第7話 閑話
時は生まれた頃まで遡り――これは、僕が生まれてから早一年が過ぎようとしていた時の事である。
「ねぇ、アルウィ。
この子の名前どうしましょう?」
おっとりとした瞳を向けながら、突然そう放ったのは僕の母テレーザ・エルピス。
テレーザの特徴といえば、やはりその瞳の色だ。左右で色が違うオッドアイで左が黄で右が青。この世界でもオッドアイは珍しく、僕も同じくオッドアイを持っていた。
どの衣服を着ても似合ってしまう美しさを備えているが、普段はドレスのような婦人服を愛用し着こなす。
スライムのように机に突っ伏しながら、僕の名前について苦悶しているようだ。
「登録期限まで後一ヶ月はあるんだ。
そう焦ることはない――とは言っても、そろそろ決めていかないと不味いよなぁ……」
テレーザを安心させるようにそう返すが、小声で不安が漏れている事を隠しきれていないのは、僕の父アルウェル・エルピス。
体躯が大きい為に怖がられる事も多いが、物腰が柔らかく、分け隔てなく接している所を幾度か目にした事がある。
テレーザがおっとりしたタイプの為、アルウェルはしっかりする事を心掛けているようだ。
アルウェルはその太い両腕を僕の脇腹へと伸ばし、目が合う位置まで抱き上げる。
アルウェルの顔を見ると、いつも触りたくなってしまうのは顔全面にくっきりと刻まれたその傷跡だ。
特段感触が変わっている訳では無いが、やはり気になってしまう。
「あうあ……」
(いつ見ても凄いなこれ……)
歴戦の傷跡とでも言うべきか、男である以上傷のかっこよさは嫌という程前世で見てきた。
強敵から受けた剣士の傷だったり、因縁の相手に付けられたバツ印の傷だったり……。
傷跡と言うものは痛々しくも同時に、その人物の人生を表し、その存在を象徴する物でもあるのだ。
アルウェルの傷跡は僕の男心を擽り、夢中にさせていた。
「はっはは!
お前もこの傷がかっこいいと思うか?
ずっと触ってるもんなぁ」
「あう……」
(かっこいい……とは思うけど、生々しくて気持ち悪くもあるのが本音だな……)
「そうかそうか!!そんなにかっこいいか!!
父さんは嬉しいぞ!!これの良さを分かる子を持てて」
アルウェルは暫く僕を抱き上げた後、またそっとベビーベッドの上に寝かせると、スライムのように垂れていたテレーザと向かい合うように座り、声を張り上げた。
「よぉし!!
今日こそ決めるぞ!!こいつの名前を!!」
アルウェルに返すように、ふわぁと一回欠伸を作り、両腕を上げ伸びをするテレーザ。
大きすぎず……かと言って小さすぎもせずのふっくらと実った胸を強調させ、バタンと腕を下ろす。
「そうねぇ。
やる事はもう終わったし、そうしましょうか」
現在時刻は二十時を回った頃。
僕の名前が今、気まろうとしていた――!!
◆◆◆
「さっそくだが……何か案はあるか??
我が愛しのテレーザよ!!」
って、仕切っときながら早速人任せかよっ!!
と、ツッコミを入れたくなるが生憎「あう」しか喋れない。
まったく赤子というのは不便だな。
「うーん、そうねぇ。
じゃあ、アルウィと私の子供だから、アルーザなんてどうかしら?」
いやいや、かーさん……。
それは流石に……ねぇ?
ほら、とーさんからも何か言ってやってくださいよ。
アルウェルは両腕を組み、難しい顔を浮かべながら暫く考える素振りを見せる。
その姿に僕も最初は気に入らないのかと思い安堵していたが……、
「アルーザか……。
よし、それにするか!!」
好評なのか、ただの面倒くさがりなのか、恐らく後者だろう。
半ば強引に決めようとしていたので、思わず僕も声を出してしまう。
「うあぁいっ!!!!」
(何でだよ!!もうちょっと真面目に考えろよ!!)
「うーん。
どうやら、こいつは気に食わんらしい……」
「あいっ!!」
(当たり前だっ!!)
「じゃあ、お前はどういう名前がいいんだ?――って聞いても分かんねぇか」
「あうぅ……」
どうしたもんかと小首を傾げて悩む二人。
僕はやっぱり主人公らしい名前がいいかな。
あれとかこれとかそれとか……。
それか英雄の名前でも良い。
有名どころだとナポレオンとかアレクサンドロス三世とか。
まぁとにかく、僕という存在に負けないような名前にしてくれる事を切に願おう。
――それから幾分かの時が流れたか。
まぁ多分三十分とか四十分程だろう。
その間、僕の名前について様々な案が出されては流されを繰り返していた。
出された名前を上げるとこんな感じだ。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼
・アルザ
・テレザ
・ウェザ
・アルテ
・アルウェーザ
・テレウェル
・ウェーザ
△▼△▼△▼△▼△▼△▼
もっと具体的に言うと他にも出されていたが、正直覚えていない。覚えるまでもない。
どれも自分達の名前を足して合わせたような名前であり、適当さが垣間見える。
お世辞にも真剣に考えたとは言えないだろう。
当然、僕はどれも気に入らない。
母と父は名前が出される度にこれにしようと即決気味だったが、僕がそんな事を許す筈もなく、毎回声を上げては否定を繰り返す地獄のような時間が続いていた。
やがて案が尽きたのか僕の家――エルピス家では、世にも珍しく重苦しい空気が流れる事になっていたのだった……。
◆◆◆
「――あっ、そういえば思い出したんだけど、とある一族の人達は、その祖先の名前を代々受け継いでいると聞いた事があるわ。
私達も同じようにしましょうか!」
短いようで長い、そんな沈黙を突き破ったのはテレーザだった。
名案だと言わんばかりに満面の笑みを浮かべるテレーザ。
最早、否定をする事も億劫となっていた僕と父にとって、テレーザの一声はまるで鶴のようだった。
「それだぁ!!」
まるで砂漠のオアシスでも見つけたかのように、ガッと眼を見開き、声を張り上げたアルウェル。
毎回思うけどさ、一々声を張り上げないと気が済まないのかね。
今日で何回聞いただろうか。
もうすっかり慣れてしまった自分に驚いた。
「だけど、もっと早めに言ってほしかったな……」
父のボソッとした愚痴が聞こえた気がしたが……うん、聞かなかった事にしよう。
実際それは真っ当な愚痴でもあり、僕もそう思っていたからだ。という訳で耳を塞ぎました。
「でも、俺達の祖先の名前なんて分かるのか?」
「いいえ、分からないわよ」
……は?
「そうか、俺もだ」
「どうしましょうね」
いや、おい!
分からないのに何で言ったんだよ!!
てか親は?そうだよ、僕からみたらおじいちゃんとおばあちゃんに聞けばいいじゃないか!!
何だこれで安心だ……。
「誰かに聞こうと思っても、俺は絶縁状態だし……」
「私は売られた身だしねぇ」
うーんと腕を組みながら悩む二人。
あ、これは想像だにしなかった事だ。
予想以上の重たい会話に僕は暫く言葉を失っていた。
「もう今日は遅いし、続きは明日にしましょう?」
「あぁ、それもそうだな。
よし!明日適当に本でも買ってくるか!」
母の言葉を皮切りに僕は時計を確認した。
時刻は二十二時。もうそんな時間だったのかと思った瞬間、ふと眠気が襲ってきた。
この時間帯はいつもなら既に眠りについている頃だったのだが、今回は僕の名前決めという事もあってか心配で起きてしまったのだ。
前世の記憶が残っており、中身は徹夜も楽勝な高校男児だが、やはり身体が赤ん坊だからか抗えなかった。
そんな所で僕は気絶するように眠りについていたのだった。
「さすがにもう寝ちゃってるわね……。
おやすみなさい」
◆◆◆
翌日――二十三時になりました。
「やっと寝たわよ」
母に無理矢理寝かしつけられ、僕は絶賛熟睡中だった。
子供は寝て育つって言うしね。それに睡魔には抗えない。
「よし、今日こそ決めるぞ!」
昨日と何ら変わらないテンションでそう言い放つ。
「アルウィそれ昨日も言った」
「ふっふっふ、テレーザよ、今日の俺は一味違う」
そう言うとアルウェルは、辞典並みに分厚い一冊の本を取り出し机上に置いた。
「それは?」
「名前を決めるのに役立つ本だが……正直分からん!!
だが安心しろ!!
これは店主のオススメであり、店主本人も子供の名前を決める時に使っていたという実績がある代物だッ!!」
「まぁ、それは頼もしいわね」
「大船に乗った気でいてくれ〜」
そう意気込み、数ページペラペラと捲ってみる。
「辞典か?
すまんが俺はこういう文字文字した本は無理だ。
というわけで任せたぞ、テレーザ!」
乗っていた大船は廃船へと早変わり。
もしこれが大海に浮かんでいたならば、死へのカウントダウンが始まっていただろう。
「はいはい。そんな所だろうと思いました」
まるでそれが当然かのように呆れながらも受け入れるテレーザ。
「色々単語が載っているわね〜。ふむふむ。
ねぇ、アルウィはあの子にどんな風になってほしい?」
次へ次へとページを捲りながら、テレーザはそう尋ねる。
「そうだなぁ、やっぱり明るい子だな!
俺みたいに何にも縛られない元気な子だ」
「あら、それは頼もしくなりそうね。
明るいって言うと、光とか太陽とかになるわよね……」
「――何か良いのは見つかったか?」
「光だと、ライト、グアン、ルス、ルクス、シャイン、ルミエール、スヴィェート、リヒト、セーン、ジュース……他にも沢山あるわね」
「ほうほう。で、太陽の方は?」
「太陽は、えーっと……」
文字を指でなぞりながら、単語を探していく。
「あ、あったわ。
サン、テヤン、ソル、ソレイユ、ラー、ソウル、シャムス……」
「どれもいいんだがなぁ……名前となると……。
お?これなんか良いんじゃないか?」
単語を見つけると、アルウェルは食指を指した。
「あら、いいわねそれ」
クスクスと微笑むテレーザ。
今の感情を一言で表すならば、正に幸せが適切だろう。
他愛もない会話を交わしつつも、産まれてきた子供の為に、二人が手を取り合い名づけに励む姿は、正真正銘『愛』以外の何物でもないのである。
◆◆◆
窓から差し込む陽光を全身で浴びながら、僕は目を覚ました。
「あぅ……」
(相変わらず眩しいな……)
人生で最初の主人公イベントであろう名づけ。
一昨日の両親の命名で心配になり、極力起きようとしていたのだが……いつの間にか寝てしまっていたみたいだ。
頼む、まだ決めてないでくれ!
そう願うも、もう遅く――、
「――よぉし、じゃこれにするか!」
「ええ、これにしましょう!」
「あ、あぅう!」
(もう決まっちゃってるぅぅ!!)
僕はベビーベッドから転げ落ち、四つん這い歩きで両親がいるであろうリビングまで疾走した。
「あら、もう起きたの?早いわね〜」
いつもと変わらないにこやかな笑みを向ける母。
対する父はというと、若干憔悴している気がする。
午前四時三十六分。
確かに早いが夜泣きの類だと思えば何らおかしくはないだろう。
「ねぇアルウィ?
この子も起きてる事だし発表しない?」
パチンと両手を一回叩き、胸躍らせている。
余程名前に自信があるのか。
期待は……しないでおくか。
「俺は別にいいけど、こいつにはまだ言葉は分からねぇだろ?」
「それもそうだけど……でもね?
こういうのはやったっていう事実が大事なのよ?」
「うーん。確かにそうだな!!
――よし、では発表するぞ!」
心のドラムが鳴り響く。
緊張もあり、不安もありだ。
「お前は『リュカ』だ!
いいか?リュカにはな、『光をもたらすもの』っていう意味があるんだ。カッコイイだろ?
お前は俺達の光だ!!」
リュカ……それが僕の名前。
なんというか、正直驚いた。
両親がちゃんとした名前を付けれたことに?
うん、それも勿論ある。
でもそこじゃない。
僕が本当に驚いたのは、両親が僕の事を思ってその名前に意味を持たせてくれたからだ。
僕は光をもたらす。
正に主人公に相応しく最適で、それでいて暖かい。
その時僕は――泣いていた。
「おぎゃあああっ!!」
「ハッハッハ!こいつも嬉しいってよ!!」
「あら、それは良かったわね」
――と、いうわけで、モブ改め『リュカ・エルピス』の爆誕だ!!
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