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 十七時四十五分。それが溜井戸から出る最終バスの時間だ。

 この早い時間の最終便のため、マキは早々に都の家からお暇する事になった。

 一日の往来がたった数本だけなのにも関わらず、バスの停留所にはマキの他に乗車を待つ者はいない。それもそのはず、ここの住人は基本的には車で移動するため、わざわざ不便なバスを利用する者などいないのだ。

 そのためマキは行きの便と同じように、帰りも実質貸し切り状態のバスに乗車することが確定していた。とはいえわらわも同乗する都合上、完全に一人ではないのだが。

「今日は来てくれてありがとうございます」

 マキを見送りに着いてきた都が感謝を述べる。

「今度はぜひ休みの日にでも遊びに来てください」

「うん、次は七尾ちゃんも一緒にね」

 約束だよ。と、二人は指切りをする。小学生の女の子らしい微笑ましい光景だ。

 そしてその隣からもう一人、マキに声をかける者がいた。

「僕からもお礼を言わせてください」

 丁寧な言葉遣いでそう言ったのは、都の祖父だった。

「こんなに楽しそうな都さんを見れて、とても心良い気分です」

「いえ、こちらこそ都ちゃんにはお世話になってばかりで」

 友達の祖父というあまり話をする機会がない相手に、マキは定型的な言葉を返す。しかし祖父はそれに気を悪くすることもなく、穏やかに目を細めて言った。

「境井さん」

「はい」

「これからも都さんをよろしくお願いします」

「?」

 孫思いの祖父としては当たり前の言葉。しかしマキはなんだか妙な違和感を抱いた。やけに真剣味があると言うか、思いがこもっているような、そんな感じ。

 しかし結局、その違和感の正体に辿り着くことはなく、マキは返事をする。

「はい、もちろんです」

 マキがそう言うと祖父は、ほっと安心したような顔をして、軽く頭を下げた。

 そうこうしている内に道の向こうから、エンジン音を立ててバスがやってきていた。バスは停留所の前まで来ると、プシューと大きなため息を吐いて停車する。

「それじゃあ、学校でね」

 マキは祖父に頭を下げると、別れを惜しむ都に手を振った。その様子にわらわが大きな欠伸をしながら茶々を入れる。

「また明日会えると言うのに大袈裟じゃのー」

 そう言ってわらわは、するっとバスに乗り込んでいく。マキもその後を追って二人掛けの席に座った。

 窓の外では都が小さく手を振っている。マキもそれに手を振り返す。こうして見ればわらわの言う通り、なんだか大袈裟な気がしないでもなかった。

 他に乗客がいないことを確認した運転手が、発車のアナウンスを流す。そのまま扉が閉まると、バスはゆっくりと前に進み始めた。

 そうしてマキがシートに背中を預けた瞬間だった。


 ぺとり、


 と、何かがマキの首元に触れた。

「!?」

 それは誰かに首筋を撫でられたような感覚だった。

 まるですれ違い様に濡れた手を当てられたような冷たい感触。しかし明らかに生きた人間のものではないその感触に、マキの全身が総毛立った。

 突然陽が落ちたと錯覚するほどに車内の明度が下がり、冷蔵庫の扉を開いた時のように空気が冷たくなった。

 真夏だというのにマキの腕には鳥肌が立ち、逆立つ産毛が恐怖によって引っ張られている。全身が緊張に固まり、歯の根ががちがちと音を立てていた。

 なに!? 今のはなに!?

 咄嗟にわらわのいたずらを疑うが、隣に座っているわらわは、マキの変化に気付いていないように窓の外を眺めている。それに今の感触はどう考えてもわらわのものでは有り得ない。

 今のはもっと血の通わないなにか………例えるなら、水でできた無機質な生き物がそっと獲物に触手を這わせるような、そんな感触。

 異様に冷たい水のようなそれに首筋を汚染されたような感覚に、マキの体が震える。しかしその感覚もやがて、バスの中に漂うクーラーのぬるい風に煽られて、空気中に消えていった。

 後には何事もなかったかのように、夕日を浴びてオレンジ色に染まる車内の景色が広がっていた。

 マキが後ろを振り返ると、後部ガラスの向こう側で手を振り続ける都と祖父の影が見えた。二つの影は段々と小さくなり、やがて見えなくなった。


 バスは真っ直ぐに帰路につき始めた。

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