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ゆらゆらと
流れる波に身を任せ
私は星を見上げます。
ゆらゆらと
心を波に漂わせ
あなたのことを見守ります。
だけどもし
夜空に煌めくあの星が
あなたの涙と知ったなら
私は水から顔を上げ
あなたの涙を掬いましょう。
*
それは破裂音と共に現れた。
教室中に響き渡るその音が、窓ガラスの割れた音だと誰一人理解する間もなく、大量の雨水を蓄えた嵐が凄まじい勢いで教室を殴りつけた。
たった今まで窓に隔てられていた外の嵐は、爆弾のように目に見える全てを破壊する。窓際にいた生徒が宙を舞い、隣の生徒を巻き込みながら壁に叩きつけられる。舞い上がる椅子と机が蛍光灯を叩き割り、大小の破片が刃の風となって吹き荒れる。ズタズタに引き裂かれて剥き出しになった
突如として阿鼻叫喚の地獄に引き摺り込まれた生徒たちは、破壊の限りを尽くす凶暴な嵐を前に成す術がない。恐ろしさのあまり泣き叫び、声を上げるも、学校全体を震わせる暴力的な轟音が全てを飲み込みかき消していく。
恐怖。苦痛。混乱。恐慌。無力。
それらに教室が支配される。
そして嵐はまるで何かの意思を持っているように、茫然と立ち尽くす栢森に向かって襲い掛かった。
「ぎゃ……────!」
短い悲鳴。だがそれも一瞬でかき消えた。
顔を上げることさえ叶わない嵐の中、マキはなんとか目を開ける。
窓際に座っていた七尾は無事だろうか。栢森の近くにいた都は大丈夫だろうか。確認しようにも、荒れ狂う嵐の中では視界など存在しないに等しかった。
だがその中でマキは気付く。
「これ……!」
黒い水が、べったりと視界を埋め尽くしていた。
自分の手が、足が、床が、壁が、墨汁の原液のように真っ黒な水に濡れていた。
めぎっ! と、吹き荒れる暴風に叩き割られた黒板の裏にある白い壁が、マキの目の前でペンキをぶちまけたように黒く染まる。
間違いない。昨日、都の目から出ていた涙と同じものだ。
「わらわちゃんっ!」
極限の教室でマキは叫ぶ。
「あい分かった」
わらわは声に応えて両手を翳す。
「“高提灯、箱提灯、夥しく燈し立て”」
割れた蛍光灯から放たれる淡い灯に、黒染めの教室が赤へと染まる。
瞬間、教室中に広がっていた嵐が急速に収束し、窓から外へと飛び出した。
「なっ……!」
小型の竜巻とでも言うべきそれは、わらわの光から逃れるように大空へと舞い上がる。そしてそのまま周囲の雨雲を巻き込みながら、遠くの山へと飛び去った。
「…………逃げおった」
わらわは不愉快そうに眉をひそめて、提灯の灯を消した。
わらわの灯に炙られた教室からは黒い水が消え去り、雨に濡れた天井からも透明な水が滴っていた。窓の外の雨雲も、あの嵐に取り込まれて消えてしまったのか、雲間からうっすらと太陽の光が射していた。
嵐の過ぎ去った教室で、マキは力なく立ち上がる。未だ衝撃の覚めやらない頭がぐらぐらと揺れる。周りの生徒たちも、地獄の時間が終わったことに気付きだし、安心して泣き出す者も出始めた。
「七尾ちゃん……都ちゃん……どこ……?」
ぼやける視界の中、マキは友人たちの名前を呼ぶ。
「い、いるよ…………」
机の残骸から擦り傷だらけの七尾が這い出してきた。最初の衝撃で反対側の壁まで吹き飛ばされていただろうに、よくその程度で済んだものだ。机がガラスの破片から守ってくれていたのだろうか。
「それより……み、ミヤが……」
はっ、としてマキは辺りを見回す。怪我をして呻く男子。気絶したまま動かない女子。騒ぎを聞きつけて集まる先生たち。…………いない。どこにもいない。
マキはもう一度教室を確認する。だがやはり都はいない。それどころか栢森の姿も無かった。
「…………っ!」
マキは窓に駆け寄り、嵐の飛び去った方角を睨みつける。黒雲を携えた竜巻が山を越え、そのまま小さく消えていくのが見えた。あれは確か、
「ミヤん家の方向だ」
後ろに立っていた七尾がそう呟いた。その顔つきは何かを察したような真剣な表情だった。
マキは確認するように七尾に言う。
「やっぱり、都ちゃんはあれに連れて行かれたんだ」
「どうする?」
「…………行かなきゃ」
マキの言葉に七尾が頷く。二人は無言で互いの決意を確かめ合う。
そしてもう一度、窓の外へと視線を向けた。
───どさっ、
「!?」
何かが視界の上から下へと通り過ぎていった。
まるで重たいものを屋上から投げ捨てたような、そんな質量を伴った感じのものが。
どさっ、
再びそれは視界を通り過ぎる。
どさっ、
どさっ、
どさどさどさ、
連続して落ちる物体。あまりの速さに、マキにはそれが何なのか分からない。辛うじて分かるのは、そのどれもがまちまちの大きさをしていることだけだった。
「?」
マキは窓の下を覗き込んで、それを確認しようとして、
がっ、
と、七尾に腕を掴まれた。
「…………よせ」
七尾の顔面は蒼白で、その目は大きく見開かれていた。
浅い呼吸を繰り返しながら、七尾はマキの手を離し、自分の胸を押さえ付ける。
「……………………」
七尾はその場に座り込む。しかしマキは、今見たものをどうしても確認したいという衝動に突き動かされる。
七尾の静止を振り切って、マキは窓から下にある地面を覗き込む。水浸しになった植え込みに、いくつもの物体が見えた。それは何か布のようなものに包まれており、無残にもあちこちに割れたガラスが突き刺さっていた。
「?」
マキは最初、それがなんなのか分からなかった。もっとよく見ようとマキは目を凝らす。そして、
それがバラバラに寸断された栢森の死体だと気が付いた。
「ひっ────!」
弾かれたように窓から飛び退いた。もんどりうって尻もちをつく。だがそんな痛みすら今のマキには気にならない。
何!? なんなのあれは!?
考えても答えは出ない。いや、あれを思い出すことすら悍ましかった。だがいくら振り払おうとしても、あの光景はマキの脳裏を離れない。
あの、切断された体から出鱈目に生えた無数のガラスと、その惨状にありながら、まるで万華鏡を眺める子供のように無邪気な笑顔を浮かべる、栢森の頭部を。
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