レヴ 〜Real vs.〜

@myong

第1話

 息がつまる。

 呼吸を忘れそうになるほどの緊張感。

 茂みの中で姿勢を低くしながら、あたりの様子をうかがう。

 ガサリと後ろから音がして、横に跳ねながら振り向く。

 いない。

 どうするべきだろう。やっぱり運動能力では、あの子のほうが圧倒的に有利だ。

 ただ黙って待っているだけでは、間違いなくやられるのは私だ。

 いまの音で気づかれたかも知れない。少しずつでも移動しないと。

 落ち着け。落ち着け。

 私があの子より優れているとすれば、経験だけ。ゲームの。

 そしてあの子より劣っているのは……いや、考えるのはやめよう。

 そう。これはゲームだ。

 リアルの私は、頭にはすごく軽いゴーグル、手には薄いグローブと、足首にはバンドのようなコントローラという、ちょっと笑ってしまうような格好でこのゲームをプレイしている。そしてそれらには、加速度センサとジャイロセンサが搭載されている。

 このゲーム、『レヴ』はリアルに寄せたV Rゲームのひとつ。

 それはきっと、リアルに寄せ過ぎたと言ってもいい。ゲームの中にはゲームらしいものがほとんどない。親切な案内表示つきのミニマップもなければ、メニュー画面すらない。そこにはただリアルと同じ身長の私がいて、リアルの私以上にすごいことができるわけじゃない。

 それでも、ゲームはゲームだ。

 走ったところで本当に疲れるわけじゃない。リアル以上の速さで走れるわけでもないだけ。

 怪我をしたところでリアルはなんともない。リアル以上に打たれ強いわけでもないだけ。

 なぜならこれは、ゲームだから。

 それなら一方的に負けるはずがない。あの子だって状況は同じだ。

 木々の隙間をかけ抜けて、開けたところに出る。

 目立ったもののない広場だ。

 ヘタに隠れてびくびくしてるくらいなら、ここであの子をむかえうつ。

 風で葉っぱがざわめく。遅れてその風が耳に触れる音がする。まるで本当にそこにいるように錯覚しそうになる。

 ざざざ、と芝生を踏みつける音。

 後ろ。

 私にも譲れないものがある。

 だから、負けられない。


   1st stage


 まずはじめに、私はあの子のことが苦手だったと言っておきたい。

 お金持ちの子で欲しいものに困ったことなんてなさそうだったし、自分のことを『わたくし』なんて呼んじゃうお嬢さまだし、私より頭ひとつくらい背が高いし、まるでモデルさんみたいにスタイルがいいし、私のほうが年下なのにさんづけしてくるし、なのに私が呼び捨てにしてもにこにこしてるし。

 つやつやロングストレートの黒髪に、くっきりした二重の下にある色素の薄い茶色の大きな瞳。淡いピンク色をした小さな唇に、筆ではらって書いたような形の鼻。宝石みたいに光るぴかぴかの爪は自然な感じで、長くて細い指先を控えめに強調している。

 私? 私のことなんて絶対に教えない。言ったところであの子が引き立つだけだし、比べられるなんてまっぴらごめん。……背が低いのは言っちゃったか。くそう。気をつけなきゃ。

 とにかく、私のことなんてどうでもいい。

 私とあの子の共通点。それは親同士が友だちだったことでしかない。もうちょっと具体的にいうと、母親同士がお料理教室で意気投合して、そこから親しくなったのだとか。ただし、私のお母さんはべつに料理が苦手だったわけではなくて、むしろお料理教室に通うほどお金に余裕があるわけでもなくて、体験入会、つまりひやかしでそのお料理教室に行ったのだ。そこであの子のお母さんににんじんの皮を剥くところを見られ、尊敬の眼差しを向けられることになり、以来、わりと頻繁に私のお母さんはあの子のお母さんに個人的にお料理を教えに、お家へ通うことになっていた。

 で、私はそれに巻き込まれた。

「それではヒナツさんも、お料理が得意なのですね!」

 ヒナツとは私の名前だけど、本名かどうかは教えない。そんなことはそれほど大事ではないし、知ったところでなんにもならない。

 大事なことは初対面の、おそらくは年上の、しかも自分よりも遥かに容姿に恵まれている女の子が、まったくよこしまな気持ちを感じさせないキラキラとした瞳で、私のことをほめているのだ。

「べつに大したことない。お母さんがうるさいから手伝ってるだけ」

「それ以上の理由など必要ありませんわ」

 微笑む。微笑むなんて言葉、いったいどこで使うのかと思っていたけど、そう表現するしかなかった。目を細めるとまつ毛が強調されてふんわりと浮いて見える。小さな口がほんのわずかに幅を広げる。えくぼがくっきりと影を作る。

 そんな可愛らしい女の子が、白いワンピース姿で微笑んでいるのだ。

 もしもその瞬間を切り抜いて作品にしたら、きっとどこかの写真展かなにかで賞をもらえるはずだ。

 とまあそんな感じで、どれだけ自分のことをほめられたのだとしても、ほめている相手が自分よりもずっとずっと優れていると、嫌味にしか聞こえないことを私はそこで理解した。

「名前はなんていうの?」

 照れ隠しに私はたずねた。せめて名前が可愛くなければ、なんて思っていたのかも。

「ミハルです。どうぞ、よろしくお願いしますね」

 またあのまぶしいほほ笑みを浮かべて、あの子は言った。

 ミハル。

 とくに難癖をつけられるわけでもない、ふつうにかわいい名前だった。

「ヒナツさん、ご趣味はなんですか?」

 それを初対面の相手に対して、しかも真面目な顔をして言うものだから、こっちもなんだか身構えさせられる。

「ゲームかなあ」

 身構えたわりにはくだらない答えだ。

 ミハルは大きなおめめをぱちぱちさせてから首を傾げる。

「お料理は違うのですか?」

「ちがう。嫌いではないけど」

 そうなのですか。となめらかなソフトクリームの先っぽみたいな細いあごに手を当てて頷きながら、

「ゲーム。面白そうですね。以前から興味はありました」

「やったことないの?」

「ええ。機会に恵まれなかったので」

 いまの時代にそんな子いるのか。たしかにミハルの部屋にはほとんどなにもなかった。目立っているのはオシャレな長っぽそい間接照明くらいだ。整頓された机の上にはなにも置かれていなくて、本棚には教科書とか参考書が並んでいる。ゲームどころかテレビもパソコンもなかった。

 だからなにもすることがない。なので私と向き合うようにちょこんと座って、にこにこしながらいろんなことを聞いてくるのだ。

「ふうん。じゃあミハルの趣味は?」

「わたくしの?」

「え、うん」

 おめめがおっきく開いてまつ毛が花開くみたいに動く。まさか自分がそれを聞かれるとは思っていなかったらしい。大丈夫なのかこの子。会話がマイペースすぎてなんか疲れそう。

 ゆっくりと目を閉じて、たっぷりと考えたあとで、

「……これといって決まったものはありませんね」

「ほんと? いや、なんかあるんじゃないの? 読書とか、えっと、ピアノとか?」

「それらは嗜む程度、ですね。情熱的といえるほど取り組んでいることはなくて」

 なんだか照れくさそうに、指先を擦り合わせるような仕草をする。いちいちそれもかわいい。見た目は美人なくせして動きがかわいいとかずるいな。

「情熱的、って。私はべつにそこまで考えてゲームやってないけど……」

「時間を忘れてしまったり、夢中になれるものなのでは?」

「それはまあそうかも。っていうかそこまで興味あるならやればよかったのに。ゲームくらい」

「恥ずかしながら、ご学友にその方面に明るい子がいなかったもので」

「べつに恥ずかしくはないでしょ。携帯は? 持ってるんじゃないの?」

「中学までは学校側で厳しく管理されていまして」

「わー大変そう。……中学まで?」

「はい。高校に上がってからはそれなりに自由になっているのですが、とくに不自由していたわけではありませんので、積極的に動いてきませんでした」

「そんなものかもね。っていうかごめん。や、ごめんなさい。私まだ中三だから、ミハルさんって呼んだほうがいいよね。いいですよね」

 ようやくそこで、自分がくだけた口調で話していることに気がついた。中三になってから学校では先輩もいないので、うっかりしていた。いくら会話で物腰が柔らかくても実は怒らせてしまっているかもしれない。

「? いえ、お気になさらず。ええ、ええ。どうか先ほどまでと同じく、ミハルと呼んで欲しいです」

 にこりとほほ笑む。

「そう? ならそうするけど、いいの?」

「母からヒナツさんのお話は聞いていましたから。とても優しくてしっかりされている中学生です、と」

「……下げられるよりはいいけどさ。あと、私のこともべつに呼び捨てでいいけど」

「それはできません。なんと言いましょうか。わたくしの癖のようなものでして。もちろん、ご迷惑でなければですが」

 と、はじめて眉を上向きに曲げて、主張してくる。頑固というかちょっと重たい気もするけど、

「面白いね、ミハルは」

「っ」

 赤。

 赤くなった。真っ白で心配になりそうな顔が、赤を入れて淡いピンクめいた色に変わっている。

「す、すみません。おしゃべりをしていたら、喉が渇いてしまいました。なにか取ってきます」

「? うん。ありがと」

 逃げられちゃった。正直、ほめたかと言われるとそうでもなかったりするんだけど、そんなにヘンなこと言ったかな、私。

 その日は結局、とくになにかで遊ぶことなく話をしていたら時間が過ぎていた。


   2nd stage


 それから何度か、お母さんにくっついてミハルの家に遊びに行った。家に残って一人でゲームするのも全然ありだったけど、そうすると夕飯の支度をさせられることになる。なんで料理の先生として行くのに私が作らなきゃいけないんだ。

 ってグチをミハルにすると、

「でしたら、今度はわたくしがヒナツさんのお家に遊びに行ってもよろしいでしょうか?」

「え」

「……ご迷惑でしたら大丈夫ですので」

 私が言葉に詰まっていると、ミハルが首を縮めて上目づかいで言った。

「ううん。べつにいやじゃないんだけど、うちなんかきても楽しいかな? 掃除はするけど、そんなにきれいじゃないし、狭いし」

「そのようなことはありません!」

 いままでで一番おっきい声だ。目がきらきらしてる。

「ヒナツさんのお部屋で遊びたいです。ゲームを教えて欲しいです」

 ああ、そういうことか。

 たしかにミハルの家に来てお話しするのって、私が好きなゲームのことばっかりだった気がする。話のネタにこまってたってのもあるけど。そのたびにこの子ってばさっきみたいに目をきらきらさせてにこにこしながら聞いてくれていた。

 なるほどね。

「いいよ。どうせだいたいヒマだし」

「ほ、本当ですか。ありがとうございます。やったぁ!」

 両手を小さく上げて喜んでいる。っていうか「やったぁ」とか言うんだこの子。

「そ、そんなに嬉しいものなの?」

 きらきらしてたおっきなおめめは、クリスマスプレゼントでももらった子供みたいに輝いてる。

「ええ! 実は、ずっと機会をうかがっていました。勇気を出して聞いてみて良かったです。うふふ」

「や、そこまで期待されてもこまる。そんな大層なもんじゃないってば。そんなことで勇気を使わなくていい。気楽に聞いてくれればいいよ」

「ですが、ヒナツさんはお母様の付き添いでしょうし……」

「じゃあ聞くけどさ、私がほんとに嫌だったら何度もここにくると思う?」

「……思いません。その、ヒナツさんは竹を割ったような性格をされていますし」

「でしょ」

 私があきれながら言うと、ミハルは少し目を細める。

「そ、それに、中学三年生というお話でしたし、進学の準備などもあるかと」

 季節的にはまだ夏休みが遠く感じられるくらい。ママ友の出会いなんていつでもおかしくないとはいえ、なんだかヘンな時期に知り合ったことになる。

「ふふん。こう見えて私、成績は上から数えたほうが早いからね。とくに希望とかないし、推薦で入れるところに行くつもり。受験勉強なんてまっぴらごめんだもん」

「素晴らしいですね。さすがです」

 ウソはついてない。私は試験範囲が絞られている学校のテストは得意なんだけど、受験とかの広い範囲のテストが苦手なせいもある。ゲームも一気にやる派だし、間が開くとしばらく勘を取り戻すのに時間がかかったりする。

 そんなわけでミハルと、私の家で遊ぶ約束をした。

 お母さん同士の付き合いではなく、という意味でははじめてになる。

 当日、駅前まで迎えに行くと時間前にミハルは待っていた。

 制服。

 セーラータイプの制服は、胸の真っ赤なリボンが目を引く濃いめの色合い。きっちり膝が隠れる長さのスカートに、つやつやのローファー。細いすねがちらりと見えるくらいの長さのソックス。たぶん、どんな服でもこの子なら着こなしてしまうのだろうけど、なんとなくいつもと違って大人っぽく見えた。うちの中学、私服だし。

「ヒナツさぁん」

 私が少しの間、目を奪われたみたいに立ち尽くしていると、こっちに気づいたミハルがこつこつと靴を鳴らして駆け寄ってきた。ロングの黒髪とスカートの裾が重さをあらわすように波打って揺れている。

「ごめん、待った?」

 私が聞くと、ミハルはぶんぶんと首を振って、

「いいえ。まだ時間よりも早いですし」

 ほんのりほっぺたを赤くする。

「そ。じゃあいこっか」

 この子と並んでたら、どう見ても私が妹で面倒をみてもらってるようにしか思われないだろうな。なんて思う一方で、これだけかわいい子を連れて歩くことに、なんだか優越感みたいなものを感じている。漫画やアニメじゃあないんだから、普通に歩いてるくらいじゃそこまでじろじろ見られることなんてないんだけど。私の気持ちの問題。

「適当にお菓子でも買っていく?」

「ヒナツさん。こんなこともあろうかと、わたくしお菓子を持たされているのです」

 両手で支える本革っぽい鞄を低くかかげながらミハルは得意げに笑う。

「お土産? 気を使わなくたっていいのに」

「そうはいきません。ふふっ、学校から直接来たので、ずっと鞄の底に隠していたんです。今日一日、見つからないかひやひやしてました」

「えぇ……。その割にはなんだか楽しそうだけど」

「もちろん! ヒナツさんのお母様にもきちんとご挨拶させていただきますっ」

 そこまで期待されるとなんだか申し訳なくなってくる。私んちなんてそんな面白いのかな。

 で、とくに事件が起こるわけでもなく家に到着して、うちのお母さんも一緒にお土産のお菓子をいただいた。

 その間、ミハルは楽しそうではあったけどずっとそわそわしていた。

「じゃ、私の部屋で遊ぼっか」

「はい……!」

 ミハルが私に続いて階段を登る。ときどきヘンな音で鳴る床とこの子の組み合わせはちょっと笑ってしまいそうになる。

「そのへんに座って」

 いちおう片付けはしたから散らかってはいないけど、ベッドに机、テレビだけは少しだけ大きめにしてるから、それだけで狭くなっている。ゲームするときに使うイスにミハルを座らせてみたものの、ゲーミングチェアとかじゃないからたぶんおしりが痛くなる。

「これも使って」

 クッションをぽんと手渡すと、

「ありがとうございます」

 まだ緊張してそうな顔でそれを受け取ったミハルは、イスにそれを置かずに胸の前でぎゅっと抱きしめた。

「……まあいいけど」

「?」

 その絵面はなんか見ててどきりとさせられる。わざわざ注意するほどでもないか。あんまり洗ってないからそういう使い方はして欲しくないんだけど。

 そこからはミハルの希望通り、ゲームで遊んだ。

 私が持ってるのはほとんど一人用のゲームばかり。オンラインゲームが流行ってるのはわかるんだけど、その手のゲームは時間がいくらあっても足りない。それよりはしっかり結末があるほうが楽しめる。終わりが悲しい結末だったりするのもあるけど、国語の教科書に載ってるようなお話だってひどい終わりかたするのもあるし。

「そうですね。ハッピーエンドだけが結末では、作り手も飽きてしまうかも知れませんね」

 それっぽい感想を言いながら、ミハルはコントローラの持ち方一つであたふたしていた。

 まずはいろんなジャンルを触らせてみることにした。パズルにアクションにロールプレイング、シミュレーションにアドベンチャー。オープニングの映像に驚いたり、思った通りに動かなくて四苦八苦したりするのは見ていて楽しかった。

 そんな中で、気づいたことがあった。

 対戦ができるゲーム。

 私も少しはその手のものを持っているんだけど、対戦をしてみるとどうやらミハルは意外と負けず嫌いらしかった。

「もう一回。もう一回、お願いしますっ」

 細い眉をうねうねと歪ませながらそんなことを言う。らしくない姿に私はちょっと驚いて、勝ちにこだわっているのかなあと思って様子を見てみると、

「わざとは駄目ですよ。もう一度お願いします」

 私の手加減をしっかり見抜いてくるのだった。

 ミハルはゲームを、私はミハルのそんな姿をしばらく楽しんだ。

「とりあえず思ったけど、ミハルは一人でゲームやんないほうがいいかも」

「ええっ、なぜでしょうか……?」

「うん。まあ、時計見てみなよ」

「え? ええっ⁉︎ も、もうこんな時間に」

「熱中しすぎ。ほどほどにしないとね」

「そうですね。とても貴重な体験でした」

「ちなみにどんなのが良さそうだった?」

「どうでしょう。迷ってしまいますが、わたくしもわかったことがあります」

 私のクッションをぎゅうと強く胸に抱きしめながら、

「ヒナツさんと一緒に遊ぶから、こんなにも楽しめたのだと思います」

「……」

「ヒナツさん?」

「そうだね、私も楽しかったよ」


   3rd stage


 しばらくして、ミハルから休みの日に遊びに誘われた。

 ついに外で遊ぶことになったか。なんて感慨深いようなそうでもないような気持ちにさせられる。だんだんと、お互いに次の約束して親は関係なしに遊んでたし。

「やっほーミハル」

 駅前に着くと、やっぱりミハルは時間より前に待っていた。

「ヒナツさん。こんにちは」

 まぶしい笑顔のミハルが、早足で近づいてくる。

 休日に外、ってなると当然私服になる。ミハルの部屋でももちろん私服ではあるんだけど、大抵の場合はあの白いワンピースだったりするので、どうやらあれが部屋着らしい。お嬢様だ。

 なので制服以外の外着ははじめて見る。

 まずは大きめのスニーカーに目を引かれた。背が高いせいか底が厚いものではなくて、くるぶしのあたりまで隠れるようなサイズだ。そこから血色のいい肌色が上に伸びてて、足首から膝、太ももの手前まで脚の曲線が続いてる。ショート丈のジーンズだ。太めのベルトが巻かれてて、シンプルなTシャツの裾がしっかりおさまって隠れてる。それだけだと肌が見えすぎるから、長い薄手のコートを上から羽織っていた。

 普段はロングストレートの髪が、持ち上げられるようにまとめられて頭の後ろでひとつになってる。その上に乗せられた帽子も少し大きめで、ミハルの小顔がさらに小さく見える。

 さすがに大人っぽい。本当に高校一年生かこの子。

 いちおう私だってできる限りのおしゃれはしてきたけど、どうせ隣を歩くのがこれじゃあ、やっぱりよくても妹にしか見えないだろう。

「どうかしましたか?」

「うん? ああ、かわいいなと思って」

「あ、は、はい。ありがとうございます」

 むき出しの耳が赤くなってる。言われ慣れてないわけないと思うんだけど。

「で、買い物に付き合えばいいんだっけ?」

「はい。よろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げてくる。格好はいつもより大人びてるのに、これじゃあ私がなんかすごいヤツみたいに見えてしまいそう。

「もう、そういうのいいから。行こ」

 私はミハルの手を引いて、歩き出す。周りの目があるのかはわからないけど、止まっているのは良くなさそう。

「あっ」

「? どうかした?」

 繋いでいるミハルの手。その指先が少し固くなっているように感じる。

「い、いえ。えっとですね、わたくしが今日探しているのは……」

 で、やってきたのは駅ビルの上の階にある、

「ゲームか。なるほどね」

「ええ。できれば一緒にと思いまして」

 ゲーム売り場。てっきり洋服でも見て回るのかと思ってたから、だいぶ気は楽になった。

「ミハルのお母さんはいいって? そういうの厳しいかと思ってたんだけど」

「喜んでいました。その、わたくしがなにかものを欲しがるのが珍しかったようで」

 いいお母さんだ。じゃなきゃミハルみたいないい子にならないのかもだけど。うちのお母さんが悪影響を与えないことを祈る。

「で、なににするの? こっそり布団に隠れてできる携帯ゲーム? 目ぇ悪くなるかもだけど」

「視力が落ちるのはちょっと困ってしまいますね」

「なんてね。視力なんて落ちない人はいくらゲームしたって落ちないみたいだし。ミハルは眼鏡も似合うだろうからいいよね」

「そうでしょうか?」

「伊達でもいいからかけてみなよ。私が思うに、横長の四角で上にフレームがないヤツが似合いそう」

「もう、ヒナツさん。今日は眼鏡を買いに来たのではありませんよ」

 ほっぺたを膨らませながら、眉を吊り上げる。

「携帯ゲーム機ももちろん良いのですが、わたくしは据え置きのものが欲しいと考えています」

「おっけー。私も最新ゲーム機は持ってないし、ちょうどよかった」

 ミハルが手に入れてくれれば最新ゲーム機で遊べる。ソフトくらいは私でも買えるけど、中学生の私に出ている全部の本体を揃えるのは難しい。

 というか、私が持ってるのってちょっと前のゲームばっかりだったりする。しぶしぶ中古とか値下げされてるのを探して、面白いものを見つけるのも一つの楽しみ方だと思いたい。うそ。本当は新しゲームを思う存分買いまくりたい。だからミハルには頑張って欲しい。

 なんてヨコシマな考えをしながら、二人でゲーム売り場をみて回った。並んでいるゲームのパッケージを見ながら知ってる限りのうんちくを私が喋って、それをメモでも取りそうなくらい真面目にミハルが聞いていた。もちろん、情報だけで本当にプレイしているゲームはそれほど多くない。

 いつの間にか、ミハルの指先からは力が抜けて柔らかくなっていた。

「ううん。迷ってしまいますね」

「まあ、焦る必要はないんじゃない? ゆっくり考えて、また来たっていいし」

「そうですね」

「デモ機もあるから、遊んでみるのもいいかも」

「……ヒナツさん、あちらはなんでしょう」

 と、ミハルが目を向けたのは、一般向けのゲーム売り場から少し離れたところ。

 ゲーミングPCとかがある方に近いけど、置かれているデモ機はちょっと変わった見た目をしていた。

「ああ、VRゲームのコーナーみたいだね」

「ぶいあーる?」

「うん。ゴーグルかぶってゲームの中に入っちゃうみたいなやつだよ」

 へえ、といまの説明をゆっくりかみしめるように間を開けて、

「……面白そうですね?」

「言うと思った」

 もともとこの子は、興味のあるものにはわりとがっついていく傾向があるから。

 時間はいくらでもあるし、おしゃれな服屋なんかと比べれば店員さんはめったなことでは近寄ってこないだろう。私たちはVRのゲームコーナーへ向かうことにした。

 スペースとしてはかなり広く取られてる。けど、子どもたちは携帯ゲームのほうに夢中なのか、思ったよりも人気はない。

「それほど詳しくはないけど……『レヴ』だからか」

「レヴ、ですか?」

 人気が少ないもう一つの理由が、デモ機でプレイできるソフトにあった。

「『Real vs.』で略して『レヴ』って呼ばれてるゲーム。簡単に説明するとね、リアルに寄せすぎたゲームなんだって」

「ええっと、ごめんなさい。よくわからなくて。リアルなのはゲームとしては良いことなのでは?」

「映像がリアルとかならね。VRがいまいち流行らないのって、長くプレイできないってのがあるんだって。……やってみよっか」

 このゲームばかりは説明するには限界がある。というか私も興味があった。VRゲームなんて、手に入れたいと考えたことがなかったから。

 店員さんに声をかける。VRゲームは小さな子とかが勝手に遊べないように、店員さんしか起動できないようになってるらしい。聞いたら手荷物も見ててくれるっていうからお願いして、二人で遊んでみることにした。

 VRゴーグルは縁の太い水中眼鏡みたいな感じで、かなり軽かった。危なくないように周りに十分なスペースを取る。やけに広く感じたのはそのせいか。

 コントローラは穴のあいた手袋っぽい。手をぜんぶ覆ってしまうんじゃなくて、手のひらは動きやすいように開いてて、手の甲から指先にかけてなにかの部品がいくつかくっついてる。センサとかがいっぱいついてるらしい。けどそれほど重くはない。

 それで手とか指の微妙な動きを、センサは腕の動きを読み取るためのもの。それがゴーグルと通信し続けて動きを追っかけるんだとか。

「さすがにキャラクリは時間かかるから、できてるキャラではじめてみよ」

「ヒ、ヒ、ヒナツさん! ど、どうすればっ……⁉︎」

「ゴーグルの横にあるボタン押してみて。周りも見えるようになるから」

 安全とか防犯のための機能らしい。はじめに店員さんが教えてくれた。

「あ。ヒナツさんの姿が見えました。安心です」

 私もボタンを押してみると、ミハルがこっちに向かって手を振っていた。振り返してあげたけど、私も透過してなかったらどうするつもりだったんだろう。黙ってしゅんとしそうかな。

「画面のほうに集中してみて。自分の手がそのままコントローラなんだよ。落ち着けば大丈夫」

「な、なるほど」

 ゲームの中の自分の手が動いてることに慣れてきたのか、透過を解除したらしい。私もゲームに戻ろう。

 どこかの家の中にいるところから始まった。首を回すと視界も合わせて動く。足を動かせば前に進む。しゃがむこともできる。一瞬、ミハルがスカートだったかと思って心配になったけど、今日は大丈夫だろう。

 指先を動かしてみると、驚くほど正確に動いてる。ためしにテーブルに近づいて、置いてあったリンゴをつかんでみる。

「へえ……」

 リンゴを持ち上げると、重さがあるように手の動きが変わった。上げるときは腕の動作がにぶくなって、置くときは重さで下に引っ張られるような感覚。いや、感覚ではないのか。ゲームの中の動きがすごくリアルなんだけど、リアルの私は当然リンゴを持っていないから、むしろリアルのほうに違和感を覚えてしまう。

 だから感覚ではなくて、錯覚かな。

 ただ、それを私は面白いと感じた。

 となるとミハルのほうは、

「ヒナツさん! すごいですね! 感動しました!」

 そうなるよね、きっと。

「ミハル、はしゃぎすぎないほうがいいよ。これ思ったよりずっと……ヘンタイだ」

 私は透過ボタンを押した。リアルとゲームの景色が重なって、頭がくらくらした。

 ミハルは聞いてなさそうで、ぱたぱたと手足を動かして首をぐるぐるさせてる。

 あーあ。やばいなあれ。

 で、軽く二十分くらい遊んだ後。

 私のヒザの上で、ミハルは目を閉じてうんうんうなってた。

「うぅ、気持ち悪いです。ヒナツさぁん」

 駅ビルの中二階、人気のあまりないところで休んでる。

「だから言ったでしょ。ヘンタイだよ、あれ作った人」

「どういう意味でしょうか?」

「『レヴ』って医療用に作ったソフトを元にしてるの。体が不自由な人が、自由に動けるのを体験させるため、とかね」

「それは素敵な目的ですね」

「まあ、もちろん賛否あったわけだけど」

「そうなのですか?」

「リハビリが目的ならまあわかるよ。やる気が出るかもしれない。でも、叶わない夢を見るってのを辛いと思う人もいるんだとか」

「なるほど。ですがそれは……」

「まあね。結局は本人がどう思うかだから、周りがとやかくいうことじゃない。ただ、開発の人が正しさを主張するためにやったのが、現実と区別のつかないくらいに現実に近づけることだった」

「たしかに、あの体験は不思議なものでした」

 言いながら、ミハルはううんと辛そうな声を出しながら体を起こす。

「まだ寝てれば? VR酔いって乗り物酔いよりやばいんでしょ」

「ええ。ヒナツさんは大丈夫だったのですか?」

「きそう、って思ったから控えめにしといた。ずれた設定じゃ絶対酔うってわかってたし。ヘタしたら二人揃ってダウンだったからね」

「さすがですね。……ヒナツさんのお膝の温もりも名残惜しくはありますが」

「なんか言った?」

「いえ。しかしあの、『レヴ』は酔わずにプレイすることができるものなのでしょうか? うぅ……」

 やっぱりまだダメだったらしい。私がため息まじりに膝をぽんとたたいて誘うと、ミハルは迷わずまた頭を預けてきた。ふんわりとあまい香りがする。やさしい香り。でも、香水ほどきつくないような。

「VRゲーム自体は慣れればだいぶましになるって話。あと、『レヴ』がヘンタイな理由がもう一つある」

「それは?」

 ぱちぱちと、おっきな目が私を見上げて瞬きを繰り返す。なんで私、自分よりもずっと美人でかわいい女の子に膝枕してるんだろう。冷静になるとよくわからない状況だ。

「酔う原因は、ゲームの中の自分が想像通りに動いてないっていうのが大きいの。だからあのゲーム、キャラクリがヘンタイだって有名になった」

 ミハルが眉をゆるく寄せて、疑問の意思を投げかけてくる。

「身長、体重、握力、腕とか足の長さ、その他もろもろをぜーんぶ数値化して、リアルの自分とおなじ動きをするキャラを作るって話。プライバシーってなにって感じ。笑っちゃうよね」

「なるほど。それで……」

 へんたい、とミハルがぽつりとつぶやいた。なんかどきりとさせられる。べつに私は悪くない。

「逆にいうといくらでも理想の自分を作れるわけだから、そういう層にも受けてるみたいだけどね。慣れれば酔わなくなるってのもあって、馬鹿正直にリアルのままのキャラを作る人なんていないと思ってみんな遊んでるみたい」

 ミハルはくすくすと目を細めながら笑って、

「たくましいのですね、皆さん」

「そんなもんだよ、ゲーマーなんて」

 私もつられて笑ってしまった。

「ま、ゆっくり休みなよ。落ち着いたらなんか食べに行こう」

「はい。ありがとうございますっ」

 いい笑顔でそう言って、私が横に投げ出してた手をたぐり寄せてきゅっと握ってくる。すっかり慣れたのか、ミハルの手は柔らかくて気持ち良くて、安心してくるような気がする。そういえばこの子、うちでゲームするときずっと私のクッションを抱きしめてる気がするし、手持ちぶさたなのかな。そのお陰でクッションからこの子のにおいを感じるときがあるんだけど。

「あー」

「どうかしましたか?」

「いや、なんでもない」

「なんでもなくないように見えますが?」

 くそう。話をそらそうとしても、真下から見上げられてたら逃げられない。

「せっかくだから普通の買い物してもいいかも、とか思ったりしただけ」

「それは素晴らしいですね。なにか欲しいものとかあるんですか?」

「ずっと気になってたんだけど」

 ミハルのさらりとした前髪に触れそうなくらい、顔を近づける。

「ヒ、ヒナツさん……?」

 くん、と鼻先を動かす。

 やさしい香り。私にとっての、この子のにおい。

「これ、シャンプーの香り? すごい好きだから、おんなじの欲しいなって」

「……? た、多分、ヘアミストだと思います……?」

 ちょっと声を震わせて、目を顔ごとそらしながらミハルが言う。それでまた、ふわりとあまく香ってくる。

「へえ、香水じゃないんだ」

「香水は、その、学校で怒られてしまうので。ヘアミストなら身だしなみの一つとして言い訳できるんです」

「ふうん。ミハルの高校は大変なんだね」

 ようくみると今日は、薄くお化粧もしてるみたいだし。リップがてらてらと、控えめに輝いている。こんなに近くでこの子の顔見たことがなかった気もする。いつもはどうだったんだろう。家ではしてなかったような気がするけど。

「その、恥ずかしいのでちょっと離れてもらえると……。汗とか、気になりますし」

「ああ、ごめん」

 膝枕してるから逃げられないのか。お互い様だけど。私も同じ状況なら恥ずかしいかもしれない。膝枕の時点でわりと恥ずかしいほうだと思うけど。

「でも、嬉しいです。もし良ければ、わたくしのヘアミストは予備もあるので差し上げますよ? その、あまり安くないですし……」

「そう? もらえるならもらうけど、値段は気にしてないよ。ゲーム以外に趣味ないから、おこづかい結構貯めてるし」

「では……わたくしのとは別で、ヒナツさんに似合う香りをわたくしが探しても良いでしょうか?」

「うん。ありがとう。よくわからないからミハルにまかせる」

 そう答えるとミハルは、一緒にゲームをしているときに見せてくれるような笑顔になった。

 しばらく休んでミハルが落ち着いた後、私にとってほぼ未開の地である化粧品売り場へと向かった。なにか用があっても薬局で済ませているから。

 結局、ミハルの使っている香りのものは使いかけをもらうことにした。私が選んでもらったものは、ミハルのよりもあまり甘くない、すっきりしたようなものを選んでもらった。

 ミハルがいうにはクールな私にぴったりだとか。どうだろう。香りは気に入ったけど。

 ちなみにゲームのほうは、当然のように『レヴ』を本体ごとおおきな紙袋で持って帰ることになった。

 もちろん、二人そろって。

 こんなこともあろうかと、お年玉貯金を崩しておいてよかった。


   4th stage


『Real vs.』、通称『レヴ』は、ゲーム機本体の名称でありリリース当初に唯一発売されたソフトの名前でもある。専用に作られたゴーグルとコントローラの精巧さが一部で話題になって、いくつかのメーカがソフト作りに手を出そうとしたものの、クセのある技術がいくつも使われているので開発にはかなり時間がかかるらしく、独自にゲームソフトを作るというよりは、追加のワールドをどう作るかという方向になるらしい。

 とくに他とちがうのは、ゲームの方を現実に近づけるために仕掛けられているヘンタイ的な技術の数々だ。例えば、私がリンゴを手にしたときに感じたような、3Dモデルに重さを持たせてそれを錯覚させるような。

(動作のフィードバック率? 全身を部位に分けて、それぞれちがう数値設定ができる? ああ、体が動かせない人のための……?)

 などなど、こういう細かな設定だったりは、やっぱり一部の層に人気だったりするとか。

 さて、このゲームをはじめるにあたり、私にとってはどうしても避けられないことがあった。

 年齢イコールほぼゲーム歴ともいえる私にも、得意ではないゲームが、ある。

『……ヒナツさん? 聞こえていますか? もしもし?』

「うん。聞こえてる」

『うふふ。嬉しいです。昼間も一緒に遊んで、お家に帰ってからもヒナツさんとお話しできるなんて』

 耳もとから聞こえてくるミハルの声は明るい。どこかうっとりとしたような表情で笑っているのが目に浮かぶようでもある。

「うーん。こんな形でオンゲーに手を出すことになるとは……」

『意外でした。ヒナツさん、インターネットを使ったゲームには明るくなかったのですね』

「ネットはするけどね。クリアしたゲームの隠し要素とか、見ないとわかんないのあるし。他の人の感想を見るのも嫌いじゃないし。私が個人で使える端末を持ってないってだけ」

『そう言われると持っていませんね、携帯電話』

「いままではとくに不便じゃなかったから。お母さんからいらないのって聞かれたことあるくらい」

 学校でもだんだんと少数派になっていたりはする。絶滅危惧種か。

『それをお断りしたのには、理由が?』

「いやあ、完全に生活の一部にいつでもゲームできるものなんか加えたら、大変なことになると思ったから。現にどこかの誰かさんは、いままで触ったことなかったのにすっかりゲームに夢中だし」

『うう。返す言葉が見つかりません』

「おんなじような理由でオンラインゲームも避けてた。私にとってゲームはきちんとエンディングがあるもので、ひとりでプレイするものだから。クラフト系のゲームも何本かやってみたけど、終わりがないのはなんか合わなかった」

『でしたら、なぜわたくしと一緒に、買ってくれたのですか?』

「? いや、面白そうだったからだけど。ミハルもそうでしょ?」

 しばらく間があって、通信が不安定にでもなったのかと思ったら、くすくすと控えめな笑い声が耳をくすぐった。

『はい。そうですね。少なくともわたくしは、こうして離れたところからお話できているだけでも十分に満足しています』

「さすがに待ち合わせで携帯電話なしは迷惑だったかなとは思ってるけど」

『そうでもありませんでしたよ。今か今かとヒナツさんがやって来るのを待つときの、胸が躍るようなむずむずとしたもどかしさは、嫌いではありませんでした』

「ま、これからはちょっとしたことでもメッセージ入れていいから。家でしか見れないけど」

『はい♪』

 なんだかすごく楽しそうでなにより。

 いまは本体に標準でついてる通話アプリで話をしている。ネットに繋いで、アカウントを作って、お母さんに許可を取るついでにミハルのお母さん経由でアカウント名をやり取りして、ようやく話ができるところまでやってきた。お互いに日頃の行いが良いことと、親たちも私たちが仲良くなるのを喜んでいるらしいこともあって、いまのところはとくに問題はなさそうだった。

「何度も言うけど、時間はちゃんと区切るからね?」

『承知です。だらだらとお喋りして夜更かししたりしません!』

「よろしい。私のせいでミハルの成績が下がったとか言われるのは嫌だからね。ま、どうせはじめはゲロゲロで長くできないだろうし」

『それも気をつけます。……ヒナツさんのお膝もないので』

 ちょうどアップデートが終わったから、『レヴ』を起動してみる。

 お店では飛ばしていたキャラを作るところから。

「後からでもいじられるけど、どうする? 理想の自分にするか、リアルの自分に近づけるか」

『わたくしは現実に近づけようと思います。酔うのはもうこりごりです』

「なら私もそうしようかな。今日は、しっかり体を作るところまでにしようか」

 自分の体に合わせてキャラクターを作るのは、それほど難しくはない。ゴーグルの透過機能を使って、ぴったりになるように調整すれば良いだけだから。このあたりは本当によくできていると思う。

 次の問題は、その後に設定するパラメータ周りだ。

「ミハルって、運動神経いいよね?」

『悪くはないと思います。恥ずかしながら、いくつか習い事もしていたので』

 この子が恥ずかしいと言っているのは、習い事を続けられなかったことだろう。部屋にはなにも置かれていなかったけど、驚くほど広いリビングの棚にはトロフィーが並んでいるのを私は知っている。

 なんだけど、いまはなにも習い事はしていないと前に言っていた。意外と飽きやすかったりするのかもしれない。……実機を試してみた限りではこのゲームはひとりでもかなり遊べそうだし、元は取れると思う。

『あの、ヒナツさん』

「うん?」

『明日の放課後、お時間ありますか?』

 で、翌日の月曜日。

 やっぱり駅前で待ち合わせをして、やっぱりミハルは先に着いて待っていた。

 いつものかっこいい本革の鞄と、今日は手提げのバッグを持っていた。

 それを見て、私の足は重たくなる。視線を落とすと、自分の手にも似たようなものが入っているであろうバッグが目に入った。

「ヒナツさぁ〜ん!」

 逃げてしまおうか本気で悩みかけていると、眩しい笑顔のミハルがこっちに気づいて駆け寄ってきた。

 長い黒髪と、スカートと、手提げのバッグが重たげに揺れる。

「お待ちしていました。さあ、行きましょう!」

 がっしり手をつかまれて、もう逃げられそうにない。

「あはは〜。だよね〜」

「あの、ひょっとして、お嫌でしたか?」

「へ? ううんイヤなわけないじゃん。ゲームを楽しむために必要なことなんだから」

 自分でもわかるくらいに早口になってしまった。さすがのミハルも気づいているらしく、アゴを引いてきゅっと唇をちぢめている。

「……正直に言うよ。本当は知ってたんだけど、言わなきゃわからないかなぁってちょっとだけ思ってた。ちょっとだけね。だからべつにイヤじゃない。苦手なだけ。ちょっとだけ」

「無理にわたくしに合わせてくれなくても、いいんですよ?」

「ううん。さっきも言ったでしょ。ゲームを楽しむために必要なことなら、私もやる。無理なんかしてない」

 決意を固めて、ミハルの手を握り返す。

「ヒナツさん……。わかりました。それでは参りましょう」

 いざ、駅ビルの中にある……スポーツクラブへ!

 なんて無駄にもったいぶったりしてみせたけど、簡単に言うと『レヴ』を作っているゲームメーカーは、スポーツクラブを展開している。いまのご時世ゲームだけではやっていけない、のかはよくわからないけど、もともと医療の目的もあったソフトなんだからそこまで不思議ではないような気もする。

 そしてゲームばかりしてきた私にもっとも遠い場所が、このスポーツクラブだと思っていた。

 気づけば前を歩いていたのはミハルで、店員さんに積極的に話しかけてくれたのもミハルで、私は体育で長距離走だったときと同じように口数を減らしていた。

 二人でジャージに着替えた。私のは中学指定の水色のもので、ミハルのは黒を基調としているかっこいい色合いのものだった。すらりとしてるのにメリハリのある体が強調されているようで、ハーフパンツから伸びる膝とすねがまぶしく映った。あと一年であんな体になれるわけないだろう。格差社会め。

「うぅ、仕方ない。がんばるか」

 一番上までファスナーを上げたジャージで口元を隠しながら、私はため息まじりにつぶやいた。

 結局のところ予想をまったく裏切ることなく、体力テストみたいなものだった。

 決められた内容を淡々とこなしていく作業。

「ああ、ごめんミハル。今夜はゲーム、出来そうにない……」

 その結果、今日は私がミハルの膝の上に倒れていた。

「あはは……。思ったよりも大変でしたね」

「反復横跳びを考えたやつを私は許さない」

「でもほら、汗をかくって気持ちがいいですし?」

「こんなの疲れるだけだよ〜」

 言いながらころんと頭をまわす。ハーフパンツごしに感じられるミハルの脚は、まるで低反発まくらみたいにほどよい弾力だった。カモシカのような脚ってこういうのを言うのか。やわらかいのにしっかりしてる。

「ちょ、ヒ、ヒナツさん……?」

「お腹すいたな。放課後にこんな動くことないし」

「あ! で、でしたらその、自信はないのですが……」

 ミハルがぽんと手をたたいて体を横にひねった。いまはジャージの上を脱いでるから、白いTシャツが目の前にせまる。いつもとはちょっとちがう香りがする。これは汗というか、ミハルの体のにおいのような気がする。言ったらきっと顔を真っ赤にするだろうけど、べつに嫌いなにおいではないから黙っておこう。なによりこの膝まくらの寝心地は捨てがたい。

「ど、どうぞ……」

「うん?」

 またちがう香り。あまくておいしそうな……バニラのにおい?

 頭をぐるりと上に向けると、ミハルが震える指先で小さなクッキーをつまんでいた。

「やった。ありがと」

 んあ、と行儀悪く口を開く。そもそもスポーツクラブの更衣室で横になってる時点であきらめている。周りから見たらせいぜい姉妹で遊んでるようにしか見えないだろう。

「は、はなしますよ?」

 おそるおそる、ミハルが私の口の中にクッキーを放り込む。

「ん」

 ゆっくりとかみしめる。ややしっとり気味の、ぎゅっと身がつまった感じのクッキー。

 もくもくと口を動かしている間、ミハルが真っ赤な顔で私を見下ろしている。その表情は例えるなら、カジノでルーレットに全がけしてるときの私みたい。もちろんゲームの。

「どう、でしょうか……?」

 蚊の泣くような声。さっきまで体力テストでビカビカに輝いていた子と同じには見えない。

「うん。おいしいよ。……ひょっとして、ミハルが作ったの?」

「えあ、は、はい。えへへ、そうなんです。実は」

 ふにゃりと頬をほころばせる。安心と嬉しさが混じった、普段よりもずっと子どもっぽく見える顔。それはもうかわいいっていうか、こんな顔するんだこの子。下から見てないとわからなかったかもしれない。

「うん? でも昨日一緒だったし今日も学校だったよね。いつ作ったの? もういっこちょうだい」

 疑問を投げかけつつ、催促する。大丈夫、この子が私にあまいことはもうわかってる。抱っこして帰ってとお願いすればしてくれるような危うさくらいはある。

「どうぞ。……実は土曜日に作っていまして。お母さんがオーブンレンジを買ったもので」

 またゆっくり味わわせてもらってから、

「ひょっとして、はじめてお菓子作ったとか?」

「ですね。あはは」

「んで、びびって昨日は出せなかったとか?」

「おっしゃる通りです。ほら、酔ってそれどころではありませんでしたし?」

 この子は言い訳を探すとき視線をそらすクセがある。

「そしたら今度は私がなんか作ってあげるよ」

「本当ですかっ⁉︎」

 ぐい、とミハルの顔が迫ってくる。前髪がはらりと落ちてきて、鼻先をくすぐられる。

「そんな食いつくことじゃないよ。時間さえあれば難しくない……あ、ミハルはがんばったと思うよ。私がはじめて作ったとき、もっと粉っぽかったし」

「楽しみにしてますね。うふふ」

 そんなやり取りをしている間に結果が出力されてきた。おおかた予想通りだった。結果は『レヴ』のアカウントに紐づけることができるようになっているのと、いくつかの連動特典ももらえるらしい。

 そして夜。お風呂に入って念入りにマッサージをしていたら、どうにか体を動かすのに困らない程度には回復した。けど脚の筋肉痛がとくにひどい。ベッドに体を投げ出す。

「はあ……」

 息を吐く。ため息とはちがう、と思う。なるほど、これが心地よい疲れってやつか。

 机の上へ目を向ける。ヘアミストの瓶がふたつ並んでる。手の届くところにクッションがあったから、照明の眩しさから隠れるように顔の上に乗せた。

「なーに考えてんだか」

 くだらないことを思いついた。くだらないどころか、ちょっと気持ち悪いことかもしれない。

 けど、思いついてしまったから仕方がない。ころりとベッドを移動して、机の上からヘアミストの瓶を手にとる。ちょっとだけためらってから、それをクッションに吹きつけた。

「……ばーか」

 ぎゅうとクッションを抱きしめて、顔を埋めてみる。

 思っていたよりは悪くない。つぎにあの子が遊びに来るまでにこの香りは消えてくれるかな。

「こりゃあ、ちょっと真面目に考えないとダメかもね」

 なんにせよ、今日はよく眠れそうだった。


   5th stage


『こんばんは、ヒナツさん』

「やっほーミハル。連携はちゃんとできた?」

『はい。少しだけ手間取りましたが。ヒナツさんは、体はもう大丈夫ですか?』

「いや全然。伊達に万年運動不足で通してない」

 この私の筋肉痛が一日程度で治ると思わないでもらいたい。あと二日は続くはず。

『そ、そこはもう少しがんばりませんか? ご一緒しますよ』

「よーしさっさと立ち上げちゃうぞー」

 今晩から本格的に『レヴ』をはじめていく。リアルの外見とほとんど一致しているアバターキャラクターに、昨日必死になって用意したパラメータを結びつけて起動する。

『あの、わたくしがお部屋を作ってみていいですか?』

「うん。お願い」

 オンラインで遊ぶことにはなるけど、よくいうオンラインゲームのように無差別に人が生きている空間に放り出されることはない。いまのところは処理が間に合わないという問題が残っているらしい。それに関してはこの先のアップデートなのか、新しい『レヴ』なのかで、改善する予定もあるのだとか。

 話を戻して、いまの『レヴ』は処理や描画をよりリアルに近づけるという仕様上、数人までしか一緒に遊ぶことはできない。なおかつ、リアルの外見をそのまま使うこともある危うさもあって、フレンド同士でない限りはかなり面倒な手順を踏まなければ、個人がプレイしている部屋に入ることはできない。

『できたと思います。どうでしょうか?』

「おっけー。入るね」

 ミハルが用意してくれた部屋にログインする。

 視界が暗くなる。こぽこぽと耳元で音がして、海の底に沈んでいくような感覚になる。自然とまぶたが重くなる。放っておかれたら眠ってしまいそうだ。そう思った矢先に、視界がぱっと明るくなった。

『……ヒナツさん?』

 すっかり見慣れた顔が、目の前にあった。

 整った顔立ちは繊細に表現されていて、伸びたまつ毛がまばたきのたびに花ひらいている。

「おお、ミハルがいる」

『ふふ。ヒナツさんも。まるで本物のようで、触れることができそうです』

 ミハルが手を伸ばしてくる。それがほっぺたにそっと触れると、わずかに視界が揺れた。

 ついリアルでも体が反射していた。それに驚いたミハルも手を素早く引いて、

『あっ。ご、ごめんなさい。つい……』

「デモのときよりすごく感じる。自分用のアバターだからかな」

 もしくはそこそこのお金を使って手に入れたものだからか。

『本当に顔写真のまま、ですね』

 アバターキャラクターの外見の作り方もヘンタイだった。全身写真と顔写真を用意すると、それに合わせて自動で生成される。これに関しては私がめちゃくちゃ調べに調べ抜いて、悪用される可能性がないことを確認した。ミハルの外見でネット犯罪に巻き込まれるのはやばすぎる。

 体のサイズにその外見、そして運動能力のデータ。

 そうして出来上がったアバターは、見事にリアルの私たちそっくりだった。衣装こそ初期設定のシンプルなものではあるけど。

「それにこの場所……」

『ええ。あはは。すごい再現度と言いますか』

 どこかでみた場所に、私たちは立っている。

 あのスポーツクラブの入り口だ。

大きなガラス張りの窓からは、いつもの駅前が見下ろせる。駅ビルの上の階。

「宣伝のためとはいえ、ここまでするかね」

『企業努力、ですね』

 これがあの地獄の体力テストでもらった特典のひとつ。

 実際の店舗をまるごとワールドとして配布していた。どういうお金の使い方なんだろう。

「しょーじき黙ってれば体力テストなんてしなくてもいっかって思ってたんだけどさ」

『ですよね。ヒナツさんが気づかないとは思えませんでしたし。でも、やって良かったと思いませんか?』

 一歩、二歩。跳ねるように前に出て、くるりと振り返りながらミハルが言う。

 私はやれやれと頭を振りながら、

「まあね。よくできたワールドのデータをタダでもらえたわけだし」

『素直じゃありませんねえ』

 近寄ってきたミハルが、手をそっと開いて伸ばしてくる。

『さあ、見てまわりましょう』

「はいはい」

 手を繋ぐ。感触はない。けど、私の目は繋いだミハルの手を認識している。

 ダンジョン探索、っていうにはリアルが過ぎるけど、スポーツクラブの中へ入ることにする。

 自動ドアが反応することに驚いて、店員や他のNCPが誰もいないことにちょっとがっかりして、なんだか悪いことをしてるみたいな気持ちで奥へ進む。

「うわ。ダンベルとか持てるよ」

 機材にも触れることができた。ダンベルを持ったゲームの中の私の腕は、しっかりと重さがあるように動いてる。リアルではなんにも持っていないせいで、そこにどうしても違和感は残る。

(なのに気づいたら『ずれ』は消えてる? ちょっと気持ち悪いな。いつ合わせているんだろ)

 VR空間の中を歩くときも、似たような感覚がある。ゲームの中では前に進んでいるけど、リアルの私はその場で足踏みをしているだけ。油断をすると前に進んでしまうけど、周囲で接触するようなものが近づいたときは警告音がして、もっとギリギリのときは視界が透過するようになっている。

 まだ慣れたとは言えない。もう少し色々試してみないとだめかも。

『ランニングマシンも使えるみたいですね』

「それはパスで」

 長距離走はホントに理解できない。

『慣れてくると楽しいですよ。朝、一緒にランニングとか』

「ってことは、あれできるかも。こっちこっち」

 もう。とミハルがつぶやくのが聞こえたけど聞こえない。

 気になっていた場所があったのは間違いではなかった。きっともう二度とスポーツクラブに行くことなんてないとすんなりあきらめられていたけど、すべてが再現されているのなら話は別だ。

『ああ、スカッシュですね!』

 その施設は比較的狭い部屋で、ボールを壁打ちして遊ぶやつ。ミハルのいうそれだ。

「まあスポーツ系のゲームでテニスみたいなのは基本だよね」

『? そうなのですか?』

「そういうものらしいよ。テーブルテニスとか」

『わたくし、テニスであれば多少は経験があります』

「ミハルの多少はなんか当てにならなそうだけど……。ラケットもあるし、やってみようか」

『はいっ!』

 スカッシュのラケットはテニスのものよりも一回り小さいらしい。ボールも小さめで、卓球の玉に近いような大きさだ。

 ルールはざっくり、交互に打ち合って、壁に当たったあとにツーバウンドする前に打ち返せばセーフらしい。

 対戦するのはあまり趣味ではないので、ラリーがどこまで続けられるか遊んでみることにした。

「……なるほどね」

 ラケットを振ってみる。握りもしっかりゲーム内で再現されていて、手首のひねりも見事に反映されている。なにが製作者をここまでがんばらせるのか話を聞いてみたい。

『いきますね』

 壁に向かって横並びになるように立つミハルが、ポンとボールを高く投げて、サーブの要領で打ち出した。ボールは壁にまっすぐ飛んで跳ね返り、私のほうへまっすぐ向かってきた。

 想像していたよりもずっと速くするどい打球が目の前に、

「きゃあっ!」

『……えっと?』

「待って。ごめん。いまのなし」

『ヒナツさんの可愛い声……』

「ちがうの。間違った。そういうのじゃないから」

『そういえば、はじめの説明で……』

「ねえ! 待って! 直前の動画、保存しようとしてるでしょ!」

『していませんよ?』

「ウソつき! 私の目を見て言いなさい!」

『していませんってばぁ』

 なにもなかったことにした。

 気を取り直して、

「っ」

 ボールを打ち出す。何度か練習してまっすぐ飛ぶようにはなった。手首を変に動かさないように、手のひらで前に押すような感じにしたら、それっぽくなった。

 ボールは無事、壁で反射した。ただ、ミハルがいるところとは離れたところにいってしまった。

『はいっ』

 大きく一歩を踏み出したミハルが、姿勢を下げて素早く動いた。ボールの行く先でぴたりと止まり、ゆるい初動から一気にラケットを振り抜く。小気味良い音がしてボールは前に飛んでいく。壁で跳ねたボールは、私の少しだけ横のあたりに飛んできた。

「えいっ」

 ぱこん、と。どうにかそれを返球する。

『お上手です!』

 楽しそうなミハルの声。見なくても笑顔は想像がつくけど、そっちを向いてる余裕がない。

 ミハルのラケットがまた良い音を鳴らす。打球は再び、私の手元近くに。

 まじか。この子、私が返しやすいところに飛ばしてきてる。私の打球はへっぽこもいいとこで、右へ左へ走らせてしまっているのに。

 百歩譲ってリアルでテニスが上手く出来るのだとしても、ここはゲームの中。そう簡単にリアルと同じ動きができるはずがない。

「……フィジカルモンスターめ」

 しばらく遊んでみたけど、立ちっぱなしなこともあって休憩することにした。

『面白いですね。やれることがたくさんありそうです』

「開発中のワールドもそこそこあるみたいだね。大手のメーカーが、ファンタジー系のRPGとかも出したいとかって見た」

『いいですね。それも、一緒に遊べるのでしょうか……?』

「MMO……知らない人がたくさん一緒にいるようにすると、どうしてもいろいろ制限があるから、少人数でできるようにがんばってるみたい」

『ではその時は、わたくしがヒナツさんを回復してあげますね』

「ミハルの運動神経でサポートはないと思うけど」

『それなら、ヒナツさんはわたくしが守ります。後ろでたくさん応援してくださいね』

 リアルよりのVRゲームだと、バフデバフはどうなるんだろう。いきなり足早くなったら転びそうだけど。

「あと『レヴ』を作ったところは、写真を使った3Dモデルの取り込みも準備してるとか」

『写真、ですか? ああ、いまのわたくしたちのような?』

「うん。ただ、人のモデルだけじゃなくて、持ってるものをゲームの中に持ち込めるようにするってことみたい。たとえばいつもの服をそのままゲームで着られるように、とか。権利の問題さえどうにかすればすぐにでもいけるらしいんだけど」

 具体的には、物を正面、側面、上面で捉えた写真があれば、おおよその3Dモデルは作れるらしい。あとは動く場所とか、用途とかを細かく決めていけば、ただのオブジェクトではなく、VRの中で使うことができる3Dモデルを個人でも作ることができる。

 さっき使ったようなラケットやボール、スポーツクラブにあるものは、そういう用途まで再現されていたから、あんな風に遊ぶことができた。

『いよいよ現実との境目がわからなくなってきそうですね』

 ミハルの言う通り、このゲームはどこまでリアルに近づけるかを試しているようでもある。きっとリアルでは、すぐにはワープみたいなものは作れないかもしれない。けど、こっちではリアルに限りなく近づけた世界の中で、ゴーグルひとつ被ればいつでも友だちに会うことができる。そういう夢みたいな『おまけ』をつけるのは難しくない。

まあ、私は楽しければなんでもいいんだけど。それに、

『ヒナツさん?』

「ん?」

『たくさん、一緒に遊びましょうね?』

「おっけー。それじゃ、つぎはなにしてみよっか」

 この子と遊ぶのは、それなりに楽しいから。

 だからこそ、きちんと考えないとダメなのかもしれない。


   6th stage


 しばらくの間、毎晩のようにミハルと『レヴ』で遊んだ。

 それはあのスポーツクラブでできることだったり、いくつかの実装されているワールドだったり。

 そのどれもが面白くて、楽しくて、時間を忘れてしまいそうになるようなことばかりだった。

「やっほーミハル」

「いらっしゃいませ、ヒナツさん。お待ちしていました」

 ある日。私からお願いをして、ミハルの家にやって来た。

 手土産にビターチョコをたっぷり入れたケーキを持って。

「こ、これはまさか……ヒナツさんが……?」

 震える手と声で包みを受け取って、揺れる瞳で私を見る。

「え。そうだけど。前に言ってたし」

「ありがとうございます! ありがとうございます!」

 それを胸にぎゅっと抱きしめて、くるりとその場で回ってみせる。そこまで喜んでもらえるのなら、もっと早めに作ってあげればよかったかな。

「お茶の用意をしましょうか」

「ううん。ちょっと話したいことがあっただけだから。すぐに帰るよ」

「はい? でも、昨日はとくに……」

「ほら、ケーキ渡すついでもあったし」

「そうですか。えっと、それでお話とは?」

「あ、うん。悪いんだけど、『レヴ』を休止しようかなって思ってて」


「………………え?」


 ぱさり、と。

 ミハルの手からケーキの入った包みが落ちた。

「もう、そんなに驚くことじゃ——」

 どさり、と。

 ミハルは失神した。

 幸い、ミハルのお母さんがいてくれたので二人でミハルを部屋へ運んだ。どうしても時間がなかったこともあって、様子は見れずに私はミハルの家を出た。

 用事を済ませて家に帰ると、お母さんのところにミハルが目を覚ましてどうにか無事であることの連絡があったと教えてもらった。

「……どうにか、って」

 その言葉通りなら、たぶん大丈夫ではないのだろう。

 はやる気持ちをおさえながら、私は急いで『レヴ』を立ち上げた。ミハルはオンラインではなかった。メッセージを送信する。

 すぐにミハルの表示がオンラインに変わった。携帯のアプリと連携しているから、ミハルのほうは私のメッセージをすぐに見ることができる。私が誘えば、いつだってすぐに起動してくれることはわかっていた。

 ボイスチャットを開始する。

「ミハル、大丈夫?」

『……ぃです』

「え?」

『大丈夫では、ないです』

「うん。だと思った。とにかく、そうだね、公園のワールドがいいかな。入れる?」

『……はい』

 森林公園のワールドも、スポーツクラブに行ったときの特典のひとつだ。ここも実際にある場所を取り込んで作られている。周囲をたくさんの木々で囲まれている。中央は軽い傾斜があって、整備された芝生が広がっている。浅めの川と、はずれには大きな池もある。

 あたりは暗かった。時間が夜に設定されてるらしい。

 当然、人気はなくて、ほうほうという静かな鳥の声だけが響いている。

 ベンチに腰掛けてミハルと並ぶ。

 ミハルは無表情で視線を下に向けている。きっちりと脚を並べ、両手は握りしめてその上にきちんと乗せられている。

『ごめんなさい。心配かけさせてしまって』

 よかった。いちおう話はできそうだ。リアルで隣にいるわけではないから、また気を失われたら大変なことになる。

「あのさ、言いかけてたことなんだけど、ちゃんと話したくて」

『ごめんなさい。嫌です』

 やけにはっきりとした、聞いたことのない低めな声でミハルは言った。

 よくなかった。話を聞いてくれるかあやしくなってきた。

「あのね、ミハル。落ち着いて聞いて」

『嫌です。嫌、なんです。なにがいけなかったのでしょうか』

 ゆっくりと息を吐くように、声を震わせて、ときどき鼻を鳴らしながら、続ける。

『わたくしは、ヒナツさんと一緒にいたいのです。でも、困らせたくもないのです。どうしたらいいのでしょう。わかりません。もうなにも、わかりません』

 きっと、リアルでは泣いている。膝の上に乗せられていた手が、目元のほうへと動いた。

 泣かせてしまった。

 それも私のせいか。

「……よし。ミハル。勝負をしよう」

『え……』

「ミハルが勝ったらずっと『レヴ』で一緒にいてあげる。私が勝ったら、私は『レヴ』から離れる」

『ですが……』

「勝てばいいだけだよ。絶対に約束は守るから」

『良いのですか?』

 のろのろとした仕草で体をこちらへ向けて来る。

 けど、視線はまっすぐに私を見ている。ゲームの中であるはずなのにその瞳はどこか、ぎらぎらとしているようだった。

「いままで私がミハルにウソついたことあった?」

 そして私とミハルは、『レヴ』ではじめて勝負をすることになった。これまでのお遊びではなく、お互いに勝たなければいけない勝負を。

 勝負の内容はシンプルだ。

 この森林公園のワールドの中で、スカッシュのボールを先にぶつけたほうの勝ち。

 ラケットとボールだけ持ち込んで、ボールは三個まで。

 ただし、公園内にあるものをどう使っても問題なし。

 ボイスチャットを『レヴ』のシステムのほうに切り替える。こうすると、リアルと同じように近づかなければお互いの声は聞こえない。

 五分間の準備時間を取って移動した。私は公園の外側、森の中に身を隠す。

 いろいろと思うところはあるけど、決めたからには勝負に集中する。

 あの子に譲れないものがあるように、私にもそれなりの理由はあるのだから。

 ゲーム内の時間は夜のまま。視界はそれほど良くない。

 五分経った。

 ゲームは静かに開始された。

「よし」

 まずは音を立てないように素早く移動して、ミハルを探す。

 一歩を踏み出した。

 瞬間、頬をなにかがかすめていった。

「なっ……」

 なにか、なんて他にあるわけがない。いまこの公園には、私とミハルしかいない。

 目を凝らす。公園の中、街灯の下にミハルは立っていた。

「せっかちだなぁ、もう!」

 言いながら私が背を向ける直前に、ミハルが走り出すのが見えた。

 やばい。あの子、本気で勝ちにきてる。三個しかないボールを開幕直後、しかもこの長距離でぶっ放してくるとか。

 ミハルの残ったボールは二つ。私は三つ。間違えないように色を分けてある。私が青、ミハルは赤だ。

 公園の外周を大まわりするように走る。木が並んでいるから、動き回っているいまならさっきみたいな長距離の一発はできない。あり得るとしたら、

『追いつきましたよ』

 右の後ろから声。

 ただし、それは予想していた。思ってたよりも早いけど。もとから運動能力に差があり過ぎるのだ。脚の速さもスタミナも尋常じゃない。私は楽をするために脚の動作フィードバック率をできるだけ減らしていて、ちょっとの動きで全速力が出せるはずなのに、一瞬で追いつかれてしまった。

「だよっ、ねっ!」

 一歩、軽く跳ぶように踏み出して、両足で着地。

 思い切り後ろに跳ぶ。

 右に人影。それも予想済み。ミハルが背中からボールをぶつけるようなことはしない、ってのは信じるしかなかったけど。

 反撃開始だ。

「ていっ」

 ぽい、と。ひとつ目のボールを下手で投げる。振りかぶって威力を出すよりも、早いほうがいい。

 不意打ちの、手りゅう弾めいた一発にミハルが目を見開く。その様子がゆっくりにすら見える。私は興奮しているのかもしれない。つまり手応えあり。

 がつん。

 ボールは、私の投げた勢いの数倍の速度でどこかへ飛ばされてしまった。

 遅れてなにが起きたのか理解する。ミハルは腰に構えていたラケットを、横向きにしてふちの部分で素早くなぎ払った。そのほうがちょっとでも速度が上がると判断したのだ。とんだサムライガールだ。

「そんなんあり……⁉︎」

 信じられない光景に、慌てて手に持っていたのを投げてしまった。

 ねらいも定まってないでたらめの一発は、あさっての方向へ転がっていった。

『ふふ。……あとひとつ、ですね?』

 薄暗い森の中、ミハルが低い声で油断なく笑う。その笑顔は大人びているというか、普通にちょっと怖かった。

「し、仕切り直しっ」

 叫ぶように言い放って、私は公園の中へ走り出す。余裕があるのか、ミハルはすぐには追ってこない。

 ならばと、ちらりと視界に入っていたほうへ。この先には、あれがある。

『ヒ、ヒナツさん……? そちらは……!』

「わかってる!」

 飛ぶ。

 景色が抜けて、星空がいっぱいに広がる。

 続いて、体が下に吸い寄せられるように落ちていき、景色が変わる。くらやみ、いや、黒い水面。

 その先は、池だ。

 ざぶん。今度は目の前がぼんやりとして、無数の白い泡で包まれる。ひとりで散歩してたときに泳げるかどうかは確認済み。なにしろリアルで息ができるから余裕がある。そして、スポーツクラブで水泳のデータまでは取っていなかったおかげで、並以下くらいの泳力がこっちの私にはある。脚のフィードバック率の設定も影響して、軽いばた足でもぐんぐん進んでいるのがわかる。

 対岸まで泳ぎ切って、後ろを振り向く。

 ミハルがどこかほっとしたような顔でこっちを見ていた。驚いてもいるのだろう。泳げるということを考えていなかったはずだ。リアル志向なこのゲームで泳ぐということは、ある意味で一番リアルとかけ離れているだろうから。あまりリアルでのその様子は人に見られたくない。

「ばいばーい」

 軽く手を振って走り出す。水が滴っていて体が少し重さを増しているような感覚がある。

 あの子が飛び込まなかったのなら、こっちに来るためには離れたところにある橋へ向かうしかない。これでまた時間を少し稼げるはず。

『やあっ!』

「げっ」

 不穏なかけ声に振り向くと、対岸のミハルがラケットを振り下ろした後だった。

 銃弾のように放たれた打球が飛んでくる。けど、きちんと物理演算されて徐々に落ちていく。その下は水面だ。

「ちょっ……⁉︎」

 跳ねた。ミハルの打球は水面を切って、二度三度と跳ねている。強烈な横回転が加えられているせいだ。ぐんと曲がるような軌道で、私のほうへ飛んでくる。

「にゃっ」

 ずりん、と。そのとき足がもつれて尻もちをついた。ボールは私の頭があったところを通過した。

 これであの子の残りはあと一つ。運も私に味方をしてくれている。たぶん。

 ちなみにしっかりと、リアルの私もずっこけている。


   Final stage


 息がつまる。

 呼吸を忘れそうになるほどの緊張感。

 茂みの中で姿勢を低くしながら、あたりの様子をうかがう。

 ガサリと後ろから音がして、横に跳ねながら振り向く。

 いない。

 どうするべきだろう。やっぱり運動能力では、あの子のほうが圧倒的に有利だ。

 ただ黙って待っているだけでは、間違いなくやられるのは私だ。

 いまの音で気づかれたかも知れない。少しずつでも移動しないと。

 落ち着け。落ち着け。

 私があの子より優れているとすれば、経験だけ。ゲームの。

 そしてあの子より劣っているのは……いや、考えるのはやめよう。

 そう。これはゲームだ。

 走ったところで本当に疲れるわけじゃない。リアル以上の速さで走れるわけでもないだけ。

 怪我をしたところでリアルはなんともない。リアル以上に打たれ強いわけでもないだけ。

 なぜならこれは、ゲームだから。

 それなら一方的に負けるはずがない。あの子だって状況は同じだ。

 木々の隙間をかけ抜けて、開けたところに出る。

 目立ったもののない広場だ。

 ヘタに隠れてびくびくしてるくらいなら、ここであの子をむかえうつ。

 風で葉っぱがざわめく。遅れてその風が耳に触れる音がする。まるで本当にそこにいるように錯覚しそうになる。

 ざざざ、と芝生を踏みつける音。

 後ろ。

 私にも譲れないものがある。

 だから、負けられない。

「いっけぇ!」

 ボールを上に投げながら振り向く。必ず真後ろにくると信じて、思い切りラケットを振り下ろす。

『……遅いですよ、ヒナツさん』

 私が放った渾身の一発は、あっさりと回避されてしまった。

 視界がぐるりと回る。夜空を背負ったミハルの顔があった。

「やっぱダメか。悔しいなあ」

 馬乗りで押さえつけられたような格好。これではもう逃げられない。

『……』

「どしたの? ボールぶつければミハルの勝ちだよ」

『わかっています。ヒナツさんにはもうボールがありません』

「……。だったら終わりにすればいいじゃん」

『終わらせたくないんです!』

 声を、肩を、唇を震わせて、ミハルは続ける。

『わかっています! これでわたくしが勝っても、ヒナツさんに無理強いをすることなんてできません。あなたの気持ちをないがしろにしてまで一緒にいることにはなんの意味もないんです。だから、これが最後だと思うと、一緒に遊んでもらえる最後だと思うと、このままずっと続けばいいのにって気持ちになってしまったんです』

「……勝負は、楽しかった?」

『はい。とても。言い表せないような高揚感と、緊張感。そして、ヒナツさんを追い詰めていくことに興奮していました。ほんの少しだけ』

 くすりと笑いながら、そして泣きながら、ミハルは言う。

『ああ、とても楽しかったです。忘れられそうにありません。ヒナツさん、教えて下さい。わたくしのなにがいけなかったのでしょうか。いつ、嫌われてしまうようなことをしてしまったのでしょうか』

「よし。やっと話を聞いてくれそうな感じかな」

『ええ。もう満足しました。どのような言葉でも受け止めてみせます』

「じゃあ、えい」

 ぽん、と。

 私は最後のボールを手のひらにおさめたまま、ミハルのおでこにぶつけた。

「はい、私の勝ちね」

『……はい?』

 ぱちぱちと、ミハルのまつ毛が花開く。おめめがおっきい。

『ど、どうして? ヒナツさんのボールは、もう三個全て使ってしまったはずでは……』

「二個目のだと思ってるやつ。あれミハルが最初に飛ばしてきたのを拾っといた」

 それを、投げるのを失敗したように見せかけて、適当なほうへ投げた。色がバレないように、近くに寄ってきてくれるのを待ってから。

「まあ、そんなことはどうでもいいからさ」

 本当にどうでもいい。私はただ、ミハルと話をしたかっただけなのだから。

 勝っても負けても、こうして話をすることはできただろうから。

 そっと、ミハルの体を下から抱きしめる。

『ヒ、ヒナツさんっ⁉︎』

 ぎゅうと、力いっぱい、思い切り抱きしめながら、

「私はちゃんと、ミハルのこと好きだよ」

 体はそこになくても、ミハルはたしかにそこにいる。触れることができている。言葉と気持ちを使って、ミハルの心に触れている。

「ミハルが私のこと好きだっていうのもわかってる。一緒にいたいって思う。楽しいもん、ミハルと一緒にいろんなことするの」

『でしたら、でしたらなぜ……?』

 絞り出したような小さな声がする。

「だからだよ。いつでも『レヴ』ならミハルと会えるかもしれないけど、私はもっとミハルとおんなじことをしてみたい。だから私は、受験勉強をしようと思います」

『……はい?』

「ミハルの学校を受験しようと思ってるってことだけど?」

『……』

「あとで持ってったケーキの中ちゃんと見てよね。ミハルのお母さんに、私が受験するからミハルに勉強見てもらいたいってお願いの手紙入ってるんだから」

『……』

「ミハル? 聞いてるの?」

『うぇええええん……。よ、よかったですぅ。うええええええん』

「お、おう……」

 めちゃくちゃ泣き出した。

 それからしばらくの間、ミハルは子どもみたいに泣きじゃくっていた。

『ひぐっ、うぅ。うぅう、よかったぁ。ヒナツさぁん』

 街灯に照らされた、白いベンチに移動した。ミハルはべったりと私に抱きついている。

 くすん、くすん、とすすり泣くような感じになっていて、だんだん落ち着いてきてはいる。ただ、耳もとでささやくような声を垂れ流されていると、こっちが落ち着かなくなってくる。

「ほら、もういい?」

『やです』

 鼻声で答えて、ぎゅうと私の肩を抱く。

「ごめん。しょーじきなところ、ミハルがなんで私にそんなに懐いてるのかわかんないんだけど」

『言わないと嫌いになりますか?』

 そっと体を離して、あごを引きながらうわめで聞いてくる。

「じゃあ、うん。そうかも」

 いたずらっぽく私が言うと、ミハルはひぃと小さな悲鳴をあげて、おずおずと口を開く。

『……その、わたくし、わたくしなどと自分のことを呼んでいますけど、そうしていないとどうにも子供みたいだと言われてしまうことがありまして』

「あー。ああ、なるほど?」

 そう言われると、見た目と喋り方こそ大人びているけど、私が知る限りミハルの行動はずっと子どもじみていた気がしないでもない。

 さっきあれだけ泣いてるのを見ちゃってるし。

『習いごとも、上手くこなして褒められるまでは嬉しいのですが、続けているうちに期待されてしまうのは少し……かなり苦手でして……』

 それはちょっとわからない気もする。あの運動神経でいろんなスポーツとかで良いようにするのは楽しそうだけどな。ほかで例えるのなら、

「ああ、おんなじゲームやり続けるより、いろんなのやりたいとかそんな感じかな」

『そ、そうです! そうなのです。つまり飽きっぽくて……。ただ、そんなときにヒナツさんと出会うことができました』

 なんて言い出して、今度はふわりと大人びた微笑みを浮かべる。それだけ見たら、清楚な美少女ってやつだ。

「まだよくわかんないな。私、べつに大人っぽくないけど」

『そんなことありません。常に冷静に物事を考えられるヒナツさんは、わたくしの目指す姿そのものです。だからこそ先ほどの勝負で、わたくしは手も足も出ずに負けてしまいました』

「運がよかっただけだよ。二度は通じない。つぎはミハルが勝つよ」

 あと私は冷静なんかじゃなくて、ただ冷めてるだけだと思う。これはゲームだって割り切ってただけだし。

『いいえ。つぎもおそらく、ヒナツさんは別の手段でわたくしを追い詰めることでしょう』

「んん、まあそれでもいいけどさ。んで、ミハル。私はさっき伝えたけど、ミハルからも聞いておきたいな」

『? な、なにをでしょうか?』

「私はミハルのこと好きだよ」

 きゅう、ってなんか変な音が聞こえた。ミハルの喉が異音を奏でたらしい。

『い、いけません。そんな……』

 目を細めて、視線をそらす。唇が震えている。ゴーグルに備えられたカメラは、表情のわずかな変化も逃さない。そして今日の私も、すべてを知っておきたいからミハルのことを逃すつもりはない。

「さっきまでの話だと、ミハルの気持ちは私への憧れみたいなものに聞こえた。それは私もおんなじだよ。ミハルはかわいいし、きれいだし、カッコいいし、あとは……フィジカルモンスター?」

『最後のは、も、もうちょっと言い方ありませんでした……? その、嬉しいですけど。わたくしは、うまく演じることができていたのですね』

「自信持ちなって。ほら、ちゃんと私の目を見て言って」

『わ、かりました……』

 骨がなくなったようにくにゃくにゃ動くミハルの肩をがっちり掴んで、向き直させる。

 少し荒くなった吐息を音で感じる。本当であれば、リアルでこの子がどんな顔をしているのか、香りや鼓動をもっとしっかり感じておきたいと思う。それはきっと、つぎに会ったときのお楽しみ。

『わたくしもヒナツさんのことが、好きです』

「うん。よくできました」

 せめて雰囲気だけでもと思って近くに置いておいたクッションから、いつもの香りがした。


   Extra Stage


「ドール。依頼にあった花が咲くのって、この辺りで合ってる?」

『はい、マスター。情報を再度確認しますか?』

「うん。お願い」

『承知しました』

 平坦な口調で返事をするのは、手のひらサイズの女の子。

『時のはじまりが小さき命を照らし出す。とのことです』

 まあ、ありがちなヒントではある。序盤にしてはあまり優しくない気もするけど。

 つまり明け方までに、指定の場所に行けば花を見つけられると伝えたいのだろう。

「じゃ、ちょっと休憩」

『スリープモードに移行します』

 私が手頃な石の上に腰を下ろすと、小さな相棒も目を閉じて肩に乗ってきた。

 AIドール。

 そう呼ばれるのは、このゲームをサポートするために作られた人型のユニットだ。『レヴ』の中は相変わらずゲーム的なメニュー画面とかのインターフェースがないし、これからも作るつもりがないらしい。そこで用意されたのが、対話によるサポートを行うこのAIドールだった。ログアウトからメッセージの送信、さっきみたいなクエスト内容の確認まで、すべてこの子がやってくれる。

 この春、ついにオープンテストが始まった『レヴ』——『Real vs.』の通称であったはずの『レヴ』の名前がついた大規模ワールドは、いわゆるRPGをVR内に落とし込んだ世界観でできている。

 それも、私好みにソロ前提の調整がされている。良くも悪くも、見ず知らずのプレイヤーはこの世界にはいないのだ。

「んん。まぶし」

 日の出の時間が来たらしい。

 小高い丘の上。眼下に広がる深い森は、夜の間にがんばって抜けてきたエリアのひとつ。その先には家々が並ぶ、依頼を受けてきた村が見える。それらが半分ほど顔を出した太陽の光を浴びて、一日の始まりを予感させる。

 村から見えていた、とくに目立つような一本の背の高い木を目指して森を抜けてきた。その道中にはいわゆる敵がいて戦闘のチュートリアルになっていた。それを抜けた先のこの場所で、依頼された花が入手できる。そして本当の報酬はこのきれいな日の出の光景というわけだ。

『マスター。メッセージが入っています』

「うん? 開いて」

『承知しました。読み上げます』


『こんにちは、ヒナツさん。いよいよ入学式ですね。おめでとうございます。そして、ずっと我慢していたので、一緒に『レヴ』で遊べることを楽しみにしています』


『メッセージの再生を終了しました』

「……」

 やばいかもしれない。

 ちょっと起動してみるつもりが、もう二時間くらいは遊んでる。明日、というかもはや今日の入学式が終わったら一緒に高校で使うようなものの買い物に行って、夜にはこのゲームをプレイする予定だったのに。

 そう。このゲームはソロ前提だけど、フレンドと少人数で遊ぶことはできるのだ。

「ま、言わなきゃわかんないかな」

 セーブデータを消してやり直せばいいや。ミハルと一緒ならきっとこのきれいな景色も、また違った印象になるだろうし。

『マスター。フレンドがマッチングを希望しています』

「よくないっぽいな?」

『メッセージが入っています。読み上げますか?』

「いや、いいや。すぐ迎えに行くって返事して」

『承知しました。マスター。脈拍がやや上昇しています。視界を透過しますか?』

「いらない。ボイチャ繋いで」

 安全設定のしきい値をミスってるっぽい。あとで直しておかないと。

『ヒナツさぁんっ!』

「やっほーミハル。とりあえず言い訳を聞いて欲しいんだけど」


   Fin.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

レヴ 〜Real vs.〜 @myong

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ