5 遺伝子④
高砂にいると会場がよく見えた。緊張で視野が狭くなるかと思ったが、そうでもない。隣の麻衣子が緊張でガチガチだったから反対に俺は冷静でいられたのかもしれない。
智希が会場の木村スイに手を振っているのが見えた。それを見た会場にきていた病棟看護師の一人が騒いでいるのが分かる。俺は高砂から木村スイを見る。今日も当然地味な女に擬態している。いやあの妖艶な姿が偽物だったのだと思ったが、本当に地味なだけの女ならあの智希があんなふうに手を振るだろうか?俺はもう一度木村スイに目を止める。
歓談タイムに入り、高砂に酒を注ぎにきた智希がソッと俺の横に立って耳打ちした。
「そこにいると良く見えるんだよ。隣に綺麗に着飾った花嫁がいるのに会場の女に熱い視線を送ったらダメだろ」
俺は思わず勢いよく智希の方を見た。熱い視線を送ったつもりはない。それなのに、智希から見たら花嫁を無視して他の女に視線を奪われているように見えたのか。智希がそう見るなら、他にもそう思った人間がいてもおかしくない。俺が一瞬不安になっていると智希が続けた。
「大丈夫だよ、多分誰も気づいてない。お前の視線は微妙に広範囲に見えるしな」
俺はホッとしたのと同時にもしかしたら智希のこの発言も鎌をかけたものだったのかもしれないと思えてくる。俺は自分の頭を2、3度振って笑顔を作った。
「智希はあれからどうなんだ?連絡してるのか?」
俺からの問いに一瞬キョトンとした顔をした後に、「あぁスイちゃん、連絡してるよ。連絡すれば返信がある感じかな」と笑った。
会場中をサッと見回して、また違和感を感じた。
何かがおかしい気がした。何がおかしいのか気づけないが、全体を見回して時に感じる心のざわつき。隣の麻衣子が俺の服を軽く引っ張った。
「真司くん、真司くんのおじさんとおばさん、なんか気分悪そうだけど大丈夫なのかな?」
俺は親族席を見る。数男おじさんよりも直子おばさんの方が顔色が悪い。結婚式出席者の半分は医療関係者だ。視線をそこに集中してないが、皆気配を伺っているのがわかった。俺はウエディングプランナーに叔母を控え室で横になれるように準備してほしいと頼む。何かあれば、すぐに出席者の医者や看護師が動いてくれるだろう。出席しているのはベテランばかりだ。誰か一緒に控え室に行ってくれないだろうかと考えていたら、誰かがスッと動いた。木村スイが叔母の横に移動する。何故木村スイが?そんな疑問も必要ないほどにその顔が物語っていた。
木村スイの顔と叔母の顔が遺伝子レベルで酷似している。
木村スイの方に驚きはなかったから、もしかしたら知っていたのかもしれない。反対に叔母は知らなかったのだろう。青い顔で木村スイの腕をとった。涙こそ流れていなかったけれど、泣いているように見える。数男叔父さんが二人の後ろについて歩いた。陽が自分の席からその様子をジッと見ている。
俺と麻衣子の結婚式なのに、会場は静まり返っていた。誰の目にも二人が親子であることは明らかだ。木村スイは極端に自分の話をしたがらない。自分の話をしないということを相手に悟らせないように話し相手の話ばかりを聞いている。それを知っている職場の人間が妙に納得した顔で二人を見ていたし、俺も妙に納得していた。麻衣子と麻衣子の家族が妙に興奮しているようで、麻衣子が「ねぇ、真司くんのおばさんとスイちゃんって血縁者?」と小さく漏らしていた。俺は小首を傾げて見せる。何も知らない。顔を見ただけで判断するのは早計な気がした。とはいえ、どう考えてもそうだ。俺は背筋に冷たいものを感じる。叔母はとても穏やかで優しい人だ。そんな叔母が青い顔をして木村スイを見ていた。怖いものを見た時みたいに。
木村スイは目立たず地味な女に擬態しているが、やはり何か恐ろしいものを持っているのだ。母親に疎まれるほどの。
俺は式が終わった後で叔母と叔父に話を聞かせてもらうことにする。
木村スイと叔母たちが会場を出た後で
まず最初に俺の母が拍手し、麻衣子の母と父が拍手する。すると会場全体に拍手が広がった。全員が拍手したところで式の進行が再会する。俺は何事もなく、無事に式を終わらせたい。麻衣子が俺を見ていた。俺は大きく頷くと麻衣子も笑顔で頷いた。その後の式はスムーズに進んだ。結局、式の間中、叔母さんと木村スイは会場に戻ってこなかった。気にはなるが、式が滞りなく終わりを迎えることが出来て俺は満足だった。麻衣子が会場の人を見送った後、すぐさま控え室の叔母と木村スイのところに行こうと言い出した。
俺は内心木村スイと深く関わりたくなくて嫌だった。嫌だったが、叔母のことは気になるし、麻衣子が行くのに俺が行かないのもおかしい気がして、一緒に叔母と木村スイのいる控え室に向かった。そこは親族控え室とは別だ。式場の医務室、気分が悪くなった人のための控え室に彼女たちはいた。
ドアを開けると叔母さんと木村スイが並んで座っていた。叔父さんも陽もいる。俺たち二人が着替えもせずそこに訪れたことに皆が驚いているようだった。
「真司、着替えてから来たら良かったのに」
叔父さんの第一声。それを叔母さんが肘で小突いて嗜める。
「式の途中で退室してしまってごめんなさいね。心配して見に来てくれたんでしょう。ありがとう」
優しい笑顔だ。もう顔色は戻っている。その場に木村スイがいることに違和感がない。元々四人家族と言われてもおかしくないほどにその場に馴染んでいた。
俺の視線に気付いたのか、麻衣子がずっと木村スイを見ていたのか、陽がスッと俺たちの視線から木村スイを隠した。俺たちの視線に気づき、躊躇いながらも叔母が「娘なの」と言った。俺も麻衣子も驚かない。そうでなければおかしいくらいに二人は似ている。
俺と麻衣子は叔母さんの言葉に頷いた。
「じゃあ、スイちゃんは私たちと身内になるのかな?」
麻衣子が冷静な声で俺の方を向いて聞いてきた。目の端で叔母も叔父も軽く頷いたのがわかった。陽でさえ突然できた姉を受け入れている様で両親と共に頭を縦に振る。俺も三人に続き首を縦にふろうとした。けれど、俺が頷く前に、三人の後ろから木村スイの声が否定する。
「いえ、私は今まで通りですよ」
無理しているわけでも、怒っているわけでもない、感情の乗っていない冷静な声で木村スイが家族であることを否定した。その瞬間に叔母さんは傷ついた顔をしてそれを見た叔父さんと陽が木村スイを責めるように見る。
二人の男の鋭い視線にも木村スイは動じることなく淡々と話を進める。
「いや、お母さんが嫌なわけではなくて、うちにも新しいお母さんがいるんです。お父さんの再婚相手が。その人のことはお母さんと呼んだことはないですけど、大好きな家族なんです。育ててくれた祖父母もまだ健在で、お母さんの新しい家族と私が家族って言うことになると多分傷つくと思うんです。だから、今まで通りでいいんです。お母さんも、半分血の繋がった弟もいて、お母さんの大切な家族をこの目で見れたのでそれでいいというか」
「あの人たち、まだ健在なのね」
叔母の聞いたこともない冷たい声がした。木村スイ以外が驚いて叔母を振り返る。俺たちの視線に気付き、苦笑した。叔母は優しい人だ。怒ったところを見たことがないし、声を荒げているのを聞いたこともない。優しい眼差しで優しい声で接してくれる人だった。この人にこんな声を出させる木村スイの家族にゾッとする。
叔母は苦しそうに顔を歪めながら静かに続けた。叔父さんの手が叔母さんの背中をそっと撫でている。
「スイの父親の両親が、過干渉な人でね。私、耐えられなかったのよ。酷いことも沢山言われて、彼は守ってくれないし…、それでね、逃げ出したの、娘を置いて。あの人たちのお気に入りのスイを残して」
叔母さんが陽と木村スイに視線を移す。陽は青ざめた顔をしているけれど、木村スイは感情の読めない顔で叔母に微笑んだ。
「ジィジもバァバは私にとっても優しくしてくれたよ。だから、残されても大丈夫だった」
木村スイは視線を床に落とし、口の端をあげて笑ったように見えた。どこも見ていない目で口の端だけをあげる笑顔に俺の心臓が跳ねた。スーと背中を冷たい水の雫が流れ落ちていくような感覚。一瞬全身に鳥肌が立つ。俺は麻衣子の隣で気取られないように全身に力を入れた。
「それに、お母さんがいなくなって運命の人に出会えたの。その人の子供も産めた。お父さんと新しいお母さんには子供がいないの。だから私と一緒にその子を育ててくれてる。お母さんがいなくならなかったら、今のこの幸せはなかったわ。だから感謝してるの」
木村スイは真っ直ぐに直子叔母さんを見た。それは真実、感謝している目だった。擬態を解いた
麻衣子がこちらを見ている。俺は麻衣子の方を向いてニコリと笑う。背中にそっと腕を回し、「ここはもう大丈夫そうだから着替えに行こうか」と促す。麻衣子は頷く。笑おうとして失敗した顔を俺は初めて見た。俺の心にも麻衣子の心にも訳のわからない不安がある。俺は二人の不安を振り払うように麻衣子の背中をポンポンと叩いた。
「俺たち着替えに行くよ」
俺は数男叔父さんに告げ、踵を返し部屋を出る。麻衣子と並んで式場の廊下を歩く。言葉はない。何度か俺の顔を見上げてくる麻衣子。言いたいことがあるのだろう。けれど、結局何も言わない。
T字路の突き当たりで俺たちは左に向かう。もう少しで左に曲がるというところで右側から妹の彗が小さな女の子を連れて歩いて来た。
「お兄ちゃん!」と俺に向かって手を振る。彗は麻衣子に少し頭を下げた後麻衣子に話かける。
「麻衣子さん、この黄色のドレス最高に綺麗です。でも、お式で着てたどのドレスも素敵でした!」興奮気味に伝え、手をつなぐ隣の女の子に「ねぇ、見てまみちゃん、お嫁さん綺麗でしょう」と話しかける。
小さなその女の子と彗が似ているように感じる。
「彗ちゃん、その子、もしかして木村真実ちゃん?」
麻衣子が息を呑むように彗に問う。木村真実ということは木村スイの娘。
「そう、お母さんを迎えに来たらしくて、こっちの控え室にいるから、連れて行ってあげてるの。お兄ちゃんも麻衣子さんも直子おばさんとこに様子を見に行ったんでしょう?もう付き添ってた人も帰れるよね?」
彗はあの異常さに気付かなかったのか?木村スイと直子叔母さんの関係に。今控室に行くということはその現場を目撃するということだ。鈍感力も人間には必要だと思うが彗がここまで鈍感だとは思わなかった。まぁ彗は可愛いから、鈍感でもいいのだけど。
「彗ちゃん気付かなかっったの?」
麻衣子が怪訝な顔で聞く。彗はキョトンとした顔をした。麻衣子が俺を見上げる。俺は首を横に振った。そのまま彗に視線を向ける。
「なんでもない、気にしなくていいよ、彗は。まみちゃんのお母さん、もう帰れるから迎えに行ったらいい。俺たちは着替えに行くからな」
俺は麻衣子の背中をグッと押し二人とすれ違う。後ろは振り返らなかったけれど、彗は木村スイの子を連れて医務室に向かっただろう。T字の角を曲がり俺たち二人になったところで麻衣子が呆れ顔で俺を見上げた。
「真司くんは彗ちゃんに甘いよね」
少し飛び出した麻衣子の唇に人差し指をチョンと触れる。
「彗は妹だから。兄は妹が可愛いもんなんだよ。でも、愛してるのは麻衣子だよ」
最後は麻衣子の耳元にそっと囁く。麻衣子の目が細められ口元も緩み満面の笑顔の麻衣子の腕が俺の左腕に巻き付いた。
今日は色々とあった。節目の結婚式に親子の再会が重なり、叔母は初孫と対面しているかもしれない。木村スイが絡むとなぜかいいしれない不安が湧き上がってくるのはなぜなのか。俺は先ほどの彗と一緒に歩く、彗によく似た女の子にも心を騒つかせていることに気づいた。
俺はいい知れない不安を断ち切るように右手を握り込んだ。
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