第2話 後輩は多趣味











「私、実は狩猟免許持ってるんですよねぇ」



 雨がさらに強まる中、駅をまたいで店にたどり着き、念願である赤身肉が艶やかな夏鹿のローストを美味そうに頬張りながら、目の前の後輩は何とはなしにそう言った。


 口に入れた瞬間に感じる独特な芳香と旨味に唸る後輩は、厳つい猟銃などとてもではないが持てそうにないほど華奢な体格をしている。発砲した瞬間に体がもっていかれそうなくらいには小柄な彼女を驚きの眼差しで見ながらも、ふと去年の新人歓迎会の出来事を思い出して即座に納得した。


 去年の新人歓迎会。目の前の彼女は大学を卒業したばかりの初々しい新入社員だった。

 その容姿の幼さもあり、いじりやすかったのか、隣に座っていた中年上司に何かと絡まれていた。諫めても酔っ払いに常識は通用せず、初めのうちはこちらを立てつつも苦笑し躱していた彼女であったが、しまいには何か特技を披露しろというパワハラまがいの無茶ぶりに業を煮やしたのか、含んだ笑顔を見せつつも一発芸を披露したのだ。

 彼女は瓶ビールを一瓶注文し、それを皆の目の前で道具を使わず開けて見せた。そう、誰もが予想だにしなかった【手刀】という妙技で。

「せーの」という気が抜けるような声とともに、手がブレたかと思えば瓶のくびれから上が無かった。すっぱりと刃物を使って切られたような切り口から溢れ出るビール。手を汚しながらも、酔いが覚めて完全に顔面蒼白になった上司のコップに微笑みながら注いでいるのを見た時は、その場にいた社員が一様に恐れ戦きつつも、内心スカッとしたのを憶えている。


 そんな達人技を持つ彼女が銃を扱い狩猟していると知ったところで、なんというか今更感が強いのである。



「なんつーか、人は見かけによらないっていう典型的なタイプだよな、お前」


「よく言われますぅー。先輩だってそうっしょ! このかわいい物好きめ」


「ぐっ……」



 以前スマホの待ち受け画面を、行きつけの店のマユミちゃん(スコティッシュフォールド雌二才)にしていたのを見られてから、事あるごとにこうしてからかってくる。

 あの店は息苦しいストレス社会の中の貴重なオアシスだ。休日に気ままなかわいこちゃんをこれでもかと侍らして、たまにお腹の匂いを嗅がせてくれるだけで、この下僕めにはご褒美なのだ。

 なぜか昔から動物に嫌われることがなく、行きつけの店では気難しい子ですらも手懐けてしまうことから、『またたびお兄さん』の愛称で親しまれているわけであるが、それを後輩に自慢した時には笑いをこらえるように唇をヒクヒクさせながら顔を背けられた。実に遺憾である。


 後輩はワイングラスを揺らして口に含むと、鹿肉の後味との相性を楽しむように味わうと、新たなローストを箸で摘まみつつ口を開く。



「まぁ、狩猟免許持ってても、最近は全然やってないんすけどねぇ。仕事のこともあるけど、今は時期じゃないし」


「へぇ、狩猟に時期とかあるんだな」


「基本的には十一月から二月までの期間限定なんですよ。鳥獣保護の関係とか安全面なんかもありますけど、正直それ以外の時期はおいしくないって言われてるんです」


「んじゃあこの夏ジビエってなんだ? これ今くらいの時期のやつだろ?」


「んー……鹿なんかは春夏あたりがさっぱりしてて美味しいらしいんですよね。鹿とかイノシシなんかは地域によっては期間外でも狩猟可能だったりもするんで、意外と一年中食べられたりするんです。まぁ、夏の狩猟とか地獄以外の何物でもないっすけどね。虫と蛇と暑さのコンボ……絶対やりたくない」


「あぁ……そうだよな」


「だからこの肉は狩ってくれた猟師さんに感謝しつつ、美味しく頂かないと……あーん」


「んっこら、おい口に突っ込むな! ……んめぇ」


「でしょ?」




 香味ソースが添えられたローストはほんのりと赤味がかり、しっとり柔らかくて臭みが少なかった。粒の大きい塩のみで食べると、その素材の良さが塩の旨味で引き立ち、舌の上で繊細に溶け合う。香味ソースをちょんとつけて食べると、これまた赤ワインと香味野菜、果物などを煮詰めて作った甘めのソースが鹿のあっさりとした肉質によく合った。

 舌で味わい、鼻を抜けるソースの香りを楽しみながら、なんとかこのソースが再現できないかと思考を巡らせる。自分のために時間をかけて料理を作るのも趣味の一つであるため、いずれ試してみようと声に出さずにウンウンと頷いていると、目の前の後輩は呆れたように肩をすくめていた。



「先輩、また自分で作ってみようとか思ってたでしょー。好きですねぇ、そういうの」


「おう、まぁな。今度鹿狩ってきてくれ。そしたらいろいろ作ってやるよ」


「狩るのは簡単ですけど、家で作るならちゃんと審査パスした肉使った方がいいっすよ? 個体によっては持ってるやつもいるんで」


「あぁ、虫とか菌とかそういうやつな。通販で買えっかなぁ……」


 そういえば昔、父親が猟師の親戚からイノシシの肉をもらってきたことがあったが、とにかく下処理が面倒だと母親が台所で嘆いていたのを憶えている。

 いくら狩ってすぐにの血抜きをしていても、野生臭さはどうしても残るらしく、臭みを消すのに塩水に浸しては洗いを繰り返して下茹でしてから使っていた。

 それを考えると、獣肉は扱いづらく今の自分には荷が勝ちそうだなと早々に諦め、目の前のご馳走に集中する。



「私、今流行りの異世界転移とかしても、割と生きていける気がします」


「確かに。お前逞しいもんな」


「逞しい……まぁ、誉め言葉として受け取っときましょ。私、もし異世界に行くとき一つだけ持っていけるものがあるとしたら、先輩持っていきます」


「は? なんで」


「だって、女子力高いし使える筋肉だし、面倒見良いからなんとかなりそう。私と先輩のセットなら絶対うまく回る気がする。うん」


「そうだなぁ、お前の持ってない女子力を俺がカバーすれば生活できそうだ」


「先輩は私が養います」


「おう、そん時はよろしく」


「お任せあれー」



 後輩はそういうと、ムンとばかりに握りこぶしを作る動作をしつつ、屈託なく笑った。


 そんな話をしながらも、次々に料理を注文しては酒を飲み、鬱憤を晴らすように食べては飲んで軽快に笑いあう。

 後輩との話は上司の愚痴から日常の些細な事など様々であったが、酒が進むにつれて次第に後輩の呂律があやしくなり、会話もあちらこちらへ際限なく飛んでいく。

 だんだんと火照って赤らむ頬をそのままに、後輩は日ごろのストレスを洗い流すかのようにガッパガッパと飲み続けた。

 さすがに目が本格的に座ってきた辺りでそろそろ止めようと、残りのワインを自身のワイングラスに移して空にする。

 後輩はそれを見て名残惜しそうな目をしながら拗ねたように唇を尖らせた。



「もー、まだ飲めるんですけどぉー」


「まだグラスに入ってるだろ。今日はもうそれで我慢しなさい」


「はぁいお母さんせんぱーい! 」


「完全に出来上がってんな、これ……大丈夫か? 」


「だいじょーぶです。まだいけますぅ」


「いやいや、もうだめだから」



 ワイングラスを片手に、にへらと笑った後輩は、大胆にも残ったワインをグイッと豪快に飲み干してから言葉を続ける。



「そういえばぁ、先輩……ここら辺みたいですよ? 」


「ん? なんだよ急に」


「ほらぁ、テレビでもやってたっしょー? 【迷子坂神隠し事件】。その迷子坂ってのがぁ、ここら辺らしいんですよ。歩いて行けるくらい近いってぇー」


「あぁ、あの事件なぁ」



 今日ショーウィンドウ越しにチラリと観た特集を思い出す。

 二年前、世間を大いに賑わせた行方不明事件。まさに神隠しとしか思えないほど不可解すぎる事件に、当時は警察だけでなく、マスコミ関係者や学者、はたまた霊能力者まで駆り出され、この事件の行方を誰もが追いかけた。

 けれども、結局なんの進展もないまま時が過ぎ、次第に他の事件同様に日々の話題に埋もれて取り上げられなくなっていった。



「ちょうど今日みたいな感じな雨が降ってて、霧も深くてぇ……たしか時間もこんくらいだったんじゃなかったでしたっけ……」


「そういや、日付も同じだな」



 六月十五日、あの事件が起こった日と同じ日付、そして同じような時間に同じような天気。

 偶然が重なるもんだなぁと他人事のように思っていた矢先、目の前の後輩が突然閃いたとばかりにそうだと声を上げると、持っていたワイングラスを置いてニヤリと口角を上げる。



「行っちゃいます?」


「はぁ?」


「だーかーらーぁー、迷子坂ですよ!」


「今からか?」


「そうですとも。面白そうじゃないですかぁ」



 酔いがピークに達し、ふわふわと弾んだ声を出す後輩の言葉を適当に聞き流しながら、ふと夜に塗りつぶされた窓の向こうへと視線をやる。

 滝のようだった雨はいつの間にか鳴りを潜め、今は夜の帳が下りきった時間帯には相応しい、淑やかな小雨に落ち着いている。窓ガラスに張り付く結露が重みに耐えかねサッシへと伝っていく様子を目に入れながらも、後輩の冗談めいた言葉がなんとなく面白そうだと感じてしまっている自分がいた。


 小さな不幸が重なった疲労感からか、いつもよりも酔いが早く回っているように感じる。

 そうでなければ、今の話もとっくに面倒だと言って相手にもしなかったであろうし、妙に気が大きくなっている自分にも早々に気づけたはずである。

 けれども、酒気に緩んだ頭は傲慢にも迷子坂なる場所を見に行ったところで、何か自分に降りかかるものでもないだろう、そう安直にものを考えてしまったのだ。



「んで? どんぐらい近いの?」


「ホントここから目と鼻の先ですよ。ほら、ここ」



 そう言ってスマホの画面を指さす後輩の手元を見ると、確かに画面に表示された地図には、この店のすぐそばに例の場所が記されていた。

 帰りにちょろっと寄るくらいはできそうな距離に、ことさら興味が湧いて、気が付けば残りのワインを飲みほして会計し、後輩と二人で飛び出すようにして店を出ていた。












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