第28話 失った痛み
沸騰したように音を立てる俺の頭を冷やしたのは、リィナの甲高い悲鳴だった。
「お母様! お母様、しっかりしてください! 死んじゃ駄目!」
「リーヴァ殿下、しっかりしてください! ど、どうすればっ!」
「レイカ、落ち着いてください! すぐにローラさんを呼んできます!」
ゆっくりとベランダを振り返る。
そこには、雷に体を焼かれて横たわるリーヴァと、泣きながら抱きかかえるリィナ。同じく涙を流し、呼吸が荒くなったレイカと、慌てて部屋を飛び出すライラの姿が見えた。
あの日と同じ、目の前が焼け野原になっているような錯覚が浮かんだ。すべてを灰に変え、大切なすべてが燃えつくされるような錯覚。肩を焼かれて泣き叫び、苦しみに悶えるその姿が何度も何度も頭の中で繰り返される。
それがいったい、どれくらい続いたんだろうか。
俺の中に怒りとも違う強烈な感情が押し寄せてくる。心をかきむしり、自分さえ絞め殺すような衝動は、叫びとなって体を震わし、森全体に響き渡った。木々の葉が大きく揺れ、共鳴するように巨木さえ震えたような気がした。
「リネル様?」
小さく名前を呼ばれたような気がしたが、それを聞きとる余裕は失せていた。
有り余る力を振り払うようにベランダに背を向け、なおも戦闘の音が響き渡る戦場に向かう。
「あとちょっとっすよ! もうちょっとで押し切れるっす! パイセン、そっちお願いしま――」
「《リヴェラル・ノヴァ》ッ!」
戦場に落ちると同時、心の奥底から湧き上がってくる衝動を解き放つように全力の魔法を放つ。木々の幹を貫通し、わずかに残されていたスピアーモンキーたちが散り散りになって全滅する。それでもなお収まらない衝動を、幹をくり抜かれて倒れてくる木々に向ける。
「なんで、なんでなんだよ! どうして、どうしてまた奪うんだ! また、奪われるんだよ!」
叫んだだけじゃ収まり切らない衝動は、俺の中で何度も悲鳴を上げる。燃え上がる景色が、もだえ苦しむ姿が幾度となく俺を蝕み続ける。
「うわあああ! 木が倒れてくるぞ!」
「に、逃げろ!」
エルフたちの悲鳴が鬱陶しい。まるで、家が燃え上がる火のざわめきのようなその音は、ただただ俺のうっ憤を加速させる。
「クソがあああぁぁぁぁ!《リヴェラル・ノヴァ》ッ!」
放たれた爆音は木を砕く。触れる傍から粉々になり、宙に投げ出された木々のすべてが木片に変わって降り注いだ。
「う、うおお! リネル様がやったぞ!」
「すげぇ! なんだ今の魔法!」
「一掃しちまったぞ! 流石はリィナ殿下の婚約者だ!」
後ろから称賛や歓喜の声と、走り寄ってくる足音が響いてくる。
真っ白な頭で何も考えることなく、ほとんど反射的に振り返った視界の中で。両目を帯で覆ったリアサの顔だけが、くっきりと映っていた。
それが1歩、また1歩と近づくにつれて、俺の中の衝動が静まっていくのを感じた。いや、むしろそれは、別に衝動に打ち消されていたのかもしれない。
リアサが目の前にたどり着き、俺の肩に手を置いた。
「それ以上続けると、リネルが壊れちゃうよ」
突き放すような口調で告げられて、自分の両手に魔力が込められていることが分かる。すでに戦いは終わり、目の前にいるのは仲間だけなのに。
そんな自分に気付いてしまえば、どういう意味、とは聞けなくなった。
戦場に訪れた静寂の裏で、薄っすらと歓声が鳴り響いていた。
リィナの部屋に戻った俺を待っていたのは、ベッドに横たわるリーヴァと、リーヴァの手を握って泣くリィナ。それを少し離れて痛ましそうに眺めるライラとレイカ、そしてリーヴァに手をかざすローラだった。
リィナは静かに涙を流し、レイカは堪えようとしているのだろう。顔を歪めていて、それでも涙がぽつりぽつりと頬を伝っている。ライラは目を伏せて俯き、ローラは真剣な顔でリーヴァを眺めていた。
俺の隣にいるのはリアサだけ。他の戦士たちにはリーヴァのことを伝えていない。騒ぎになったり、士気が下がったりしたら大変だ。ニケロイアが生きている以上、まだ攻めてくる可能性は大いにある。敵が来るかもしれないと言って、準備をしてもらっている。
ただ、ローラがこちらに来たことで察する人は察しているかもしれないな。
それでも実際ここにいるのは事情を知るものと、お得意の魔眼病ですべてを見ていたらしいリアサだけだった。
真っ白になってしまった頭の中で考えられたのはそれくらい。
静かに時が流れるのを待つだけの時間が過ぎ、ローラが顔を上げた。
「大丈夫です~、リーヴァさんは少し気を失っているだけみたいです~」
「ほ、本当?」
普段の気迫を失い、すすり泣いていたリィナはゆっくりと顔を上げた。
目を充血させ、かすれた声を出すリィナの姿が痛ましくて。リィナをそんな風にしてしまったのが俺だと思うたび募ってくる罪悪感は、胸を締め付け、きりきりと痛む。そして、思い出す。何度も見てきた、その光景。俺が、守れなかったものたち。
1度目の人生での友人も、2度目の人生でのライバルも……。
俺の中で積み重なった守れなかったものたちが、泣かせてしまったものたちが、再び焼き付く。
何度転生しても、結局変えることは出来ないのだろうか。
そんな自責を止めたのは、リィナの嬉しそうな声だった。
「お母様!」
慌てて顔を上げると、リーヴァが目を開き、ゆっくりと周囲を見渡しているところだった。
リィナは隠すように目元を抑え、慌てて涙を拭いた。けれどリーヴァと目が合った瞬間、再び涙が零れてきた。そして、小さく呟く。
「本当に、よかった」
その呟きに応えてか、リーヴァが微笑んだような気がした。
それが、ほんの少しだけ俺の心を軽くした。焼き付いていたものが剥がれ落ちたような、全身の燃えるような熱さが、少しずつ冷めていくような感覚。
思わず俺が安堵していると、ローラがリーヴァに声をかける。
「目が覚めたみたいですね~。リーヴァさん、大丈夫ですか~?」
まだ意識がはっきりとしていないらしく、うつろな目だったが、それでも意識が戻った。
レイカやライラが安堵に胸を撫で下ろし、リィナが涙を拭いて顔を覗き込んでいる。
「リーヴァさん、外傷はほとんど完治してますので、安心してくださいね~。すぐに動けるようになるとは思いますが、あまり無理はしないでくださいです~。それじゃあ、この場はお任せしますね~。戦士の皆さんの中にも怪我を負った方がいるみたいなんです~」
「ええ……ええ、ありがとうローラ」
微笑みを忘れないローラが言えば、リィナは涙ながらにお礼を言った。
普段リーヴァといがみ合い、向き合えば口喧嘩ばかりだったリィナは、しかし母親が重体とあれば泣いて悲しむことが出来た。その姿は感動的であったが、少し裏切られたようにも思えた。俺にはそんな感情をむき出しにするなんてこと、出来ない。
ローラが小さく手を振って部屋を後にし、しばらく経ってからリーヴァが口を開いた。
「私……みんな……」
「お母様、しっかりしてください。いつまでも寝惚けられては困ります」
「リィナ……私、確か魔法を受けて……」
「……私を庇って傷を受けて、目を覚まさないようだったら恨むところでしたよ。勝手に死んでもらっては、困りますから」
そう言って微笑んだリィナを見て、リーヴァもまた微笑みを返した。
それから体を起こし、少しずつ調子を確かめていく。体を伸ばしてから、ペタペタと全身を触って確かめていく。それで違和感が無かったのだろう。改めて周囲を見渡した。
この場にいる全員と目を合わせた後、リーヴァはこちらが安心するような笑みを浮かべた。
「心配かけてごめんなさい、私なら、大丈夫よ」
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