第三章:8
「――はい。あぁ、そう」
暫く自転車を漕いでいると、後ろの方でクユルの声がした。感情を無くしたその声は親父さんに向けてのものだとすぐわかった。電話で話しているのだと想像がつき、減速し、道路脇で止まる。振り返ると、携帯を耳に当てながら話しているクユルが俺のすぐ後ろに止まるところだった。俺と目が合い、頷いている。やはり電話の相手は親父さんのようだ。
「わかった。多分あと十分ぐらいで着くわ。カナメも一緒。……ああ、まぁ。はい、はい」
クユルは、じゃあ、と無愛想に答えると携帯を耳から離すなり電話を切っていた。そして人が変わったかのようにあっけらかんとした顔をこちらに向けると「ちょうど今からのが話付いたらしくて、家に着いたらそんまま行けるわ」と携帯を鞄に突っ込んだ。
「ほー、タイミングいいじゃん」
「ただ、あれだ。今からのは、ぶっ壊すやつ。家電とかさ」
フラッシュバックする。一年前の、クユルと初めて”こういうこと”を始めた時のこと。あの時も”この仕事”だった。そこで俺はクユルの異常性を目の当たりにした。
躊躇いのない、圧倒的な暴力。帯びる熱。絶対零度の眼光――
――二つの目がこちらを向いている事に気が付いて顔を上げる。心配そうに見つめるクユルと目が合った。どれだけ自分が黙っていたのかがわからず、俺は咄嗟に口を開いた。
「ん、そっか。まあ、早い時間だし昨日みたいなのはねーわな。こっちの方が気が楽で良いや。あんなん続いたら、人間性こそぶっ壊れちゃうって」
つらつらと羅列させた言葉が悪目立ちし、 明らかに取り繕おうとしたのが浮き彫りになる。クユルは小さく鼻息を漏らすと、サドルから降りて自転車に跨ったまま歩み寄ってきた。
「内容が内容だし、これは俺一人で行こうか?さっきはああ話してたけど、仕事は選んだっていいだろ、カナメもさ」
「……え?何の話?」
「力仕事だから嫌なんでしょ?わかるよ、カナメ苦手じゃん。こういう汚れ仕事っていうか、力使うような仕事」
「ああー」
どうやら俺が仕事内容を不服に思っているのだと、勘違いしているらしい。見当違いの優しさにどう答えようかと考えながらペダルに足を乗せる。自転車を前進させると、暫くして、クユルが並走する。
「違うん?」
「うん。確かにこの暑さの中のそれは萎えるけど。力仕事だからって嫌だとは思わねーよ。それに一年前の僕とは違うんでね。鍛えてますから」
「――え、やっぱ?だよな!なんか最近ガタイよくなったなーって思ってたんよ!てかカナメが筋トレとか、意外過ぎるんだけど」
理由を問うような視線。俺はそれを受け、一瞥し、鼻で笑う。
「そんなん一択よ」
「え、なに」
「モテたいから」
クユルがこちらに顔を向け、反響するほどの大声で「はぁ!?」と叫んだ。よほど信じられないのか、驚いた表情のまま言葉を繋げる。
「ぜってー嘘じゃん!」
「マジマジ」
未だに信じていないようで、無言ではあるものの全く納得のいっていない空気が伝わってくる。視線を向けると、眉をひそめて、口端を引きつらせていた。抱かれている印象に対し不満に思う部分はあったものの、今までの俺はその印象通りだったのだから、仕方がないと諦める。
「同じクラスの女子で、めっちゃ美人で、めっちゃ頭のいい子がいてさ」
遠くを見るように努める。クユルは訝しげに俺を一瞬見たような仕草をしたが、前方へ顔の向きを戻すと「ん、うん」と相槌を打った。突然なんの話だと、声に滲み出ている。
「好き……とまではいかないまでも、まあ、気にはなってたんよ」
「……おぉ」
先程の曖昧なものとは打って変わって、興味を示す声。見なくとも、にやついているのがわかる。俺は穏やかに続ける。
「学年順位も片手に入るくらい。その子さ、意識高いのよ。俺にも『勉強教えて』って。休み時間とか、話しかけてきたりしてさ」
「おぉ!いいじゃん!いい感じじゃん!」
「だろ」
「んで?」
「その子、バッキバキのサッカー部と付き合いまして」
クユルは吹き出すと「……あぁ!ああー!それで!?」と大袈裟にこちらを見た。 「傷を癒すにはこれしかないんだ」という俺の言葉に高らかに笑い声をあげ「そらー筋トレするわ」と頷いた。
「えー、俺も鍛えようかなぁ」
「やめた方がいいんでねーの?クユルが鍛えたらドアノブがもぎ取れたり、扉ノックするだけでぶち破ることになるから」
「いやゴリラじゃねーか」
「ゴリラじゃん」
「え?俺ゴリラなん?」
「ゴリラだよ」
「ゴリラなんだ……」
適当なことを言い合っているとあっという間にクユルの家に着き、駐輪場でもないのだろうが彼に倣って外階段の裏に停める。まだ親父さんは帰ってきていないようだったが、日陰になっていることだしそのまま待つことにした。
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