駆け落ち、?
ひらはる
駆け落ち、?
とある会社の社長の娘——お嬢さまが拐われたらしい。
「ずいぶんと不穏なニュースですね。」
食材が入った買い物カゴを片手に、ニュースを教えてくれた奥さんに言う。
「えぇ、たまたま今朝のニュースでやっていて。二週間前のことらしいですよ。」
へぇ、と奥さんの話に相槌を打つ。夫がニュースを見るくらいで、私は見ておらず、そんなニュースをしていることを知らなかった。
「それ、私も聞いたわ。」
と、近くで談笑していた近所のおばさま方が話に参加してきた。私も奥さんも、そうなんですね、と相槌を打つ。
「そうなの。駆け落ちに見せかけた誘拐だって言うから気になっちゃってねぇー。」
「私も見たけれど貴女によく似たお嬢さまだったわ。違うとは思うけれど、貴女みたいにキレイな黒髪で美人だったのよ。」
おばさま方が私を見て言った。
「わかるわ。とても美人だったわよね。あぁ、それにちょうど貴女が引越してきた時期と一緒なのよ。」
「それは初耳だったわ。そんな偶然あるのかしら、ね?」
私は少し苦笑し、そうですね、と同意しかけたが、おばさま方が時計をちらっと見て慌てだしたので言葉を変え、どうしたのですか、と聞く。するとおばさまのひとりが、鞄を漁りながら言う。
「いやね、今日野菜コーナーで詰め放題があるらしいのよ。あ、あったわ。」
チラシを一枚くれた。奥さんと二人でそれを見る。
「それのね——」
「ちょっと。もう話す時間がないわ、早く行かないと。」
「あらやだほんとね。二人とも話の途中でごめんなさいね。二人でちょっと行ってくるわ。」
おばさま方はそう言って近くのスーパーの方面へ、チラシを片手に急いで去っていった。
私と奥さんは顔を見合わせ、フフ、と微笑み合った。
「嵐のようでしたわね。」
奥さんは微笑んだまま言った。
「そうですね。けれど最近はニュースを見れてませんでしたから、こうして話を聞けるのは嬉しいです。」
私は奥さんにそう返して、買い物カゴを持ち直す。けれど奥さんは少し辺りに視線をやってから私に言う。
「ニュースの話なんですけれど、お嬢様の他に、付き人の男性も居なくなっていたんですって。」
私は少し目を見張り、すぐに平静を装う。
「そうなんですね。付き人までニュースでやっていたんですか?」
私の問いかけに、奥さんは微笑んだまま教えてくれる。
「えぇ、駆け落ち相手だとか、犯人、だとか、ニュースで言ってましたよ。…興味がおありですか?」
私は少し間をおいて頷いた。
「でしたら外見でもお教えしましょうか?」
「おねが——?!」
奥さんの言葉に私は首を縦に振りかけた。振りきれなかったのは、私の目を隠すように抱き寄せられたからだった。
誰かの腕を少しずらして上を見上げれば、夫がこちらを見ていた。夫の腕に抱き寄せられたらしい。
薄く、勿忘草の香りがして気づかなかった。普段はその香水をつけていないはずだ。
「おかえりなさい、早いのね。」
私の言葉に夫は、左の目元と右頬のホクロをくっとあげるようにして微笑む。
「ただいま。少し、仕事が早く終わったんだ…あ、奥さん、妻がお世話になってます。すいません、妻が引き止めてましたか?」
夫が奥さんを見て言う。私も、と前を向くが、夫の腕によって顔が覆われていて分からない。声も潜って聞こえる。
私は夫の腕を外そうともがいたが、なかなか外してくれない。
「…いいえ、こちらこそ。私が引き止めてしまっていたの、ごめんなさいね。」
奥さんが謝る声が聞こえる。謝ることはないのに、と思いながら夫の腕を叩く。
早く外して、
「いやいや、妻と仲良くしてくださりありがとうございます。…では、そろそろ失礼いたします。」
私が上を向いて目線で訴えたにも関わらず夫が勝手に言って、私の顔を覆ったまま背を向く。
「…さっきの話なのだけど!」
歩きだしたタイミングで奥さんが声をあげる。それに夫が立ち止まり、自然と私も立ち止まる。
「その人には、右の目元と左頬にホクロがあったんですって。」
奥さんは通った声で言った。そして、
「引き止めてごめんなさい、話の途中だったのよ。私も家に戻ります。」
奥さんの慌ただしい声が聞こえ、少しして扉が閉まる音がした。
夫が歩こうとするが私が立ち止まり、それを制した。それから、夫を見上げた。
おばさま方が怪しんだように、私はお嬢さまだ。
しかし、引越す前の記憶は定かではない。
私には信頼できる付き人がいた。お嬢さまだった。それだけを覚えていて、記憶が定かでない私に教えてくれたのは付き人——夫のはずだ。
しかし——
「アナタは、」
言葉が詰まった。
いつもの微笑みじゃない。目が、笑っていない。
汗が背筋を伝う。
冷たい目が、私の目を見つめていた。
駆け落ち、? ひらはる @zzharu7
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