悪人は静かに笑う 尚輝
坂本尚輝は黙ったまま、綾人の話を聞き終えた。内容は、ほぼ予想していたものだった。
少しの間を置き、おもむろに口を開く。
「そうか。で、お前はこれからどうするんだ?」
「警察に自首します」
答えた綾人の表情は、真剣そのものだった。心を決めた男の顔をしていた。
いい顔をしているな……尚輝はふと、そんなことを思った。まるで、試合に赴く前のボクサーのようだ。
「坂本さん、あなたは、俺を捕まえに来たんですよね。あと一週間だけ、待ってもらえませんか? ルイスは、何も知らないんです。だから、俺はルイスに教えてあげたいんです。色んな楽しいことを……動物園や遊園地に行ったり、美味しいものを食べさせてあげたいんです」
そう言うと、綾人はその場で土下座した。額を床に擦り付ける。
「お願いします。一週間……いや、三日だけでいいんです。見逃してください」
声は静かなものだった。だが、そこには意思がこもっている。少なくとも、尚輝にはそう思えた。それは、無視できないものだった。
「お前、何か勘違いしてるみたいだな。俺は、お前を捕まえに来たわけじゃないんだよ。そもそも、俺は別の件で動いていたんだ。ひとつ教えてやる。中村雄介ってのは、とんでもねえクズだよ。女から金を脅し取っていたのさ。どんな手口かは、言わなくてもわかるな?」
尚輝の言葉に、綾人は顔を上げ頷く。
「こんなことを言って慰めになるかどうかはわからねえが、中村は確実にろくな死に方をしなかったさ。奴は、本物のろくでなしさ」
そこで、尚輝は言葉を止めた。綾人の目を、じっと睨み付ける。
「だがな、お母さんを殺したのはやりすぎだ」
その言葉を聞くと同時に、綾人の体が震え出した。目から涙が溢れ、口からは嗚咽が洩れる。
すると、それまで黙っていたルイスが動いた。目にも止まらぬ速さで尚輝の喉を掴む。
片手で、軽々と尚輝の体を強引に引き上げる。直後、壁に叩きつけた──
「綾人をいじめるな」
ルイスの抑揚のない、無機質な声が響く。尚輝はうめき声を洩らしながら、その手を外そうともがいた。しかし、ルイスの腕力は異常だった。まるで機械で固定されているかのようだ。尚輝の意識が薄れていく……。
「やめろルイス! 手を離すんだ!」
綾人の声が響いた。ルイスは手を離し、尚輝はどさりと倒れた。荒い息をつきながら、怪物のごとき少年の顔を見上げる。ルイスは自分への関心が消えたらしく、綾人のそばに座っている。尚輝は苦笑した。やはり、ルイスは化け物だ。どうあがいても、自分に勝ち目はないだろう。そんなことを考えながら、尚輝は綾人の方を見る。
「その通りです。俺は、クズです」
綾人は、震えながらも言葉を絞り出した。尚輝は首をさすりつつ立ち上がる。
「おい綾人、俺はただの便利屋のおっさんだ。さっきも言った通り、もともとは別の件で動いていた。それに……俺も聖人君子じゃねえんだよ。はっきり言うなら、俺も犯罪スレスレのことをやってきた人間だ。お前を裁く資格なんか、ないんだよ」
言いながら、これまでの生き方を振り返ってみた。犯罪スレスレ、どころではない。犯罪そのものではないか。嘘をついて人を騙し、さらには暴力を振るって金を手にしてきた。しかも、ヤクザに頼まれて死体を埋めたこともある。
先日、自分が誘拐した佐藤浩司はバラバラ死体となった。自分が殺人に手を貸したようなものだ。
自分に綾人を裁く資格などない。綾人に偉そうなことを言える資格もない。
「綾人、お前の好きにすればいい。俺はもう、どうでもよくなってきたよ。俺はただ、もう一度ルイスとやり合いたかっただけだ。勝ち目がないってのは、よくわかった」
そこまで言った時、尚輝はふと思い出したことがあった。
「そういえば……ルイス、お前はあの部屋で何をしてたんだ?」
尋ねると、ルイスはきょとんとした表情で尚輝を見る。
「あの部屋なにそれ?」
「いや、あの部屋だよ。あの佐藤浩司と、もうひとりいたろ? 三人でいた部屋だ。佐藤浩司を覚えていないのか?」
「サトウコウジ知らない。部屋わからない」
ルイスは即答した。その反応を見て、尚輝は首を傾げる。目の前の少年は、嘘をつくタイプではない。となると、佐藤浩司の名前も知らぬまま生活していたのだろうか。
いや、もうひとりの男がこんなことを言っていた。
(そ、そいつは殺人鬼なんです。俺たちはそいつが逃げ出さないように見張ってたんです)
殺人鬼……確かにルイスの強さは化け物じみているが、本当に殺人鬼であるならば、綾人は既にこの世にはいないだろう。
尚輝がそんなことを考えていた時、綾人が口を開いた。
「坂本さん、あなたは以前にも、ルイスと会ったことがあるんですか?」
「あるよ」
尚輝が答えると、綾人の表情が変わった。
「本当ですか!? ルイスは、どこで何をしていたんです!? ルイスに聞いても、いまいち要領を得なくて──」
「わかったから、ちょっと待て。最初から順を追って話すから……」
尚輝は話し始めた。この二人の少年に関わることとなった、そもそもの始まりを……。
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