第12話

 深い群青色の世界に、一艘の帆船とエルフの青年。水平線はどこまでも果てしなく続き、空と海の境界は曖昧に溶け合っていた。


 リオンの透き通った青い目には、世界の果てまで続く海のさざめきが映っている。この海の向こうには何が待っているのか、新たな発見や未知の世界への憧れがリオンを必要以上に駆り立てていた。リオンは風の魔法を緩め、その場に止まり、波のリズムに身を任せた。頭上には海鳥が舞い、時折、海面近くに飛び込んで魚を狙う様子が見えた。


 島の影、船の影、目を凝らして変わらず流れていく海上の景色の変化に全意識を向ける。自分が見ている反対側にもしあったらと思うと、一つの方向に集中しきれず、キョロキョロと頭を動かすのにも忙しくなる。


 あれから少し経って、リオンの瞳に反射して映るのは水平線に沈んでいく赤々とした陽の光。別れを惜しむように円から半円、半円から線、線から粒へと、見送ると、進行方向に向き直す。


 日が沈みきるのと、トンドの岩礁に戻ってくるのはちょうど同じくらいだった。岩礁から少し離れた位置に錨を下ろして、今日は船上で寝る事にした。

 

 夜行性の生き物が岩礁ではどう動くのか観察するのと、しばらくの拠点と考えている岩礁の安全性を確かめるためだ。


 二つの月が海面に移り始めた。赤い月と白い月、それぞれ半円を描いている。月の光に照らされた海面と岩場は少し前までの陽の出ていた時の景色とは全く別の顔を見せている。


 岩が動く。岩下に何かいたのかと動いた岩のあたりを注意深く観察する。身体強化で視力を底上げしたとはいえ、距離もあるし暗闇が多い。なるべく視認できる大きさと生き物ならなと期待しながら、ズズズと動き続ける岩を見る。

 

 何も見えない。あそこにもトーチを設置しとくべきだったなと後悔しつつも、見逃さないように視線は動き続ける岩に向けたまま。


 動く岩は月光を一身に受けながら、影の形も変化させている。岩が止まってくれれば明るい部分だけを注視すれば良いのだが、岩が明暗を動かすせいでそうもいかない。

 

 ここでふとリオンは違和感を覚えた。さっきまでは岩が何かに持ち上げられたような、下からの勢いで動いていた。けれど今は持ち上げられた位置はそのままに横へ移動している。


 つまり、岩下にいたと考えられる生物が岩の下に潜っていた状態から、外に出ただけでなくその依代にしていた岩を動かしているのではないか。リオンは、岩を住まいとして考える生き物がいるのではないのかと、動き続ける岩を見て想像する。


 大陸で言えばハカグモ、アオバヤドカリに近い生態かもしれない。リオンの中に眠る好奇心が抑えられなくなり、アルト海の危険を意識してなければ今すぐ、夜の海に飛び込み岩礁まで泳いで正体を目に焼き付けに行くだろう。

 そんな衝動をリオンはグッと抑える。


 少しの理論が生まれればそこから捗る妄想は誰にも止めようがない。目では情報を。頭では解析と分析、考察を並行して行う。鼻息を荒くして、未知に対する無力感を楽しんでいるのだ。

 

 長く生き、既知に溢れる世界を歩くエルフからすると、この無力感がどれだけ刺激を与える存在なのか。人である多くには想像出来ないだろう。


 そして、今回のケースはリオンが求めるそれ以上結果だった。

 「もしかして、」思わず口に出る。

 

 目の前で起こる事象が、考察したどれにも当てはまらない衝撃もさる事ながら、動いていた岩が。動いていた岩と思っていたものが海に入ったのだ。

 

 横からの力によって押し出される岩とは違う。自らの意思で海に飛び込んだ。当然、岩はそのまま沈むなんて事はなく意思を持ったそれは波を立てて泳ぎ始めた。


 さっきまで岩だと思っていたあれこそが生物だったのだ。

 目の前で起こる異常事態。知らない経験。新しく得たというこの感覚。これだ。これを求めていたんだ。

 リオンの心臓は高鳴り続けている。


 その晩リオンは興奮で一睡もする事が出来なかった。正しく言うのなら高鳴る鼓動のぶつけ先を見つけられないまま、その衝撃に身体を委ねていたら、岩礁への観察を止めるタイミングを失い、少しの発見でさえも興奮が倍々に増えていくせいで、眠気もいつの間にか忘れてしまっていた。


 月明かりを飲み込むようにして、陽の明かりと暖かさがワッと広がり世界を包んでいく。夜の岩礁を跋扈する生き物たちはそれに合わせて寝床へ帰っていく。岩のようなあの生き物も例外なくだ。

 

 夜行性の呼吸音が静まったかと思いきや、今度は囀る鳥の音が聞こえてきた。活発に動く魚影も船から見てとれる。


 リオンは朝食の準備をするために、落ち着いた岩礁に向けて船を漕ぎ出した。トーチを置いた場所まで行くと、トーチの光に寄せられたのか、数匹の蟹が身を寄せ合ってトーチの下に居た。


 なんと微笑ましいと、おそらく同種で身を寄せ合う事で岩に擬態している蟹をそのまま鍋に入れる。

 

 当然、貴重な栄養源であり、食料だ。美味しく頂こう。

 朝食のため、少しの採取とボックス内にあるトラタ島産の海藻を合わせて調理を始める。

 

 蟹と麺上にした海藻を入れた汁物と、昨日の干物を焼いた食事となった。海藻はコリコリとした食感に加え、噛むごとに口の中で薄い塩気と強い旨みが溢れてくる。

 

 これは美味い。少し入れすぎたと思った海藻だったが、もっと多くても良かった。自分用に分けたのをもう少し増やそうと思った。


 腹を満たした事もあって、リオンは強い眠気に襲われる。船で眠るか、岩礁で眠るか、それすら決まっていないのにどうしたもんか。ボックスから魔物避けの結界石と、お香を取り出して少し高くなっている岩場に設置する。陽の光を遮るための遮光布を羽織る。危険予知のアラームの魔法を唱えたあと、防御力向上の支援魔法もかける。

 

 かけ終わると同時にリオンは気絶するように寝入ってしまった。

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