1-4
4
十七時四十五分。それが溜井戸から出る最終バスの時間だ。
この早い時間の最終便のため、マキは早々に都の家からお暇する事になった。
一日の往来がたった数本だけなのにも関わらず、バスの停留所にはマキの他に乗車を待つ者はいない。それもそのはず、ここの住人は基本的には車で移動するため、わざわざ不便なバスを利用する者などいないのだ。
そのためマキは行きの便と同じように、帰りも実質貸し切り状態のバスに乗車することが確定していた。とはいえわらわも同乗する都合上、完全に一人ではないのだが。
「今日は来てくれてありがとうございます」
マキを見送りに着いてきた都が感謝を述べる。
「今度はぜひ休みの日にでも遊びに来てください」
「うん、次は七尾ちゃんも一緒にね」
約束だよ。と、二人は指切りをする。小学生の女の子らしい微笑ましい光景だ。
そしてその隣からもう一人、マキに声をかける者がいた。
「僕からもお礼を言わせてください」
丁寧な言葉遣いでそう言ったのは、都の祖父だった。
「こんなに楽しそうな都さんを見れて、とても心良い気分です」
「いえ、こちらこそ都ちゃんにはお世話になってばかりで」
友達の祖父というあまり話をする機会がない相手に、マキは定型的な言葉を返す。しかし祖父はそれに気を悪くすることもなく、穏やかに目を細めて言った。
「境井さん」
「はい」
「これからも都さんをよろしくお願いします」
「?」
孫思いの祖父としては当たり前の言葉。しかしマキはなんだか妙な違和感を抱いた。やけに真剣味があると言うか、思いがこもっているような、そんな感じ。
しかし結局、その違和感の正体に辿り着くことはなく、マキは返事をする。
「はい、もちろんです」
マキがそう言うと祖父は、ほっと安心したような顔をして、軽く頭を下げた。
そうこうしている内に道の向こうから、エンジン音を立ててバスがやってきていた。バスは停留所の前まで来ると、プシューと大きなため息を吐いて停車する。
「それじゃあ、学校でね」
マキは祖父に頭を下げると、別れを惜しむ都に手を振った。その様子にわらわが大きな欠伸をしながら茶々を入れる。
「また明日会えると言うのに大袈裟じゃのー」
そう言ってわらわは、するっとバスに乗り込んでいく。マキもその後を追って二人掛けの席に座った。
窓の外では都が小さく手を振っている。マキもそれに手を振り返す。こうして見ればわらわの言う通り、なんだか大袈裟な気がしないでもなかった。
他に乗客がいないことを確認した運転手が、発車のアナウンスを流す。そのまま扉が閉まると、バスはゆっくりと前に進み始めた。
そうしてマキがシートに背中を預けた瞬間だった。
ぺとり、
と、何かがマキの首元に触れた。
「!?」
それは誰かに首筋を撫でられたような感覚だった。
まるですれ違い様に濡れた手を当てられたような冷たい感触。しかし明らかに生きた人間のものではないその感触に、マキの全身が総毛立った。
突然陽が落ちたと錯覚するほどに車内の明度が下がり、冷蔵庫の扉を開いた時のように空気が冷たくなった。
真夏だというのにマキの腕には鳥肌が立ち、逆立つ産毛が恐怖によって引っ張られている。全身が緊張に固まり、歯の根ががちがちと音を立てていた。
なに!? 今のはなに!?
咄嗟にわらわのいたずらを疑うが、隣に座っているわらわは、マキの変化に気付いていないように窓の外を眺めている。それに今の感触はどう考えてもわらわのものでは有り得ない。
今のはもっと血の通わないなにか………例えるなら、水でできた無機質な生き物がそっと獲物に触手を這わせるような、そんな感触。
異様に冷たい水のようなそれに首筋を汚染されたような感覚に、マキの体が震える。しかしその感覚もやがて、バスの中に漂うクーラーのぬるい風に煽られて、空気中に消えていった。
後には何事もなかったかのように、夕日を浴びてオレンジ色に染まる車内の景色が広がっていた。
マキが後ろを振り返ると、後部ガラスの向こう側で手を振り続ける都と祖父の影が見えた。二つの影は段々と小さくなり、やがて見えなくなった。
バスは真っ直ぐに帰路につき始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます