三、若いけど、徹夜はできそうもない。
僕の目の下にはくっきりクマができている。
「なんでキヨ太まで?」
姫が自身の目元を指差して言った。印刷所の〆切りの日、姫は「腹痛で……」と言って遅刻した。二時間目が終わるなり現れて僕のひとつ前の席を主から奪う。姫の目の下にも立派なクマができていた。
「なんだ? 二人してあやしいな」などといってくるやつがいる。
「いや、二人してってことはアレでしょ。いつもの」
「え? なに、新作できたの? めるめる、私の分ある?」
下世話な話をしたがる男子生徒を押し退けて、
いわゆる『陽キャ』で『一軍』で。そういうものに分類されるのに僕らのやっていることに理解があるなんて、まるでマンガや何かのキャラクターのような二人。
まあ、それを言えば、姫もどちらかといえば久米川さんや小平さんと同じ分類なのだが。……つまり僕だけが『身分違い』なのである。
二人は姫の肌の調子を心配しながら、新刊はどんななのかとか、当日手伝いは必要かなどと質問攻めにする。
「〆切り間に合ったの?」
二人の質問にまぎれて僕は言った。
「なんとかねー」
姫は真っ先に僕の質問を拾って答える。
「もしかして、腹痛で遅刻っていうのは」
「まあまあ。〆切り間に合ったんだし。カタイことはいいじゃない」
「朝も作業したってことだろ。それじゃあ月渚ねえの出勤時間に間に合ってないじゃないか。入稿、どうしたんだ」
印刷所の〆切りは今日の午前中ということになっている。僕らはアナログ原稿のため直接持ち込むか郵送しなければならないが、ギリギリまで作業するとなると、郵送というわけにはいかないわけで。頼りになるのが月渚ねえなのである。
「月渚ねえって、印刷所で働いてるっていう?」
小平さんが口を挟んだ。
「ああ。月渚ねえのおかげで僕たちは〆切り直前まで作業できるんだけどさあ」
出勤時間までに間に合わせさえすれば、月渚ねえが印刷申し込みやら入稿の手続きやらをしてくれる。本当にありがたい限りだ。
しかし、姫の話の感じからすると今日はどうしたって間に合っていない。
「まさか……落とした?」
もしくは割り増し料金か、と嫌な言葉が頭をよぎった。
「それがさあ」
不安を感じる僕とは正反対に、姫はへらへらと笑っている。
「おねえちゃんってば、私の進行見てて危なそうだからって手伝ってくれた上に、知らないうちに時間休とってくれててー。家出るの遅くしてくれたから無事間に合ったっていう? ホント、おねえちゃん大好き」
惚気るように話す姿は、友人たちには微笑ましく映ったようだが、
「それ、無事って言わないから」
僕はがっくり肩を落とした。
とはいえ、一応間に合ったとは言えるのだろう。力が抜けると一気に疲れがやってきた。
机に突っ伏すと、頭上で姫の声が響いた。
「それで、キヨ太はなんでそんなに疲れてんの? 徹夜作業したの私だけじゃん」
ゲームでもやっていたのかとのんきな言葉が聞こえてくる。
二日連続で物語に入り込み、だけど会いたい人に会えなくて、ガッカリして夜中に飛び起きて、そのまま眠れず作業したせいでそれで寝不足だ――なんて言えるわけがない。
睡眠不足による倦怠感のせいで、まともに相手するのが面倒に思えた。
僕は原稿を間に合わせてくれた感謝だけ伝えて、「とりあえず眠たいから、詳しい話はあとで」と会話を打ち切った。
返答を待たずに目をつぶる。
納得いかない姫はぶつくさ文句を言うのをやめなかったが、天は僕に味方した。
タイミング良くチャイムが鳴り、それと同時に次の授業の教科担任が入ってきた。
「やばっ。それじゃ、またあとで来るからね」
姫は慌ただしく自分のクラスへと帰っていった。先生が来ているのも気にせず、久米川さんと小平さんは「じゃーねー」と大きな声で姫を送る。
日直の生徒のテキトーな号令で授業がなし崩し的に始まると、僕は本格的に眠りについた。せめて昼寝くらいはゆっくりさせてくれよと、誰にたいしてかわからないが、そう頼んだ。
「若いころは三徹くらいなんともなかったんだけどねえ」
と前に月渚ねえが言っていた。
だけどどうだ。
僕はたった二日、しかも徹夜ではなく睡眠時間が短かったというだけで限界を迎えていた。
クリエイター向きではないのかな、などとヘンなところに落ち込んでしまう。
結局、授業中のわずかな睡眠では回復できず、四時間目の体育の授業の途中で僕は倒れた。さっき下世話な話に持っていこうとしたクラスメートの
はたから見たらそうとう顔色が悪かったようで、四時間目の終わりまで保健室で休んだのち僕は早退することとなった。
自分の部屋に戻りベッドの前に立ったときには一瞬躊躇したが、眠気には勝てなかった。
僕には着替える気力も残っていなかった。これから見るかもしれない景色への懸念を残しながらも、制服のままベッドに飛び込んだ。
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