第10話 新しい体

 リィナは食事の後すぐに帰ってしまった。その間は終始上機嫌だったので、最悪だった第一印象はある程度払拭できたのではないだろうか。

 そうだったらいいなと思いつつ、各部屋に付いているらしいお風呂に浸かる。


「いや、本当に凄いなエルフ……人間の国じゃ貴族でも毎日お風呂に入るのは難しって言うのに」


 エルフの技術には驚かされるばかりだ。

 人間の国にもお風呂に入る文化はあるが、あれは貴重な嗜好品の類だった。それがエルフでは毎日入り、身を清めるための場所という認識になっていた。

 風魔法の応用でシンラ・カク全体に水道を通しているらしい。圧縮した空気で押し出すポンプ式の水道で、魔力を少し籠めればどこでも水を出すことが出来る。

 さらにはシンラシンラに接する荒野で採取できる火鋼石。魔力を込めることで温度を高めることが出来る鉱石なのだが、これを使って水を温めることで、すぐにでもお湯を出せるようにしている。

 火鋼石は人間の間では貴重品で、効率のいい使用方法も確立されていない。お風呂は基本的に人の手で薪を入れ、それを焚いて温度調節をしていることを考えれば、その労力の差は圧倒的だ。

 

「火鋼石に定期的に空気を送ることで加熱反応を加速させる技術、ねえ。俺も思いついてたら毎日風呂に入れていたのだろうか」


 第2の人生では魔法の探求をしていた。大魔術師なんて呼ばれるくらいの実力はあったのだが、まだまだ研究しきれていないことは沢山あったようだ。シンラ・カクに来てまだ半日ほど。俺は今までの人生のすべてを覆されるのに十分な衝撃に見舞われ続けていた。

 それにしても、木製の湯船につかるのもいいな。仄かな木の香りが安らぎを与えてくれる。


 それからお風呂を上がり、就寝の支度を終えた頃になってレイカが部屋にやって来た。

 やっぱりノックも無しに入られる違和感は凄いな。流石に浴室には扉があったけど、着替え中だったらどうするんだろうか。まあ、10歳の裸や下着姿を見たところで何ともないだろうけど。

 ちなみに、着替えはすべてレイカに用意してもらった。元々俺が着ていた物は冒険の最中で傷つけてかなりボロボロだったので助かった。


「リネル様、本日はもうご就寝なさるのですか?」

「そのつもりですけど、何かありましたか?」

「いえ。では、明日の朝食は何時にしましょう。よろしければ合わせて起こして差し上げることも可能ですけど」

「あー、それでは5時に起こしてもらえますか? 朝食は7時くらいでいいので」

「え? そんなに早くですか?」

「あ、難しいですかね。だったら大丈夫ですよ」

「いえ、私たちはその頃には起きていますので、問題はありませんけど。何をするんですか? 真っ暗ですよ?」


 疑問符を浮かべたレイカを見て、隠すことでもないから答えてしまおうとして、少しの子ども心が先走った。

 どうせなら、誰かが近くにいたほうがやりがいがありそうだしな。


「レイカさん、明日の早朝、少し時間をもらえますか? 見てもらいたいものがあって」

「明日は1日リネル様お手伝いをするよう仰せつかっているのでの構いませんけど……何をするんですか?」

「それは秘密です。きっと、驚いてもらえると思います」

「あ、あまり怖いものはやめてくださいね? 私怖がりなんです」


 レイカは不安そうに眉をひそめた。少し勘違いさせてしまったらしい。そんな顔を浮かべさせてしまったことに罪悪感を感じながら、安心させるように声をかける。


「大丈夫ですよ、怖くはないですから」


 その会話を最後に、今日は寝ることにした。

 ソファと同様で質が良く、とても寝心地がいいベッドだった。その技術力の高さに再三感動しつつ、疲れがあったのか俺はあっという間に眠りに就いた。


 早朝、名前を呼ぶ声を聴いて目が覚めた。


「リネル様、5時になりましたよ。お迎えに上がりました。リネル様?」


 どうやらレイカが起こしに来てくれたらしい、肩を揺すられてから目を開く。


「あ、お目覚めになられましたね。おはようございます。お申し付け通り、5時になりましたので参りました」

「おはようございますレイカさん。わざわざすみません、こんな早くに」

「いえ、仕事ですので。それで、これから何を……?」


 体を起こしながら、小首を傾げたレイカを見上げる。


「ちょっとした習慣を熟すだけですよ」

「習慣、ですか?」


 貸してもらったエルフの民族衣装を身に着けた。 

 緑色を基調とし、白や黄色で刺しゅうを施した服は軽く、風通しが良い。早朝に着るには少し肌寒いような気もしたが、これから運動をするのだしちょうどいいだろう。

 レイカにお願いして誰の邪魔にもならないところまで案内してもらい、準備運動を始める。


「もしかして訓練か何かですか? それでしたら、シンラ・カクの防衛隊の訓練場がありますよ? お願いして、貸していただくことも可能ですけど」

「いえ、ここで充分です。他の人の邪魔をしてはいけませんからね。それに、これからやることをあまり多くの人には見られたくないので」

「え?」


 準備運動を終え、最後に大きく伸びをする。そうしてからレイカを振り返り、久しぶりに心躍る感覚に笑みを零しながら言ってみる。


「これからやることは、他の人には内緒にしてくださいね」


 レイカの返事を最後まで聞かずに、俺は思いっきり地面を蹴った。風が頬を撫でる感覚。久しぶりだな、この感じ。


 頭上には生い茂る木々。枝と枝が絡み合い、視界を遮る。普通なら進むのも困難なはずだが、俺にとっては違う。

 幹を蹴り、枝を掴み、無駄のない動きで上へ、さらに上へ。やろうと思えばもっと速く、もっと大胆に行けるが、今日はあえて抑えた。


「こんな感じかな」


 頂上付近の枝に腰掛け、俺は下を見下ろした。レイカはまだぽかんとした顔で俺を見上げている。そんなレイカに向けて小さく笑いながら軽く手を振った。


 風が吹き抜ける中で一息つく。鳥のさえずりが耳に心地よい。


 時々、衝動的に動きたくてたまらなくなる。それが今回は大分早かった。というか、1日も持たなかった。10年も俺の意識がなかった分、その反動だろう。

 内心では分かっている。この行動は、ノエルに対する反抗の証だ。ノエルには前世について、そしてノエルについて話すことを禁止されている。けれど、それらの記憶は確かに俺の中に、その多くはくすぶっている。


 だからこうして、ときどき無意味なことをしてしまうんだろう。

 その疼きに手を引かれて、危ない橋を渡ってしまうのだ。気付いて欲しいと、警鐘を鳴らすのだ。

 こうすることで、俺は何度も生まれ変わっている、普通の人間とは違うんだと気付いてもらえるんじゃないかと思う。理解してもらえるんじゃないかと思う。


「……くだらないな」


 自嘲気味に呟きながら、俺は空を見上げた。けれど、ほんの少しだけ。ほんの少しだけ、この行動が俺を楽にしてくれた気がする。

 それから、さらに上を目指した。

 1歩蹴る度に感じるのは、反応速度の低下と筋力の低下。前世だと、もっと早く足を回せたし、一歩ごとが大きかった。


「っと、危ないな」


 踏み込んだ枝が音を立てて折れそうになった瞬間、身を捻って重心をずらし、わずかに力加える方向を変える。何とか体を安定させて次の1歩へ。

 さらに1歩と踏み込もうとして、足に力が入らなかった。どうやらここまで登って来るだけで疲れてしまったらしい。気付けば息は上がっているし、肺は苦しかった。


「ま、これから鍛えて行けばいいよな。……そうだ。ついでに、あり余った魔力も解放しておこうか」


 最後に幹を踏みきってバック宙。空中で下を向いた俺は、両手を広げて魔力を伝える。鼓動を速くする心臓から、血管を伝うように魔力が流れる。そして両手合わせて10本の指の隅々まで魔力が伝わったのを確認して、叫ぶ。


「《シャイニー・レイン》!」


 目の前で光が弾け、色とりどりに輝きだす。

 空中で体の向きを変えて見上げれば、降り注ぐ光がよく見えた。その光が落ちながら体を包み込む。

 爽快な気分を感じながら、落ちる身で風を感じる。


 試しに手を伸ばしてみるが、支えてくれるものは何もない。虚しく宙を切り、魔力の抜けた感覚が走るだけ。


「さて、どうやって着地しようかな」


 そんなことを呟いて、俺は一瞬目を閉じた。

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