第9話

「初めまして、池園茉莉と申します」


 鈴を転がすような、という表現がピッタリな美しい声音。艶のある黒髪は肩を滑り落ち、極上の絹糸のようである。しばし茉莉の美しさに目を奪われていたかおる


 我に返ると咳払いをしてから

「初めまして。久遠馨と申します。それで、ご用件とは?」

 と、いきなり本題を切り出した。


 この美しい大和撫子と二人きりでいることに妙な動悸がして、落ち着かない。早く切り上げてお帰り頂かないと、こっちの身が保たない。そんな若者らしい本音を、胸の奥底に押し込めておく。いきなり本題に入られて茉莉は少々面食らったが、前置きを省く事は彼女も本意だ。小さく息を吐いてから彼女は、馨の目を真っ直ぐ見つめて話を切り出してきた。


「先日、祖母からお聞きになったかとは思いますが、私の失踪した婚約者を探して頂きたいのです」


 その依頼内容に、馨は瞠目することで応える。そのようなことは、警察の仕事ではないか――言葉には出さずとも、目でそう訴えて。目敏めざとくもそれを察した茉莉は、失踪して二ヶ月も経つのに未だに事件なのか事故なのか判別が着かぬ状況を訥々と説明した。


「というわけで業を煮やした祖母が、久遠家に依頼をしたという次第です」


 世界でもトップクラスの検挙率を誇る日本の警察が二ヶ月もの間、事件なのか事故なのかも判別できないということに、馨も疑念を抱いた。不安に駆られた池園家の当主が依頼するのも頷ける。


「失踪状況とか、そういったものは判りますか」

「ダム湖畔に彼の車だけが残されており、周囲に争った形跡は、なかったとのことです」

「失踪したのは、三月でしたっけ」


 茉莉は三月初めだと答え、ハンドバッグの中から一枚の写真を取り出した。そこには茉莉と並び、笑顔で写っている青年の姿があった。お世辞にも美男とは言えないが、優しげな人柄がその顔貌から滲み出ていた。馨は素直にお似合いだなと思った。容姿という点では不釣り合いかもしれないが、写真から感じる魂の波動という点ではこれ以上はないほど似合っている。


「彼が婚約者の新藤亘さんです。彼とは、今秋に挙式の予定なのですが」


 僅かに頬を染めながらも、失踪してしまった事実に唇を噛みしめている。かける言葉が見付からずに、馨も無言になってしまう。重くなった空気を察してか、茉莉は中庭に咲く躑躅に目を向け微笑んだ。


「とても素晴らしいなお庭ですね」

「ありがとうございます。我が家自慢の庭であり、お抱えの庭師さんが丁寧な仕事をして下さいましてね。お写真を、しばらくお借りしても?」

「はい。あと彼が失踪した現場である、駐車場の写真もございます。よろしければ、こちらもどうぞ」


 これはありがたいですと礼を述べ、馨は雪が残る侘びしげな駐車場の写真を預かる。


「写真をお預かりした以上は、きちんとこの依頼を受けるのですよ、馨さん」


 茉莉の背後にある襖が「失礼します」の声と同時にいきなり開き、母親である薫が茶のお代わりが入った盆と共に座していた。全く人の気配を感じなかったため、茉莉は小さく悲鳴を上げ、思わず後ろを振り返った。和装に身を包んだ品の良い女性に、この方はご当主の姉君かしらと頭の隅で呟く。

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