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 お昼の時間になり、いつもの三人で机を合わせていると、待ってましたとばかりに戻ってきたわらわに、マキはさっきのプールでの話をしてみせた。

「ほおー、都にそんな特技があったとは」

 わらわはそう感心しながら、マキの前にあるお盆から給食のおかずを摘んでいった。

「そうなんだよねー」

 マキは返事をしながらも、心ここにあらずといった様子で給食を口に運ぶ。

 プールが終わってからの授業は、まるで身が入らなかった。炎天下の中で思うままに体を動かした後に訪れる強烈な疲労感と、それを労うような教室のクーラーに、午前中は眠ってしまわないように意識を保つので精いっぱいだった。なんとか眠たい授業を耐え抜いた後の給食も、睡魔と戦いながらもそもそと咀嚼する有様だ。

 そんなマキに、わらわはこれ幸いと、次々に給食を頬張っていく。今もこうして、はぐはぐと音を立てながら貝柱のフライに舌鼓を打っている。

「なら今後、水事は都に任せるとするかのう」

「そんなタイミングあるか?」

 一緒に机を囲む七尾が口を挟む。こちらは体力があるのか、元気いっぱいといった様子で白いご飯をかき込んでいる。

「この世の中はなにが起こるか分からんからの。もしもという瞬間はいつ訪れても不思議ではないのじゃ」

 その不思議を体現したようなわらわが言うと、妙な説得力がある。

「そういうもんかね」

「そういうもんじゃ」

「ふーん」

 七尾は相槌を打ちながら首元の傷に触れる。ほぼ治りかけたその傷は先日の事件で受けたものだ。

 狐に憑かれたクラスメイトの爪と歯でつけられた生々しい傷。医者によれば痕も残らずに治るだろうという話だったが、どういうわけかやたらと治りが遅く、今日まで残ってしまっていた。

 ポリポリと癖になってしまった動作で、七尾は薄く浮き出た瘡蓋を弄る。

 確かにわらわの言う通り、この世は何が起こるか分からない。そういう時のために日頃から自分の力量を把握して、努力するのは必要なことだろう。

 最も、先日のようなことがそう何度もあっては困るのだが。

 そうしている内にポロッと瘡蓋が剥がれ、その下にある新しい肌が現れた。傷を境に周りよりも白く見える肌は、そこだけ脱皮したとかげのようだった。

 七尾は剥がれた瘡蓋を見つめながら、その内深く考えることを止めた。シンプルに考えられないことを無理に考えたって、まともな答えは出ないものなのだ。

 そのまま食事に戻ろうとして、七尾はふと気が付いた。

「ミヤ、なんだそれ」

「え?」

 そう言って顔を上げた都の頬に、透明な光の線が引かれていた。

 それは涙だった。都の右目から流れる涙の筋だった。瞳から零れる涙の粒は頬を濡らしながら、いくつもの筋を作っていく。しかし、当の都は困惑の表情を浮かべながら、まるでそれに気が付いていないように食事を続けていた。

「都ちゃん!?」

「ど、どうした都!?」

 ぼけっとしていたマキとわらわも流石に気付いたようで、動揺の声を上げた。

「? ……うわっ!」

 数瞬遅れて状況を把握した都が、がたんと椅子から立ち上がり、手で涙を拭う。しかし大量に溢れる涙は小さな手では受け止めきれず、手から肘までを濡らしていく。

「都ちゃんこれ! これ使って!」

 マキがポケットから取り出したハンカチを差し出した。都は、わたわたしながら、差し出されたハンカチを受け取って目に当てる。ハンカチはじわりと涙色に染まったが、そのまま容量を超えることはなく、やがて時間とともに涙は収まった。

「はあー、びっくりした」

「すみません。ハンカチありがとうございます」

 ため息を漏らすマキに都が小さく謝った。

「全然気が付きませんでした」

「いやいや、おかしいだろ」

 七尾は思わずつっこんだ。自覚なくあれだけ涙を流せるものだろうか。

「病院とか行った方がいいんじゃないのか」

 病気にはあまり詳しくないが、都の涙は明らかに普通ではなかった。そういうよく分からない時は、一応病院で診てもらう方がいいと思うのだが。

 しかし都は渋る。

「でも、特に痛みや違和感はありませんよ」

「いやいやいや、絶対変だって」

「そうだよ、こういうのは早期発見が大事だって、うちのお母さんもよく言ってるよ」

 マキもそう後押しする。確かマキの母は市立病院に勤める医師なんだっけ。本職の言葉はこういう時に説得力がある。

「うーん、でもですね……」

 なおも渋る都。日頃は客観的に物事を見れる人物でも、いざ当事者になってみると動けなくなるというやつだろうか。

「じゃあこうしよう。このまま何も無ければ様子見する。もしまた同じ症状が出るようならちゃんと病院に行く。これでどうかな?」

「まあ……それなら………」

 そう言って都は渋々と折れた。

「多分、行っても大した事はないと思いますけどね」

 なんだか負け惜しみのような台詞を吐いて、都は椅子に座り直した。

 何をそんなに抵抗することがあるのだろうか。七尾は不思議に思いながらも、特に追及することなく、その日は何事もなく過ぎ去った。


 そして翌日、

 都が学校に来ることはなかった。

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