第四章:3

 そこからは、ほとんど覚えていない。いつの間にか自宅へ帰っており、自分の部屋で、携帯を握りしめたまま壁にもたれるように座っていた。何度か扉の向こうから自習の状況を確認する祖母の声がしたが、染みついている返答を機械のように返すだけだった。



 眠れないまま朝を迎え、朝食を見つめて、祖母に「クユルのお母さん、亡くなったわ」とだけ言う。祖母は息を吸うような小さな悲鳴を上げると矢継ぎ早に「なんで。どうしてまた。クーくんは?大丈夫なんか」と詰め寄ってきた。いつもの俺なら仕方のない反応だと受け止められたはずのに、その時は心臓の奥がずっと震えていて、少しの拍子でも大声を出してしまいそうだった。

 黙って席を立ち、絞り出すように「ごめん、食べれん。晩御飯にする」と言って居間を出た。




 学校に行ける状況でもなく、そのままクユルの家に足を運ぶ。連絡が来たわけではないし行っても仕方がないのに、それでも、じっとはしていられなかった。心臓が縮んで、胃がせり上がっている。肺が膨らみきらず、息が苦しい。


 遠目から建物の二階を見上げると、柵越しに、クユルの住む家の扉が開いているのが見えた。親父さんが慌ただしく出てきて、外階段を降りていく。頭の中では声をかけることを躊躇っていたのに、それとは別で、既に口が動いていた。



「お父さん」


「――あ。ああー!枢君。昨日はありがとね、警察の人から聞いたわ。燻が頼りなくてすまんね」


「いえ……。あの、この度は」


「ええ?すっごいなー!今時の若モンは。そんなこと言えちゃうの?いや俺もね、よくわかってないんだけど手続きとかあるみたいで。悲しむ暇がないって本当だね。今からも保険の人らが来るんだけどさ、家がナビにヒットしないから道路まで出てこいって言うもんで。そんなことある?って感じだよなぁ」


 いつも以上に饒舌な親父さんに、無理をしているのだろうかと探りそうになる自分がいた。確かめたかった。この人は、きちんと、悲しんでいるだろうか。流石にここで、人が変わってはくれないだろうか。



「あの、クユル君は。大丈夫……じゃないと思いますが、……大丈夫ですか」



 ああ、ああ、と言いながら開け放たれた二階の扉を顎で指し、首を振った。



「なんかしんどいみたいだわ。起きたことはしょうがないし、あいつも母親離れしないといけない歳だっつーのに。枢君を見習えって話だよなぁ?まぁ、大丈夫大丈夫。どうせ燻もあっという間に忘れるよ。君たちはこれからじゃん」



 わからない。気丈に振る舞っての言葉なのか、本気で『あっという間に忘れる』と思っているのか。

 鳩尾がじわじわと熱くなっていく。

 判断がつかないまま「そう、ですか」と返事をすると、親父さんの次に続く言葉で、俺は驚愕した。そして、クユルから日頃聞いていた話で作り上げていた『親父さんの人間像』が、至極甘いものだったのだと、痛感する。



「俺の方がつらいのにね」



 俺はどんな顔をしていたのだろう。引き攣った表情をしていたに違いないのだが、それを同情からくるものだと捉えたようで、親父さんは陽気に続けた。



「ね。オジサン、これからもう何もないよ?あいつ巣立ったら、奥さんと二人でって時に、これよ」



 親父さんの声は途中から耳に入らなくなっていた。身体の奥で、熱い液体が渦巻く。頭の中で火花が激しく散っているようだった。



「今日の夕方、クユル君、借りてもいいですか」



 声が震えないように力を込めた。親父さんはいつもの調子で「ぜんっぜんいいよ!元気づけたって!」と口を開けて笑っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る