四、物語の中なのに、制服はどうかと思う。
僕はまた物語の中にいた。
昼寝のときにはあまり入り込まないものなのに。今はそうなってくれるなよというときに限って、苦難というものはやってくる。
ここ数日入り込んでいるのは、まさしく今日入稿が済んだ、週末のイベント用の新作だ。
いわゆる中世ヨーロッパのような異世界が舞台で、強大な力を手に入れられるという宝探しのプレイヤー『探索者』に選ばれた男装の麗人と罪人の男が、訳あって手を組み他の参加者を蹴落としていく、宝探しバトルマンガ。
僕が元になる小説を書いた。
それを姫がマンガにした。
だから僕が迷い込む世界は、僕の文章で表わした景色の部分と、姫の絵で表わされた部分との
マンガになってしまえば違和感はなくなるが、こうして物語の世界に入り込むときにはどうしても気になってしまう。
僕はそんな景色の間を歩きながら、今がどんなシーンの最中なのかを探っていた。
主な舞台となっている商業都市マーチャント。街中の風景が描かれるシーンはいくつかある。でもそれぞれ、大通りだったり、裏の寂れた区域だったりと違いがあるから、景色を見れば今がどこのシーンなのかわかるはずだった。
この話の主人公である『俺』は罪人で、探索者に選ばれたことにより監獄から出される。しかし自由の身になったわけではない。
少し離れたところにはいつも見張りの男がいた。監獄の手の者だった。
そいつから逃げるため、街の人ごみにまぎれようとするシーンがあった。僕の書いた小説版では冒頭がまさしくそのシーンで、ちょうど今歩いている場所のような裏通りから始まる。
『俺』はついてくる男を気にしながら、マーチャントの裏通りを進んだ。
人気のないところなら追跡者の気配がよくわかる。
相手の姿を視界に入れぬまま、どうしてやろうかと思案した。
表通りの家とは違って、石のブロックがむき出しになった家が建ち並ぶ。一度くらいは漆喰で表面をきれいに飾ったこともあったようだが、今はそれはだらしなく剥がれてしまっていて、みすぼらしさを際立たせた。
家々の風貌だけでなく、通り全体がじめっと辛気くさい。ずっと先、表通りとつながる辺りに漂っている明るみが、どこか他の素晴らしい世界へとつながる魔法のゲートのように思えた。
「行ってみるか」
と『俺』は独り言をこぼした。
一歩の幅が次第に広くなる。
次の一歩を踏み出すタイミングが、早くなる。
だらだらと目的なく歩いていた歩みは、目標を見つけ駆け足へと変わった。
追跡者は見事なもので、ついてきているようでありながら足音や衣擦れの音をまったく聞かせない。
いつまで余裕でいられるかな。
『俺』は口の端が上がりそうになるのを堪えながら大通りへと躍り出た。
薄暗闇から抜けた瞬間、辺りの喧噪が一気に全身になだれ込んだ。大波にのまれたような気分だった。
大通りは、祭りか何かの最中なのか、いつも以上の人出があった。通りを西に向かう者たちの列ができている。
その奥には反対側、東側に向かう人々の流れがはっきりと見えた。それぞれの流れの中で追い越す者と追い越される者はあったが、基本的には皆その流れの中で動いている。
立ち入り流れに身を任せれば、自分の居場所がわからなくなるような錯覚。
自分自身ですらそうだなのだ。
この喧噪。人の波。撒くにはうってつけの景色だ。
――というようなことで始まる冒頭を書いた。だけどそれはマンガ化する際にばっさりそぎ落とされたシーンだった。
「ボツになったシーンはいつもなら夢に出てこないんだけどなあ」
言いながら、僕は眉をしかめる。
僕は今僕として喋った。
物語の中にいるときはたいてい主人公であるはずなのに、僕は今、僕だった。
ボツシーンだからか? などと首を傾げながら、僕は大通りの途中で流れから離れた。僕の書いた通りなら、そこに酒場があるはずだ。それで追跡者を撒くことに成功した『俺』は酒場に立ち寄る。
お世辞にも上品とは言えない客層で、祭りの喧噪とはまた違う騒がしさで胸焼けがしそうだった。
あちこちのテーブルで、男たちが野太い声を上げる。怒号であったり笑い声であったり。誰かをからかう声は特に上機嫌で、合間合間に商売女たちの「やだあ、もう」なんて甘ったるい声が入った。
喧噪の間をすり抜けて、空いている席に腰を下ろす。
『俺』はここで、宝探しゲームの話が巷でどんな風に広まっているかを知ることになる。
市井の人々が知っているのは、神様が選んだ探索者という者たちが、『宝物』を探しそして奪い合うという基本的なことだけだった。
だからそれ意外のことは想像というか妄想で語られることになる。
探索者の選定にはどんな裏があったとか、誰それを勝たせるための出来レースだとか、宝物とは実は幻の大陸への入り口のことで、見つけた途端に国がかっ攫うつもりなんじゃないかとか、ほとんどがホラ話や与太話の類いのようだった。
その中にひとつ真実が混じる。
「服役中の悪党が選ばれたって話だ」
しかしそれひとつだけだった。続きはひどいものだ。
「きっと探索者に選ばれた他のやつらも似たり寄ったりで、案外、褒美を与えるとか言いながら悪人同士で殺し合いさせたいのかもね、神様ってやつは」
「宝探したってどうせ俺らには何にも入らないんだ。それなら悪人同士の殺し合いであってくれた方がありがたいな。クズは消えるし俺たちはショーを見て楽しめるしで、良いことずくめじゃないか」
男たちは笑った。肉体を使った労働者といった風体の若い男たちだった。そんな彼らが大きな声で笑うたび、酒場の空気がいびつになる。どんな風に殺すのがいいだとか下品な言葉を叫ぶようになると、他の客の中には渋い顔で席を立つ者が現れた。上品ではない店にもルールはあるものだ。
そんな酒場のルールを乱す輩が『俺』は嫌いだった。直前の『悪党なんて殺しあって勝手にいなくなればいい』という発言がおもしろくなかったのもたしかだが、いちばんは人の酒をまずくしやがったことだった。
まずくなった酒は悪酔いするから、もう飲めやしない。
『俺』はここでやつらのもとへ向かう。
飲み残しを若者の頭上に垂らして、それでケンカになるはずだった。
「おもてに出ろや!」とベタな台詞を吐く若者と店の外でやりあって、そこでヒロインと出会うという――
だがそのストーリー展開にはならなかった。
立ち上がろうとしたところで手を掴まれた。いつの間にか、目の前に少女が座っていた。
しっかりと黒い髪が印象的な少女は、まさしく僕がずっと会いたいと願っていた少女だった。
「君は」
少女と最後に会ったのはいつだっただろうか。はっきりはしないけど、たぶんそのときとまったく変わらぬ姿でその子は僕の目の前に現れた。
「どうして」
と、質問の最後までを言葉にできない僕に対して彼女は、
「このあとお話はどうなるの?」
と無邪気な表情を見せる。
僕と姫がマンガをつくり始めたそれくらいの年頃の顔つきの少女は、髪の色と同じく濃い黒色の瞳で僕を見つめていた。
ようやく会えたんだ。
喜びと驚きが入り混じる、なんとも複雑な心境で僕はその子と向き合った。
何から話そうかと考える。
せっかくの機会だ。僕の思いの丈をぶつけるべきか。それとも彼女の望む通り、物語がこのあとどうなるか話すべきか。
考えているうちに、終わりはあっけなくやってきた。
この物語には本来登場しないキャラがもう一人増えたのだ。
「……何、これ。異世界だ! っていうか、もしかして、キヨ太?」
僕の物語の世界に、どうしてか制服姿の姫が立っていた。
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