第参幕 伝説の終焉

第23話

 灯りなどない幹の中だというのに、そこは仄かに発光していた。うすららぼんやりとした灯りは男女の姿を浮かび上がらせている。横たわったまま目を閉じている男は身動き一つせず、頭を少女の膝に乗せている。額にかかる前髪を指で丁寧にのけながら、少女の口元には淡い笑みが浮かんでいる。


太郎兵衛たろべえさま、琴は、ずっと待っていたのですよ」


 年若い十代の少女とは思えぬほど妖艶な笑み。あねさん被りにしていた手拭いは外され、艶のある黒髪は結い上げられている。明らかに現代の人間ではない少女は、ぴくりとも動かない男を見つめて嬉しそうに声を上げて笑った。


「やっと手に入れた。やっと太郎兵衛さまが帰ってきた! これで村の連中を見返すことが出来る。気が触れた哀れなおなごと馬鹿にした、あいつらを!」

 その笑い声と声には紛れもなく狂気が含まれていた。ここはあの白藤の中ではあるが、時空がねじ曲げられている。普通の人間には視認できない、特殊な空間で少女――お琴は太郎兵衛こと、新藤亘を抱きしめて愉悦に浸っていた。誰にも見付かるはずのない、二人だけの空間。肉体はやがて朽ち果てていくが、魂だけの存在になればこちらのものだ。永遠に二人の魂は、この閉じられた空間で存在する。転生しているとはいえ、魂は同じ。すぐにお琴と共に過ごした時のことを思い出すだろう。


「太郎兵衛さま、ゆるりと思い出させてあげます。ええ、時間は有り余るほどあるのですから……そう、永遠と言えるほどに」


 にいいっと口の両端が持ち上がり、いびつな笑みを琴は浮かべた。太郎兵衛に覆い被さり、口を吸うと、おとがいをちろちろと舌で愛撫する。清純な乙女だった生前とは違い、死後は娼妓のように、妖艶さが増したようだ。


「やっと帰ってきてくれた。……ずっと待っていて良かった。もう、誰にも渡さない、何処へも行かせない」


 くっくっくと狂気に満ちた笑い声は、誰の耳にも届かない。


「最近、ちょろちょろと蝿がうろつきだしたようじゃな。鬱陶しい蝿は、早めに追い払わねば」


 ここ数日、結界の役目をしている白藤の周りに霊的な目がうろついていることを、敏感に感じ取っている。


「これ以上まとわりつかれるのも、業腹じゃ。ええい、せっかく太郎兵衛さまが帰ってきたというに」


 お琴はそっと太郎兵衛から離れると、背後の幹に手を触れる。すると幹に穴が開き、洞が出現した。彼女はそこから外へ出ると、相変わらず風に揺れている白い花房を撫でた。


「邪魔者は容赦なく葬り去れ。私と太郎兵衛さまの邪魔をする輩なぞに、遠慮はいらぬ」


 お琴の声に反応するかのように、花房は一斉に動く。満足げにそれを眺めたお琴は、再び洞の中に姿を消した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る