4 視線②
麻衣子が木村スイに男を紹介したいと言い出したのはコートを着ないと外に出られなくなった十一月の終わりだ。人畜無害そうな顔をして、若い時に男とホテルに通い詰めるほど好きものの彼女に誰を紹介するのか、俺は頭を悩ませた。大学六年の一年間。色々な女と遊びまくった俺には、木村スイはまだ男を知らないように見える。どれほど巧妙に処女を装っているのだろうか。俺は、木村スイがよがる姿を想像して、なんとなくゾッとした。何か怖いもの、お化けや化け物の類を見たように感じた。俺は頭を振ってその想像を吹き払い、麻衣子を満足させるために、木村スイに紹介する知り合いを考えた。
「ねぇ、真司くん、スイちゃん、いきなり初めて会う男性と二人は嫌だと思うの。だから、四人で一緒に食事に行こうよ」
キラキラした目で麻衣子が俺を見る。先日の麻衣子の誕生日に送ったダイヤのネックレスが胸元に輝いていた。綺麗に整理された一人暮らしのワンルーム。麻衣子の部屋はとても女性らしく、可愛いもので溢れていた。使うものはシンプルに、でも可愛いものが好きな彼女の部屋はぬいぐるみやハートや星が至る所にある。目の端に今まで見たことのないぬいぐるみがあることに気づいた。テレビの横にある白いウサギのぬいぐるみだ。
「うぅん、俺は大人の二人なんだから、そんなことしなくていいと思うけどな。なぁ、あのうさぎ、買ったのか?」
麻衣子の顔にパッと笑顔が広がった。
「気づいてくれたの?これね、スイちゃんからの誕生日プレゼントなんだよ。仲良い友達みんな結婚しちゃって、疎遠になっちゃって、誕生日プレゼントは真司くんからしかもらってなかったんだけど、久しぶりに女の子から誕プレもらったの!」
よほど嬉しかったのだろうこんなに興奮している麻衣子を久しぶりに見た。
「最初、木村さんに嫉妬してたのに、今では誕プレもらう間柄になったんだな」
俺が数年前のことを引っ張り出して言うと、麻衣子は「もー」と頬を膨らませた。
「あの頃はさぁ、真司くん浮気してるんじゃないかって本気で疑ってて、ちょっとナーバスになってたんだよ。それに、同じ病棟になっていろいろ話をしてたら、スイちゃん、めちゃいい人で。私同級生かと思ってたら、一つ上なんだよ。でもさぁ、私がタメ語でも何も言わないし。…実はね、男の人を紹介したいって言うのも私がめちゃくちゃお節介してるの。スイちゃんはそんなことしなくていいって言うんだけどね…」
俺は目を瞬かせた。木村スイへの男の紹介は木村スイの望みではないということだ。乗り気ではない相手に友人を紹介することに俺は抵抗を覚えた。
「麻衣子、それは初耳だよ。なんで、そんな大事なこと言わないんだ?智希には、彼氏の欲しい女性を紹介するって言ったんだけど。事情が違うなら、ちゃんと伝えておかないと齟齬が生まれるだろう」
俺は自分が思った以上に剣のある言い方をしてしまったことに麻衣子の表情を見て気づいた。
「ごめん、俺にとっても大事な友達を紹介するからさ、嫌な思いはしてほしくないだろう。言い方がキツくなった。ごめんな」
俺はすぐに頭を下げる。これがリカならきっとあんな顔はしないし、俺は謝ったりもしない。でも、麻衣子は恋人だ。いづれ結婚する相手だ。大切に大切にしなければ。
麻衣子は首を小さく横に振った。
「私もごめんなさい。スイちゃん、ずっと真実ちゃんのお父さんのことが好きらしくて、でも、その人とは結ばれることがないんだって。だから、可哀想になっちゃって。スイちゃんには真実ちゃんがいて幸せなんだろうけど、それでも、愛する人と結婚して幸せになってもいいと思うの。だってまだ二十代だよ。これからいくらでも恋愛もできると思うの。ちょっと、無理矢理でも誰かが彼女を真実ちゃんの父親以外に引き合わせてあげるしかないと思うの」
麻衣子はきっと自分が幸せだと自覚があるのだろう。俺と愛し合い、結婚して幸せな家庭を築く自分と比べて、好きな人との子供を産み、一人で育てている木村スイを憐んでいるのだ。木村スイにとっては小さな親切大きなお世話というものではないのだろうか?
「麻衣子、それは木村さんにとって必要ないことなんじゃないかなぁ。智希を紹介するの辞めないか?」
俺は静かに言った。麻衣子はジッと俺を見る。そして、ゆっくりと首を左右に振った。
「辞めない。事情は智希さんに話をしてていいと思う。でも、スイちゃんの世界はなんか狭いの。病院と家族だけって感じ。スイちゃん、すごくいい子なの。だから、ちゃんと幸せになって欲しい」
俺は今どんな顔をしているだろうか?人の幸せはその人自身にしか分からない。木村スイは本当に不幸なのか?彼女は今の生活で満足しているのではないだろうか。リカも実らない人に恋をしている。いや恋なんて生易しいものではない。きっと愛しているのだ。だから、俺たちの関係は成立している。リカは不幸には見えない。俺がリカを愛していて、リカがその想いに応えられないのに体を重ね続けている。そんな設定であれば、もしかしたら、今より少し不幸かもしれない。気持ちがすれ違っているから。でも適度な心の距離を一定に保てる俺という存在がいて、心には愛する相手もいる。リカは十分幸せだと思う。
俺はリカがいて、自分を解放できる場があり、尚且つ、愛し合っている麻衣子がいる。俺こそ最高に幸せな人間かもしれない。
「真司くん」
麻衣子の不安そうな顔がそこにあった。麻衣子の目が揺れている。俺は麻衣子の頬に右手を添えた。麻衣子は頭をそっと俺の右手側に傾け、俺の右手には麻衣子の頭の重さが乗る。
「真司くん、ボーッとしてた。時々、真司くんが何考えてるか分からなくなるよ」
俺は両手で麻衣子の顔を包み、麻衣子の両の目を見る。そっと啄むようにキスをする。
「麻衣子との将来を考えてた。よくよく考えると、俺はこんな可愛い彼女がいて幸せだなって思ってたんだ。だから、麻衣子が友達に自分の幸せを分けてあげたいと思うのは自然なことだなって。ただ、何が幸せかはその人が決めるからね。今回は、智希にもきちんと説明して、友人を増やすつもりで紹介するって言っておくよ。彼氏が欲しい人じゃなくて、できたら友達になってあげてって。だから、麻衣子も木村さんに、新しい友達として紹介するって言ってみたらいいと思う」
麻衣子は本当にクルクルと表情の変わる可愛い女だ。麻衣子の目がまたキラキラと輝き始めた。麻衣子が微かに首を縦に動かし、「ありがとう」と呟く。そして、麻衣子の手が俺の背中に回された。俺はそのまま麻衣子を白い毛の長いカーペットの上に押し倒した。
智希と木村スイの顔合わせのための食事会は十二月に入ってすぐに行われた。セッティングは全て麻衣子がしてくれた。麻衣子が言い出したことだし、彼女はセンスのいい店を見つけたり、美味しい話題の店に行くのが趣味のようなものだったから、任せて間違いない。今回の店は先月できたばかりのイタリアンで、石窯のあるピザの美味しい店だ。俺も行ってみたいと思っていた店だったので、木村スイと友人の智希を引き合わせることには未だに乗り気ではないが、その店に行くのは楽しみだった。
その日、麻衣子は日勤だった。木村スイは当直明けで、俺と智希も当直明けだ。俺は、いつものビジネスホテルでリカと会い、木村スイと職場以外で会うことを告げる。
「こないだ、リカが学生の頃ホテルで顔を合わせてたって言ってた女がいるだろう。そいつに智希を紹介することになったんだ。今日の夜、ピザフォルマジロで食事会なんだ」
リカがこちらを振り向く。日の光を背にしたリカの表情はよく見えなかった。
「智希、別れたんだ。確か、自分のところの病院の看護師と付き合ってたよね?」
俺はリカが木村スイについて何か言うのだと思っていた。しかし、リカが口にしたのは智希の方だった。智希は同じ大学出身の同級生だ。自分の親父さんが経営する小さな総合病院に内科医として勤めている。彼は兄が病院を継ぐから、自分は気楽に他所の病院で働くことなく、実家の病院にそのまま就職した。
遊ぶタイプの人間ではないが、一人の相手と一年続くと長く付き合っていると感じるほどには、彼女との関係は長続きしない。友人としてはとても付き合いやすい良い奴なのだが、彼氏としての智希は少し違うらしい。
リカとも面識はあるが、俺とリカに体の関係があることは知らない。
俺とリカのことは誰も知らない。少なくとも俺は誰にも言っていないし、リカも誰かにこんな話をするとは思えない。だから、誰も知らない。
「智希の奴、当分自分の病院の女には手を出さんって言ってたんだ。で、木村スイに誰か紹介してあげてほしいって麻衣子に言われて、智希を紹介することにしたんだ」
俺の言葉をリカは頷きながら聞いていた。フッと疑問が湧く。
「俺、智希の話、リカにしてないよな?どこから智希の話聞いたんだ?同じ病院の看護師と付き合ってたの知ってるって智希と会ったりするのか?」
俺は、リカの表情を逃すまいとリカにしっかり向き合って問う。リカの表情がフワッと緩んだ。女性にしては大きめなリカの手が俺の顔に伸ばされる。人差し指で俺の眉間をトントンと優しく叩く。
「真司くん、眉間に皺よってるよ。何?私が家族以外の他の男と会ってたら嫌なの?」
俺は自分でも気づかないうちに眉間に力を入れていたようだ。リカに言われて、リカが他の男とも同じように体を重ねてるかもしれないことに気づく。リカの想い人は自分の家族なのだということを俺は知っている。決して結ばれることのないその相手に何かを思ったことはなかった。でも、もし、俺と同じようにリカと体を重ねている男がいるのだとしたら…。
俺は猛烈な怒りが込み上げてくるのを感じた。智希ともリカは体を重ねているのか?俺の知らない男とも!
俺の異変に気づいたリカが何を思ったのか、俺を抱きしめた。二人ともまだ裸のままだ。肌と肌が触れ合う。この滑らかな美しい肌に他の男が触れるのかもしれないと思うと、怒りが爆発しそうになる。もう何年にもなるのに、リカが他の男とも同じように肌を重ねるとは露ほども考えていなかった。
「リカ、他にも俺みたいに体の関係の男がいるのか?」
俺はリカの背に手を回しながら、襲い掛かりそうになるのを何とか理性で押し留め、掠れた声で聞いた。リカは俺の頭を撫でながら、「いないよ」という。
「セックスしたことあるのは真司くんだけだよ」
俺は一瞬で自分の怒りが引いていくのを感じた。そして、俺は即座に「処女じゃなかった気がするけど」とツッコミを入れる。
「うん、真司くんとセックスするようになってから、他の人とセックスしたことはないってこと。男友達はそれなりにいるけどね、体の関係にはそうそうならない」
俺はぎゅうっとリカを抱きしめた。リカが痛がっているけど、離す気はない。そしてそのまま体を離し、その乳首を口に含める。甘い吐息の合間から「これが終わったら行くよ」と震える声が聞こえる。俺はその言葉に頷き、自分の中にあるリカに対する独占欲を自覚しながらその体を味わい尽くした。
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