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 最初にその女性に感じたのは、強烈な違和感だった。

 毛先に青とピンクのグラデーションがかかったウェーブショートの金髪に、目が眩むような蛍光色のパーカー。動きやすい短パンから伸びる脚をまとうタイツは、幾何学模様で出来た騙し絵のような奇抜なデザイン。極めつけは、真っ白な太縁眼鏡の奥に見える、感情が欠落したような深緑の瞳だった。

 女性は、無機物のような表情をこちらへ向けると、薄く唇を歪ませた。


 ………………………………


         *


 玄関で靴を回収した少女たちは、裏手に続く道を行く。

 綺麗に草が刈り取られ、立派な庭園となった表門と違い、裏手の方は小道の脇に生えた草がそのままになっており、蔦の絡まる木々から伸びる枝葉が屋根のように空を覆っている。そのおかげか、それなりの気温のはずの屋外でも、木陰の涼しさと爽やかな風を感じられた。

 そんな小道を数分行けば、例の井戸があるのだと都は言う。踏みしめられて青く立ち昇る草の香りを感じながら、マキは先導する都の後に続いて進む。その最中、


 ──────カシャ、カシャ。


 少女たちの耳に届いたのはそんな音だった。

「なんだろう、今の」

 虫や鳥の声ではない。動物の声でもなさそうだ。生き物というよりはもっと、機械的な音。

「多分、カメラの音じゃないか?」

 七尾の言葉に全員が顔を見合わせた。言われてみれば、さっきの音はカメラのシャッター音に似ていた気がする。

 それを裏付けるように、再び同じ音が響いた。


 ──────カシャ。


「また聞こえた!」

「やっぱりカメラだな」

 さっきよりもはっきりと聞こえたその音は、どうやらマキたちが向かおうとしている小道の先から響いてきたようだ。

 しかし今度は別の疑問が生まれる。こんなところで一体誰が写真を撮っているのだろうか。

「おじいさんかな」

「いえ、じいじにカメラの趣味はないはずです」

 最もありそうな線を即座に否定されて、マキはうなだれる。それではこの先に誰がいると言うのだろうか。

「さあ? 完全に謎ですね」

 都はそう匙を投げて、止めていた足を動かし始めた。

「行ってみれば分かりますよ。どうせこの先は井戸だけですし、カメラの人もそこにいるはずです」

 そう言って都はさくさくと進んでいく。残された面々は置いて行かれては困ると、駆け足でその後に続いていった。


         *


 それは井戸と言うよりは、朽ち果てた古墳のようだった。

 もはや井戸の形を成していないその石の山は、どうやら古くなって崩れた井戸に積み重なっていた石で出来たものらしかった。しかしその石山は、井戸が元々あったであろう場所からは少しずれたところに置かれていた。恐らく先日作業をした業者が安全のために移動させたのだろう。その証拠に、注意を促すために張られた黒と黄色の縞模様のロープが、井戸の四方を囲っている。

 そして、その井戸の残骸を覗き込んでカメラを構える女性がいた。

 遠目に見た感じは二十代くらい。女性は、向きや角度を変えながら、もはやただの縦穴になってしまっている井戸に向けて、繰り返しシャッターを切っている。

 その行動だけ見ても不審極まりない様子だが、女性の奇妙さを際立たせているのはその派手な見た目だった。

 毛先に青とピンクのグラデーションがかかったウェーブショートの金髪に、目が眩むような蛍光色のパーカー。動きやすい短パンから伸びる脚をまとうタイツは、幾何学模様で出来た騙し絵のような奇抜なデザイン。頭の先からつま先までもが、原色と蛍光色で埋め尽くされた派手な出で立ちをしていた。

 女性は人の気配に気付いたのか、ふ、と動きを止めて顔を上げた。そして小道に立つ少女たちの姿を認めると、真っ白な太縁眼鏡越しに目を細めて挨拶をした。


「こんにちは」

「………っ!」


 その姿に、マキは思わずたじろいだ。

 見た目に怯んだわけではない。井戸を覗き込んで写真を撮る姿に怯えたわけでもない。ただ、途轍もない違和感を感じたのだ。

 女性から放たれる違和感は、自然の色と相反する派手な見た目のせいもあるが、それだけでは決して言い表すことのできない、もっと決定的で、致命的で、根源的なズレのような、そんな違和感があった。まるでその女性の立っている場所だけ、奇妙なフレームで境界が縁取られているような、そんな感覚。

 それはまるで、ひとつのモニターに複数の映像を強引に映し出して、滅茶苦茶に重なりあったそれを見ているような感覚だった。

 薄く唇を歪ませて笑いかける女性の表情は無機物のようで、影の落ちた深緑の瞳は暗闇に転がるガラス玉のようだった。

「……………………!」

 冷たい汗が背中を伝った。世界から音が消え去った。虫の声も草木のざわめきすらも聞こえない。真っ昼間だというのに、この場の明度が数段低くなり、肌に触れる空気は寒ささえ感じるほどだった。

 そんな彩度すら失った無音の景色の中、奇妙なほどに違和感の混じった存在感を湛えて佇むその女性を前に、マキは凍り付いたように立ち尽くすことしか出来なかった。

「………………………………」

 張り詰めた沈黙が続き、このまま時間が止まってしまうのではないかとマキが思った時だった。


真幸まきゆさん!」


 都が女性に向かって駆け出した。

 その瞬間、止まっていた時間が動き出した。景色は明るさと彩度を取り戻し、草木は風に揺られて、かさかさと互いの体を擦る音を響かせる。夏の陽射しを蓄えた熱気が肌を撫でると、思い出したかのように体から汗が噴き出した。

 マキは茫然と立ち尽くす。今のは白昼夢だったのだろうか。しかし、体に残るこの氷のような感覚は………。

 動揺を受け止めきれずにいるマキをよそに、走っていった都がその勢いのまま女性に抱き付いた。

「お久し振りです、真幸さん!」

 真幸と呼ばれた女性は、都を胸に受け止めながらその頭を撫でる。

「都さんこそ、元気そうで何よりです。ただ……」

「?」

「少しお転婆が過ぎるようですね」

 そう言って真幸は、髪に触れていた手を滑らせて都の眼帯を軽くなぞった。

「先生から聞いていますよ。目の調子がよくないのでしょう? そんな時に走り回るのはあまり感心しませんよ」

「あぅ……すみません」

 しゅんとして真幸から離れた都は、まるで母親に叱られた子猫のようにしょぼくれている。そこに遅れてやってきたマキたちは、普段見ることのない都の様子に軽い驚きを覚えたが、取りあえずは初対面の真幸に挨拶をすることにした。

「えっと、こんにちは」

「こんにちは、まきゆ……さん?」

 マキに続いて七尾も挨拶をする。変わった名前だなと思ったのは、どうやら七尾も同じらしい。わらわは、どうせ意味がないと思っているのか、特に挨拶はしなかった。

「こんにちは、圁圖真幸ことはまきゆと言います。あなたたちは都さんのご友人ですね」

「あ、はい。私、境井マキって言います」

「本影七尾です」

「境井さんに本影さんですね。どうぞよろしく」

 真幸は優しく微笑みかける。こうやって話をしてみると、見た目以外は普通の大人とそう変わりない。やはりさっきの不気味な印象は、この奇抜なファッションのせいか、それかなにかの勘違いだったのだろう。

 マキがそう納得したところで、七尾が都に耳打ちをした。

「誰?」

「ああ、こちらはですね……」

 都は何から話そうかと迷いながら、真幸の紹介を始めた。

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