第3話 迷子坂












【迷子坂】と名付けられたその場所は、住宅街の中にありながらも人通りのなさと沈み込むような夜霧のせいか、ひと際不気味な有様であった。


 分け合う傘に落ちる雨粒の音は、薄気味悪い場の雰囲気に漏れたであろう後輩の息を飲む音をかき消さず、むしろそれを浮き彫りにするかのように細やかだ。


 わずかな段差ほどの緩い石段が続く坂道の足元には、テレビでも映っていた苔むした道祖神と、【迷子坂】と呼ばれる所以が記された案内板が立っていた。

 暗がりでもわかるほど色褪せた案内板は、擦り切れて所々読めない。目を凝らしながらも読んでみると、その昔この辺りは無秩序なほど建物が入り込んでおり、周辺に詳しくない他方から来た者たちが揃って道に迷うことから、迷子坂と呼ばれる坂は多かったということが書かれてあった。

 今では区画整理が進み、迷子坂と呼ばれる場所はここしかないようだが、かつてはさぞ住みにくい土地であっただろうことが窺える。

 ここだけ残っている理由としては、この上に立つ神社の参道としてだそうだが、その神社も今は縮小され、住宅街の一角に本殿がひっそりと存在しているくらいらしい。



「うわぁ……夜だと雰囲気ありますねぇ」


「塗装の剥げた鳥居とか、ホラー感満載だな……」



 霧がかってぼんやりと浮かぶように見える鳥居を前に、言いようのない怖気を感じて思わずそう言葉を零す。



「神社に続く階段が三十段あって、それが一段増えるごとに異界に迷い込んでるとかいないとか」


「なんだそりゃ」


「まぁまぁ、とりあえずそう言われてるらしいんで、試しに一段ずつ数えてみましょうよ」



 そう言うと、後輩は降っている雨の中に身を躍らせ、湿った石段を踏みしめた。



「いーち、にーぃ、さーん」



 それを目で追いながら、同じようにして段数を数えていく。

 三十段などあっと言う間だと思い、焦らすようにしてゆっくりと踏み進めていくと、雨が降っていることに加え苔生こけむしているせいか、足元がかなり滑りやすい。

 程よく酔いが回り足取りが覚束ないながらも、こんな子供じみた真似をしている自分たちに何故だか変な笑いがこみあげてきて、思わず口元に笑みを浮かべた。



「じゅーはち、じゅーく……んん?」


「おっと、急に止まってどうした」



 足元ばかり見ていたせいか、突然立ち止まった後輩に気づくのが遅れてぶつかりそうになったのをどうにか回避する。

 彼女はまだ少し続くであろう階段の先を見上げながら、不思議そうに首を傾げていた。



「先輩、これどうみても三十段以上ありません? 」


「……そうだな。どっからどう見ても、百段以上あるなぁ」



 後輩に言われて階段の先へと視線を向けると、霧深いとはいえかろうじて見えていたはずの神社の鳥居は姿を消し、延々と続くかのような石段の道がうねうねと蛇行しながら広がっている。

 周囲にあったはずの住宅もいつの間にか消え、階段の下を見れば絶対に視界に入るであろう道路や道祖神の姿も見えない。

 まるで白い空間の中に階段だけが浮いているかのような光景に、一気に酔いが覚めて血の気が引いていくのを感じる。



「これって、まさか」


「そのまさか……だろうなぁ。嘘だろ、おい」



 石段に並び立ち、互いに言葉少なく立ち尽くす。

 どれだけ目元を擦ってみても不可思議な光景からは目覚めることは無く、夢の中に迷い込んでしまったかのような景色を前に、顔を見合わせることしかできない。




 どうやら、本日最大の不幸が訪れてしまったようだ。











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