#34 明けない闇夜 その5
父方の祖父母から、こんな話を聞かされたことがある。
私たちの先祖は、あの明智光秀なのだ、と。
彼が起こした歴史的大事件の罪が、織田信長など運命を狂わされた者たちの怨念が、悔恨が、呪詛が、末裔である私たちまで連綿と続いており、降り掛かる不幸は全てそのせいなのだと。
だからこそ、教団に従って『天国』へ行き、数百年分の因果を断ち切ることこそ明智家の繁栄と幸福、そして光秀公への供養になると教主から教えられたからこそ入信したのだと、祖父母は大真面目に語り、両親もそれを本気で信じていた。
全く馬鹿馬鹿しい話である。
確かに姓こそ同じではあるが、血統を証明する品など何一つ無く、正常な思考力と判断力を持つ者なら、祖父母を入信させるために教主が吹き込んだ嘘だとすぐに分かる。
祖父母がその作り話を信じてさえいなければ、私の人生がここまで歪むことは無かったはず。
明智光秀があのような決断を下した動機は定かではないが、私が思うに、彼もまた苦しい境遇からの救済を望み、織田信長を討つことがその唯一の手段だったのだろう。
結果として彼の一族は滅亡、歴史に謀叛人の汚名を残すという、救済とは程遠い結末を迎えてしまったが、彼は己が犠牲を以て時代を変えたのだ。
見合いの話を断ってから、しばらく経ったある日のことだった。
妙な物音で目が覚めると、そこはアパートの玄関。
時計を見ると、時刻は十九時、辺りは真っ暗だった。
何故眠るには早い時間に、服のまま布団も敷かず、靴も履いたまま、力尽きたように玄関で眠りこけているのだろう、とのんびり考える暇も無く、玄関扉から音と声が響いた。
「明智さん、居るんですか!?
ピンポンピンポンというインターホンが連打される音と、ドンドンと扉が強く叩かれる音、そして苛立ちが混じった声が、寝起きでぼやけた頭に不快に鳴り響く。
「うぅ……」
また教団の連中だろうかとうんざりしながら、石のように重い頭にフラフラとしながら扉を開けた。
「
訪ねて来た彼らが見せたのは、何と警察バッジ。
それも一人や二人ではなく、厳めしい面構えの警察官が何人も来ていた。
「け、警察……!? 一体、私に何のご用でしょうか……?」
「それは署でお話します。ご同行願えますか?」
途轍も無く苦しい人生を強いられてきた私だったが、法律に触れるようなことだけは一切しなかった。
そしてパトカーで連れて行かれた先の警察署で、私は驚愕の事実を聞かされた。
「殺された? 両親と教主が、ですか……!?」
祖父母の代から三代に
何の用事だったのかは知らないが、その日も教主は一人で実家を訪問し、両親と会っていた。
そして夕方に妹が帰宅すると、既にそこには全身を包丁で滅多刺しにされた、無惨な遺体が三つ転がっていたため、通報を受けた警察が駆け付けた――という経緯だそうだ。
「
更に驚くことに、私がその犯人だと警察は疑っていたのだ。
「すみません、何を仰られているのか分かりません……つい先程起きたばかりなので……」
無論、警察とて何の根拠も無く、私に殺人容疑を掛けていた訳ではなかった。
既にアパートの近くの川から、犯行に使用された包丁と服、手袋が発見されていた。
それらは私の家にあった物で、検出された指紋や毛髪も当然私のもの、そして付着していた血液は殺された三人のもので、包丁の刃型も遺体の傷と一致。
加えて、殺害現場となった実家の周辺でも犯行時刻の前後、その服を着た私の姿が付近の住民や防犯カメラに目撃されていた。
そして何よりも、私には充分過ぎるほどの動機がある。
「妹さんから聞きましたよ。あなたは幼い頃からご両親から信仰を強制され、日常的な虐待も受け、彼らを酷く恨んでいたと」
「はい……」
正直、両親と教主の死への悲しみは微塵も湧かず、一滴の涙も零れなかった。
あれだけのことをしてきたのだから、そのような末路を迎えても因果応報としか言い様が無い。
しかし――悪徳教主はともかく、両親と和解する機会が永遠に失われたことについては、少しばかり残念という気持ちが湧いた。
教団が、教義が、自分たちの信仰が間違っていたと認め、一度だけでも謝って欲しかった。
信仰とは無関係に、私を認め、純粋に愛して欲しかった。
家族全員で幸せな時間を過ごしたかった。
「あなたがご両親と教主を殺害したということで、間違いありませんか?」
警察署の取調室で、何度も何度も同じ質問をされた。
金品には一切手が付けられていなかったことと、全身を滅多刺しという強烈な手口から、犯人の動機が強盗ではなく怨恨と警察は断定していた。
「すみません、本当に何も憶えていないのです……」
それが今の私が言える、偽りの無い事実だった。
居なくなればいい、とは何度も思ったが、殺してやる、と思ったことは一度も無い。
「何も、ね……。では自分は無実だと言うのですか?」
「それは……分かりません……」
しかし、絶対にやっていない、と言い切れないのもまた偽り無き事実。
青春も自由も財産も将来も奪われ、自殺未遂に至るまで追い詰められたのだ、むしろよく今まで殺意が芽生えなかったものだと、自分の人の好さに驚いてすらいた。
殺人ではないにせよ、私は過去に一人の命を奪ってしまっていたし、精神的に受け止められない出来事に直面した際、脳の防衛本能として、その場で失神したり、部分的な記憶喪失に陥るケースがある、と聞いたことがあった。
精神の限界に達して衝動的に犯行に及んでしまい、しかし自分がやったことの重大さに気付いてショックを受け、自宅まで戻って来た所で失神、目覚める頃には脳がその記憶を消去し終えていた――ということなのかも知れない。
「これで何度目になるか分からないけど、また訊くよ? 君がご両親と教主を殺害した。そうだね?」
証拠品、目撃証言、アリバイ、動機、曖昧な態度――全ての要素が私が犯人だと示していたため、警察も私がクロだと九分九厘決め付けていた。
足りない一厘を埋めるのは、私の自白のみ。
「……はい……多分……そうなのだと思います……」
まだその結論に対して自信が持てなかったが、事ここに至った以上、否定した所で結果が変わるとは思えず、連日の取り調べで精神的にも肉体的にも疲弊していたため、遂に私は頷いた。
こうして、私は殺人罪で逮捕された。
教主急死によって教団は大混乱に陥り、事件は大々的に報道された。
各地の被害者団体はこの機とばかりに一斉に立ち上がり、警察やマスメディア、各機関も介入して注目を集め、社会は大きく動いた。
悪質な活動の数々が白日の下に晒され、幹部や関係者は次々に起訴、教団は瞬く間に崩壊を始めた。
国会でも議論されて宗教活動に関する法律が見直され始め、遂に教団に対して解散命令請求が出された。
そう思えば、私がこの世に生まれてきたことにも、少しは意味があったのかも知れない。
自分一人が手と名を汚すことで、同じような境遇の者たちに救いを与えられたのだから。
カルト宗教によって生まれながらにして人生を奪われ、その復讐として両親と教主を殺めた女として、
教団の悪行を世に知らしめ崩壊に追い込んだ私を「悲劇のヒロイン」または「令和の女光秀」と讃え、情状酌量の余地も大いにあるとして、減刑を求める声も少なくなかったそうだが、どんな事情があろうと殺人は殺人、まして親殺しが社会的に肯定されることなど決して有り得ない。
死人が決して蘇らないように、その汚名もまた消えることは無い。
例え減刑され、それが済んで社会復帰したとしても、殺人者として歴史に記録され、死後も疎まれる。
二度と日の目を見ることの無い、明けない闇夜に、私の未来は覆い尽くされたのだ。
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