二、幸福かもしれないけど、そうでもない。

 僕は夢を見ていた。

 この世界とは違う世界の夢を見ていた。




 王都のすぐ近くにある商業都市マーチャント。

 地図に浮かび上がった宝の在処がここで良かった。この街は『俺』の仕事場だったから、怪しいところはだいたい頭に入っている。

 まさか人んの戸棚の中なんてことはないだろうから、『俺』は裏通りに積まれたガラクタの中や空き家なんかを探して歩いた。

 街はずれの家にはだいぶ前から人が住んでいない。ところどころ屋根も壁も崩れていていつ崩壊するかわからいなからと、街の人たちは近寄ることを禁じられていた。

 何かを隠すにはぴったりの場所だ。

「しかし『宝』ってのはどんな形をしてるんだろうな。見ればわかるって言ってたけど、そんなテキトーな説明あるか――」

 最後の一声は音なき悲鳴にすり替わった。

 首もとに当てられた、ひんやりとした感触。昔味わったことがある。

 『俺』はそっと両手を挙げた。手のひらは完全に開いて、何も持っていないことを背後のに知らせる。

「お前も選ばれた者か?」

 あまい風のような声だった。

「そういうあんたもか?」

「質問に答えろ」

 声に鋭さが混じった。辺りの空気がじとっと重くなる。こういう場の変化を読み取るのは得意だ。

 後ろに立っている野郎は、どこぞの貴族のボンボンか。声の発し方がそこらにいる平民とは明らかに違う。無理して低く太く声を出そうとしている分、本来の話し方とも違うのだろうがそこは間違いない。

 声を変えているのは幼さを隠すためか?

 『俺』がまともに答えないことに苛立ちながらも冷静さを装う辺り、『貴族は高潔である』という幻想を抱いている青さがうかがえる。

 その貴族のボンボンに、実践の経験がどれだけあるか。

「お前、『俺』を斬れるのか?」

 イヤミったらしく言ってやった。背後の空気がざっわと熱を孕んだのを感じた。

 首にあった冷たさが離れた。

 振りかぶったようだ。

 その隙に『俺』は地面を転がり位置を変え、そして構える。

「ほらな」

 自分の推理の答え合わせのつもりだった。

 しかし相手は『斬れない』と馬鹿にされたとでも思ったのだろう。その女神像のような美しい顔を歪ませた。

 ……女神像?

 一瞬のこととはいえ、どうしてそんな風に思ってしまったのか。

「まさかあんた、……女か?」

 『俺』は言った。

 こっちに細剣の切っ先を向けたままじりじりと間合いを詰めようとする奴は、きっと女だ。着ているもの――たとえば最近貴族の男どもの間で流行している、大きなレースの付け襟や膝下できゅっと絞ったズボンなどを一通り身に着けているから、『俺』の頭は奴をと認識した。

 だが『俺』の眼はたしかに女と視ている。色鮮やかな鳥の羽根で飾られたツバの広い帽子の陰に見え隠れするその顔には、どんなに険しく雄々しく装ったって、女にしかない色気が備わっている。

「だったら何だと言うんだ!」

 女は一気に間合いを詰めた。

 それと同じ分だけか、も少し多いくらいの距離を後ろに跳んで腰に提げたダガーの柄に手をかけた。

「女だったら、大問題だ」

 奴の眉がぴくりと跳ねた。

「女相手では戦えないと言うか。私も選ばれた者だというのに!」

 細剣は変わらずこちらを狙ってる。

 繰り返し繰り出される剣の動きを身体の移動だけで躱していると、やがて奴の一撃は乱れた。

「馬鹿にするな。女が相手ならばそれを抜かずとも勝てると思っているのか」

 奴の視線はダガーにかけた『俺』の手を睨んでいる。

「そういうわけじゃねえ」

「では、どういうわけか聞かせてもらおうか」

 一段と深く構えて、奴は言った。貴族同士がよくやる、突きがメインの果たし合いで見る構えだった。

 『俺』は深く息を吐いた。吐ききらないうちに口の両端がにいっと吊り上がった。下卑た高揚感が全身を駆けた。

 武者震いのような震えが身体を襲う。

 まいったな、と口の中でこぼして『俺』はダガーを抜いた。鞘の口に引っかかりこすれる音が気持ち良かった。

「命がけの戦闘なんてのは心をぞくぞくさせるもんだろ。あんまりココが動いちまったら、あんたに惚れたと勘違いしちゃうぜ? だから俺は女とは本気でやり合わない主義なんだ」

 『俺』は自分の胸をトンと小突いた。

「なっ…………何を言うか。結局、女の私が戦うのを嘲笑っているだけではないか!」

 女の怒気が膨れ上がった。

 そういうものでできた重厚な鎧をまとったように『俺』の目には映った。

 ひりついた場の、変化を読み取るのは得意だ。

「俺は一途だけど面倒な男だ。惚れられる覚悟はあるかい? あるっていうなら、いっちょうやってやるぜ」

 『俺』は地面を蹴った。

 持ち前のスピードを生かして奴の懐に入り込む。

 そのような攻撃が来る可能性はもちろん頭の中にあっただろう。だけど奴の頭で描いたスピードとはたぶん格が違った。驚きに恐怖が混じった瞳で、目前に迫った俺の顔を見た。

 女の黒い髪が揺れた。

 キッと歯を食いしばり『俺』を迎え撃とうと構えたときの顔は、凜々しく美しかった。

 だけど、

 ――『あの子』だったなら、また違う顔を見せるのかな――

 そう思った瞬間に、『俺』から僕へと戻った。

 僕は夢を見ていたのだ。

 自分自身が創造した物語の世界の夢を。




 目を開けても何も見えなかった。

 少しずつ慣れてくると、室内の様子がうっすらうかがえた。それほど厚くないカーテンの向こう側はまだ暗かった。

 僕は枕元のスマホを手に取って時間を確認した。

 二時五十五分。

 すっかり目が覚めてしまったのは、スマホの明かりのせいだけじゃない。僕は天井を見つめため息をついた。天に向かって唾を吐くじゃないが、吐き出したため息が重苦しい空気となって自分の身に降ってきたような気がした。

 いや。目が覚めたそのときから、僕の気分は最悪だった。

 なにせ今日もが僕のつくった世界に現れてくれなかったのだから。

 僕にはおかしな力があった。

 力と呼ぶべきものなのかわからない。そもそも僕自身が起こしている現象なのかもわからないのでそう呼ぶには抵抗があったが、便宜上そう思うことにしている。

 その力というのは、自分のつくった物語の世界に入り込むというものだ。

 没頭するとかそう言う意味での『入り込む』ではなく、文字通りその世界に入り込んでしまう。

 入り込むのは決まって眠っているとき。

 だからいちばん最初に体験したときには夢だと思った。リアルな夢などふつうにあるし、そういうものに五感が刺激されて目が覚めるなんてことも珍しくなかったから。

 だけど物語に入り込むときは、いつもの夢とは明らかに違ったのだ。

 まず第一に、僕が書いた物語のワンシーンであること。

 第二に、その世界がしているということだ。

 物語の世界で傷を負うと、現実世界の僕の身体にも傷がつく。寝相が悪くていつの間にかアザや何かができていたというわけではけっしてない。その証拠に、物語の中で負った傷は目覚めてから数分の間に消えてしまう。

 それと似たようなことで、物語の世界から吐き出される直前に手にしていたものをこちらの世界に持って帰るということもできた。

 これは傷ほど長くはもたず、僕自身が『あちらのせかいのものを持っている』と認識したり、手から離したりしたその瞬間に、砂の彫像がさらさらと崩れるように溶けてなくなっていった。

 今日もそうだった。

 手の中に重さを感じた。

 ダガーか。と思った途端、僕の手はその重さから解放された。

 さらさらと、ひとつの粒も残さずに消えていくダガーの名残を感じながら、僕は手のひらを軽く握った。

 自分のつくった物語をこんなにも生々しく感じることができるのに、僕は最近憂鬱だった。

 それが僕の悩みというものにつながっている。

 本当に届けたい人には届けられていない、というやつだ。

 この現象が起き始めたころ、物語の世界の中に必ず現れる少女がいた。僕はその子と、僕の世界について語り合うのが好きだった。

 その子はいつも嬉しそうに、楽しそうに僕の話を聞いてくれていた。それはとても心地よくて、目が覚めるのが煩わしいと思えるほどだった。

 だけどいつからか、その子の姿を見ていない。

 僕は部屋のあかりを点けた。

 もう一度物語の世界に入ったらと思うと眠る気になれなかった。

 僕は後味の悪さを塗りつぶそうと、愛用の赤いノートパソコンを開いた。


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