第5話
空に浮かぶ鯨雲が、葉と葉の間から見える。日の光が落ち着き出した午後、リオンとチャミーはトラタ島中心に位置する泉に来ていた。
泉は一度で全体が見渡せるほどの大きさで、渡り鳥と、虫の声が聞こえてくる。澄んだ水は、泉の中の生態系を映し、小さな巻貝や魚など、泉がもたらす自然への恩恵を大いに感じさせる。
「ここは良い場所だ。」
リオンが鼻いっぱいに空気を吸い込んだ後、あたり一面を見て話す。
「りおんにーちゃん気に入った?」
リオンは深く頷き、チャミー頭に触れる。豊かな光景を目にし、いつかの記憶も蘇る。
静かな風を浴びながら、リオンはチャミーに魔法を見せる。
「これが風魔法。」
手のひらの上に拳くらいの大きさの竜巻を起こしてみる。風は器用に形を変えながら、手のひらの上で踊るようにして動き回る。
ほら、と言って竜巻を人型に変えて、チャミーと同じくらいの大きさに変化させる。
「わぁ」と、チャミーと同じ目線に立つ風の人型に驚きながらも、好奇心いっぱいの目つきは変わらないようで、指先で突いたり、扇いだりしている。
その後、風魔法ほどの修練度は無いが、火、水、土、と順番に魔法を見せた。チャミーはそのどれをとっても新鮮な反応を繰り返していて、リオンもついつい魔力を使いすぎてしまった。
「これで、使える魔法はおしまいだ。」
土人形の魔法を解除し、土塊となったそれは重力に逆らう事なく崩れていく。
目の前で起こる一つ一つに目の色を変えて喜んでいたチャミーの表情が少し変わった。
「にーちゃんはいつから魔法使えるんだ?」
チャミーの目は真剣で、何か求める答えがあるかのようにも見えた。
「エルフだからね。歩いたり、話したり、それと同じ感覚で覚えてる。だから、生まれてすぐからってのが答えだね。」
リオンはチャミーが魔法を使いたい気持ちを理解していた。だからこそ魔法分野でエルフに焦がれ無いよう、人族とエルフの差を意識させた。
「そっか、」
チャミーは悔しそうで、悲しそうな表情を浮かべながら手のひらを広げてその手を見つめていた。
その後、コロラとコゴラが合流し簡易的な魔法の授業と実践で楽しんだ。リオンが補助したこともあり、コゴラがそよ風を起こした時が一番の盛り上がりを見せた。
魔法を楽しんだ後はチャミーを先頭に島を一周した。海畑を見たり、すれ違う島民たちとの交流をしているとあっという間に時間が過ぎていき、水平線に沈む光を静かに眺めていると島長の使いが島長宅に来るよう伝えた。
――――――――――――――――――――――――
島長宅には行燈が灯っており、照らされる影が3つであることが外から確かめられた。
「お待たせいたしまた。」玄関を開けると島長がこちらを向いて座っていて、リオンの顔を見るとそう言いながら頭を下げた。
「こちらこそすいません。遅くなりました。」
使いが来た後、チャミーとコロラが離れることを拒み島長宅に来るまで思ったより時間が経ってしまっていた。
「どうせチャミーがごねたんだろう。リオンは悪くねぇよ。」
ティオラは、玄関に一番近い場所に座っていて、振り向くような姿勢でリオンに笑いかけた。
「リオン殿も揃った。ささやかだが招宴を開かせてもらおう。」
島長がそう言うと、アルマが食事を運んでくる。尾頭付きの煮物や、海藻を使った様々な料理が並べられていく。
リオンにとって目の間に並ぶ料理はどれも新鮮で好奇心が止まらなかった。
ティオラも久しぶりのご馳走のようでにやけ面を抑えられないみたいだ。
リオンは床を覆いつくす量の料理の数を眺め、腹をさする。
「こんなに沢山、四人で食べきれますかね?」
「はっはっはっ、リオン殿は食いしん坊なのですな。こちらの料理は私たちが取り分けた後、島の衆に分けられる。トラタの宴は皆で同じ食事をとることを言うのです。」
よく見ると玄関には、さっきすれ違った島民たちが待っていた。
「今日は久しぶりの客人を迎えての宴。いつもは集会場で行いますが、内々の話もございます。私たちはここで、」
そう言うと、皿に盛られた料理をそれぞれ取っていく。
「これは近海で取れたアカメです。煮るとの骨まで食べられます。」
どれを取ろうかリオンが悩んでいたところ、料理を運び終えたアルマが一品ずつ説明していく。
魚料理と海藻料理を中心に取り分けて、外で待つ島民達に皿を渡していく。
「酒でも飲めれば最高なんだけどな。」
ティオラは取り分けた料理を匙で触りながら呟く。
「酒ないのか?」
リオンはティオラの嘆きに問いかける。
「そりゃそうだよ。酒の元になるのはイモか、少しの果物くらい。けど、酒にする前に飢えて食べちまうからな。」
「酒が飲めるのは商人が来た時か、近くの島と一緒に漁をした時くらいだよ。」
ティオラは物欲しそうな表情を浮かべ、酒の記憶を思い出して喉をゴクリと鳴らしていた。
「これはどうでしょうか。」
大皿が島民達に渡り終え、島長宅には島長、ティオラ、リオンの三人なっていた。
リオンは三人が囲むようにして座っている真ん中に一つの瓶と二つの小さな樽を取り出した。
「これって、」ティオラが反応すると同時に島長も
「リオン殿、これは」と目の前に置かれたものの正体を聞いてくる。
「酒です。」
リオンはティオラと島長の目を交互に見るような形で首を動かす。
「酒だってぇ!」
ティオラは樽を持ち上げると顔を近づけ匂いを嗅ぐ。
「ティオラ、はしたないですよ。」
必死な形相で樽の匂いを嗅いでいるティオラにリオンは笑いながら注意する。
「へへ。久しぶりの酒の匂いだったもんで、我慢できなかったんだ。」
「匂いだけではなく飲んだらどうなるのやら、」
ご機嫌なティオラをみてリオンもついついからかってしまう。
「いいや、飲むのは良いさ。もうこれ以上リオンから何も受け取れない。」
「え?」
「リオン殿。こちらのお酒おしまいくだされ。」
ティオラは樽を床に置き、島長がリオンの出した酒達をリオンの前まで返した。
「これは、」
「リオン殿が厚意でお酒を出してくださっている事は重々承知しています。しかしながら、我らはリオン殿に過分なお心遣いを頂いている身。これ以上、我らがリオン殿に何か頂くなどあってはなりません。」
ティオラも島長と同じ表情で、リオンの目を見ながら小さく頷いた。
「そうでしたか。こちらこそ気が回らず申し訳ない。しかし、このようなご馳走を用意して頂いた手前、何の土産も無いというのはエルフの面目が立ちません。ここは一瓶で良いので受け取って貰えないでしょうか。」
自分のために宴を起こし、ご馳走が振る舞われる。リオンはそれに対して何も返せないというのは自分自身が許さなかった。
「はっはっ、リオン殿には敵いませんな。それではご厚意にあずかりましょう。ティオラ、瓶を開けても良いですよ。」
島長の呼びかけと同時かそれより少し早く、ティオラは瓶の酒を注ぎ始めていた。
「リオンには何から何まで助けられてばっかりだ。」
「酒を譲る事が人助けになるとは。なんでも持っておくものですね、」
「まったく、ティオラは」
島長宅は笑い声に包まれ、夜明けまで宴の明かりは消える事はなかった。
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