トンドの岩礁
第9話
チャミーはリオンと出会ったあの日、不思議と懐かしい感じがした。懐かしいと言う気持ちになったのが初めてだったので、言葉にできない思いを抱えたままリオンと接することになる。
ここ最近、体の不調と言えば大袈裟だが、ぼーっとしたり逆に異常にやる気が出てきたり、不思議な気持ちになる事が多い。ここまでわかりやすい症状でなくても、何かが詰まっているような、嫌な感覚になる事がよく起きた。
リオンが来たその日もなんだか体が怠く、いつもの怠け癖かと思っていた。
しかし、海に映る帆船を見た時妙にやる気が湧いてきた。父の帰還だと思ったからなのか、リオンの波動が流れてきたからなのか、どっちにせよチャミーは高揚感とえも言われぬ多幸感が湧いてきたのだった。
「チャミー、ごめん。」
リオンは父親のティオラと外で長話していたようで、2人がチャミーの前に顔を出したのはちょうどチャミーが落ち着いて、自分の中で飲み込もうとしていた時だった。
扉越しからリオンの声が聞こえる。昨日までのリオンとは違っていて、どこか遠くに思える。実際扉を挟んだ向こうからの声というのもあるのだろうが、この声が今日以降聴けないのかと思うとまた悲しい気持ちが溢れてくる。
どうしようもない事は知っているし、自分がわがままを言っているという自覚も少しある。けれど、リオンが離れる事、それはチャミーが思っている以上に胸を締め付けていた。
「、、、」
「チャミー、言うのが遅くなった事、君と対等にいたからこそ傷つけるのが嫌で後回しにしてしまった。自分の弱さだ。ごめん、」
「、、、」
「いきなり行こうと決めたわけじゃないんだ。ここの暮らしが良くて、ティオラやケーラ、島長や島のみんな。そしてチャミーが良くしてくれてこの決断を逃すとここを離れる事を出来なくなる気がして、」
「それならずっとここにいればいいじゃん!りおんがまほうで父ちゃん達助けて、そしたらもっとご飯も豪華になるし父ちゃん達も安全になるし、りおんもここが好きならずっといれば、そうすれば、」
扉を開けたリオンは、瞳いっぱいに涙を溜めるチャミーと対峙する。
「チャミー、私は必ずまたここに帰ってくる。」
頬を伝う涙の粒をリオンは手でぬぐい、チャミーの顔を覗き込む。
「でも、」
「目を見て、チャミー。」
青い瞳が交差し合う。2人を包む空気が徐々に緩やかに、柔らかくなっていく。そのままチャミーとリオンは目を合わせるだけ。会話はない。
けれど2人はお互いの本音をぶつけ合ったようなすっきりとした表情に変わっていく。
「りおん、待ってるよ。僕がお爺ちゃんになる前には絶対に」
「当然だ。いっぱいのお土産といっぱいの話で何日も夜を明かそう。」
―――――――――――――――――――――――――――
「この岩場を確か、日の沈む方向に、」
朝早くにトラタから出発したリオンは、トンドの岩礁を越え何人かの男衆から聞いたクルトシュ(仮)の島がありそうな方向へ舵を切っていた。
ティオラの告白とチャミーはとの和解を経て、島民に惜しまれつつ島を発った。日の光が海面を撫で始めた頃に帆を張ったため、出発の見送りはティオラと島長の2人だけだった。
元々見送りは要らないと言っていたから嬉しい誤算で、幾許かの別れの時間を惜しみながら、波止場を漕ぎ出した。
ティオラ達が小指くらいの小ささになったくらいに、小さな少年が、チャミーの姿がぼんやりと映った。全身で手を振り、何か叫んでいる様子で、リオンも精一杯それに応えた。
すると海は規律よく船を掴みだし、波止場から波を助ける風が吹き出した。その風リオンの背中を押すようにして沖まで連れて行った。島には魔法の残滓が見えていた。
思っていたより早めに岩礁についたリオンは、ここらの近海で魚を釣るために釣竿を垂らした。トラタ島でコロラとコゴラの両親に貰い受けた釣竿。伸縮性、耐久性に優れた島特有の作られ方をしたものらしい。
男衆から聞き出したクルトシュ(仮)のありそうな方向に船の向きを変えて、その場に一度停留する。岩礁は思っていたよりも広く、それこそ数日滞在できそうなくらい手の届く場所に貝や魚がいる。
辛いのは日の光と、孤独か、
辺りを見回し、当然ない人影が孤独感を煽る。少し前までの気持ちと対比してしまい、寂しさに襲われる。
錨を落とし、何かないか岩礁を見て回る。釣竿には鈴をつけて立てかける。
岩礁に広がる世界はぱっと見無骨な岩肌に、少しの海藻と蟹や貝が色味を主張するくらいで、生命の繁栄が自然に負けている事を感じさせる。しかし、実際に足元から順に岩礁の世界を見ていくと、海水の溜まった大小の穴に魚が迷い込んだり、住処にしているものもいる。
貝の群生は一見すると岩と変わりなく、足元に来てやっと貝だと理解する。
この岩礁の主は甲殻類であり、拳くらいのサイズのものや、リオンの気配に気付いたもっと大きな知性を持つサイズも見てとれた。
この岩礁はいわば食糧の宝庫であり、食糧不足にあえぐクルトシュ(仮)の島民達がここに来るのも頷ける。
海水の溜まりに顔を近づける、
バシャンと勢いよく牙が目の間に飛び込んできた。
即座に体を捻り避けようとするが、飛びかかる牙の正体の速さが上手だ。避けると同時に展開した風魔法が飛びかかるそれを空に打ち上げる。間一髪だった。牙を持つそれの呼吸が鼻のすぐそこまでを掠めていた。
打ち上げられた生き物は胴の長い魚で、太くて短い蛇とも呼称できそうな見た目をしている。岩の上でビチビチと横向きで跳ねながら鋭い牙を何度かガチンガチンと揃わせる。
これくらいの大きさの生き物にしては牙の太さが異常だ。肉を抉るために進化したこの魚。
魚を観察するために少しだけ近づくと後ろの方でさっきと同じような水飛沫の音が聞こえる。
またか、と咄嗟に魔法を展開するが、別の溜まりで鳥が襲われていただけだった。海面を飛んでいる姿を何度か見た、白い翼に赤い嘴を持った鳥。
その鳥が捕食対象として見つけた魚に飛びかかられ、逆に命を奪われていた。
この場所では捕食者であるという驕りが最も危険な慢心である事をリオンは理解した。
食糧の宝庫であっても、自分がその食糧を享受するわけではないのだ。
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