近くに泊まっていたんだ」


 と純は、返信を怠り、二葉の相手をしないことを言い訳した。純の表情がふんわりとしていたのは気のせいか。


「なんで俺に頼まなかった」

「彼女さんに悪いよ、それに、いまのマンションを解約しようかと……」


 その時の純は、二葉でも見とれるくらいに、艶めいた表情をさせていた。灰色のオフィス街の隙間で星がまたたく。白熱灯に照らされた純の首筋が薄ピンク色に染まる。二葉は言葉を失った。純の男としての欲望に、二葉は自分でも驚くほどに動揺した。純に恋人ができた。絶対にそうだ。


 直ちにその話を旧友に報告したら、


『純も大人になったな』


 と彼らは喜んでいた。


 二葉だけは違った。自分が蚊帳の外にいるみたいで心底面白くなかった。二葉にとって純は親友であり、実の弟よりも可愛らしい存在であることから、互いの関係が途切れないように誰よりも気に掛けていた。それは決して純の実家の経済状況や、彼がたいしたことのない小さな会社でもらった少ない月給を実家に仕送りしていることに、同情しているわけではない。純とは金の貸し借りを一切していないし、その内気な性格を利用して犯罪に巻き込んだりしていない。むしろ、純は美人とか裕福な家庭のご子息ということもないので、二葉の恋人として、友人としても不釣り合いな存在である。それに、洗練されたところを見ない男で、才覚がなく一生雇われの身でも、純の澄んだ物の捉え方が良くて、二葉は新鮮な思いで相手をしてやれている。純の前では博識ぶることもないし、おべっかを使ったり金を無駄に使ったりする必要もない。我が侭を言っても、雑に扱っても問題のない丁度良い男だった。そんな奴を手放すわけがない。


「あいつへの親切心だ、変なことを考えるなよ」


 葛城純が取るに足らない男と恋人に説明し、その場は収束したかのように見えた。それも、日に増して恋人からの要求が増えていく。同居、親との顔見せ、彼女の友人からの査定、二葉の友人を交えたパーティー、果ては結婚、このくらいはまあ予想ができた。


 先日、


「葛城さんとは連絡を取らないで」


 と彼女は言いのけた。


 もちろん二葉は全力で拒否したものだ。純と二葉の関係に介入する者は、たとえ家族だって許さない。そもそも二葉にとって恋人というものは、架空の販売店の店員でしかない。腹が空いたら高級惣菜店の店員として、二葉を満足させる料理を作ってもらう。射精したくなったら、ブランド肉を取り扱う肉屋の店員として、自身の部位を提供してもらう。人に見せびらかしたくなったら、マネキンになってもらう。その代わり、二葉が日頃から恵まれていると世間に賞賛される野性的な容姿や、背広の似合う肉体、低い声、物怖じしない性格で相手を楽しませてきた。潤滑に物事を進めるために肉体的な接触も欠かさなかったし、自分の恋人でいることで優越感を持たせることも手を抜かなかった。

 それでも、散々姫君として扱ってきても、これぐらいは分かるだろうに。純との関係に口を出すな。純の紡ぎ出した言葉を気安く読み取ろうとするな。

 世間体と適度な性欲の発散を目的としただけの恋人とは、昨日のうちに後腐れないよう別れたばかりだ。それと同時に、二葉の周りにいるファッション雑誌のモデル、筋肉が自慢の男、芸能人、大企業の御曹司などをあてがったら、あっさりと最後の御曹司と連絡を取り合うことにしたそうだ。部下や友人がいつも愚痴る、恋人や妻とのうんざりする痴話げんかの内容に、二葉はうんざりしていた。だから、今回の彼女の反応はありがたいことだった。

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