第4話 階段の先は










 景色は相も変わらず蛇行した石段のみで、周囲は白と言っていいほど深い霧に覆われたままである。



「これ、戻れると思います? 」


 そんな後輩の不安そうな言葉に、階段下を見ながら首を振る。


「無理そうだな。見ろよ、階段が消えてる。下りようとしても不思議空間に放り出されてどうなるかもわからん。大人しく上がり切った方が賢明だろうよ」


「なんか、先輩冷静過ぎません? 」


「一周回ってってやつだよ。これ以上状況が悪くなったらたまらん。とりあえず上がろうぜ」



 階段の先にはかろうじて一筋の光が漏れているのが見え、とりあえずそれを頼りにどちらからともなく階段を上がりだす。


 濃密な霧は肌に纏わりつくような湿り気を帯び、まるで雲の中を歩いているようにも感じさせる。

 実際ここが空の上であっても不思議ではないほどに、周囲には地に聳え立つはずの建物一つなく、どこまで続いているかもわからない空間に階段だけが浮いているような状態だ。

 踏み外して放り出されぬように、後輩の手を握りしめて頂上を目指していると、しばらくして光を放つ鳥居の真下まで上がり切り足を止めた。

 階段下から見えていたみすぼらしい鳥居とは違う荘厳な佇まいの鳥居は、近くに寄れば寄るほどその大きさに目を剥いてしまう。



 とにかく巨大と言わざるを得ない鳥居の先には、どこまでも白くぼやけた空間が広がっていた。

 夜という時刻を忘れさせる天光が柔らかくその空間を照らし、星のように瞬いた何かの粒子が暖かな風に吹かれて舞い上がると、余計に現実離れした光景を生み出している。



「いよいよ正気の沙汰とは思えない光景ですね……私たち、いつの間にか死んでたりします? 」


「それな」


「はぁ……どうしましょう先輩ぃ! これ鳥居潜ったらヤバい予感しかしないんですけど! 」


「そうなんだよなぁ……。でもそれ以外に選択肢ないしな」



 そう言いながら今見た道を振り返ると、すでに階段は消え、ぽっかりと深い闇だけが大きく口を開けている。

 眼前に広がる底なし沼のような闇を見た後輩は、小さな悲鳴を上げるとコアラの如く抱きついてきた。その体は小さく震え、華奢なこともあり酷く弱弱しく見える。

 普段はお調子者で、妙なところで男気を見せる彼女であっても、こんな現実離れした光景を見れば流石にいつもの余裕など吹き飛んでしまっても仕方がない。

 かくいう自分も冷静さを欠いている自覚はあるし、それを表面上どうにか抑え込んでいるだけである。

 二人で冷静さを失えば、いざという時に必ず後悔することになると思ったからだ。



「……行くぞ」



 腕に抱きついたままの後輩が見上げるようにこちらに視線を向けて小さく頷くと、ゆっくりと鳥居を潜った。



 足を踏み出し、鳥居の先へと体を潜らせた瞬間、眩い光と共にサァッと駆け抜ける強い風に煽られ、思わず目を瞑る。



 ―――望まれたものを残し、望むものをその手に。



 そんな声が脳裏に響いた。


 女性とも男性とも言い切れない中性的な声は酷く無機質で、感情を感じさせない抑揚のなさが余計に電話口の機械音声を連想させる。

 そんな誰かの声はそれ以上何も語らず、自分の中の何かが剥ぎ取られるような感覚を確かに感じながらも、光だけが眼も開けられないほど強く激しくなっていき、やがて視界も意識も、何もかもすべてを飲み込んでいった。












 それは永い時だったのか、ほんのひと時の間だったのか。


 ふと、意識が浮上し自分を自分だと認識できるようになった頃、先ほどまでとは明らかに違う場所に立っているのがわかった。

 最初に朝露を感じさせる湿り気を帯びた草の香りが鼻を突き、頬を撫でる風がそのまま吹き抜けて草木を揺らす、柔らかくも優しい音が耳に届く。


 恐る恐る目を開けると、視界いっぱいに鮮やかな草花が飛び込み、足元からずっと遠くまで見渡す限り広がっていた。











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