第8話
海でチャミーと時間を過ごした翌日、ティオラ宅では言い合いが起きていた。
「もういい!にーちゃんなんて大嫌い。さっさとどっかに行っちゃえばいいんだ!」
昨日のまどろみの時間とは裏腹に今日は朝から喧騒が響いていた。
今朝、島を旅立つ事をチャミーへ告げた事が原因でチャミーは機嫌を損ねてしまった。
突然の話で、チャミーの中ではリオンと明日何しようという妄想が広がっていた様子だった。更に言うと、リオンがチャミーに旅立ちの話をした際、チャミーは明日は釣りに行こうと言いだす瞬間だった。
「チャミー、仕方ないじゃないか。リオンは世界を見るためにここに来たんだ。進む理由はあっても止まる理由は無いんだ。」
ティオラは困惑した様子のまま、背中を向け縮こまるチャミーに声をかける。ケーラも続いて、
「チャミー、いい加減機嫌直しなさい。喧嘩したまま別れるのは嫌だろう。」
とゆっくり近付きながら、チャミーの様子を伺っている。
その間、リオンは外に出ていて中の様子をチラチラと確認しながら、ティオラ達島民へのお返しを考えていた。
「別にいいもん!にーちゃんと会えなくなっても、!」
「チャミー、そんな言い方しないの、」
リオンの告白から部屋の中の状況は膠着していて、いい方向には向いていない。
「どうだティオラ、」
少し経って、リオンがトラタ島で世話になった人々に挨拶し終えた頃。チャミーの様子を聞くために外に出ていたティオラに訪ねる。
「しばらくかかりそうだな、これは、」
苦い顔を見せるティオラ
「やっぱり昨日言っておけば」
「いや、これは半年前に言っててもダメなやつだ。」
チャミー様子を見るに、リオンとの別れは無条件でこうなる事をティオラは理解していた。
「それに、滞在が長ければ長いほど余計に拗らせたはず。リオンのためにもチャミーにとっても旅立ちが早い方は良い。」
「ティオラ、」
「とりあえず出発の準備が終わったら帰ってきてくれ。チャミーの機嫌は任せてほしい。」
「私が話せれば本当はいいんだけど、何から何まですまんなティオラ。」
「へへ、リオンもそんな顔するんだな。大丈夫、気にすんな。」
行商の準備と、船出の準備を終わらせたリオンは自分の帆船に荷物を置きに向かった。
道中、何人かの島民に出会い情報収集を行う。
「おぉ、エルフの旦那。明日出発だっけ?寂しくなるな。」
「長い間世話になった。そういえば次の行き先にいい場所あったりしないか?」
「次の行き先か、どうだろう。」
少し悩んだあと
「前にうちの作物と酒を交換した島があった。ここ最近じゃなかなか見なくなったけどトンドの岩礁辺りでよく見かけててな。農作が不況だから回数を増やしてるって言ってたから、酒と交換したんだ。」
「どれくらい前か覚えているか?」
「5回前の満月だったはずだ。」
「ありがとう。そのトンドの岩礁ってのは、」
「波止場を出て日の出る方にずーっと進んで行くと見えてくるはずだ。妖精が並んで座っているように見える岩の辺りだ。」
「その島の名前はわかるか?」
「クルトシュ、だったか、いや、クロウスだったか。そんな感じの名前で船はうちのより小さかったけど、島の大きさはうちの5倍以上あるって話だ。」
その後もクルトシュ(仮)の島について話し、近海で釣れる魚、気をつけた方がいい事など、様々な事を聞いて回った。
やっぱりトラタの皆んなは良い人だなと、後ろ髪が引かれる思いを覚える。
ここを拠点に、そんな事を考えたりもしたが自分のためにもトラタのためにも良くない。帰る場所が出来ることは安心するし、気持ちが楽だ。その分一歩踏み出す勇気も、敵対する勇気も無くなってくる。守るものと守られる存在が出来るという事はかえって危険につながる。
それに、この度の目的は知らない世界をたくさん経験する事。様々な場所に行きやすいところに拠点を構えるならまだしも、島民が優しく住みやすいという理由で拠点にするのは自分に甘過ぎる。
多くても年に一度、チャミー達の成長を見に戻るくらいがちょうどいい。
自分の都合でチャミーを悲しませてしまった事が嫌になってくる。彼にとって自分は兄弟のようなもので、良き理解者にも良き協力者になる重要な時間を過ごしていたのだと思う。
それを一方的に破棄すると言うのは、自分の事だが気分のいいものではない。
全ての準備が終わったのは陽が沈む少し前だった。海面にキラキラと反射する光の粒は、陽と共に海に沈んでいく。水平線のはるか向こうに消えていく陽の光は、水平線と並行に光のモヤを作り、ギリギリまで抵抗しているようにも見えた。
ひとしきり、陽と海の交錯を身終えたリオンは深く息を吐いて、気持ちを整える。
陽の出る前に出港するため、きちんと話ができるのはこれからの時間のみだ。後悔を残し海に出るのか、ちゃんと向き合ってから海に出られるのか、これも結局は自分の都合かもしれない。けれど、リオンとチャミーにとって一歩進むために必要な事だと感じていた。
「ティオラ、今いいか?」
ティオラの家に着くと、外から声をかける。朝とは違い静寂に包まれている。
「おぉ、リオンか。準備万端か?」
「もちろん。時間をくれたおかげで色々有益な情報も聞けた。君には世話になりっぱなしだな。」
「なんだか妙にしおらしいな、」
ティオラは笑いながらリオンの肩をさする。
「リオン、俺は感謝してるんだ。リオンは大した事ないって言うかもしれないけど、島の暮らしにとって船は親や子であって今踏みしめる大地と同じくらい大切なんだ。それに船だけじゃない。チャミーはリオンが来てから色々考えるようになった。リオンにはもらってばかりだ。」
「それはこっちの方が、」
「リオンが俺たちの島を好きでいてくれる。その事実だけで何より嬉しい。」
ティオラはそう言うと風に触れた。空気を撫で、手をぎゅっと閉じる。青白い光が閉じた手から漏れる。
「俺たちはエルフの末裔なんだ。かなり血は薄いけど、風の民で少しばかりこうやって風も操れる。」
リオンはこちらを見つめるティオラの瞳がやや青みがかっているのに気付く。そして、何か覚悟を決めたような意思がそこには篭っている。
「この事って、」
「限られた島民しか知らない。今代は俺と長、アルマの三人だった。」
「だった?」
「少し前にチャミーに力が発現したんだ。先祖返りってやつみたいで、リオン達エルフからしたら大差ないと思うかもしれないけど、この島の大人達ではもうじき抑えられないくらい強くなる。」
「その事をチャミーは」
「まだ知らない。力が発現するのは決まって意識がない時だったから。けど最近、リオンに魔法を見せてもらってから、無意識ではあるけど自分でコントロールし始めたんだ。」
リオンは思い出す、島の泉で風の魔素が濃くなっていた事を。
「エルフの血を継ぐものからするとエルフの存在は、神のようでも、母のようでも、英雄のようでもある。沖で出会ったあの日、強大な魔法を見たあの時、こんな凄い力の一端が自分にもあるなんてって興奮したんだ。」
「ティオラ、」
リオンは煌々とした眼でこちらを見るティオラの姿に、これまで出会ったエルフの血を継ぐ者達と同じ境遇を充てた。
彼らは皆一様に人間社会にどことない疎外感を覚え、迫害されたり、狂信されたり、怯え隠れ暮らしたり、どれだけ薄くなろうが触媒となる血を求められたり、その端麗な容姿を願われたり、エルフの集団に属さない限りはエルフの血が流れる事を表に出す事は憚られた。
その彼らが純血のエルフに出会い、何を思うか。人それぞれあるだろう。血の混じった者を見下すエルフもいる。
怒り、悲しみ、畏怖、恭敬、愛、憎しみ、
言葉一つでは足らない感情が溢れ、最後には同じ眼を向ける。
今回もそれと同じだった。ティオラがこれまで、トラタの先祖達がこれまで、どんな目に遭っていたのかどんな思いを重ねてきたのか、それは知る由もない。
けれど、リオンは知っている。彼が求める声を。彼らを肯定する言葉を。
「ティオラ、私たちエルフは君たちを誇りに思うよ。血の濃淡ではない。同じ温度で流れるこの脈は私たちを繋ぐ証拠だ。我々エルフは未来永劫枯れる事のない、ここにあり続ける。」
リオンの魔法がティオラとリオンを包む。薄い銀光が空に舞い、風を流れを際立たせた。
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