二章 溜まり水

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 あくる日、学校ではちょっとした噂が広がっていた。

 その噂とは、溜井戸都が眼帯をしているらしい、というものだった。

 それ自体は単なる事実であり、特に話題にするようなことでもないのだが、小学生というものは如何せん、そういった非日常の出来事を大きく取り沙汰したがるものだ。日頃、無闇に注目されることを好まない都ではあるが、この右目を覆う眼帯はどうやっても隠しきれるものではなく、こればかりは抵抗しても仕方ないと、渋々受け入れるしかなかった。

 とは言っても、都のその眼帯姿をネガティブに捉える者はあまりいない。

 基本的には皆、都を気遣って道を譲ったり、視界の利きにくい階段で声をかけたりと優しく接してくれていた。

 とりわけ男子は目に見える傷を勲章と捉える者も多く、普段関わりのない生徒が声をかけてきたり、漫画のキャラクターみたいでかっこいいと眼帯を羨む声もあった。中にはややデリカシーに欠ける発言もあったが、そこは七尾が注意することで概ね反省している様子だった。


「まあでも大事なくてよかったよ」

 七尾は、慣れない会話をする都を遠巻きに眺めながら、隣にいるマキに話しかけた。

「サンキューな、お見舞い行ってくれて」

「ううん、私も気になってたから」

 本当なら昨日は七尾も含めてお見舞いに行きたかったのだが、七尾はどうしても外せない家の用事があり、マキとわらわだけで行くことになったのだ。そのこともあって昨夜、マキが家に着く頃には三人のグループチャットには、七尾からのメッセージが普段よりも多く入っていた。

「んで、どうだった?」

「どうって?」

 突然の問いかけ。その意味を考えようとする前に、七尾が口を開く。

「ミヤん家」

「あー」

 言わんとすることが分かった。七尾は、都の家を見たマキの感想を求めているらしい。

「やっぱびっくりするよな」

「うん、すごかった」

 あの典型的な日本家屋や、やけに凝った庭園には確かに驚かされた。こんなところに住んでいる人が今もいるんだと、素直に感心した。そしてその存在がこんな身近にいたことにも。

「って言うか、七尾ちゃんは行ったことあるんだね」

「何度かね。ミヤとは家の方向が一緒でさ」

「そうだったんだ」

「そうそう、ウチからだと案外楽に行けるよ」

 それでも麓からバスを乗り継ぐ必要はあるんだけど、と七尾は付け足す。

 言われてみれば、昨日の道中でもバスが七尾の家の近くを通っていたような気がする。二人とも同じ時間に登校してくることが多いとは思っていたが、どうやらそういう事らしい。

「その割には最近あんまり来てくれませんよね」

 いつのまにか隣に都がいた。野次馬たちのお喋りからようやく解放されたようだ。

「や、そういうわけじゃないんだけど……」

「だけど?」

 都は、歯切れの悪い七尾を、意地悪そうな顔でせっつく。

「私、知ってるんですよ、七尾さんがウチに来たがらない理由」

「どういうこと?」

 マキが純粋な気持ちで聞くと、都は待ってましたとばかりに答えた。

「実は七尾さん、ウチのトイレが怖いんです」

「トイレ?」

 そう言われてマキは都の家のトイレを思い返す。しかし、昨日見た感じだと特に何の変哲もない、むしろ綺麗なトイレだった気がする。まあトイレそのものがなんだか怖い場所だと言われれば、そう思う気持ちも分からなくはない。

 しかし七尾は顔を青くして言った。

「いや……怖いだろあれは」

 そうして始まった七尾の説明は、マキの想像から大きく離れているものだった。

「だってさ、まず外にあるじゃん。渡り廊下通ってさ。そんで中は暗くてじめっとしてるしさ、あんなの怖いに決まってるだろ」

「え?」

「しかも今どき和式だぜ? あんなの使う機会なんてないって」

「え? え?」

「極めつけは壁に貼ってあるお札な! なんだよあれ、嫌がらせ以外であんなの貼ることあるか!?」

「ちょ、ちょっと待って!」

 徐々にヒートアップする七尾をマキは慌てて抑える。

「なんか……全然違う」

 そう、違うのだ。マキが昨日見たものと、七尾の説明することがまるで結びつかない。

「いやだって、マキもさっきびっくりしたって」

「それは、家の大きさとか、庭園とか………」

「庭園~? トイレだろトイレ、誰がどう見たってトイレ」

「…………?」

 記憶違いとかそういうレベルではない。どう考えても違う家の話をしているとしか思えない。そうでなければ、マキか七尾の頭がおかしくなったに違いない。

 なんだか混乱してきた。こうなったら都に説明してもらうのが一番早そうだ。

 そう思って視線を向けると、心底おかしそうに笑いを堪える都と目が合った。都は口元を抑えながら、種明かしをするように言った。

「改築したんですよ、この間」

「あっ、それで」

 言われてみれば、年季の入った家の割には要所要所が妙に新しかった気がする。件のトイレも最新式だったはずだ。

「私も嫌でしたからね、じいじに頼んで不便なところを全部綺麗にしてもらったんです。あの渡り廊下も屋内廊下になってるので、外に出る必要もなくなりましたよ」

「え? てことは、マキが言ってた庭園ってのも?」

「ええ、ボーボーだったお庭も業者さんがまとめて刈ってくれました。………それで、じいじが張り切っちゃって」

「……ああ」

 それであんな豪勢な庭園になったということらしい。てっきり、あれが都の祖父の手によるものだと思っていたマキは少なからず落胆した。

 七尾は、そんなマキをよそに遊びの算段を立て始める。

「そんなら次の休みに行こうかな」

「おっ、来ちゃいますか?」

「そりゃ気になるだろ、どんなもんか拝見させてもらおうじゃないの」

 七尾は好奇心に目を輝かせながら、予定を確認する。

「土曜は練習試合があるから、日曜はどう?」

「いいですよ、マキさんも来ますよね」

「うん」

 マキは首肯する。前回は時間に余裕がなくてあまりゆっくりできなかったが、今度は七尾と都と一緒にあちこち見て回ろう。

「では、じいじにもそう言っておきますね」

「ああ、次の日曜な」

「楽しみにしてるね」

 そうして三人は、日曜は何をしようかと話し合いながら、カレンダーに赤いハートマークを書き込んだ。

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