第19話 森の試練

「あれ? おいレオン、あれリネルじゃないか? おーいリネル! ……リネル?」

「どこ行くんだ?」


 少し遠くから名前を呼ぶ声が聞こえたが、聞こえないふりをして足早に立ち去ることにした。

 以前、確か3度目の人生だったと思うのだが、とある出来事がきっかけで怒りを覚えた時、感情的になって暴れたことがあった。原因は確か、商人を襲った野盗たちが、年端も行かない少女を強姦しようとしていたからだったはずだ。

 当時俺は8歳だったが、その転生では1歳の頃から意識があって肉体は完成していたし、すでに神器を手にしていたのもあって野盗たちをボコボコにして近くの街の衛兵に突き出してやったっけ。全員瀕死の重傷で、助けたはずの少女にも酷く怯えられてしまった。


「今はそんなことしないって信じたいな」


 とは言いつつも家具のひとつでも壊してしまう可能性がある。そんな迷惑をかけるわけにはいかない。

 冷静なのか怒っているのか自分でも分からない状態のままシンラ・カクを出て、森に入った。そして、それからどれくらいの時間が経っただろうか。


 いつの間にか日は暮れ、森は暗闇に包まれた。辛うじて発光性の植物があるおかげで歩いていたら木にぶつかる、なんて馬鹿なことにはならないでいるが、方角も分からなくなってしまったので帰ることもままならない。


「まあ、これなら日が昇るまではひとり確定だろうし、誰にも迷惑かけずに済むよな」


 1つひとつが100メートル以上の高さを持つ木々の森林は、木の足元にも植物が生い茂っている。地上を歩くとなるとそれを掻き分けての移動になってしまうため、俺は木の枝を伝ってある程度の高さまで登る。

 それから安定しそうな太い枝を見つけ、そこに腰を下ろした。


「にしてもここは寒いな。もしかして雪山に近いのか? 魔の荒野の方角に来たと思ったが……」


 と言っても、そもそも俺はシンラ・カクがシンラシンラのどのあたりにあるのかすらも分かっていない。途中から迷い始めていたし、雪山の方に来ていてもおかしくない。

 そうは言っても凍えるほどではなく、このまま寝ても凍死なんてことにはならないだろう。

 そう判断し、眠ろうと思って瞼を下ろしたその時、かすかに音がした気がして瞬時に体を起こす。


「魔物、か? 普通にいるだろうとは思ったが、まさかここまで登ってこないよな?」


 そう言いつつも万が一があるため警戒を強めて周囲を見渡す。しかし辺りは暗闇だ。その上森は広大だし上下もある。見なければいけない範囲が多すぎて、見つかりそうにもない。

 近いことは確かなんだろうが……と思いながら視界を巡らせていると、ちょうど今いる木の間下あたりから声が聞こえてきたような気がした。


 とっさに身を細くして枝に隠れるようにする。こんな暗闇で見上げても何も見えないとは思うが、念のためだ。それから耳を澄まし、声の正体を探ってみる。


「あ――え――そう――――おうさ――」

「鳴き声……じゃない。ちゃんと言葉を話してるぞ」


 見下ろしてもよく見えず、誰が話しているのか分からない。

 確かに気配はするのだが、視界が利かない。


「せめて声だけでも聞いておくか……《エア・サウンド》」


 音を集めたり拡散したりする魔法、エア・サウンド。

 これで声が聞こえるはず。

 俺は、声を聞き取るために耳を澄ませた。


『我々の目的はあくまで神器の破壊だ。エルフどもに構う必要はない。分かったな? では、私が合図するまでこの場で待機していろ』

「……マジかよ」


 声を殺してそう呟く。

 全貌を掴むまでには至らなかったが、どうにもシンラ・カク、そしてそこにあるであろう神林弓を狙っているらしい。

 孤高の種族エルフ。独自の技術と文化を持ち、森の中での戦闘を得意としている。その守備力と言えばどんな種族のどんな集落と比較しても随一とされていて、攻め込むのは脳の無い魔物くらいだ、なんて話は世界共通だと思っていたんだが。

 どこの馬鹿だか知らないが、攻め込もうとしているらしい。


「一応、伝えたほうが良さそうだよな。《エア・フライト》」


 音をたてないように浮遊魔法を使い、木々の合間を縫って移動を開始する。方角が分からない以上シンラ・カクに戻ることは難しいが、ここにいてはいずれ見つかってしまうかもしれない。

 偵察を続けるって選択肢もあったが、相手の戦力も規模もなんなら種族さえ分からない。話をするということは少なからず人類だろうが、場合によっては人語を話す魔物、なんて可能性もある。

 ノエルの話だと魔王復活が近いらしいし、警戒して損はない。


 実際、魔王だったらシンラ・カクに攻め入ろうとか考えてもおかしくないだろうし。


「さて、どこで時間を潰そう――」


 刹那、風の音が消えた。

 とっさに方向転換を図る。

 いきなりのこと過ぎて、木にぶつかってしまったが、受け身を取って体勢を整えて枝の上に着地。そこそこ痛かったが、直後に響いた爆音を聞いて、あれを食らわなかっただけましだったと思う。


 紫色の閃光が森の暗闇を切り火焚いて弾け、巨木を1本、半ば程から貫いた。大きく抉られた巨木は音を立てて倒れ始め……こちらに向かって落ちてくる。


「やば」


 思わず大きく跳んで、別の枝に移る。すぐに振り返れば、倒れてきた巨木は俺がいた枝を巻き込んで地面に向かって落ちていく。それから数秒後、さっきの爆音にも負けない音を響かせ、砂埃が巻き上がる。


「……今の、普通に死んでたな」


 思いの外体が素直に動いてくれて助かった。慌てていつもの調子で躱そうとしたが、定着し始めてすぐの体だ。思い通りに動かない可能性もあった。この前レイカの前で試したときにも違和感があったので実はかなりのリスクがあったのだが、こうして生き残っているわけだし良しとしよう。

 そんな風に安堵していると、先程、エア・サウンドで聞いた声が聞こえて来た。


「ほう、今のを躱すとは、なかなかの実力を持っているらしいな」

「……誰だ?」


 改めて聞いた声は、女か男か判別の付かない、歪に震えたような声をしていた。普通の声帯で出せそうな声ではないし、正体を隠すために魔法か何かで変えているのだろう。


 そいつは、黒いフードで顔を隠し、それから連なるマントで全身を隠した格好で宙に浮いていた。

 外見からでは一切情報が掴めなかったが、さっきの攻撃と言い、強いことは間違いないだろう。その全身から黒色の魔力が漏れ出していて、それが紫色の雷となって体を覆っている。


「無粋だな、小僧。まずは自分から名乗るのが筋であろう?」

「どうだろうな。聞かれたら答えるのも誠意だと思うが?」

「ほう、言うな。先程の反射神経と言い、面白い小僧だ」


 上から目線でちょっとムカつく。


「それで? シンラシンラに何の用だ? エルフじゃないのは流石に分かるぞ」

「野暮なことを聞くんだな。先程盗み聞きをしていたであろう?」

「……さて、何のことだか」


 フードの裏で小さく笑っている雰囲気が伝わってくる。鎌をかけたというより、確信していたんだろうな。だとすれば、さっきは見逃されたのか? それともエア・フライトの方で気付いて、そこから予想した? 勘、という可能性もあるか。


「ここでお前を帰すと少々厄介なことになりかねないからな。ここで始末させてもらうぞ」

「へえ、俺を? いいのか? 俺を殺せば、俺の仲間が黙ってないぞ」

「構わないさ。元より、相手にするつもりだったのだからな」


 何とも強気だ。この森の中でエルフを集団で相手する。その怖さを知らないのか? いやまあ、俺も実際に体験したわけではないけど。

 

 それはともかく。


「ってことは、本気で俺と戦うつもりなんだな?」

「さっきからそう言っているが? 何だ、そんなに戦いたくないのか?」

「そりゃそうだろう。誰だって戦いたくはない」

「くくっ、それは嘘だな」


 不吉に笑ったフード人間は、両手を広げて魔法を構え、心底愉快そうに口を開いた。


「お前は、戦いたがっている!」

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