4 視線①

 急速に麻衣子と木村スイが接近しているようだった。麻衣子の口から、「スイちゃん」という言葉を聞いたのはあの夜勤から数ヶ月たった秋の夜だ。俺はなぜかその呼び名にギクリとしながら聞いた。

 

 俺は久しぶりにリカと落ち合うビジネスホテルに来た。部屋に入ると無機質な空間が俺を包む。その感情のない空間にリカの顔が浮かんだ。今回は何ヶ月ぶりだろうか。俺はリカの顔を思い浮かべただけで中心に熱が集まっていくのを感じた。携帯電話に通知が届いた。短く下に着いたと画面に映る。俺はその通知をスライドさせ、携帯電話のメール機能を立ち上げる。部屋番号だけ打ち込み返信した。俺はジッと待っていることができず、立ち上がり部屋の中を歩き回った。もうホテルのフロントにいるのなら、すぐにこの部屋に着くはずだ。その数分が待ち遠しい。

 ピンポン。

 軽いチャイムがなる。俺は早る気持ちを抑えて、ゆっくりと入り口のドアの前に立つ。のぞき穴から外を確認する。そこにはリカが一人で立っていた。俺の心臓はバクバクと大きな音を鳴らしていた。俺の頭ではそれよりも大きく「早く、早く」と自分の声が響く。俺は、ガチャリと玄関のドアのぶを回しリカを部屋に招き入れた。

 俺にはリカが入って来て、ドアが外界と部屋を遮るまでの時間がとても長く感じた。手を離せば自動的に閉まるドアだが、待つことが出来ない。俺は力まかせにドアを押して、閉めた。同時にリカを抱きしめる。抱きしめながら、鍵をかける。オートロックとはいえ、鍵は必要だ。俺は、麻衣子にしたことのない勢いで、リカにキスをする。手加減などない俺の力いっぱいの抱擁と激しいキスにリカはなされるがままだ。拒否もされないが、同じテンションでもない。テンションが違うのはいつものことだ。しかし、今日は俺の方のテンションが高すぎた。側から見たら俺がレイプしているように見えるかもしれない。頭の中でレイプという単語が浮かび、俺はなお一層たかり狂う。俺は、自分の欲望を治めるためにリカに全てをぶつけた。


「真司くん、珍しいね、こんなセックス。とはいえ、ゴムは絶対つけてくれるから、それは本当にえらいよ」

 リカの抑揚のない会話がとても懐かし気がする。俺はリカを自分の腕の中に抱きしめた。

「今回、長かった。麻衣子が外科病棟に来て、病院の人間にも付き合ってることがバレて、リカに会う時間が作れなくなった。一回時間ができたけど、その日はリカが仕事だっただろ?

もう俺、本当に死ぬかと思った。麻衣子に酷いこと言いそうになるし…」

 そこまでぐちぐちとリカに呟いた後、リカに一番聞きたいことを聞く。

「木村スイはリカの何なの?目立たない普通の女なんだけど、なぜか、最近麻衣子とも仲良くなってるし、なんか、すごい普通なはずなのに、ちょっと怖いんだよな」

 俺の疑問にリカが首を傾げた。

「木村スイって誰?」

 俺は目を見開いてリカを見る。俺はベッドに座った。横になったままのリカを見下ろす。

「何年か前に職場の皆で撮った写真を見て表情をかえただろ?リカが彼女は?って聞いたんじゃないか。覚えてない?」

 リカは今度は首を縦に動かす。俺は全裸のリカの両方の二の腕を掴んで座らせる。小ぶりのリカの乳房は垂れずに乳首はツンと上を向いていた。俺はその胸部から目を逸らし、リカの目を見る。

「リカってあんまり表情動かさないだろう。そのリカが明らかに驚いた顔をして、複雑な表情をしたんだ。それはうちの病院の看護師で、今は麻衣子とも仲がいい。リカ、本当に木村スイって名前に覚えはない?」

 リカは頷いた。

「すいは真司くんの妹の名前でしょう」

 俺は頷きながら携帯の写真を探す。顔を見たら教えてくれるかもしれない。俺は今年の花見の写真を探す。みんなで撮った集合写真の中にその顔を見つけてリカに携帯の画面を見せた。

 リカの口が「あ」の形をとった。声は出ていない。その目には驚きが広がり、そして納得していた。なぜか俺に向けたリカの目には哀れみのようなものが見えた気がした。リカは何度か頭を傾(かし)げ、言葉を探している。俺はリカの口から言葉が出るのを待った。

「あのね、私、彼女と面識がある。でも、名前は知らないの。ただ、学生の頃だよ。就職してからは一度も顔を見てない。あぁ、そう言えば何年か前に、真司くんの携帯の写真で彼女の顔を見て、真司くんと同じ職場なんだって思ったんだ」

 俺はリカのフワフワした物言いに不安を覚えた。リカとは学生の頃からの付き合いだ。木村スイは俺とリカの関係を知っていたりするのだろうか?面識があるだけで名前も知らない相手。それでもこんなに覚えているということは強烈な記憶がそこに紐づいている可能性がある。毎回使っていたホテルは一緒だった。あの頃はラブホテルだ。俺は一つの仮説にゾッとする。

「リカ、その彼女と面識が出来たのは、あの頃使っていたホテルだったりしないか?」

 木村スイは子供がいる。処女ではないと言うことだ。星の数ほどあるホテルでこんな偶然、考えたくもない。が、リカが俺を見る目。リカが彼女とホテルで顔を合わせているならリカの憐みの目も納得できる。俺はリカの小さな変化も見逃さないようにしっかりとリカを見る。

 リカは小さく頷いた。

 俺はガックリと頭を落とした。

 いや、でも、まだ俺とリカの関係を知られているわけではない。あのホテルは2階にドリンクバーがあって、リカはセックスが終わると一緒にシャワーを浴びた後すぐにドリンクを取りに行っていた。あそこのドリンクバーは別の客とも鉢合わせる構造で、リカがそこに行くことに実は抵抗があった。もう何年も前のことだ。今更だが、あの時高くてもルームサービスを利用しておけば良かった。

「ドリンクバーで会う人だった?」

 俺の問いにリカが頷く。

「じゃあ、相手が俺だって知られてない?」

「それはどうかな?」

 リカは微かに目を細めながら不安になることを言う。

「ドリンクバー以外でも会ったことがある?」

 俺の問いに首を横に振った。そして、リカはベッドから立ち上がる。もう三十歳を過ぎたリカは若くない。若くはないが、綺麗な体をしている。麻衣子も頑張ってスタイルを保っている。努力が見えるが、リカは天然だ。何か美に対する努力をしているようには思えない。麻衣子はきっと子供を産んで、母親になったら横に大きくなっていくかもしれない。けれど、きっとリカは子供を産まないだろうし、きっと、このまま年を重ねていくのだろう。俺には家庭も必要だ。リカはあくまでも友人。リカと家族になるなんて想像もできない。やはり俺には麻衣子のような女が必要なのだ。

 俺は、木村スイの顔を思い浮かべた。リカがホテルで何度も顔を覚えるほどに会っていた女。つまり、木村スイも何度もホテルに通っていたと言うことだ。人は見かけによらない。目立たない女だ。ごく普通の何の特徴もないような女。その女を求める男がいたというこだ。結婚をしていないところを見ると、不倫だったのかもしれない。

 俺は一度もドリンクバーに行ったことがない。だから、俺が木村スイと顔をあわせる機会はない。俺はリカのシャワーの音を聞きながら胸を撫で下ろす。ただ、リカが木村スイの話になると俺を何ともいえない目で見ること、嘘を言わないリカが意味深なことを言うことに少し不安を覚えた。とはいえ、小さな小さな不安だ、俺はその不安には蓋をする。不安を振り払うように俺はリカの後を追った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る