第18話 煮え立つ怒り

 俺が4杯目の紅茶に手を付け始めてから、リーヴァは話を始めた。


「リネル君に少し、聞いておきたいことがったんだ。その、失礼なのは承知の上なんだけど、ご両親はどうしたのかしら。見つかった時にはひとりだったようだけど」

「あー……」


 そうやって言葉を濁してしまったのは、すっかり存在を忘れていたから。

 リウスとしての意識が芽生え始めたのはつい最近。もちろん記憶の中にはいるのだが、実際に接したわけではない。正直、身内という認識はあまりなかった。


「あ、言い辛かったらいいのよ? その、なんとなく、分かるから」

「いえ、ちゃんと伝えておきたいとも思います。そうした方が何かと面倒事も無くなりそうですしね。……まあお察しの通り、亡くなりました。ちょうどここに来る直前なんです。魔の荒野で、魔物に襲われて」


 記憶の中にあったのは、俺だけでも逃がそうと必死に戦う両親の姿。ふたりとも決して弱くなく、旅する者として十分以上の実力があったが、相手が悪かった。


「ケプトファントムの群れに襲われたんです。もちろん対抗しましたが、数が多すぎて……俺だけ何とか逃げ出して、その先で疲れ果てて倒れて。そんなところを助けてもらったんです」

「そう、だったのね……ケプトファントムと言うと、あれよね。ドラゴンの亜種で、高速飛行が特徴の」

「はい、それです」


 空中移動が速く、残像さえ見えることからケプトファントムと言う名前がついた魔物。いわば下位ドラゴンの1種で、個々の力も十分に高いうえに群れを成す。過酷な魔の荒野で生きるのにはそれくらい必要というのがよく分かる。だって実際、俺の、リネルの両親は善戦していた。

 リネルが逃げ出すときには群れの8割くらいを倒していたし、本当にギリギリの戦いだった。


「ちょっと、不運だったんです。魔の荒野にも森があるじゃないですか。そこでの探検を終えて、人間の国の方に向かう予定だったんです。物資も無くなりかけてて、疲労もしてて……正直今の今まで忘れていたのは、俺自身、信じたくなかったからかもしれません」


 俺を逃がす直前まで、両親たちは俺を安心させるように笑っていたのを思い出す。

 全身血まみれで、傷だらけで、敵の数もまだ多くて。そんな状況なのに、苦しくて泣いてもおかしくないのに、母さんも父さんも、笑っていたのだ。

「すぐに追いつくから、先に逃げてて」

 それが普段、リネルの帰りを待つ、そんな笑顔に見えたのかもしれない。今すぐ、おかえり、なんて言いそうな、そんな笑顔に。

 だから、信じて逃げてしまったのかも。

 でも、今の俺には分かる。それはきっと、最後の送り出しだったのだ。お別れが近いと、分かっていたから。それを悟らせないように、笑顔を浮かべ続けたのだ。


 そんな、優しかった両親が死んだ話をしているというのに、俺の心は微塵も傷まなかった。そのことに罪悪感が沸いて来て、謝罪も込めて口にした。

 10年間リネルを必死に育てた両親の愛は、俺が転生したせいで無駄になってしまったのだ。そんなの、あまりに悲劇だ。

 今こうして思い出してもなんとも思えない俺は、きっと壊れているんだろう。死を経験しすぎた。他人事として生き過ぎた。それが、きっと転生という、他の人には許されない禁忌を犯し続けている俺への罰なのだろう。


 そう思ってしまったからこそ思わず口から出てしまったその言葉に、リーヴァはなんと言ったら分からないと言った様子で目線を彷徨わせる。

 何度か右へ左へと揺れ、最後に下を見つめる。それから深く息を吸い、意を決したようにこちらを見つめる。その顔には先程まで浮かんでいた悲しみは無かった。ただ代わりに、リネルの両親が最後に見せたような、少し無理のある微笑みを浮かべていた。


「あなたのご両親の分も、リネル君を大切にしないとね。……リィナがリネル君と同じような状況になってしまったら、きっと私も願うから。リィナのことを同じくらい大切にしてくれる人がいて欲しい、って」


 その苦しむような、悲しそうな表情を見て、なぜか俺の胸は締め付けられ、じんわりと痛んだ。どうしてだろうと考えた末に、俺は忘れていた感覚を思い出す。


 それは、共感。

 人の喜びや悲しみ、辛さや楽しさを自分事のように受け止める力、それが共感。いつしか、俺が失っていた力だ。

 俺は今まで、どれほど共感してこなかったんだろうか?


 そのことに気付いたとき、俺の中で何かが音を立てて壊れたような気がした。

 10年間この体に注がれた愛を忘れ、今もリーヴァからの思いやりを、優しい共感を自分事のように受け止めることが出来ないでいる。そして、それは今回が初めてじゃない。ずっと、ずっと何度も繰り返してきたこと。

 今まできっと、必死にそんな自分を言いくるめてきていた。仕方のないことだ、記憶がないだけでずっと俺自身なんだ。だから問題ない。

 そうやって目を逸らし続けてきた。

 でも、ここではそうしようと思っても、出来なかったのだ。みんなが優しすぎて、俺を肯定しすぎて、受け入れすぎた。そんな優しさに触れすぎて、違和感を抱き続けて、そんな日々が1週間も続いて。リィナとの婚約だって、心の中で上手く行かないと分かっているうえで了承するような、そんな最低な人間なのに。


 愛だとかそんな感情を、受ける価値なんてない存在なのに。


 感情任せの言葉を勢いのままに吐き出していたことに気付いたのは、すべてを言い終えた後のこと。


「やめてください。俺は、俺は大切にされていいような存在じゃないんです。雑に扱われて、無碍にされて当然な、そんなやつなんです。誰かを大切にすることが出来ない、そんな、そんなクズです」


 そこまで言って、唐突にリィナを思い出したのは、彼女がそんなクズを頼ろうとしていたから、何だろうか。


「……やっぱり、俺にリィナ殿下の結婚相手は務まりませんよ。誰かを大切にすることが、出来ないんですから」

「リネル君……」


 そう名前を呼ばれただけで、再び何かが突き刺さるような感覚がした。

 悲しそうな声も、表情も全部が頭に焼き付いた。だから、続けてしまう。


「今だって、リーヴァ殿下が本気で悲しんでくれているのに俺、俺……全然悲しくないんです。そんな俺に、大切な娘さんを任せるべきじゃない」

「そんなこと……」


 まただった。リーヴァはまた、俺に寄り添おうとしていた。


 気付けば、俺が両手で握ったカップは紅茶が零れるほどに震えていた。紅茶が手を伝って床に垂れるのを見ながらも、俺はカップを放せなかった。

 それからこの震えはなんだと自問して、しばらく考えてみて、頭が真っ白になっていることに気付いた。鼓動が速まり、全身が熱を持って熱くなる。何かを考えるのが鬱陶しいような、むしゃくしゃして感情が収まらないような、そんな感覚。


 これはたぶん、怒りだ。

 どれだけ誰かが自分を大切にしてくれても、それを受け止められないことへの、自分への怒り。


 それに気付てしまった途端、俺の中で何かが切れた。それは、長年保ち続けてきた何かが、ついに千切れてしまったような、意外にもあっけない音に聞こえた。

 ぷつん、と響いたその音を聞いて、俺は静かに息を吐く。心を落ち着けるための深呼吸は、少しずつ、少しずつ俺の中の熱を取り払っていく。やがて頭がまとまり始めてきた頃、やっとリーヴァが心配そうに見つめてきていることに気付いた。

 視線を巡らせれば、今にもこちらに駆けてきそうなレイカも見えた。


 こうやって落ち着くまで、どれだけの時間が経ったんだろう。数秒か、あるいは数分か。もっと長いなんてことは、考えたくもなかった。


「すみ、ません……少し取り乱してしまったみたいです。その、自分が何をしでかすか分からないので、今日は失礼してもいいですか?」

「え? ……ええ、分かったわ。その、ごめんなさいね。あと、ありがとう。さっきの言葉、考えてみるわ」


 さっきの言葉、というのが差すものについて、すでに心当たりはなかった。怒りに任せて口走ったことの中で、何か余計なことを言ったに違いない。でも、それを気にするだけの余裕がなかった。


 ソファを立ち上がり、部屋を出る。そんな俺の背中を慌てて追いかけてくるレイカに気付き振り返れば、心配そうにこちらを見つめている。


「レイカ、大丈夫だから。ちょっと外に出てくる」

「で、ですが」

「大丈夫……俺は、大丈夫だから」


 言い聞かせるようにそう言って、レイカから視線を逸らす。逸らしてすぐ駆け出して、昇降機に乗り込んで1階へ。

 閉塞的な空間の中でひとり、思わず拳を握り締めた。


「気晴らしにでも、行こうかな……」


 暴言を吐かないようにと意識しながらようやく口から出たのは、そんな言葉だけだった。

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