悪人は静かに笑う 陽一
「じゃあ、あの二人は徳川病院の跡地にいるのか?」
(ええ、その可能性が高いですね。商店街のおばちゃん連中が目撃し、噂してましたよ。そのルイスって奴は、よっぽど目立つ顔をしてたみたいですねえ)
「ああ。ルイスは目立つ顔してるよ」
携帯電話で話しながら、西村陽一は苦笑した。超美形のヒットマン、なんてものは映画やアニメなどのフィクションの世界だけに存在するものだ。現実のヒットマンのほとんどは、目立たない平凡な顔つきをしている。そうでなければ、生き延びることなど出来ないだろう。
それにしても、成宮亮は大した男だ。あっという間に、これだけの情報を揃えてくれる。
「ところで亮、そのリューとかいう奴は何者だ?」
(まあ、平たく言うと裏の何でも屋ですね。中国系の連中に顔が利くそうです。中国の連中はヤバいらしいですからね。陽一さん、マジで関わる気ですか? 下手すると、奴らとも殺り合うことになりますよ)
「ああ」
携帯電話を切った後、陽一は準備を始めた。それにしても、まさかあの廃墟に潜伏しているとは。綾人とルイスと陽一は、何か不思議な因縁があるのかもしれない。
・・・
陽一は、今もはっきり覚えている。
耳や鼻にピアスを付けた男をナイフで刺し殺したのは、今ルイスと綾人が潜伏している廃墟だったのだ。
あの時、ピアスの男からは明確な殺意を感じ、恐怖に震えた。殺さなければ、殺される。頭の中を、その思いだけが支配していた。突き動かされるように、隠し持っていたナイフを男の腹に突き刺していた。
その後、陽一はプロの洗礼を浴びることとなる。
極端な話、人を殺すのは普通の人間にも出来る。犯罪のプロと普通の人間との違い……それは、殺した後の行動である。現実のプロは、どこかの少年探偵の登場するマンガや二時間もののサスペンスドラマのような、凝ったアリバイ工作も密室トリックも用いない。そんな暇があったら、もっと他のことに時間を費やすのだ。
プロが人を殺した場合、事故として処理させるか、自殺として処理させるか、あるいは死体そのものを消す。
陽一は、死体が消える場面を最初から最後まで見た。天田士郎という男が現れ、目の前で死体をバラバラに解体し、薬品で溶かしていった。
途中で耐えきれなくなり、何度も吐いた。しかし、自ら吐いた汚物にまみれながも、最後まで見届けたのだ。ひとりの人間の痕跡、それが跡形もなく消え去ってしまうのを。
その後、陽一の人生は根本から変わってしまった。
・・・
陽一は、今も当時を振り返ることがある。人の運命というものは、愚かな神の気まぐれによって決められているのではないだろうか。
本当に些細なことで、人の運命は簡単に変わってしまう。ほんの数センチ、ほんの数分、それだけの差で人生がまるきり変わってしまうこともある。
小林綾人とルイス。二人の出会った時の状況は知らない。だが、間違いなく偶然だろう。ほんの数センチ。ほんの数分。その偶然により、二人は出会ってしまった。今では、親友のように行動を共にしている。
そんなことを考えていると、不意に携帯電話が着信を知らせる。
今度は、夏目正義からだった。
(妙なことが起きた。俺の依頼人が行方不明なんだよ。俺に中村雄介の捜索を依頼した人なんだがな)
「ほう、そうですか。よかったじゃないですか」
(よかった? どういう意味だ?)
「つまり、あなたはこの件から手を引ける。成功報酬は貰えなくなりましたが、それは別に構わないでしょう」
ごくりと唾を飲む音が聞こえた。夏目は動揺している。ひょっとしたら、このまま警察に駆け込むかもしれない。
もっとも、そうなったところで何も証拠はない。
(お前がやったのか?)
ややあって、夏目の声が聞こえてきた。落ち着きを取り戻したらしい。
「俺の口からは、何も言えません。ただ、あなたの依頼人は人を殺しました。佐藤浩司という男です。うかうかしてたら、もうひとり殺すつもりでいたんですよ。まあ、そんなことはどうでもいい。夏目さん、あなたは手を引いてください。ここから先は、俺の領域です。あなたは足を踏み入れるべきじゃない」
(一体、何が起きているんだ? 言える範囲でいいから俺にも説明しろ)
「俺の口からは、これ以上言えません。俺が士郎さんから依頼されたのは、あなたを守ることです。あなたがこれ以上のことを知ってしまうと、あなたの身にも危険が及ぶことになるんです。もう引いてください」
(わかった。まあ、依頼人が消えた以上、探偵としてはどうしようもないからな。なあ陽一、最後にひとつだけ教えてくれ。お前は、これからどうするつもりなんだ?)
「俺なりのやり方で、ケリをつけます」
陽一は携帯電話をポケットにしまい、再び準備を始めた。久しぶりに、血の沸き立つような感覚を覚えている。
ケリをつける……そう、陽一はルイスと戦い殺すつもりだ。場合によっては、綾人も殺す。
自らの内に潜む狂気を解放させるために。そして、闘争への欲望を満たすために。
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