僕が物語をつくる理由

葛生 雪人

一、ありがちなのか、そうでないのか。

     序章


 ブロック遊びをするとき、同じ保育園の友だちはみんな、恐竜だとか乗り物だとかそういうものを作っていた。

 僕はといえば、必ずと言っていいほど建物を作っていた。自分が将来住みたい家などでもなく、えらそうな王様がふんぞり返っているような大きな城でもなく。

 物語が生まれそうな、廃墟のようなものを作っては、その端っこに、僕の身代わりの人形を置いた。

 小さいころ、僕にとっての『遊び』というのは物語をつくることで、いつだって主人公は僕だった。






一、ありがちなのか、そうでないのか。


 同人誌即売会。サークル参加。印刷〆切。

 経験したことのある人ならば、この連想ゲームになんていう答えを用意するか。

「修羅場だよ、修羅場。まごうことなき修羅場! 〆切りは二日後の午前中!」

 が声を荒げた。高一女子が吐くセリフではない。

 僕はヒロインの髪の毛を黒く塗りつぶしながら、部屋の床に広げられた原稿を眺めた。×バツ印だらけの原稿。吹き出しの中はからっぽ。

「やっぱりデジタルに移行した方がいいんじゃない? 今どきアナログなんて絶滅危惧種なんでしょ?」

 言うと、心地よい音を聞かせていたペンの動きがピタリと止まった。マンガの世界なら間違いなく『ピタっ』とか緊張感のある描き文字が頭の上あたりに浮かんでいただろう。

 姫がじっくりをつくって振り返った。

「誰が絶滅危惧種だって? 同士は結構いるんだから。まあ、同士がいなくても、最後の一人になっても私はアナログ派でいるけどね。なんたって、原稿用紙とGペンに憧れてマンガを描き始めたんだから!」

「知ってるよ。月渚るなねえのペンの音が子守歌代わりだったんだろ。その話、何回も聞いたから」

 月渚ねえというのは姫の姉だ。十五歳上、印刷所勤務。僕たちにとっては同人活動の先輩である。ちなみに姫のフルネームは清瀬きよせ姫琉。この字で『める』と読む。月渚で『るな』も大概だが姫琉をどう『める』と読めというのか。どうせ普通の読み方をしないなら、どちらかと言えば『ひる』とか『きる』だと思うと言ったら「ホラーアドベンチャーゲーム好きも大概にしろよ」とちょっとよくわからないツッコミを受けた。

 とにかく、僕としては姫琉を『める』と読むのは漢字への冒涜のような気がして、それで『ひめ』と読んでいるのだ。月渚ねえはどうなんだって? 十五歳も上の猛者に物申せるほど僕のメンタルは強くない。

 一風変わった名前の姉妹はアナログへの強いこだわりがあるようで。

「でも、いつも〆切りギリギリになってパニクるじゃないか。まあ僕が話をつくるのが遅いってこともあるかもだけど、それにしたって姫の作業時間だって改善の余地ありだろ?」

「そんなことないもん」

「月渚ねえと同じくらいとは言わないけど、せめて二倍くらいの時間で終わらせてくれないと。今のところ三倍だよ。三倍遅いんだぞ」

「……うるさいなあ。遅かろうが何しようが、何だかんだ〆切りには間に合ってるんだからいいでしょ! 私はアナログが好きなの! 手描きじゃないと味わえない快感ってものがあるの! だいたい、そういうのはこの修羅場ってるときに言わないでよ。今は口よりも手を動かせ、ばかキヨ太」

 姫はそう言って作業に戻る。キヨ太というのは僕のことだ。だが僕の名前はキヨ太ではない。秋津あきつ澄高きよたか。『きよたか』は彼女にとってらしく短縮したのだそうだ。しかも『きよた』の『た』は『太』がしっくりくるとか。なんのこっちゃ。

 僕は「はいはい」と気のない返事をして、またベタを塗った。




 僕と姫は幼なじみだ。

 といっても保育園から一緒だったくせにお互いずっと『たくさんいる友だちの、ひとり』程度の認識で、親しくなったのは小学五年生になってからだ。

 僕がこそこそと書いていた小説がクラスで晒されるという事件があった。

 しかし晒したやつの思惑とは裏腹に僕の小説はクラスのみんなに「おもしろい!」と評価された。「プロみたい」と言ったのは誰だったか。そうだ、たしか文字だけの本を読むと頭が痛くなると言っていた中井なかいという男だ。つまりやつは『プロ』の作品をほとんど読んだことがないくせに僕の小説を『プロみたい』と評したのだ。

 それだけだったなら僕は「僕の小説って、実はおもしろいのか?」などと自惚れたりしなかっただろう。

 だけど自惚れざるをえない展開になった。

 隣のクラスだった姫が、僕の小説に心酔したのだ。当時の姫は学年の中でも一二を争う『マンガのうまいやつ』だった。その姫が、僕の作品をべた褒めに褒めた。

 それで僕の手をとって言うわけだ。

「あんたの小説、マンガにしたい! 私に描かせて!」

 と。悪い気はしなかった。というか、しっかり調子に乗った。

 それが僕らコンビの始まりだった。

 僕が小説を書き、それを姫がマンガにする。出来上がった作品は、はじめのうちは学校で友人たちに披露するくらいだった。

 そこから同人活動に足を突っ込むようになるまではあっという間だった。

 なにせ僕らには月渚ねえという――良くも悪くも『お手本』のような人がいたのだ。

 そこそこ人気のある同人作家だった月渚ねえの「あんたたちもやってみる?」という甘く軽い誘いに乗って同人活動を始めたのは中学に上がってすぐのこと。世界的に流行した例の感染症のせいで休校になることが多くなり、たまに登校したとしてもマンガの回し読みなんてできなくなっていた。

 月渚ねえは、くすぶっていた僕らに『場所』を用意してくれたのだと思う。

 月渚ねえが参加していたイベントは年に四回行われているもので、この年は五月と夏の回は感染拡大のため中止となった。

 十一月。久しぶりのイベント。僕らにとっては初めてのイベント。

 感染対策が徹底された会場と参加者。あまり思い出したくないから事細かには書かないけれど、あの日の僕らは不思議な高揚感に包まれていた。

 僕と姫とがつくったコピー本は用意した三十部を売り切った。異世界に召喚された高校生男子がその世界の女の子と力を合わせて、世界に災いをもたらす悪しきものと闘い勝利するという、ありがちでひねりのない話だったというのに。

 きっと月渚ねえの顔の広さと、その日のイベントの空気の特殊さも味方してくれたのだろう。作品の力だけではけっしてない。それでも僕らは自分たちの物語が誰かに届いたのが嬉しくて仕方なかった。

 同人活動は――というか、創作というのは酒や煙草や麻薬のようなものなのかもしれない。といっても僕はどれもやったことがないけれど。

 一度味を知ってしまうとなかなかやめられない。

 僕らが初参加したイベントのあと、次の回はまた中止というようなことになったけど、僕と姫が創作をやめることはなかった。

 僕が原作となる小説を書いて、二人でああでもないこうでもないと意見を出し合って、それを姫がマンガにして、またああでもないこうでもないと言い合う。

 少しでもいいものをつくって一人でも多くの人に届けたいと、そんな気持ちで続けて、今年で四年。次のイベントは十七回目。

 たしかに届く数は増えている。

 でも、実は僕には、本当に届けたい人に届けられていないという悩みがあった。

 そのことを誰かに相談できればいいのだが――

「姫、あのさあ、」

「なにー?」

 ペン先がカリカリと原稿用紙を引っ掻く。姫の声にとげとげしさはなかった。

「あのさあ、僕、」

 それ以上は言葉にならなかった。

 やっぱり言えるわけがない。僕の悩みはきっと誰にも理解できないだろうから。

 僕は言いかけた言葉を飲み込んで代わりの言葉を用意した。ちょうどいい言葉があった。

「そろそろ帰んないと。母さんがうるさいから」

 時計の針は二十時のちょっと過ぎたところを差している。

「え?! もうそんな時間?」

 姫はスマホで時間を確認して、もう一度「えっ!」と声を上げた。

「写植の文字は家で打ち込んでくるよ。それくらいしか手伝えなくて悪い」

「何言ってんの。それ、すんごい助かるから!」

 手を止め椅子をくるっと回転させてこちらを向いた。洗顔用のヘアバンドで留めたショートボブの髪の毛はあちこち跳ね、よれよれの部屋着姿――本人はマンガ制作の正装と呼んでいる――なんかはけっして人には見せてはいけないものだったが、とても充実しているような顔つきは、センター楽曲で輝いている推しのアイドルにも負けていなかった。

 そんなキラキラした人が、キラキラした顔で言う言葉。

「キヨ太が生み出した最高の物語、今回ももっと最高に仕上げてみせるから!」

 キラキラを真正面からぶつけられた僕は、姫と同じようには笑えなかった。

「期待してるよ」

 僕はそう言って、原稿の中の黒髪ヒロインを見つめた。



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